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土を着る

今月発売の「たぁくらたぁ」44号に掲載されている記事の原文です。たぁくらたぁ では、他の記事とも関連付けて、タイトルを「秘密基地づくりの建築」としていますが、原文は「土を着る」としています。

「土を着る」

できることなら自分のこの一生を美術家でありたいと思いはじめたその頃、世の中全体は過剰なまでの経済拡大期の中にあった。
月の半分はアルバイト、残りの半分は有り金の殆どを作品制作に費やす生活。そんな生活が駆け出しの美術家にとってのあたりまえで、そんなあたりまえに慣れてしまっていた自分の中に、そもそも美術家とは何か、美術とは何か、美とは何か、自分がつくりたいものは何なのか、という疑問が沸き起こったのは、バブル崩壊から数年経った頃のことだった。
大学院在学中からの5年間、制作助手をしていた彫刻家・若林奮(2003年没)は、1955年、東京都西多摩郡日の出町の森の谷間に計画されていた二ツ塚廃棄物広域処分場建設の予定地内にあるトラスト地に、詩人・吉増剛造によって「緑の森の一角獣座」と名付けられた、「庭」の様相を持った作品を制作することによって、その建設に反対であることの意思を表明した。
この作品を巡る様々な出来事と社会の成り行きは、自分の中に「美」にまつわる様々な疑問が沸き起こる大きなきっかけとなったと同時に、「ゴミとは何か」について考えることは美術表現のみならず、自分の選択や判断の最も重要な自己基準となっている。

1999年の春、当時暮らしていた東京都国立市の住宅地の真只中にある、築40年の木造平屋賃貸住宅を借り受け、賃貸契約終了時には元の状態に戻すことを条件に大家さんの了解を取り付け、妻と二人、約半年かけて建物を全面改装することにした。
目的は「植物の棲家」をつくること。植物という生きものがそのまま自然であるということでは無いにしても、少なくとも自分がもっと自然について知るためには、否応なく自然と関係している存在に自分から近づく必要がある。
例えばそれが森であり山であり畑であり、自分にとってのそれはこの家であったということだ。
PlanterCottage(プランターコテッジ)と名付けたそこに、始めこそ自分たちが植えた植物ではあったものの、やがて植物たちは、そこが建物であったかもわからないほどに生い茂るようになるにつれ、昆虫や鳥たちが植物に呼び寄せられるかのように、様々な人もまたそこへと訪れるようになっていった。
プランターコテッジは、自分の中に沸き起こった「美」にまつわる様々な疑問から始まったことからすれば、美術表現ではあるけれど、それはまた建物であり、人が集う場所であることからすれば建築的であるとも言える。
いずれにしても、自分が何をつくりたいのかを知りたいがためにつくるのだとすれば、どうやってそをつくるのかについては誰も知るはずもないし、自分で考えて自分でつくるしかない。使える材料を探さなくてはならない。植物をそこで育てるからには土壌のことや気候のことも考えなければならない。そんなことを考えながらつくり続けるうちに、いつの間にか美術でもない建築でもない、そのどちらとも言える狭間を歩きはじめていた。

落ち着きがなく、いつも走り回っていた子供時代、秘密基地づくりが大好きだった自分は、秘密と言うからには人に見つかってはいけないはずなのに、それが完成すると嬉しくなって、友達を誘ってはその秘密を自ら公開していた。
そんな自分の秘密基地づくりの教科書は、学校の図書館にあった世界の様々な家の写真や絵が載っていた本、それと、バルサや竹、マングローブ、麻など、古代でも入手が容易な材料のみを用いた筏(いかだ)で南太平洋を漂流航海したことについて書かれた「コンティキ号探検記」だった。
土を固めてつくった家や、台地を掘ってつくった洞窟のような家、高い木の上につくられた家…、そうした土地の気候風土に合わせて生まれ、培われてきた、土着的・伝統的な建築を、ヴァナキュラー建築(Vernacular architecture)と呼ぶ。
その意味からすれば、 コンティキ号という筏もVernacular的であるとも言えそうだが、子供時代の自分がそこに感じていた共通性とは、秘密基地づくりに欠かすことのできない重要な要素である材料の確保についてのヒントだったのだと思う。
日本伝統の茅葺き屋根の古民家もヴァナキュラー建築と言える。そうした建物がつくられた時代にはまだ、建築家やデザイナーという職業は確立されていなかったし、技術に長けた工匠たちはいたとしても、少なくとも家づくりに必要な材料はその土地で産出されるものが使われていた。その土地の家はその土地に暮らす人々が互いに協力し合いながらつくっていたはずだ。建物がその専門家たちによってつくられるようになったのはつい最近になってからのこと。
人類の歴史からすれば人が暮らす家のその殆どは土着的・伝統的なヴァナキュラー建築であり、そうした家に暮らしている人々がいまも世界中にはたくさんいる。
高い効率性と生産性を目指し発展し続けてきた近代建築は、建築部材の殆どが厳密に管理され、工場での生産加工を可能にした。それによって建物の安全性は高まり、暮らすために必要な労力が軽減されたことは否定できない。こうした近代建築と比較すれば、それぞれの地域で産出する材料を使用し、その土地の気候に適したデザインを考慮しつつ、建てるために必要な知識や知恵の多くは口伝として人から人へと継承され蓄積されることによってつくられる建築との間には大きな違いがある。
どちらが正しいということでは無いにしても、ここで見落としてはならないことは、この発展によって得たものの代わりに失ったものは何であるのかという部分ではないだろうか。

昨年11月、およそ5年に渡って関わり続けてきた家づくりを終えた。建坪17坪の総2階、一般的な感覚からすればさほど広い家ではないし、近頃のハウスメーカーならば3ヶ月もあれば完成させてしまうような大きさだ。
にも関わらず5年の年月がこれに掛かった大きな理由は建築予算。とは言え、単純に予算が足りなかったからということではなく、限られた予算でつくるためには出来る限り、暮らす人が自分でつくるしかないと判断したからだ。「農業・環境・文化」をテーマとした家がつくりたいという施主の希望に対する自分の役割は、家づくりのテーマを具体化するデザインをすること。そして、「建物を自分でつくること」を最大限サポートすることだった。
電話一本で必要な材料のすべてが現場に届けてもらえる仕組みは、建築に要する時間を驚くほど短縮させてくれる。安定した品質とスピードの結果が材料価格であり、施工の素早さが家の価格を決める。
それが現代の家づくりの常識であるとするならば、その常識を崩すしかない。とは言え、家をつくるために材料は欠かせない。それなら材料が生産されるその最初の地点まで自分が行けばいいのではないか。
例えば、山に行って自分で木を伐る。そうすることによって、財布から出すお金を少しは抑えることができるかもしれない。たとえ安くならなかったとしても、何処で刈られた木であるのかを知るということは、少なくとも、その木が育った環境について知るということであり、それはこの家づくりにとっての大切なテーマなのだ。
そしてもう一つ。この家づくりでは、家づくりの作業によって出るゴミ、産業廃棄物として処理しなければならない廃棄物を出来る限り出さないようにすることを意識し続けてきた。それもまた、自分が最初の地点まで自分が行くことによって抑えることができる。産業廃棄物処分費用\15,000は、自分がこの家づくりに5年間関わったことで得ることができたご褒美なのだと思う。

国土面積に占める森林面積である日本の森林率は68.5%、国土のおよそ7割が森林であるそのいっぽう、木材自給率は約3割。約7割を輸入に頼っているのが現状だ。
使用する木材すべてが建築に使われるわけではないにしても、材料によって、建てる場所も、建てる家のデザインも、建てる人も、建てる方法も…、その行方は大きく変化する。
あらゆる職業が細分化され、それぞれの専門家が生まれることによって、高い効率性と生産性が実現し、それによって経済が活性化するという公式。その公式によってつくられる家。
それはまた、秘密基地のつくり方はもう誰も必要としなくなってしまったということなのかもしれない。

写真1:PlanterCottage:プランターコテッジ(東京都国立市)
猫の額ほどの僅かな地面に植えた数十種類の植物が建物を覆いつくす。

写真2:「つちのいえ」ロケットストーブ式ヒーター(長野県北安曇郡小谷村)
ロケットストーブの特徴は、そこにあるものを利用して自分でつくること。

写真3;個人邸のベランダ制作風景(東京都国立市)
そこにある材料は自然のものであるとは限らない。空き缶を積み重ねた上に土をぬる。

写真4:泥の家づくりワークショップ(千葉県船橋市、アンデルセン公園)
何も教えなくても、子どもたちは勝手に分担作業しながらつくる。

写真5:個人邸(長野県千曲市)
材料集めから完成まで、およそ5年。産業廃棄物処分費用は¥15,000だった。

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自分がしたいことをする。
そこにあるのは自由か、孤独か。

「人の目なんか気にしないで、思うとおりに暮らしていればいいのさ」
世代という共通性が社会に何らかの影響を及ぼしているであろうことは否定できない。
とすれば、最初のテレビアニメ世代である自分世代には多かれ少なかれムーミンという共通性がある。
個性的な登場人物の中でもムーミンの親友のスナフキン(Snufkin)は、自由と孤独をこよなく愛し、ムーミン谷に冬が近づくとハーモニカを手に旅に出て、春の訪れとともにムーミン谷へと帰ってくる。
ムーミン物語が心の形成に大きく影響していると自認する自分にとってスナフキンは憧れ。
憧れが理想とする人やものに対して心引かれる状態だとすれば、自分はいまもスナフキンのように生きることができていないからこその憧れということか。
高度経済成長期という時代の中で生きることを強いられた自分たち世代にとってスナフキンの生き方、考え方はまさに時代に対するカウンターであり、別の言い方をすればそれは、「いまをどう生きているのか。これからをどう生きるのか」という問いそのものだと思う。

数年間に渡って取り組んでいた仕事から昨年ようやく手を離すことができたと同時に、自分に向かって怒涛のごとく流れ込んでくる何かを、自分の中に沸き起こる何かを感じているいま。
この感じ、忘れかけてた。
次の目標は何かと聞かれたりすることもあるけれど、スケジュール帳は持たない…持ったとしてもどうせ白紙の状態が続くだけの自分にとって、自分というスペック以上の予定や目標はメモリーを、自分の生きるエネルギーを著しく消費する。
周囲には迷惑を掛けっぱなしで申しわけないと思うこともあるけれど、でも、この世に存在するすべての生命と同様、自分にはいつ死ぬかを決める自由は無いのだから、せめて自分のこの先の予定を空白にする自由だけは無くしたくない。
だから小さな目標であれ大きな目標であれこの先の目標は持たないことにしようと思う。

「大切なのは、自分のしたいことを自分で知ってるってことだよ」
憧れのスナフキンのその言葉の意味がほんの少しだけわかったような気がする。

2018年1月3日 小雪 長野市にて

写真は、昨日の「小諸・茶房読書の森」
驚くほどの快晴。太陽光発電所の造成工事は確実に進んでいた。

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あたりまえ

地面に埋め立てる杭や掘立て柱、木材の腐りを防ぐには防腐材を木材表面に塗る方法が一般的。施工が素早く簡単で効果も長続きする。
とかく耐久性能が問われがちな現代では、耐久性能の高さは結果として経済的であるという公式が一般常識化していているし、ホームセンターに行けば何種類もの防腐剤はもちろん、各種の防❍❍剤が並んでいる。
そうやって腐りや汚れを防御しようと躍起になるいっぽう、不燃ごみ収集日ともなれば、まだまだ腐ってもいない、たいして汚れてもいない、少し修理すれば使えそうな廃棄物のあれこれが山積みになっている。
蛇口をひねれば幾らでも水が出る。スイッチを入れれば何時でも電気が点いて、スーパーマーケットに行けばありとあらゆる食材が所狭しと並んでいる。
そんなあたりまえがこの世の中だとしても、このあたりまえはいったいどこから発し、さらにこの先、どんなあたりまえが自分たちを待ち受けているのだろうか。

朝4時半に起き、どんよりと曇った空から今にも降り出しそうな雪の気配を感じつつ長野駅前を通り過ぎ、N編集長をピックアップして小谷村(おたりむら)へと向かった。
途中から降り出した雪は白馬駅あたりまで来るとさらに激しさを増し、車を停めた南小谷では既に20〜30cm程の雪が降り積もっていた。
目的地は真木共働学舎。
いろいろなハンディーを持った者が共に働き、生活するコミュニティー「信州共働学舎」は長野県北安曇郡小谷村立屋と真木の二箇所からなる。
真木共働学舎がある真木集落まで車で行ける道はなく、通常ならば一時間程の山道を歩いて登るしかない。
前日、小谷村大綱地区に暮らす友人から、明日、真木に登るのは結構大変だよ…と忠告されていたとおり、通常のおよそ3倍の3時間半、膝から腰まである雪をかき分けながら歩いた先に、自分にとっては初めての真木協働学舎、そしてその中心の民家、アラヤシキはあった。

便利さが広く普及し、やがてそれがあたりまえとなる。
人はその「あたりまえ」に慣れてゆくと、「それがそこにあるために必要だった時間」を感じる感覚が失われてゆく気がする。
それは、人がこの世に生まれ生きることを通じて育まれる感覚、言わば「成長感覚」とでも言える感覚であり、便利さがやがてあたりまえになった時にその成長感覚が失われるということ。
人という生き物は実は、この感覚によって「自分自身がこの世をまざまざと生きている」ということを実感することができてるのではないかと思う。
自分とこの世の様々とがどのように関係しているのかを知り、そして想像するのも、自分以外の他人が感じているであろう痛みや辛さ、喜びがいったいどんなものであるのかを想像するのも、この「成長感覚」が大きく作用しているはずだ。

雪が降り積もっていなくとも、現代人にとってそこに行くにはそれなりの苦労が伴う。
そこでの生活に必要な様々な物資は人が背負って担ぎ上げるしかない。
現代社会が追い求める便利さとは対象的な暮らし。
でもそれが真木協働学舎のあたりまえの暮らし。

真木共働学舎では、自然と調和した技術、生活を未来につなげる第一歩として、水車製材所づくりを始めている。
真木集落には、その昔に建てられた立派な民家が何軒も残っているものの、それらはみな老朽化し、そうした建物で暮らすあるいは活用するためにはなるべく早く補修、修復しなければならない。
かつての集落の住民に学び、「手作りの生活」を実践しているここでは、こうした建物を地域の資源とエネルギーを用いて、ここで暮らす人々が協力しながら直したり、つくってゆこうとしている。
水車小屋の建設はそのための最初の一歩。
水車小屋の次には、そこで得られたエネルギーを使った木材製材機をつくりが始まる。
そうしてそれがやがて、これからの真木集落のあたりまえとなってゆく。

そのあたりまえが、「それがそこにあるために必要だった時間」を感じる感覚を育むに違いないと思った冬の山村での一日だった。

郵便物や荷物を届けてもらうためには、正しく住所を表記しなければならない。
「どこに住んでいるの?」と人に訪ねられれば住所を答える。
その意味からすれば住所はとても役立つし、住民票なるものにも住所が表記されていて、実際にそこに住んでいようがいまいが住民表によってそこの住人であるとされる。
その便利さを否定するつもりはないものの、でも、自分が常日頃忘れずにいたいと思っていること…
「いま私はどこに、どんな時代を生きているのか」においては、住所表記は殆ど役にたつことがない。

自分が多大な影響を受けている詩人・Gary Snyder(ゲーリー・スナイダー)はインタビューで、それは大学の講義での話しだったか、「あなたがどこで生まれのか、いま、どこに住んでいるのかを、住所以外の方法で私に教えてください」と学生に質問したくだりを語っている。
自然保護活動家でもあり、ヘンリー・デイヴィッド・ソローの作品を原型とする自然文学、20世紀を代表する「ネイチャーライティング」の系譜に位置づけられるスナイダーの文学は、人間と自然との関係をテーマにしたものが多く、その質問は、現代に生きる私たちは知らず知らずのうちに自然を蔑ろにしながら生きているということに対する気付きを促し、そしてまた彼自身の文学が何処に端を発しているのかについてを端的にあらわしている。

先日、妻が一冊の本を購入してきた。
図書館ギャラリーマゼコゼの管理人の彼女がどんな本に注目するのか…。実はそのことは自分にとって「どこに、どんな時代に」を考える上でとても重要なことだと思っている。
マゼコゼには私たち二人の本と私たちに関係する様々な人が寄贈してくれた本が並んでいるが、なんともマゼコゼな本の中に、自分や妻、そしてこの場所を必要だと感じてくださっている人たちが、何を大切にしているのかが見える。
本をすべて読み終えているわけでは無い。
でもぼんやりと様々な背表紙を眺めていると、かつて自分が考えていたこと、いま自分が考えていること、そして自分がこれから進もうとしている方向性がなんとなく見えてくる。学校の図書館や公立図書館ではそうはいかないと思う。
ここを訪れる人全員がそう思うとは限らないが、少なくとも私と妻が何処からここに来たのか、そしてこれからどこへ向かおうとしているのかを、マゼコゼの本棚をつうじて垣間見てもらうことによって、人それぞれが持つ時間と空間を感じてもらえたら嬉しい。

「Cabin Porn 」タイトルの下には、「小屋に暮らす、自然と生きる」と大きく書かれていて、その下には、Inspiration for Your Quiet Place Somewhereと英語がある。
本のデザインからして日本ぽく無い。英語版を日本語に翻訳し日本人向けに再編集したはずの日本語版。
本好きにとっては悲しいけれど、簡単には本が売れないこのご時世で¥3,000以上する本をつくり売ろうというのだから、出版社は少しでも多くの人の目にとまり、売れて欲しいと思うのがあたりまえ。
そのあらわれがおそらく「小屋に暮らす、自然と生きる」という日本語サブタイトルなのだろう。
自分はこうした新刊に付き物の帯というものが嫌いなのだが、この本の帯には世界中の愛好家が自力で創った夢の隠れ家コレクション…とある。
ちなみに英語版にはもちろん日本語タイトルは無いし帯も無い。

ここ数年の小屋ブームに加え、昨年あたりからは小屋ブームの周辺にはタイニーハウスというキーワードが急速に広がりつつある。
かつて夢の丸太小屋と呼ばれ、日本中の別荘地に次々と太い丸太材を使ったログハウスがつくられた時代があった。
そうした時代のログハウス所有者も高齢化し、多くの別荘地には一年中人の訪れることのない丸太小屋が散在している。
中山間地だけでなく別荘地もまた過疎高齢化しているのだ。

かつてのログハウスブームも現在の小屋ブームも、ブームはいずれ通り過ぎるもの。
しかし、つくる場所や大きさや素材が変化すれど、いずれのブームの背景にも人が探し求め続ける共通する何かが潜んでいる。
『ウォールデン 森の生活』(Walden; or, Life in the Woods)のソローやスナイダーもまた、ともすれば失ってしまいがちなものの存在に気付き、それは自分にとって、また社会にとって何であるのかを文学としてあらわしているのだ。
おそらくこの本の翻訳者・編集者は、ただ単に売れれば良いと考えているのでは無いはず。
「小屋に暮らす、自然と生きる」という日本語タイトルに何を託したのだろうか。

いま自分はそう簡単に「…自然と生きる」と言えないしこの言葉を安易に使えない、使いたくない…。

先週、9日土曜日、小諸市のNPO法人「虔十公園林の会」と小諸・茶房読書の森が主催する「環境・景観と自然エネルギーを考えるシンポジウム」が行われ、私もパネリストの一人として参加させて頂いた。
現在、「茶房・読書の森」のすぐ隣り、そして小諸市御牧ケ原周辺には、大規模な太陽光発電所が何箇所も計画、整備、稼働している。
年間の降雨量が少なく、標高が高く、空気が綺麗、そのうえ、過疎高齢化に関連する諸問題を抱える佐久小諸地方は、太陽光発電の最適地として注目されている。
山の木は売れない。田畑を耕す人もいない。
使われない山林や耕作されない農地を自然エネルギーと言われる太陽光を用いて発電所として再利用する。
それも自然、それも生き方…。

いま、私はどこに、どんな時代を生きているのか
自然とは何か
生きるとは何か

私たちは、答えの出ない、出せない話しをもっともっとみんなでしなければならないんだとあらためて思った台地の上の貴重な時間だった。

自分でやるから

「たぁくらたぁ」のN編集長から、福島第一原発がある福島県大熊町から白馬村へ避難してきた家族がいるので一度一緒に訪ねてみないかと誘われ、会いに行ったのは震災の翌年の夏の今頃。
あれから5年。まだ5年。

昨年12月、行方不明だった次女・汐凪ちゃんの遺骨のほんの一部が発見された。自宅があったすぐ側、震災直後に寄せ集められ高く積まれたままだった瓦礫の中から。

「汐凪は見つかったけれどそこに嬉しさは湧いてこない。これからも汐凪の捜索は続けます」

発見直後にすぐに連絡をくれた木村さんが私たちに語ったその言葉の中に、福島のいまを、日本という社会のいまを強く感じた。
そして、汐凪ちゃんの捜索は既に木村さんだけのためだけにあるのではないということもはっきりと。
私たちは探し続ける。

震災の直後の2011年4月。石巻市から南三陸町を経由し、岩手県にある森と風の学校の仲間たちに会いに行った。
東北から長野に戻ってすぐのこと、口の中に小さな水泡ができたと思っていたら水泡はまたたく間に口の中全体に広がり、水泡が破れ爛れ、水を飲み込むだけでも痛みを伴い食事することさえままならなくなった。
検査を繰り返し、病名が判明するまでに数カ月。
原因は不明。100万人に1人という粘膜系の自己免疫疾患であることが判明した。
治療に用いていたステロイド薬の副作用によるステロイド緑内障の疑いから投薬量を減らし始めていたその年の年末、右目の網膜を覆う静脈の中心で出血が起こった。その後の処置によって失明こそ免れたものの、右目の視力は著しく失われてしまった。

水泡の原因がわからないまま検査を繰り返していたある日の診察で担当医から、「福島でお仕事とかされていますか」 と尋ねられたことがあった。
妙な質問をするものだと思ったものの、この頃病院では免疫系の異常が認められる患者について何らかの調査をしていたのかもしれない。
もしそうだとしても、この国のいまを考えれば、福島との因果関係は証明できないとされるだけのことだろうが…。
あのときの現実的な痛みを和らげたのは担当医の判断と自分自身の判断であり治療薬であり、そうした判断が結果的に副作用によって別の病を引き起こしたのだとしてもそれは誰の責任でもない。
それよりも、驚きは、とつぜん原因不明の指定難病患者となってしまったことも、眼底静脈の出血によって急激に視力低下してしまったにも関わらず、そうしたことに対して絶望だとか焦りといった不安感が極めて小さかったこと。
考えてみるとそれには、あの大きな揺らぎが関係していたのかもしれないと思うのだ。

人それぞれが抱える傷みや苦しみ、悲しみや絶望、安心や嬉しさといった感情がどれほどのものかを計り知ることはできない。
だからこそ、様々な感情が自らの内に沸き起こることをつうじて、自分とは他の誰でもない自分そのものであることを知ることができるのと同時に、自分以外の他者の存在、その必要性を知るのだと思う。
人は自らの感情と他者の感情を重ねあわせることによって、言葉や行動だけでは表しきれない気持ちを自分から他者へ、他者から自分へと伝えることができる。
その力はほんとうに素晴らしい力だと思う。
そもそも自分の中に生じた感情がどれほどのものかを自分自身で判断することはとても難しい。
そうした中でも傷みや悲しみといった感情は自分から他者へと伝えにくい感情であるがために、自分で思っている以上に心に重い負担を掛けてしまいがちだ。まさに、自分のあの頃がそうだったのだと思う。
にも関わらず絶望だとか焦りといった不安感が小さかったのは、あの時、大きな傷みや悲しみを重ねあわせながら伝えあい、共に生きようとする姿がたくさんあったから。
震災によって傷つき悲しみを背負った人たちが懸命に生きようとする姿、傷みや悲しみに寄り添おうとしたたくさんの人々によって自分は助けられたと心から思っている。

木村さんの白馬の自宅であり、「team汐笑」の活動拠点でもある「深山の雪」では、毎年8月の汐凪ちゃんの誕生日近くにイベントを行っている。
忘れないからはじまる未来2017【原点回帰探検隊 はじめての小屋つくり編】と題された今年のイベントには、たくさんの子どもたち、大人たちが集まり、たくさんの笑い声が一日中森に響いていた。

「ねぇ見てて、自分でやるから」
真剣な眼差しの子供の姿を見ながら、この子たちに伝えなければならないことが、まだまだたくさんあると思った。

※写真は、team汐笑、Ozaki Takashiよりお借りしました

 

MONSANTO YEARS

ロイター.co.jpによると、アメリカ・カリフォルニア州は26日、米農薬・種子大手モンサント(MON.N)の人気商品である除草剤「ラウンドアップ」に含まれる有効成分グリホサートについて、7月7日から発がん性物質のリストに加えると発表したそうだ。

モンサントと聞くと、いつのまにか反射的に中指を立ててしまう自分だが、とりわけ除草剤「ラウンドアップ」は、もっとも身近な、目に見えるモンサントなのだ。
多国籍バイオ化学メーカー、モンサントの遺伝子組み換え作物の種の世界シェアは90%。化学薬品、プラスチックや合成繊維の製造、かつてベトナム戦争で使われ、いまでもその影響が残る枯葉剤もモンサント製。
除草剤ラウンドアップはモンサントが研究開発した農薬の一つで、最近は、そのラウンドアップに耐性をもつ遺伝子組み換え作物とセットで開発販売されている。
モンサントは2017年中にドイツに本拠地を置くバイエル社に吸収合併されるそうだが、それは結局のところ、モンサントという汚れたイメージを払拭し、企業の企みをさらに拡大させるということなのだろう。

特定の作物だけは枯らさずにその他の草は枯らすことができる…。
それはようするに、自分にとって不都合なものはこの世からすべて消し去ってしまうことが可能になるということであり、自然生命の原理原則として、できないはずのことを実現可能にするということなのだ。
このことは発癌性物質の有無以前に生命倫理としての大問題であるはずだが、もはやその倫理観もラウンドアップによって消し去られてしまったかのよう。
こうしてつくられた意識は社会のあちらこちらに飛び火する。

問われるべき問題の本質は、雑草を枯らすために研究開発された薬品ではなく、自分にとって不都合なものはこの世からすべて消し去ってしまおうとする意識そのものを商品として売りさばいていることだと思う。
そこは人として立ちってはならない禁断の領域。
もはや手遅れだが、そこに踏み入ることは誰であろうと、多国籍企業であろうとけっして許してはいけなかった…。
そして、モンサントはきっとこう言う。
「望んだのはあなたでしょ」と。

そう…、
ラウンドアップに限らずもはや農家の必需品とばかりに除草剤が乱舞する日本の里山の現状を見れば、モンサントをここまで巨大化させてしてしまったのは、この社会に生きる我々そのものなのだということが痛いほどにわかる。
もちろん、猛毒の発癌性物質が含まれていることには企業としての責任はあるだろうが、おそらくそんなことはとっくの昔からわかっているはず。
人の意識が変わってしまうこととラウンドアップの因果関係を証明することは限りなく難しいのだ。

今年ついに…と言うか、ようやくと言うか、米づくりをはじめた。
苗の準備やら水の管理やらあれやこれやを人に頼りまくりながらではあるけれど。
そもそもどのくらいの広さでどのくらいの収量が望めるのかすらわからない自分。
そんな自分が米づくりをはじめた理由の一つは、米づくりにおける懸案、田んぼに育つ草とリアルに対峙してみたかったから。
自分で言うのも何だが、この忙しいのにさらに忙しくなるのは間違いないし、ほんと大馬鹿野郎だと思う。

長野市内の自宅から車で30分ほど。
でも、本業の仕事もあるので、田んぼに行けるのは多くても週に2回がいいところ。
田んぼに行く…ってことは=水草と向き合う…ってこと。
まわりには除草剤を使わない田んぼは殆どない、弟夫婦と自分たちぐらい。
お前らみたいなもの好きは村中探したってほんの数人だけだそうだ。

6月の末に田植えをしてから早一ヶ月。
稲は順調に育ってはいるものの、あれやこれやの水草たちも同じく順調に育っている。
できることなら、ビオトープ的な共存共生とゆきたいところだけれど、残念ながらビオトープ状態では米の収穫はあきらめるしかないらしい。
稲の成長を優先するとなると稲以外の水草たちは要らぬものとしての扱いにせざるを得ない。
でもね、奴らも必死なんだ。
ひっこ抜いても、ひっこ抜いても、次から次へと生えてくる。
だからこっちも必死にならなきゃな…って思う。
米つくってる農家の人からしたら自分たちなんて遊びみたいなものだと思われてるだろうけどね。
まぁたしかに自分としても何やってるのかなって思うし。
でもね、草を抜きながら思うわけですよ。
これでできた米は最初にどうやって食べようかな…とか、
もう少ししたらいまは要らない水草も少しは残せるのかな…とか。
畦の草花は残してもいいかな…とか。

こんな大馬鹿野郎と一緒に田んぼに入りたい人はどうぞお気軽にご連絡ください。
只今、大水草祭り開催中です。

Monsant

言語の絶滅

「私たちは種や生物の多様性を守るために多くの金を投じている。ならば、なぜ私たち人類だけが使う特有の言語を同じように活性化させて守ろうとしないのか」

「言語の絶滅」で失われる世界の多様性
http://www.newsweekjapan.jp/stori…/…/2017/01/post-6671_1.php

 

文化とは人がこの世を生きることをつうじて得られる、この世の関係性についての理解の総体であると理解している。
この世の関係性について長い時間をかけて理解し形成されてきた言語とはまさしく究極の文化であり、私たちが如何に多様な社会を生きているのかを知るための重要な手掛かりとなる。と同時に、人としての尊厳、平等性、自由性、自立性、自発性を担保する最も身近な文化表現が言語なのかもしれない。
言語の多様性を守ることは、現代社会に蔓延し続ける無益な争いを食い止めるための大きな手立てとなることは間違いないと思う。