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先の選挙では、インターネットをつうじたSNSが一定程度の力があることが証明されたとも言えそうだ。
しかしそれは同時に、情報拡散力が高いがゆえの弊害はさらに増したということでもある。ネット詐欺と言われるような犯罪は今後ますます巧妙化するだろうし、社会の様々が電子化、AI化されてゆくであろうことは避けられない現実を考えれば、情報リテラシー格差がそのまま社会格差へと以降してゆく状況は十分予想することができる。
 
つい先日、友人のラインIDが乗っ取られ、繋がっている同じく自分の友人がプリペイドカードを用いた詐欺被害にあってしまった。
ネット利用におけるリテラシー不足と言えば、それは間違いではないにしても、こうした詐欺は、人と人との信頼関係を悪用する極めて卑劣な犯罪だ。
SNSで流れる情報は、ネットでは共有されていると思いがちで、直接会った人との間で同じ話題が交わされることは少ない。だからこそネット上では簡単に何でも言えるし、それゆえのSNSの拡散力だとは思うけれど、こうしたネットの中の世界と現実の世界との明確な区別が、卑劣な犯罪を加速させる。
なので、こんな面倒臭い自分の投稿についての質問や意見は、現実社会であれば幾らでも対応致しますので、なんなりとどうぞ。
     
この被害の原因と経過はさておき、インターネットリテラシーをはじめ、社会が要求する様々な平均に対応し切れないという状況が弱者を生むといった現実を見せつけられる子どもたちからすれば、「平均以下=貧乏」→貧乏は嫌という思いが生るじることは否定できない事実だと思う。
そうした子どもたちが、そうした現実を少しでも良くするために自分にできることは頑張って勉強することであると思ったとしても、それには多くのお金が必要であると見せ付けられる現実社会。
社会的弱者同士が助けあう姿を見せられる子供たちからすれば、その姿を否定こそできないけれど、こうした助け合いがいくらあったとしても、社会の歪はまったく解消されないまま、富裕層と貧困層の間の差は増々広がってゆくといった状況の中では、「結局、良い人は損をする…」という思考が生じるのは当然なのかもしれない。
そこでは「人のことなどかまっていられない」という思考が増大し、人は孤立し、結果、社会の繋がりは何も見えなくなってゆくのだと思う。
 
「自分は大学の時に民青に勧誘されて「中国やソ連の核兵器は防衛のためだから正義。アメリカの核兵器は悪」と聞いたときにこいつらアホだと思いました。」

これを読んで、これはまさにあの頃の自分ではないかと思って笑えた。
いまでこそ言ってしまえるけれど、自分は20代だった頃の殆どの選挙に行っていない。思い出せるのはアントニオ猪木が政界進出をした時ぐらいしか…。
あの頃の自分を思えば、現在の若者がなぜ政治に無関心なのかがなんとなくわかる気もするし、簡単に選挙に行けとは言えない。
でも、自分のその後が正しいと言うつもりはないけれど、あの頃、バブル経済が破綻したことによって、はじめて社会と美術、それと自分との関係を考えざるを得なくなったこと。そうした悩みの途上で出会った多くの人との会話によって、自分と政治とは無関係では無いと実感していったことを思い出せば、自分に生じた悩みと、その悩みを共有することができた色々な仲間が、自分が必要とする場と機会を与えてくれた思っている。
だから、来る大学受験に直面し、現実を前に悩む娘には、悩みを与えてくれてありがとうという感謝しかない。
  
自分たちが運営する図書館ギャラリーマゼコゼは、長野市街地の西の山際、善光寺の門前町にある。
自分たちがここに暮らしはじめたのは今から11年前。その当時から住民は高齢化し、子供の数が減っていたこのあたりでは、予想はできていたことであったとは言え、既に多くの方が亡くなり、そうした方々が暮らしていた古い住宅が、ここ最近になって多くが取り壊され始めている…。
以前、長野に暮らし始めて間もない頃だったか。県立大学の地域社会学の先生から聞いた話しでは、善光寺を中心に広がっていった長野市街地は現在、長野駅を中心とした商業地と郊外へと暮らしの中心が移ってはいるものの、この状態は今後20年〜30年の間に逆転し、人口の減少と共に人は郊外から、善光寺を中心とした場所へと戻ってくることになる。最終的(50年〜100年後)には、いまから100年前と同じ都市状況に戻ることになるが、これは社会学的に考えれば避けれれない事実であり、かなりの確立でこうした状況は現実化すると言うことだった。 
「それは山間部でも同じことが言えるのか」という自分からの質問に対しては、それは今後、日本人がどういった未来を想像するかによって異なる結果が予想されるので、今はわからないかな…」と。
  
マゼコゼには多様な人が訪れてくれるけれど、中でも、過疎化・高齢化した山間部に移住して暮らしている人々が大勢いる。
彼ら彼女らの多くは、かつて大都市圏に暮らしていた人が多く、子供を育てる環境として、そこを選択して移住してきた人が多い。
善光寺門前町は、かつて善光寺参りで全国から訪れる人が多かったことに加え、長野市の西側に広がる山間地の入り口であったことから、「西山(にしやま)」と呼ばれる山間地で生産された農産物や木材、炭などの生活必需品が売買される地として栄えたという歴史がある。
現代の社会状況を考えれば、今後またこの町にそうした需要が訪れることは想像し難いが、マゼコゼと関係する人たち、あえて山間部に暮らすことを選択した友人たちを中心として、これからの未来をどう想像するのか、それを如何に実現しようとするのかは、善光寺門前町の今後のみならず、日本全国のこれからの未来に生きる子どもたちにとって極めて重要なことだとあらためて強く思う。
  
  
リンクシエアするからと言って、この記事内容に賛同しているということではありませんが…。 ?????? 何言ってんの?? の部分には共感してしまいました。

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25年以上暮らした東京から、家族と共に、自分が生まれ育った長野市へと移り住んで11回目の夏のはじまりの日曜日。
諸用があって、かつて暮らしていた東京、国立市へと向かった。
JR国立駅前ロータリーから一直線に伸びる大学通りと名付けられた通りの両側には、市民が大切に守っている桜の木が、太い緑のベルト地帯をつくる。生い茂る枝葉の影が歩道をすっぽりと覆い、照りつける夏の太陽の陽を遮っていた。
現在では、東京の中でも貴重な自然であり景観ともなっているこの街並みの始まりは、1923(大正12)年、関東大震災がおこった翌年に、西部鉄道グループのデベロッパーであった箱根土地(株)が武蔵野の森、100万坪を切り開いた大規模な都市開発によるものだった。
学園都市構想と呼ばれた、大学を中心に置いた都市開発は戦後、国立市の隣りである立川市に米軍基地が置かれたことと関係する、教育環境を守るための、市民や学生を中心とした「文教地区指定運動」によって、昭和27年に東京で初となる「文教地区」の指定を受けたこともあり、今もなお、ここに暮らす住民の環境に対する関心度は高いと言えそうだ。
 
かつて、東京と関係することよって生きることが、自分のモチベーションであったことは否定できない。
東京に、とりわけ国立市に暮らすことによって起こった様々な気付きは、今の自分にとってとても重要であり、そうした気付きが起こっていなければ、いまこうして、自分が生まれ育った長野市に家族と共に暮らすことは無かったかもしれない。
あらためてそう考えてみれば、自分のモチベーションはいまも変わらず、そこにあるのではないかとも思う。
 
自分にとって東京とは、定住するとは何かという意識をもたらした場所であり、自分が何処にいようと持ち歩けるスケールのようなものだと思っている。
それは、東京という尺度で測ったり判断したりするという意味ではなく、人がその土地と関係しながら暮らすためには、土地の何処をどう見れば良いのかというきっかけに近いもの。
そいった意味からすれば、自分がいま用いているスケールは、自分がいま暮らす長野でつくられたものではなく、間違いなくそれは、東京で、国立市に暮らすことによって出来たものであると思うのだ。
 
自分はそれを使って「いま・ここ」を知りながら生きている。
そこに生じる意識は、定住という意識とは少し異なる、『再定住』という意識だと思っている。
自分が暮らす場所に根付き、土地との関わり合いを常に意識しながら住むという意味での「再定住(reinhabitation)」という意識は、自分の住所地のような物理的な一か所の場所に限らず、常に、どこにいようとも更新することができる意識。
地域が持つ自然環境や、人間の生活とその自然環境とのかかわりを自覚し、自分の住む地域の特徴についてよく学ぶことによって、歴史の中で切断されてきた人と自然、人と人とのかかわりを再びつなぎ合わせようとすることがなによりも大切だ。
思考的に多大な影響を受けているアメリカの詩人、G・スナイダー(Gary Snyder)は、地域の歴史や祖先の知恵に敬意を払いながら長期にわたる持続可能性を考えていくための「場所の感覚(sense of place)」の重要性を伝えているが、その感覚もまた、再定住という意識と共に育まれるものであることは間違いない。
 
「定住」で思い出すのは、ジプシーとも呼ばれるロマ(Roma)の人々。  
その起源は幾つか考えられるそうだが、一説によると西暦1000年頃にインドのラージャスターン地方から、おそらくは何らかの社会的抑圧から逃れようとして放浪の旅に出たロマ(Roma)は、伝統的に、鍛冶屋、金属加工、工芸品、旅芸人、占い師、薬草販売等に従事しながら、現在もなお多くの人が、北部アフリカや中東欧を移動しながら移動生活をしている。
しかしそれゆえに、定住を前提とした社会構造から外れてしまいがちなロマに対する差別は根深く、ヨーロッパ諸国ではロマという存在が様々な深刻な社会問題を引き起こしているそうだ。
 
自分はもちろん、ロマの人々のような過酷さを経験していないものの、考えてみれば、生まれ育った場所を出て、東京に暮らしながら必要に応じて移動を繰り返しながら生活することによって、再定住という意識に気付いたことを考えれば、それに気付いた場所を離れ、実際には自分が生まれ育った場所に暮らしているとはいえ、それは単にUターンという言葉では表しきれない、再定住と考える方が正確である気がする。
そもそも、自分の中には生まれ育った場所であったからと言って、その場所に対して定住という感覚を持っていなかったのだから。
 
いま、長野市に限らず過疎化、高齢化など様々な要因によって地方都市の人口は大幅に減少しつつある。
行政による対策をはじめ、今後の過疎化によって起こり得る問題に対処しようとする取り組みは多々あるけれど、歴史の中で切断されてきた人と自然、人と人とのかかわりを再びつなぎ合わせようとする意識の育みこそが大切。
そうして育まれる場所の感覚と「再定住」という意識についてを、多くの人の間で自由に対話する場と機会が求められている。
 
「Safe Journey」 (1993)
the vagabond journey of Gypsy
https://www.youtube.com/watch?v=J3zQl3d0HFE
 

 
Indian Rajasthan Gypsy dance
https://www.youtube.com/watch?v=rCunGo798_c

 
数年前に父が亡くなり、以来、目と脚に不自由さがある母と、いわゆる2世帯住宅的な暮らしを始めたと同時に、我が家は10年振りにテレビのある生活へと変化した。
自分に必要な情報の殆どはインターネットがあればこと足りるいま。テレビからの情報の殆どは必要のないものだと感じながらも、どれが正解か不正解かだとか、悪いのは誰かといった情報が絶えず溢れる光景は、まさにこの世間そのもの。世間とはどういったものかを具現化する役割がテレビなかもしれないと思いながらも、そうした世間がつくりあげる善良な市民という感覚に馴染めない自分がいる。
     
たった数年前どころか、つい先日起こった凄惨な事件さえも、別の新しい出来事によって絶えず上書きされ、最初から何事もなかったかのように忘れ去られてしまったかに感じる社会。
それは単純にテレビやインターネットによる情報過多が根本的な原因ではなく、自分は、そうなってしまう背景に「穢れ」という観念が大きく影響していると思っている。
  
忌まわしく思われ不浄な状態を示す「穢れ」は、質・程度の差こそあれ、物理的に触れることはもちろん、精神的に触れることによっても伝染すると見なされ、個人、共同体に悪影響をもたらすものとして信じられ避けられてきた歴史がある。
穢れという観念が日本に流入したのは、いまから1000年以上前の奈良時代後期から平安時代。
死、出産、血液などが穢れているとする観念は、元々はヒンドゥ教の思想であったらしいが、その時代、汚水や汚物の処理方法は現代のように確立してはいなかっただろうし、病に対する正確な知識も乏しかったであろうこと、さらに、この時代に日本に多く伝わった仏教にはヒンドゥ教的思想を合わせ持つものが多かったことを想像すれば、穢れという観念は、それ以前からあった神道の考え方とも結びつきながら、京都を中心に日本全国へと広がっていったと考えるのが妥当だと思う。
 
そうした時代に比べれば、生活環境は改善され、病気に対する知識も治療法も様々に研究されている現代に於いては、かつて忌まわしく不浄とされた死、出産、血などは、それはそれとしての知識や情報によって穢れの対象として扱われることは無くなっているかに感じる。
もはや「穢れ」という言葉そのものが日常的にはあまり使われなくなっているいま、考えてみると、「❍❍すると穢れる」とか、「❍❍さんは穢れている」といった言いまわしは差別的にも捉えられがちだし、行き過ぎた言動や行動は、裁判によって名誉棄損の損害賠償を命じられことさえあり得るのだ。
しかし、だからと言って、穢れ観念が世間から無くなったとはまったく思えない。
それどころか、現代の穢れ観念は、社会の表層から見え難くなればなるほどに、より潜在化し、新たな問題を生じさせているような気がしてならない。
 
>ある出来事が別の新しい出来事によって絶えず上書きされ、最初から何事もなかったかのように忘れ去られてしまったかに感じる社会。<
こういった社会をつくり出しているのは、社会に内在する、潜在的観念であり、自分はその観念の最も中心にあるものが、「穢れ」ではないかと考えている。
  
穢れという観念は、この世が「清らかなるもの」と「不浄のもの」、という考え方によって支えられている。
その関係は「生」と「死」に象徴され、人は生と死の狭間にあるこの世に生まれ、生きている以上、死を意識せずに生きることはできないし、かつて奈良時代や平安時代の人々は、人がこの世を生きることによって清らかさはやがて不浄さへと変質することを、「生」と「死」をつうじて理解していたはずだ。
人がこの世を生き、死に近づいてゆく一生は、言い換えれば、人はこの世を生きることによって穢れてゆくということでもあり、清らかなものが次第に汚れ、穢れてゆくことを恐れたであろう人々は、「死」を不浄なものとして、できる限り自分から遠ざけようとしたのだと思う。
とは言え、この世の清らかさを保つためには、誰かが忌まわしく不浄と思われることを担わねばならない…。
生きるために仕方なくそうした仕事に着かざるを得なかった人々がいたのかもしれない。そこに、その役割を担う人々や職業を遠ざけようとする社会がつくられてゆく…。
そうした人々が穢れた人々として、やがてその人々が穢多とも呼ばれ、清らかなるこの世を成立させるために、忌まわしく思われる不浄さをを担わされたと考えることができる。
     
この世が、「生」と「死」の狭間にある世であることは、いま現在も変わらない。医学の進歩によって、寿命がはるかに長くなったとは言っても、未だ「死」とは避けることができない現実であり、生命は巡り永遠に続くという考え方はあるとしても、「死」が「生」の一つの終焉の姿であることに変わりない。
  
牛や豚、鳥などの生きものを屠殺する役割であったり、暮らしの必要性として皮をつくる役割など、死を連想させる職業にある人々ばかりでなく。かつては、原因不明とされた疫病を持って生まれた人やその家族までもが、穢れとして、そうした人々を忌み嫌い、社会から遠避けようとした事実がある。
そしていま。ある出来事が別の新しい出来事によって絶えず上書きされ、最初から何事もなかったかのように忘れ去られてしまったかに感じる社会の背景には、事件や事故、スキャンダルの当事者を潜在的観念によって穢れたものとして捉えようとする世間があり、人々は、自分の清らかさを保つためにそういった穢れを遠ざけようとしているのではないかと自分は思うのだ。テレビは単にそうした世間の要求を実行しているにすぎないのかもしれない…。
もちろん、人々が意識的にそれを遠ざけようとしているわけではない。ただ、この社会を普通に生きようとすればするほどに、穢れ観念
は潜在化し、人々は無自覚に現代の穢れを見つけ出し、それを自分たちが生きるこの世から遠ざけようとしているのかもしれないということだ。
   
そして、自分もまた穢れを潜在化していないと言える自信もない。
しかし、この世に生きる以上、この最も難しい問題を無かったことにしてしまうとか、語られることすら憚れれるような社会の中で、善良な市民感覚を装うままでは、過去から現在にいたるまで、この世の不浄さを背負わされた人々の傷みは無くなることはないばかりか、誰しもがその対象になってしまうかもしれないような危うさを内在した現実があり続けてしまうと思うのだ。

 
もう随分と前のこと。1990年代も終わりに近づいた頃だったと思う。
図書館でなんとなく手にした、「森林の思考・砂漠の思考」鈴木秀夫著(1978)という本がある。
子供時代から、社会科全般が好きだった自分。中でも地理的な社会科が好きだった自分は、暇があれば地図帳を眺めながら、自分が暮らす此処と正反対の荒涼とした砂漠の風景を想像するのが好きだった。砂漠への憧れはいまも変わらない。
そんな自分が「森林の思考・砂漠の思考」というタイトルに目が止まり手を伸ばしたのは、まず第一に、砂漠とは何であるのかが書かれていると思ったからだった。
 
「森林の思考・砂漠の思考」の主題は、人間の思考方法が森林的思考と砂漠的思考の2つに分けられるということ。
森林的思考とは極端に言ってしまえば、「世界は永遠に続くもの」であり、砂漠的思考とは、「世界は始まりと終わりがあるもの」である。
そうした思考はやがて、キリスト教的なるものと、仏教的なるものへと変化してゆくことになるのだが、どちらが優れているとか、どちらが正しいとかではなく、森林、あるいは砂漠に生きることによって育まれた思考それぞれが、人がこの世に生きるために必要であったということだ。
森林と砂漠とは言っても、必ずしも現在の気候風土とそのまま合致してはいないものの、いまから5000年前に地球がいまよりも砂漠化していた頃につくられた思考方法を人類は綿々と受け継ぎ、こうした思考方法が現代の人間に対しても明らかに大きく影響しているとこの本では述べられている。
 
いまにして思えばその本を手にした理由はもうひとつある。
それは、自分が思う美術と既存の美術の有り様に違和を感じていたこととも大きく関係していて、その為にはとりあえず、既存の美術から離れてみることによってその違和感とは何であるのか、なぜそれが自分に生じているのかを知ってみたいと思っていたからだった。
 
Artという概念は、明治時代になってから西洋からもたらされたものであり、識者はこれに「藝術」という言葉をあて、やがて藝術のうち絵画・彫刻といった藝術を「美術」とした。
経済の発展と軍事力の強化によって近代的な国家をめざす富国強兵という目標の下、美術もまた例外ではなく、Artでもある美術はもっぱら、西洋美術をその目標としつつ日本の近代化の道を共に歩んだとも言える。
そうした美術が過去の戦争を経験し、現代へと至る中で表現は多様化し、既に西洋美術そのものも大きく変化してきていることからすれば、もはや目標ではないのかもしれないが、だとしても、日本の既存美術はいまだArtであることに変わりない。
それはようするに、日本の既存美術は砂漠の思考が育んだ西洋文化でもあるArtという概念無くして成立はできないということだと自分は思っている。
     
自分は、だからそこに違和を感じるのかもしれない。
とは言っても、その違和感とは、Artという概念、西洋の思考を否定するということではない。自分がここで感じる違和感とは、思考そのものが何処で、なぜ生じたのかということであり、西洋の思考の中で育まれたArtという概念を、それとは異なる思考によって考えることによって自分の中に違和感が生じているかもしれないということだ。
自分がArtに近づきたいと思ってはみても近づけないのは、Artという思考そのものが、自分の憧れの砂漠と同じく、いまだ自分の想像の枠の中にあるからかもしれない。
だとすれば、まず自分がいま知るべきことは、自分が用いている思考は何処から生じ、どういったものであるのかということ。
そこを明確にしなければ、Artの本質を誤解することにもなりかねないし、明治以降、この国が歩んだ歴史のすべてを否定することになってしまうかもしれない。
そうした上で、自分の思考で、「美とは何か」について考えてみたいと思う。
  
自分とは異なる考え方、思考に対する理解は、自分の思考が何処から生じているのかを知ることから始まるのだと思う。
おそらく自分の思考は「森林の思考」に近いとは思っているけれど、既にこの社会は森林の思考だけでは成立しない。現代日本人の思考の多くは確実に砂漠の思考化している。
グローバリズムの流れによって、社会はより一層多様化し、この国は、多くの外国人と共に生きる、共生社会になってゆかなければならないだろう。
そうした社会に於いて最も必要となることは、言語の習得よりも先に、思考の多様性をお互いが認め合うことではないだろうか。
美術とは本来、そのためにこそあると自分は思う。
だからこそ、これからも自分の思考の原点を探る旅を続けようと思う。
思考の原点である風土について知る旅を。

shinrin.sabaku

「Cob house」

 
このブルキナファソの土の家づくりの記録が、いつの頃のものかはわからない。
自分はこうした家づくりの姿に、強く魅力を感じてしまうのだが、ふと、先進国と呼ばれる国に暮らす自分のような者が、のほほんと動画を眺めながら、こうした暮らしが残っていて欲しい…などと思ってしまうことを、ブルキナファソに生きる人々はどう思うのだろうかと考える。
  
グローバルリズムの嵐は、当然、アフリカ諸国をも巻き込んでいる。過剰な人口増加によって仕事は不足し、周辺諸国への出稼ぎに頼る他なく、国内では電力需給を賄うことができず、隣国から電力を輸入する。こうした状態から、いかに脱するかが国としての重要な課題であることが予想できるものの、貧困は様々に連鎖し、格差はより広がるばかりが現状だ。
 
今、南ア以外(既に2基稼働中)、アフリカの10の国が原発推進に積極姿勢を見せ、そのうち、2025年までにおそらく5つの国が原発を保有する公算が高いとされているそうだ。
さらに、IAEAによれば、新たに原発開発を志そうとする国の、実に3分の1がアフリカ諸国だそうで、こうした動きは、経済問題、エネルギー問題を解決する切り札として期待されていることに加え、全世界のウラン埋蔵量の2割をアフリカが秘め、34カ国で採掘可能とされていることと大きく関係している。
とすれば、そこには必ずや、核開発技術を持った国々もまた関係しているはずで、今後益々、アフリカ諸国は原発に翻弄されてゆくであろうことが懸念される。
 
土の家づくりが単純に、そうした原発推進を思い留まらせる方法になるとは思ってはいないものの、こうしたことが忘れ去られ、無くなってしまうことによって、原発推進はより加速するであろうことは間違いない。
 
だからこそいま、ここで。
難しいことを考えるのではなく、自分の手で土を触り、みんなで一緒に家をつくる。
「家はつくれないもの」という概念を打ち壊し、そうしたリアリティーを一つ一つ積み重ねてゆくこと。
そうすることが、原発を無くすために自分たちが今すぐにでもできること、どうしても必要なことだと思うのだ。

 
Thappi と呼ばれるこの技法は、南インド・ラジャスタン州の伝統的手法のようで、シルクロードの途中でもあったここ、ラジャスタン州には、この技術を用いた建築が多数残っているようだ。
 
 
Plasterを用いる建築(左官)技法は世界各国に見ることができる。
その原料は石灰岩。
主成分は、炭酸カルシウム。
有孔虫、ウミユリ、サンゴ、貝類、円石藻、石灰藻などの生物の殻(主成分は炭酸カルシウム)が堆積してできたものと、水から炭酸カルシウムそのものが化学的に沈殿したものがある。
石材として分類される大理石も石灰岩一種。
セメントの原料も同じ。
 
日本の左官で用いられる漆喰は、石灰岩を原料とする石灰に繋ぎ材となる繊維(スサ)、海藻糊を混ぜ合わせたものの名称。
動画にあるラジャスタン州のPlasterとは混合する素材に若干の違いはありそう。

漆喰壁による調湿性は高い効果があるが、漆喰である石灰は空気中に含まれる二酸化炭素を吸収することによって化学的に硬化する。ようするに、呼吸その他によって排出される二酸化炭素を吸着させることによって、長い時間を経て石灰岩へと戻る性質があるということ。
 
石灰のつくり方は、石灰岩の主成分である炭酸カルシウムを1,100℃ほどに加熱。その後の処理によって、生石灰(酸化カルシウム、CaO)または消石灰(水酸化カルシウム、Ca(OH)2)とする。
二酸化炭素を放出させる熱分解により製造するこの技術は、これは人類が古代から知っている化学反応の一つであり、ギリシャ時代の建築をはじめ、ヨーロッパ各地。日本に於いても、石灰は城壁の白壁のような建築のみならず、農業における土壌改良材や、製鉄工程で欠かすことのできないものとしても利用されている。

https://www.youtube.com/watch?v=zRg7m3x4rDY&fbclid=IwAR0tP8_x0xdcE9dy2LUeHC2s7Hc_Eb0LvaFgDqivGhXnMHaZ9MAlMntm2Lg

Thannal

 
Thannal は、ヒンディー語だろうか。そこには日陰という意味があるそうだ。
南インドの・タミル·ナードゥ州ティルヴァンナーマライを本拠地とする、Thannal Hand Sculpted Homesは、Thannal Mud Homes Trustの中の自然建築グループ。自然建築ワークショップを通じて、 南インドの聖者、ラマナ・マハルシ(Ramana Maharshi:1879年12月30日 – 1950年4月14日)の信奉者として、その教え、哲学の価値を実践している。
 
自分は、ラマナ・マハルシについては、人となりも、教えについても知らないので、その意味するところについては、Thannal Hand Sculpted Homesの実践からそれを読み取るしかないけれど、おそらく、Thannal Hand Sculpted Homesにしても、それも当然のこととして承知した上で、その価値を自然建築を通じて実践し、そこから得られる経験や知識を広く共有させようとしている。
詳しい活動については、HPを見てもらうのが良いけれど、その取り組みは、自分にとってとても興味深い。
  
  
Thannal works towards spreading awareness about Natural Building and making a knowledge bank for everyone, irrespective of where they belong to and money-in-hand to make a home.
Thannalは、彼らが属する場所や家を建てるために使うお金に関係なく、ナチュラルビルディングについての意識を広め、皆のための知識バンクを作ることに向けて取り組んでいます。
http://thannal.com/
 
 
建築に対して興味を持ったのはいつからか。
それには、何通りかで答えることができるけれど、
いわゆる「建築」とは何かについてあれこれ考えを巡らすようになったのは、自分が考える美術…かもしれないものと、既存の美術との間にギャップを感じつつも、どうすれば良いのかわからないまま、既存美術からは距離を取りつつ、とりあえず、クライミング(岩登り)に明け暮れていた頃のこと。
とは言え、現代建築にはまったく興味が湧かなかった自分は、ホール・アース・カタログ(Whole Earth Catalog)のシェルター部門の編集を務めたロイド・カーンが、1973年に出版した「シェルター」ばかり眺めていた。
 
気が付けば、あの頃から随分と年月が経ち、長く暮らした東京を離れ、家族と一緒に自分が生まれ育った長野市に暮らすようになってはいるものの、ここに来た目的にはまだ到達していない。
その目的を明確に言葉にすることは、まだ出来ていないけれど、インターネットをつうじて垣間見る、Thannal Hand Sculpted Homesの活動に、自分が思い描く目的と共通するイメージを多々感じつつ、『美学創造舎マゼコゼ』の新しい活動拠点づくり(場づくり)の準備を始めている。
  
そんな、『美学創造舎マゼコゼ』の新しい活動拠点づくり(場づくり)に興味持たれる方は、美学創造舎マゼコゼ・小池マサヒサまで、是非ご連絡を。

https://www.youtube.com/watch?time_continue=12&v=aFIbn6AnV-Q