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目の前にやらねばならないこと…があると、それが嫌なことではなくても、ぎりぎりまで手を付けないこの性格は病だと理解して貰うしかない…。(ご迷惑おかけしている方々、本当にごめんなさい。)尻に火が着いてから猛ダッシュ!という性格はちょっとやそっとで変わらないと思いながら、新潟県十日町市にあるミティラー美術館へと向かった。

ミティラー美術館は、1982年に設立された私設の美術館。インドの伝統絵画ミティラー画をはじめ、ワルリー画、ゴンド画など、インドのコスモロジーあふれる豊かな民俗芸術を収集、常設展示している非営利の私設美術館で、日本全国での出張展覧会等にあわせてインドの描き手たちを招聘しアーティストインレジデンス活動を続けている。

感動とは出会う時期や場所、身の回りの状況と大きく関係するもの。そしてそれは、あらかじめ決まった場所にあるわけではなく、ある日突然遭遇するもの。そういった意味からして、とにかく自分にとってはこのタイミングでミティラー美術館に行けたことはとても良かったし、作品も凄く良かったけれど、何より自分にとっての感動とは関係の連鎖の賜物であり、そういった意味からして自分を取り巻く人に対してはもちろんのこと、いまのすべてに感謝しなければならない。(お待たせしてしまっている方々には深くお詫びします。)

芸術が私たちに与えてくれる感動とは何かについてを言い表すことはとても難しい。だからこそ芸術はこの世にあり続けているのだと言うしかないのかもしれないけれど、正直なことを言えば、自分は美術家を名のっていながらも美術館に対して良いイメージを持っていない。画廊や美術館が持つ社会的役割もその仕組みも理解しているつもりだし、それを全否定こそできないものの、美術館に掲げられた作品こそが芸術だ…的な雰囲気がどうにも好きになれなくて美術館にある作品を良いと思ったことは殆どない…。

かつて美術大学という美術の専門教育を経て、気が付けば美術家への道を歩みつつ、身の回りには美術家をはじめ美術の専門家ばかり。そこでは当然のごとく、作品が美術館に収蔵されることが良しとされていてはいるけれど、そもそも美術館という場所が好きではなかった自分は美術には向いていないのではないかと思っていたし、美術館に収蔵されることを前提とする作品を自分がつくることは想像しずらかった。そういった意味からすれば自分は美術家としては落ちこぼれだけれど、でもだからこそ美術とは何か…についていまもずっと考え続けることができいるのかもしれないし、人が美をこの世を生きるための術とするために美術家はあるべきではないか…という自分の美術家としての基本的なスタンスは変わらない。

ミティラー美術館は十日町駅から車で15分程の山間の急な道を進んだ先の大きな池のほとりにある。案内してくれた美術館のスタッフの方の話しによると、かつてこの目の前の池を埋め立て、フィールドアスレチックのような施設にするという計画が持ち上がった時、現ミティラ-美術館の館長が、インド音楽奏者だった自分と繋がりから、インドの絵画を展示したり、インドから人を招いて交流の拠点にしたらどうかという提案から始まった活動だということ。

築年数は50~60年ほどだろうか。老朽化したうえに中越地震の被害もあった木造の体育館は作品の展示というよりも、地震の被害を免れた作品が何とかここへと避難収蔵されているといった感じで、床のあちこちに桶やバケツが置かれて雨漏りの水を受けていて、作業用の投光器の照明が作品に影をつくる。美術館の環境としてはあり得ないかもしれない。でも、ここにある作品の多くは、インドの農村からここへと招かれ、スタッフや地元の人々と交流しながら描かれた作品であることを思えば、湿度も雨漏りも足りない照明も…そんなことはたいした問題ではないということをひしひしと感じる。大切なことは、生きるために必要な文化とはこうしてつくられ使われてゆくものだということ。あるものは残り、あるものは消えてゆく…作品もまた人の痕跡であるならば、本当はみなそういうものであれば良いのだとも思う。この美術館にあるものはこの世の関係性だと思った。そこに自分が追い求める移動不可能な美術の一端が見ることができたような気がして、自分たちが行っている場づくりの次なるステップが踏み出せそうな、そんな気持ちになれた美術館だった。

ここ最近、心の中がどうもざわざわする。これもまた新型コロナの影響なのかもしれないと思ったりもするけれど、一年のうちで師走から年末年始にかけてのこの季節がすこぶる苦手な自分。かつてクライミングに明け暮れていた頃には、この時期には何度も国外逃亡していたけれど、いまとなってはそれもできず…。

我が家の朝は、BSチャンネルのワールドニュースを横目で見つつ…という日が多い。フランス,ドイツ,イギリス,スペイン…それぞぞれの国内向けの主要ニュースの中からNHKがピックアップしたニュースではあるけれど、それでもそれは日本国内向けのニュースではないわけで、自分にはそうしたニュースのどれもがどこか映画を観ているようで現実感がないというか、でもそれだからこそ逆に、日本国内に向けて流されているニュースを咀嚼することができるというか…現実感の無さが逆に目には見えない関係性を際立たせるような気がしている。

新型コロナ第3波に対する対応策に関する話題とワクチン開発に関する情報が日々増えているけれど、何日か前には世界主要各国が2030年前後からガソリン車やディーゼル車の新車販売を禁止し、地球温暖化の主要な要因とされる温室効果化ガス(主に二酸化炭素)の排出量を2050年あたりを目標にゼロにする取り組みを政策として打ち出すなど、脱炭素化社会に向けての世界的な動きが急加速しはじめていることを伝えていた。

自らが経験したことによって得られる知識や情報ではないこういったニュース情報は実に一方的にもたらされるもので、考えてみればそれはきわめて暴力的であるとも言える…。ニュース情報は事実を歪曲してはならないことが前提だとしてもそれが真実であるということではないし、国が違ったり立場が違えば物事の捉え方も、情報の伝え方も異なってしまうように、そもそもニュース情報とはいい加減なものだと思ったほうが良い。情報だけをいくら掻き集めても真実にたどり着くことなんてできないのだから。

とは言っても、それがいま起きていることである以上、情報には必ず関係性があるはずだ。家庭ごみの収集日を確かめるだけなら情報の関係性なんて気にすることはないけれど、自分がいま何処にいて、これからどうすべきかを知りたければ、情報の背後にある関係性こそが重要で、情報と関係性によって繋ぎ合わせて現れるもの…それが目には見えないいま・ここという社会そのものの姿なのだ。

現代社会がより個人主義的傾向へと向かう理由の一つは、このあたりと大きく関係しているのだと思う。膨大な情報の中から欲しい情報を見つけるにはそれなりのエネルギーが必要だし、そこからさらに情報と情報との関係性を見つけ出すことはけっして簡単なことではない。水の流れのように、人は基本的に楽で楽しいことに対して敏感で、難しいことよりも簡単なことへと流されやすい…。そういった人間心理が間違いということではないにしろ、一方的な情報が溢れ返る現代社会の中では、社会との関係は最低限度維持しつつも、自分の興味以外の情報は遮断することによって面倒臭いことに巻き込まれないようにしようとする心理が生じやすいのだと思う。

ここで注目すべきは、「社会との最低限度の関係の維持」という点。家庭ごみの収集についての決まりごとや、住民票の取得方法、電気料金の支払い方法等々…社会集団生活を営む上で必要な情報や決まりごとは、社会との最低限度の関係の維持にとして必要なことで、社会の決まりごとを守らなければ罰則を受けるといった理解もそこに含まれる。社会との最低限度の関係の維持とは社会ルールには従いさえすれば、自分にとって必要な自由は最低限度保証されるといった思考に近いと自分は思うのだが…。昨日からのニュースでは、香港の裁判所が去年の大規模な抗議デモに関連し、無許可の集会への参加をあおった罪などで、民主活動家の黄之鋒氏に禁錮13か月半、周庭氏に禁錮10か月をそれぞれ言い渡したことを伝えている。ニュースは続けて、「香港の民主化運動への支援を国際社会に訴えてきた中心的な活動家が収監されることになり、各国からの批判が一層高まることが予想される…」とも伝えてはいるけれど、そもそも各国からの批判とは何なのだろうか。自分が暮らすこの国の個人主義的傾向とこのニュースが言うところの各国からの批判という部分とに何とも妙な違和感を感じるのは自分だからなのだろうか。新型ウィルスが地球環境の悪化と関係しているかどうかは別としても、少なくともいま起こっているすべてには必ずや関係がある…。

新型コロナウイルスという脅威が世界中を席捲しウィルスの脅威から脱しようとする思考が張り巡らされているいま。その思考性はいままでばらばらだった多くを結びつけ得る強力な引力を帯びている気がしてならない。脱炭素化社会に向けた取り組みのような世界的変革のスタートは、コロナ禍といういまというタイミングが確かに有効なのかもしれないし、政治活動に対する中国の統制が強まるなか、香港の民主化運動への支援を国際社会に訴えてきた中心的な活動家が収監されることもまた…。それに対してイギリス外相の声明を聞きながら、そもそも自由の概念とは揺るぎなく強いものではなく繊細で壊れやすいもの…。そうした概念もまた社会の変化と共に急速に変わりつつあるのかもしれないと感じる師走の朝。


この御時世、新型コロナウイルスを怖いと思ったことがない、なんてことを言ったら不謹慎だと思われるのだろうけれど、正直言って自分は、新型コロナウイルスの脅威よりも、コロナ禍に垣間見える、そういった現代日本人の価値観とでも言ったら良いか…日常を覆す事象に直面した時に現れる反応や行動の根底にある日本人の価値観に対して、何とも言いようのない落胆と絶望、そしてそこには脅威に近いものすら感じるのだが…。


第二次世界大戦後の日本人の価値観は、合理主義、個人主義と生命至上主義によって形成されているといった見解に異論はないけれど、言うまでもなく、そもそも合理主義、個人主義、生命至上主義は、日本独自の価値観ではない。
敗戦から既に75年。もはや多くの日本人にとって戦争とは遥か遠くの出来事であり、この国の価値観が、75年前に終結した戦争の敗戦と共に選択された価値観であることを理解することは難しいのかもしれない。


今後次第に新型コロナウイルスの研究と解明が進み、仮に、このウイルスが当初考えたよりも弱毒性であったりとか、季節性の風邪やインフルエンザと同程度の脅威…とかになったとしても、「ウイルスによる脅威」だけは現実として残り、この認識だけは誰にも否定できない事実として社会に確実に浸透したと考えるべきだし、こうした認識が現代日本人の価値観と合わさりながら、今後の日本社会の方向性が形づくられてゆくのだと思う。


既に、AI化やIT技術促進の必要性が方方で語られていることからすれば、増々この流れは加速するであろうことが容易に想像できるけれど、それというのも、そうした流れの先にイメージされる社会像が多くの現代日本人にとっての理想の姿であるからだ。
小さな個人店の多くがこの脅威に対して成す術を失いかけているといった現実があるいっぽうで、GAFAに象徴されるような巨大企業は売上高を確実に伸ばし続けているように、資本主義経済はより大きなものへと集約する傾向にある。
ファストファッションに見られる生産と流通、消費の経済が成立する背景にあるのは、徹底した合理主義によって裏付けされた、マス社会が選択するアイテムを持つことによって得られる安心感。
たった一人の愛する人に好かれる自分であるよりも、100人、1000人、10,000人に好かれたいという願望が叶えられる社会がそうしたところに映しだされている…。
もはや個性を追求する時代は終わり、マジョリティー社会から選択されていることへの証明願望と自助努力を促す仕組み。
それによってGAFA的資本主義はこれからも巨大化するのだと思う。


こういった社会の流れを単に否定するつもりはないけれど、新型コロナウイルスに対する驚異が叫ばれることによって、自分がこの一生で選択する生き方はこの社会の方向性とマッチしないことがより明確になってしまった。
だからいまの自分についてを正しく言うとすれば、自分は新型コロナウイルスを怖いと思ったことがないのではなくて、その脅威を鵜呑みにすることに対して抵抗があると言うことなだけ。


この新型コロナウイルスによって定着した「社会的脅威感覚」が、いわゆる自粛警察だとか様々な同調圧力といった行動を生じさせているのかもしれないが、なによりも、こうしたことの背景にあるのが、戦後75年を経てつくられた現代日本人の価値観であるとすれば、この75年の間に日本人は何を得て何を失ったのかについてを、渦中のいまだからこそ考える必要があるし、それをするならいまが絶好のタイミングだとも思う。
と同時に、自分の今後の目標は、非合理的な方法で、より多くの人と共同することによって、人間のスケールだけで生命の価値を測ることのないものづくりがしたい。


私たちにとっての本当の脅威とは何であるのかを共に考えることのできる社会であって欲しいと思う。

「狭間」

19世紀初頭のイギリスの哲学者、ジェレミ・ベンサムによる、「快楽や幸福をもたらす行為が善である」という哲学は功利主義と呼ばれ、『正しい行い』とは、「効用」を最大化するあらゆるものであるとした「最大多数個人の最大幸福」というその考え方を、現代社会はいまなお、一つの社会の基準としている。…というよりもむしろ、ベンサムが生きた時代と比較すれば社会構造そのものが大きく変化しているにも関わらず、「個人の幸福の総計が社会全体の幸福であり、社会全体の幸福を最大化すべきである」というこの考え方の行き着くその先について正面から論議できない社会であるがゆえに、歪は蓄積され社会の不安定さはさらに増している気がする。そもそもが功利主義はその時代だからこそのものであったはずだが、あれからおよそ200年が経ったいま。快楽や幸福という概念は曖昧さを回避することができなくなっているし、そもそもが『正しい行い』を推し測るために必要であるはずの「効用」が見出せなくなっている。そしていま。正直に言えば…自分には世間を覆いつくす新型コロナに対する取り組みのすべてが、この社会が長らく見出すことのできなかった効用を最大化するため、そしてこれこそが社会にとっての『正しい行い』であるかを示しているように映るのだ…。

18歳になった娘は自分にとって最も身近な10代。この歳にあたる子供たちは民法改正によって、2022年4月1日になった時点で新成人となる。成人したからと言って別に何かが大きく変わるわけではないけれど、二度と訪れることのない子供と大人の狭間は人の成長にとって重要な時。存分にその時を感じて欲しいと思う。その娘がまだ中学生だった頃に、「これ、お父さん興味あると思うよ…」と教えてくれたアニメと小説。それが「PSYCHO-PASS」だった。 

舞台は、人間のあらゆる心理状態や性格傾向の計測を可能とし、それを数値化する機能を持つ「シビュラシステム」が導入された西暦2112年の日本。人々はこの値を通称「PSYCHO-PASS(サイコパス)」と呼び習わし、有害なストレスから解放された「理想的な人生」を送るため、その数値を指標として生きていた。その中でも、犯罪に関しての数値は「犯罪係数」として計測され、たとえ罪を犯していない者でも、規定値を超えれば「潜在犯」として裁かれていた。  … Wikipediaから

高度な社会システムによって人々のすべてが数値化され管理されているにも関わらず、人々はそれを独裁とも制約とも捉えることなくシステムはさらに強固なものになってゆく。言い換えればそれは、「最大多数の最大幸福」を実現した社会そのものであり、功利主義による社会が行き着く先が描かれている…。 

自分は娘に対して一般的な教育らしいことは殆ど何もしてこなかったけれど、持って生まれた体格や容姿は残念ながら別としても、個人の資質や性格は社会から大きく影響を受けている。だからこそ、社会の有り様は人の成長に直接影響するし、人は社会との関係を閉ざさない限り、常に成長できる可能性があるということだけは伝えてきたつもり…。

まだ中学生だった娘が功利主義を理解していたとは思えないけれど、社会との関係こそが人を人として成長させる…と、意味不明なことを何度も聞かされてきた娘からすれば、この物語での重要な登場人物、犯罪者である槙島聖護と主人公である執行官、狡噛慎也との関係をつうじて描くテーマが人と社会との関係性であるということを感じたからこそ、自分にこれを薦めたのだろう。                      

槙島聖護はその社会を次のように語る…。 

「他者とのつながりが自我の基盤だった時代など、とうの昔に終わっている。誰もがシステムに見守られ、システムの規範に沿って生きる世界には、人の輪なんて必要ない。みんな小さな独房の中で自分だけの安らぎに飼い慣らされているだけだ。」 

人間が人とのつながりを基盤とせずシステムそのものが主体となった社会を人はどのように感じ、どのように生きるのだろうか…。

現実社会に生きる我々は長い間ずっと、人間だけを社会の中心に置き、人間にとっての快楽と幸福こそが社会にとっての善であるという考え方を変えることなく、そこにその時代に即した社会システムがあった。しかしいま、新型コロナウイルスという他者の出現によって社会は大きく揺らぎ、この社会がこの先、何処へ向かおうとしているのかが問われている。このままで行けば、おそらく現代の社会システムはいまよりもずっと強化され、例えれば「PSYCHO-PASS」に描かれているような方向へと向かうかもしれない。   

他者とのつながりが自我の基盤となる社会。少なくとも、社会はそこへとは向いていない…。

自分は、そうした社会を実現するための鍵は、人口減少によって現行の社会システムが既に機能不全を起こしはじめているところなのではないかと考えている。それに加えてもう一つ大切なこと。それは、他者とのつながりを基盤とした文化だと思っている。

ランニングマン

現代社会システムがこれほどまでに脆弱であるということが露呈してしまったいまという時代。人々は危険を実感することのないまま、現代社会システムが発する危険信号を盲目的に受け入れているかに見える。巨大で複雑な社会システムは既に現代社会に生きる者にとっての最も重要な生命維持装置となってしまっている以上、少なくともこのシステムが完全にダウンして機能しなくなってしまうことだけは避けなくてはならないということか…。もはやシステムが正しいとか正しくないかよりも、それから危険が発せられているからには、システムの修正プログラムをおとなしく受け入れざるを得ないというのが現在の状況なのかもしれない。まだ出会う人の少ない早朝。散歩を急かす彼(犬)と私の横をマスクを付けて颯爽と走り抜けるランニングマンの存在こそが、脆弱さを抱えながらも生命維持装置たる現代社会システムをダウンさせないための必要要件なのかもしれない。…そんなことを思いながら立ち止まろうとする私を引っ張り、右に左へと周囲の匂いを嗅ぐことに必死な彼にとっては、こうして毎朝この世の匂いを嗅ぐことこそが、彼の生命を維持するうえで極めて重要なことであり、彼はそうすることでこの世との関係を確認しているに違いない。自分はこの世が発しているであろう匂いの多くを嗅ぎ分けることができなくなってしまっている。彼は自分よりもずっと、この世と直接繋がっているのだ。

人の眼とは、たとえ其処にあるものが眼の奥の網膜に写り込んでいたとしても、それを自分が 見よう と思わない限り、其処にあるもの として認識することができないということを忘れてはいけない。自分が見ている と思っているそれは、自分とは違う、何か によって 見せられているだけのもの かもしれないということを忘れてはいけない。私の眼はほんとうに見えているのか。いま見えている と思っているこれは、いったい何なのか。私は、ほんとうは何が見たいと思っているのか。私には見たいと思っているものがあったのか。人も車も神社も墓も、すべて海へと連れ去ったその海を、故郷である石巻のその海を見ながら、辺見庸の眼には何が写っていたのか。その眼の奥の網膜に写り込んではいるものの、見た と、認識されることのない、ただただ、そこにあるものたち…。震災後、世間にあふれ出した、人に優しく、力を合わせて といった言葉に対して、強い違和感を覚えたと語った彼は、内面の自己規制がはびこるなかで、あえて選んだのは「語ってはいけないものを語ることだった」という。2011年4月…あの日からちょうど一か月ほど経った頃、自分もまた石巻の海を見ていた。それから一か月後ぐらいだったか。ある日、口の中に小さな水泡ができていると気付いてから、その水泡は次第に増え、糜爛し、やがて水を飲むことさえままならぬほど口の中中に広がった。抗ラミニン332型粘膜類天疱瘡という100万人に一人程度に発症するらしい自己免疫疾患。原因は不明で対処療法と予防的処置しかできない病だった。ステロイド薬と抗がん剤系の薬の併用によって糜爛状態は治癒されたものの、ステロイド薬に過剰反応するらしい自分は、眼圧の値が常に高めだったため、ステロイド緑内障に注意はしていたものの、年末、眼底の奥の血管が破裂する網膜中心静脈閉塞症が併発。数回の入退院によってかろうじて失明は避けられたものの、右目の視力は殆ど無くなった。しかし右目の視力が殆ど無くなってしまったというのにそれほどの絶望感を感じてはいない。それは左目は見えているからかもしれないが、どうもそれとも違うのではないかと思ったりもする…。うすぼんやりと、其処に何かあるぐらいしか認識されない右目の視力ではあるけれど、それでも自分の右目はいまも何かを見ようとしている。眼という器官は脳そのものであるそうで、その脳でもある眼が直接外界の光を感じ、脳によって画像として変換し記憶することによって見える が成立している。それとはようするに、その脳がどうあるかによって見えるものもまた異なるということ。だから、人の眼とは、たとえ其処にあるものが眼の奥の網膜に写り込んでいたとしても、それを自分が 見よう と思わない限り、其処にあるもの として認識することができないということを忘れてはいけない。自分が見ている と思っているそれは、自分とは違う 何か によって 見せられているだけのもの かもしれないということを忘れてはいけない…と思う。わたしの死者ひとりびとりの肺にことなる それだけの歌をあてがえ死者の唇ひとつひとつに他とことなる それだけしかないことばを吸わせよ類化しない 統べない かれやかのじょのことばを百年かけて海とその影から掬(すく)え砂いっぱいの死者にどうかことばをあてがえ水いっぱいの死者はそれまでどうか眠りにおちるな石いっぱいの死者はそれまでどうか語れ夜ふけの浜辺にあおむいてわたしの死者よどうかひとりでうたえ浜菊はまだ咲くな畔唐菜(アゼトウナ)はまだ悼むなわたしの死者ひとりびとりの肺にことなる それだけのふさわしいことばがあてがわれるまで辺見庸 眼の海「死者にことばをあてがえ」全文

シェルター

bookcoverchallenge 外伝」~Lloyd Kahn 

シェルター自分が中学生のいつ頃かは忘れてしまったけれど、今は無き、善光寺門前の狭い本屋の片隅には古本が無造作に積まれていて、その山の中から自分が手にした古本はいまでいうところのDIY系の雑誌だったと思う…その雑誌の中にたぶん、1973年に出版された『シェルター』を紹介した記事があった。その雑誌では、電線を巻く木製のリールを部屋の机にしたり、拾ってきた空き箱で本棚をつくったりするアイディアが紹介されていて、お金なんか勿論のこと持っていなかった自分にとって、そうか!その手があったか!!の連続でわくわくしたのだったが、シェルターだったらしきその紹介記事はその中のほんのわずかだったものの、他のページとは違う、明らかに日本的ではない写真の数々が自分の脳裏に焼き付いたのだと思う。…というのも、それから20年以上が経った2001年。当時、東京・国立市でPlangterCottageという場づくりを始めたばかりの自分は、370㎜×270㎜の大型ペーパーバック、176ページからなる、シェルター・日本語版のページをめくるや否や、20年以上前にあの雑誌で見たあの写真の記憶が蘇ったのだった。人間の記憶回路がどう構成されているのかは解らないが、あの時に見たあの写真の数々の記憶の回路が蘇ったことに、何とも不思議な感じがしたことを思い出す。そしてその時から次の20年間…シェルターの1ページ1ページは、常に自分の記憶回路の表側に位置している。神社仏閣といった伝統的な建築に興味がないとは言わないけれど、自分はそうした伝統建築というよりは、どちらかと言えば、そういった建築に付随する庭園や庭に興味そそられる。庭や庭園は、人間の必要性である建築を本来のあるべき姿である自然の姿と調和させるためにあるような気がして、これまでに随分と色々な庭を見て回ったりしている…。大工技術と言えば、そうした伝統建築に携わる宮大工が引き合いに出されるし、確かに、そうした日本の伝統技術を継承する大工技術をはじめとした職人の技術は、世界的に見てもほんとうに優れたものであることは間違いないし、この困難な時代にあって、そうした伝統を引き継ごうとする人に敬意を感じつつ、そこに携わる人材が途切れないことを切に願っている。しかし、と言いつつも自分の興味と関心は実はそこには向いていない。自分の興味と関心を一言で言えば、そこにあるもの・そこにある技術で・お金をかけ過ぎず・その気になれば誰にでもできる建築…。これに尽きる。そういった意味からすれば、いわゆる日本の昔話しに出てくるような民家…建築は、自分にとっての完成形。勿論、古民家と言えども、並外れた高い技術力と立派な材料を使用して、これでもか!と言わんばかりの豪邸もある。でも、そうした建築にしても元を辿ればかつての農山村での暮らしと生活の場でもあった民家に行きつくし、自分の最大の興味は何よりもそうした建築に専門家ではない人々があたりまえのように関っていたこと。例えば農家に於いては農民が総出で家をつくっていたという事実なのだ。そうしたかつての家づくりについて色々と探ってゆくと、当時の暮らしと建築が密接に関わりあっていることが見えてくる。中でも、農家の家をつくるにあたっては、家づくりを統括・指揮する大工棟梁と建築に必要な適材適所の木を選ぶ杣(そま)棟梁がいる。家づくりが決まると、大工と杣の棟梁の指示に従って農家の中でも大工技術に長けている者は材料を刻み、山仕事に長けている者は木を伐り、里までその木を村人が総出で引き出したという。かつてのヒッピーの必読&必携書としていまもなお語り継がれる『ホール・アース・カタログ』の「シェルター部門」で編集を務めたロイド・カーンは、当初、20世紀のダビンチ”と称されたバックミンスター・フラー博士が提唱したジオデシック・ドーム理論によりつくられる球体の住居である「ドームハウス」の紹介と普及のための本を二冊出版している。その結果、カリフォルニアのヒッピーたちがこぞって建てたドームハウスはカウンターカルチャーににとってのシンボル的な存在にまでなったものの、低い耐久性に加え、なによりも自力するにはコストが掛かりすぎることに疑問を感じたロイド・カーンは、世界各地の気候や立地などの風土に応じてつくられるヴァナキュラー建築に注目、世界中の建築を見て回り、そして発行されたのが1973年のシェルターだった。そしてそこには勿論のこと、日本の農村に多く見られる古民家も紹介されている。豊かさの定義は未だ、モノをたくさん所有し大きな家に住む、あるいは、土地の値段の高い土地に家家を持つ…というところにあるのかもしれないが、それとは逆の、「最小限のモノしか持たず小さな家で暮らすこと」と定義するとすれば、そこには当然「豊かさとはなんなのか」という問いがあらわれる。私たちの誰もが今まさにその問いに直面し、それに対して一人ひとりが答えを出さねばならない時を迎えているのかもしれない。PS ちなみに、シェルターの表紙 左側上から二番目の女性。そして、アメリカンロードムービー「バニシングポイント」の中に登場するバイクに乗った女性は自分にとっての永遠の憧れ。

「bookcoverchallenge 外伝」~松山巌 建築はほほえむ 目地・継ぎ目・小さき場所 」自宅に籠っている人が多いためのか、SNS上で本の紹介する人がやけに多いなと思っていたら、どうやらそれはbookcoverchallenge という試みによってであるということを友人に聞いて知ると同時に、良ければどう…と誘われた。世の中がこんなことになる前からずっと、本は売れない…は周知の事実だったわけで、①本の表紙のみの紹介②次の誰かにこのバトンを渡す…という単純明快さはまさにSNSという機能にとってうってつけの試みだと思いつつも、逆に思いの丈を吐き出したいような天邪鬼の自分からすれば、こういったシンプルさは消化不良を招きそうだし、そもそもこれは読書文化の普及と言うよりはむしろ、SNSが持つ拡散性の高さと個人の拡散力が際立つだけの5Gへの布石か…と思ってしまったりするような自分。とはいえ、自分たちが運営する図書館&ギャラリーmazekozeには自分たちが所有する本をはじめ、自分たちと縁がある人たちが寄贈しくれた本が並んでいるし、様々な作家さんから預かっている作品をはじめ、ギャラリーとして販売しているものがあるにも関わらず、売るつもりもない本に埋もれているような状態。ここを本屋ではなく図書館と名のる理由は、この場に本があることによって場の持つ空気感は確実に違ってくるな…と感じるから。本にとってその内容は勿論大切だけれど、自分たちが東京で13年間、長野に来てから11年間、場とは何であるのかを考え、つくり続けてきた間、本はずっと自分たちの場づくりと共にあり続けてきた。場の運営と経営という視点からすれば、売れる本をもっと増やすこともいつも考えてはいるけれど、今のところここが本を売る本屋になる気配はない。そんなことだから、読書文化に貢献…なんてことは考えたことも気にしたこともないけれど、少なくとも本が自分たちと外界とを繋いでいてくれていることは確かなことで、もう何年も開いていない本であっても、それがあることによって、あの時あの瞬間といまとが確実に繋がっていると感じることができることは、場づくりをつうじての大きな褒美の一つだと思っているし、本には感謝している。bookcoverchallenge 4日目。松山巌「建築はほほえむ 目地・継ぎ目・小さき場所」東京・国立市での場づくり、PlanterCottageをはじめて5年目の初夏だった。「この本を読んでいて思い浮かんだのがここだったのだけれど、もう読み終ったので寄贈します」と友人から頂いた本。その本がいまも、図書館&ギャラリーmazekozeの本棚に並んでいる。自分が何をつくりたいのかを考えるためにつくった場所…Plantercottageによって自分は多くの人と出会い多くのことを学んだ。建築を志したことなど一度もなかった自分が、その後現在に至るまで、建築と美術の狭間でつくり続けることになってしまったのは間違いなくあのPlanterCottageという場所があったからだと思う。…もし建築たちに意志があるなら、建築たちは樹のように生きたいと希っているのではないだろうか。その土地で生き、育ち、そしてその土地で死ぬ。建築が寄り集まったとき、林や森のような静謐と陽気、秩序と多様をもたらさないとしたら、ひとつひとつの建築はどこか間違っている。…もう長いことこの本を開いたことはなかったけれど、あの時、この本を読んだ友人が何故、PlanterCottageを思い浮かべだのか…この本の表紙を眺めながら、もう一度ゆっくりと考えようと思った。PS:表紙の「建築」という文字が大きいので、建築についての専門書だと思ってしまいがちだけれど、自分には建築のことを語っているとは思えなかった。…というよりも、自分はこの本から、建築とはこの世に生きとしいけるものすべての生命に関わるものであるということに気付かされたことからすれば、建築を専門家のものにせず、如何にして開放するかについて書かれている気がしている。

「種子を支配するものが世界を制する」――。この言葉どおり、日本は今まさにグローバル資本に国を支配されようとしている。コロナ騒ぎの陰で…。主要農作物種子法(種子法)の「廃止法」が2017年4月に成立したことで、種子法は2018年3月末で廃止され、自家採種禁止法案=通称、モンサント法案による不安が世界を駆け巡っている中、日本では種苗法改正が4月からの農水委員会での審議を経て、ゴールデンウイーク明けには国会審議に入るとも言われている。種子法は1952年、日本が主権回復してから間もなく、食糧難にあえぐ戦後日本の食料安全保障を支えるために成立したともいわれていた法律。 種子法が米、麦、大豆といった「基礎食料」について、その良質な種子の安定的な生産と普及を「国が果たすべき役割」と義務づけた法律であったものの、種子法の廃止によって優良種子の提供が不安定化、種子の価格の不安定化、廃業する農家の増加、輸入米の増加、そして企業による遺伝子組換え(GM)種子やF1種子(ハイブリッド種=異なる性質の種を人工的にまぜ合わせてつくった雑種の一代目)の販売加速など多くの悪影響が予想されている。特に、適合する除草剤とセットで種子が販売されるGM食物(特定の種子だけは枯らさない成分とセットになった食物種子による食物)の影響による問題は深刻。一度このGM種子が使用されてしまうと、土地の性質が変わってしまうために元の栽培法には戻れないとも言われるなど、こうした種子が普及することで、生産者である農家の選択肢は狭まり、農業は多国籍種子企業に支配されてしまいかねない。コロナウイルスの恐怖ばかりが煽り騒ぎたてられている最中。衣食住とは言うものの、国民の殆どが自らが衣も食も住も生産していない現代社会システムに於いては、生命の論議よりも経済論議が優先される…というか、経済論議を推し進めるために生命の論議が利用されているかにも感じるのは自分だけだろうか…。国会は当然、コロナウイルス対策のためにあるのでは無く、私たちにとって重要な決断を論議し決定する場である。いまこの時期の政府によるコロナ後の経済対策案には正直怒りも感じはするけれど、それよりも国会でいま何が、どのように論議され、審議されようとしいるのか…それが自分たちの未来にどれだけ影響するのか…その決定が他者の幸せをつうじて自分も幸せにするものであるかどうか…についてもっと注目すべきだ。国民の生命をないがしろにするような決定を下す国会ならば、国民はもっと怒るべきなのだ。

https://ameblo.jp/yamada-masahiko/entry-12575782319.html?fbclid=IwAR3RvsFmqrHzA8mfvPICBRzCkZ4onCYYd9WNGza89IVcqzsdPU269nys8eM

前の仕事が一段落して次の準備のために長野市へと戻ったまま…。東京でスタートした新プロジェクトの大半を仲間に任せ頼らざるを得なくなってしまった状況の中、新型コロナウイルスの感染者数に興味の向かない自分は、現代社会の何らかがこの混沌さへと繋がっているのだとして、まずはこの現代社会とは何であるのかについて悶々と考える日々が続いている。世界的パンデミックを引き起こしているきっかけが新型ウイルスによる脅威であるとしても、いまこの社会が揺らいでいる根底には、現代社会にとっての政治原則の主流である民主主義と経済システムの主流である資本主義があることを忘れてはならないし、これについていまあらためて考えことはとても大切なことだと思っている。民主主義を簡単に言ってしまえば、「国民が主権を握る制度」だとして、それを実現するための方法として最も多く用いられている方法は多数決の原則に従う…ということになるが、議会制民主主義の要でもある国会での多くの審議をはじめ、多数決の結果が必ずしも社会にとっての最善であるとは自分にはどうしても思えない。最も大きな問題は、多数決によって採用されなかった少数の意見が消えて無くなってしまうこと。話しはとても長くなるので途中割愛…いま自分が注目している概念は、正しい行為や政策とは「最大多数個人の最大幸福」をもたらすものであると論じた、18世紀のイギリスの哲学者・経済学者、ジェレミ・ベンサムによる「功利主義」手っ取り早く言ってしまえば、現代社会は未だこの功利主義がもたらす負の側面から脱することができていないのではないか。そのことが現代社会の様々な問題を複雑化させ歪めていて、現在進行形のパンデミックもそこと大きく関係しているのではないかということ。功利主義は最大多数個人の幸福(万人の利益)を尊重するもので、自己利益だけを重視する利己主義(egoism)と同じとは言えないものの、自己利益が多数決によって採用されることが起こるとすれば、利己的を助長する概念にもなり得るのではなかろうか。そうしたことから自分が注目する概念が、同じく18世紀に利己主義の対概念としてフランスの社会学者オーギュスト・コントによって造られた造語「利他主義 (altruism)」明治時代になってから、この言葉を日本語へと変換するにあったては、他人を思いやり、自己の善行による功徳によって他者を救済するという意味を持つ仏教用語「利他」の語が当てられたそうだ。社会の混沌さが増す状況の中、さらにこの混沌を加速させているのは、市民社会がウイルスの流行にだけ関心を寄せすぎているといった傾向は否めない。緊急事態が宣言されたとは言え、一般民衆にできることは「今日は感染者は何人だった」とか「何処で誰が感染したといった話題に関心を寄せ、メディアをつうじて伝えられる情報を信じてこの嵐が過ぎ去るその時をただじっと待つことぐらい。世界の多くの国々の指導者はこの新型ウイルスを人類の敵と仮定して、敵との闘いに勝つという目標にむかって全世界の団結を呼びかけている。自分は、こういったメディアをつうじて伝えられる情報のすべてを嘘だとは言わないまでも、しかし、忘れもしない…東京にオリンピックを誘致する際に行われたIOC総会での安倍首相の「福島の状況はアンダーコントロール…汚染水による影響は0.3km2の範囲内に完全にブロックされている」という、腰を抜かすほど驚いたあのスピーチから始まる社会全体の空気感。2020東京オリンピックという目標に向かって、そして2020を期に日本社会がその先に向かって大きく舵を切ろうとする社会の姿。そうした社会を感じつつ自分が思ったことは、首相が世界に向かって事実とは大きく異なることを言ったそのことよりも、それについて抗議する日本国民はもはや極少数であるということは無論、これをこのままにして先へと進むことがどれ程危険であるのかを想像すらできない社会になってしまっていること、自分たち国民が何を言ってももはやこれは誰にも変えられないという空気感にこの世は覆い尽くされているということをまざまざと感じたことを思い出す。昨日。見るつもりだったのに案の定寝てしまって見ることができていなかったNHKのドキュメンタリー番組。ETV特集「緊急対談 パンデミックが変える世界〜海外の知性が語る展望〜」をぎりぎり、見逃し配信で見ることができた。正直、NHKのニュース番組に対する信頼度は低くなってしまった感はあるけれど、今回のこのETV特集にはNHKの公共放送として持つべき良心を感じることができた気がすると同時にいま自分の中に沸き起こったまま答えが出せないままのいくつかの疑問に対する糸口を見つけられたような気もする。対談は、歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリ,経済学者・思想家のジャック・アタリ,政治学者のイアン・ブレマーの3氏。進行役はNHK国際報道局チーフプロデューサー・解説委員の道傳愛子。対談の中でハラリ氏はコロナウイルスと戦うという口実の独裁、「全体主義的な体制が台頭する危険性が増している」と警告する。一人の人物に強大な権力を与えてしまうと、その人物が間違った時にもたらされる結果ははるかに重大なものになるというハラリ氏は、独裁者による体制についてを、誰とも相談する必要がないゆえに効率が良く迅速に判断し行動を促すことができる。判断によって間違いを犯してもそれを自ら認める必要もなく、メディアをコントロールしてしまえば間違いを隠蔽することすら簡単にできる。間違いをさらに重ねながら、責任を他の人に転嫁することによって権力を強化し、さらに大きな間違いを重ねていく…。こういった独裁の危険性に対して機能すべき民主主義とは、政府が間違いを起こしたときに自らそれを正す姿勢であり、政府が間違いを正そうとしない時に政府を抑制する力を持つ別の権力が存在するということだと言う。ハラリ氏はまた、こうした状況において、市民には大きく2つの責任があるとも。ひとつは情報や行動のレベル。信ずるべき情報を慎重に吟味し科学に基づいた情報を信頼すること。そして科学的裏付けのあるガイドラインを実行すること。2つ目は、政治的状況に目を光らせておくということ。その決定に参加した政治家たちの行動を監視することがとても重要だと…。しかし、あの時、この国の首相に「福島の状況はアンダーコントロール」だと言わせてしまったことによって、私たち日本人は信じるべき科学的裏付けのあるガイドラインを見失ってしまっていやしないだろうか…。中央政府をはじめ地方行政下に於いては、様々な隠蔽やごまかしの疑いが次々と浮上する中、ハラリ氏がいうところの政府が間違いを正そうとしない時に政府を抑制する力を持つ別の権力になり得るものとはいったい何を示すのであろうか。つづく、ジャック・アタリ氏は緊急事態が民主主義に与えるインパクトについて、安全か自由かという選択肢があれば、人は必ず自由ではなく安全を選ぶ。それは強い政府が必要とされていることを意味するものの、強い政府と民主主義は両立しうるものだと言う。世界的パンデミックによって連帯のルールが破られる危険性が極めて高く、つまりは利己主義が台頭しはじめているということでもあるが、私たちはそうではなくて、もっとバランスの取れた連帯を必要としている。その上でアタリ氏は、「パンデミックと言う深刻な危機に直面した今こそ「他者のために生きる」という人間の本質に立ち返らねばならない。協力は競争よりも価値があり、人類は一つであることを理解すべきだ。利他主義という理想への転換こそが人類サバイバルのカギである。」と言う。自分は少なからず想像力を如何に育むべきかについて考え続けてきたし、これからもそれを自分の行動や選択の基本軸としての位置付けを変えるつもりはない。自分の中に沸き起こる答えが出せないたくさんの疑問は、これからのこの世界を生きると決めた人々にとっての共通の疑問なのかもしれない。アタリ氏も言うように、自分をはじめ、人は未来について考える力がとても乏しく忘れっぽくもある。現在の問題を引き起こしている原因や物事については忘れてしまうこともが多く、嫌なことを思い出すことを嫌うために、それが取り除かれるとこれまで通りに戻ってしまう…。だからこそ、いまについてを多方向から皆で一緒に考えることは極めて大切だと思う。長くなるので、割愛してしまいましたが、政治学者のイアン・ブレマー氏。「みんな!犬を飼え!!」というコメントに、道傳さんが、そ、それはどういった意味でしょうか?という一コマ。「犬は心が安らぐ…人間性を失ってはいけない」この人、信用できるな と思いました。新型コロナウイルスが人類にとってどれほどの脅威であるかはどうであれ、自分はこのタイミングでのこのパンデミックは人類にとって必要な出来事だと思うのです。

山の入り口

我が家の犬に「おい、そろそろ朝ご飯…」と起こされた後に、自分用に紅茶を淹れる。お湯が沸くまでの僅かな時間、水がお湯へと変化すること…それはこの世の紛れもない真実。自分の五感で感じることのできるすべて。あらゆるフィルターを外して、この世のありのままの姿に向き合う絶好の機会が訪れたのかもしれないと思う朝。自分たちが管理運営する図書館ギャラリー・マゼコゼは長野市の旧市街地の西、西山地区とも呼ばれる山の入り口、善光寺の門前町にある。善光寺の山号(さんごう)は定額山。山号は例えれば寺にとっての苗字にみたいなものか。寺がすべて山号を持っているわけではないものの、国土の8割が山地でもある日本は紛れない山国であり、多くの寺が山中や山の近くに存在する。寺の山号については諸説あるようだが、民俗学者の柳田国男の『先祖の話』の中には、日本人は昔から死ねばその霊は家の裏山のぼっていくという事をごく自然に信じていたと書かれていることや、「万葉集」には「挽歌」といわれる死者をいたむ歌が多くあり、その歌の内容には、死者の霊魂が山や岩、雲や霧、樹木などの高いところにのぼっていく傾向がみられるということなどからも、仏教が日本に伝来する以前からあったアニミズム的な宗教観を含みつつ、仏教の日本的な独自の展開の表れが山号であるとも言えそうだ。自分たち家族が、長く暮らした東京から自分が生まれ育った長野市へと移り住んだのは今から12年前。そうすると決めた大きな理由は、自分がやりたいこと・できることと経済とのバランス。そして娘を育てる環境を考えてのこと。別の言い方をすれば、東京での暮らしに必要な経済を維持するためのペースが自分にとって速すぎたからとも言える。しかし実際、長野に移り暮らしてみて、暮らしに必要な経済を維持するためのペースはどうかと問われれば、残念ながらそれはほぼ変えることができていないと答えるしかない。そして、こうして社会の混乱さが増しているいまだからこそ、あらためて考えねばならないとことは「暮らしに必要な経済」であり「暮らし方」なのだと思う。いま起こっているこの混乱は、やがて二つのどちらかの集結へと至る。一つは人類活動の継続、そしてもう一つは人類活動の終焉。間違いなくそのどちらかであることだけは確かであるにも関わらず、この世に生きる人々の殆どすべてが、この混乱はいつ終わるかはわからないものの、いずれこの混乱が過ぎ去り世の中は継続すると信じているようだ。しかし、全世界の主要都市機能がこれほどまでに同時多発的に機能しなくなってしまう程のウイルスが蔓延しているという現実からすれば、人類活動そのものの終焉とてけっして起こり得ないことではないはずだ…にも関わらずこの世に生きる人の大半が人類活動は勿論のこと継続すると考えている。そのことからして、この混乱はある程度の想定の域を越えることなく起こっているということであり、終息方法を含め、世界は緩やかに来たるべきその後へと移行していると考えることができる。だからと言って陰謀論とかそういう類の話しがしたいわけではない。「ムー」世代の自分としては、陰謀だとか都市伝説だとかいった、その手の話題は嫌いではないけれど、ここでスル自分の想像は、あくまでも「いま」そして「ここ」に立つことによって起こる想像でありその範囲を超えるものではない。想像の全貌はとても長く複雑だが、あえて一言でその想像を言葉にするとしたら、「この世に暮らす大多数の人々にとってのこの社会は、いまよりももっとずっと便利になり、多くの人々がこの世がもたらす便利さ豊かさを受け入れ、享受する方向へとシフトしてゆく」そう自分は思っている…。そんな想像をしつつ、だからこそ「いま・ここ」であらためて考えねばならないことは「ここからの経済」であり「ここからの暮らし方」についてなのだ。そして、自分がこれからを生きるためにはどうしても考えねばならないことがある。それは、はたしてこの混乱の先に「自分」という価値がどれだけ残されるのかということ…。便利さと豊かさ。そこの部分と自分との関係性こそが目下、自分にとっての最大の懸案だ。

振動

自分が美術家を志し、そしていまもその生き方とは何であるのかを考え続けられているのは、間違いなく一人の彫刻家との出会いがあったからだ。先日、新型コロナウイルスに苦慮するドイツ連邦政府が、「アーティストは必要不可欠であるだけでなく、生命維持に必要なのだ」という声明を出して話題となったけれど、それは自分という一人にとっての必要不可欠性と生命維持に対する必要性という点からして、嬉しい声明だった。大学院在学中から若林奮の作品制作アシスタントとなった自分にとって、彫刻家・若林奮は憧れであり、美術家としての道標だった。アトリエでの制作では作品には至ることもないものも数多くあったけれど、自分はただそうした断片をじっと見つめる若林の視線の先を感じながら、それでも今思うと、あの頃のあの時間こそが美術とは何であるのか…作品とは何であるのか…美術家として生きるとはどういったことなのかを最も長く真剣に考えることのできた時間であった気がする。若林には自分から作品のことについても、そのことについても質問したことは一度もないけれど、答えを求めるためにつくるのではないこと。自分が何を見ようとしているのかについて考え続ける必要性。目には見えなくともその先を感じ続けようとすること。想像し続けることの重要性。この世界は私たちが思っているよりももっとずっと広く、すべては繋がりあっているということ。自分は偶然にも、若林奮からそれらを感じることができたのだと思っている。先月、大学の先輩であり若林スタジオでも一緒だった青木野枝さんの展覧会が行われていた美術館で、自分は未だ見ていなかった若林奮の作品集を手に取った。そのはじめには、自分が若林奮に憧れたきっかけとなった文章が掲載されていた。「森のはずれで - 所有・雰囲気・振動」飛葉と振動とタイトルされた図録のページをめくると、若林スタジオの一員として携わった、一般には非公開の「神慈秀明会・神苑の庭」の記録。あの山道の匂いや川のせせらぎの音を今も鮮明に思い出す。いま、先が見えず困惑する世界の中で、「アーティストは必要不可欠であるだけでなく、生命維持に必要なのだ」ドイツ連邦政府が発した意味…。それはきっとそこと通じるのだと思う。

昨年に引き続き、長野と東京という二箇所拠点生活が続いている。仕事柄、車移動が多いので電車で移動することは少ないものの、先週は打ち合わせがあって山の手線に乗って移動すると、ほぼ8〜9割方の乗客がマスクしている中にマスク無しの自分。まるで自分が映画の中にいるような何ともシュールで不思議な光景だと思ったものの、どうやら既に情報感染は急速に進行していて、もはやしばらくの間は誰にも止められないであろうことだけは確か。このタイミングにもしもそれを煽る風が吹いたら大変なことになるなぁと想像していたその日の夜、政府から唐突な要請があった。政府要請の是非だとか判断責任とか、正直、もはやそんなこと語ったところで社会は好転しない…。火をさらに大きく煽る風が吹いてしまったからには、今後は江戸の火消しの如く、鎮火では無く延焼を食い止めるために何をすべきかをあらためて一人ひとりが考える段階に入ったということではないか。それにはまず、マスクを着用することも手洗いやうがいも否定はしないけれど、とにもかくにも溢れかえる情報を自らの意思で精査し不必要な情報は遮断するしかない。既に蔓延する情報の殆どはウイルスに感染していると思った方が良いだろう。ウイルス感染した情報を人に伝えれば、ウイルスはさらに増殖感染を繰り返すだけのこと。状況を鑑みつつ、この社会は自分一人では生きられないということをけっして忘れずに、共に生きるために自らの意思で判断し行動することがなにより重要だと思う。その結果もしも運悪く、いま騒がれているウイルスに感染してしまったとしてもそれによって社会の最悪の状態…死の観念によって引き起こされる不安の症状が連鎖する精神病質(psychopathy)の社会的連鎖状態であるサイコハザード(psychohazard)の危険性を食い止める手立てとなるならばそれは致し方ないと自分は思うのだが…。私と妻とで運営する「図書館&ギャラリー・マゼコゼ」という小さな場とは言え、ここが人が集まる場所である以上、少なからず不要不急の行動自粛の影響があるかもしれない…。しかし、自分たちが既に20年以上に渡って「場づくり」を続けてきた理由は、社会がいかなる状況になろうとも人と人との関係性を閉ざさないために、自分はいま何をすべきかを此処に訪れる人と一緒に考え続けたいと思ってきたからであり、その理由は今後も変えるつもりはない。「自ら判断し行動する」それをするには責任が伴うし、判断するためには社会の様々を学ばなければならない。でも、自らが責任を追うその先にこそ自由があり、そこでこそ自分以外の誰でももない自分でいられるのだと思っている自分。外は嵐が吹き荒れてはいるものの、あらためて「マゼコゼ」という場所や、自分の仕事である「場づくり」について考える好機が訪れている。吹き荒れる嵐であっても社会が次の段階へと成長するには絶好の風なのかもしれない。いま社会はその大きさに怯えひるんではいるものの、前に進むにはその風に背を背けずに、風が何処から吹いているのかをしっかりと感じることが大切。ナウシカ、アキラ世代の自分としては、ついにこの時代が来たと思うだけのこと。

「On The Road」

勉強は嫌いではなかったけれど、机の前におとなしく座っているのがとにかく苦手だった子供時代。そんな落ち着きのない息子に向かって母は、「ヒッピーと過激派にはなってはいけない。仕事は公務員か教師が一番良い…」と、ことあるごとに言っていた。しあわせのカタチは人それぞれであることは言うまでもなく、あの時代の母親たちが皆同じように思っていたはずはないものの、自分の母が言うそれとは、勉強はしなさすぎても、しすぎても良くない。自分の得意なことは趣味としつつ、そこはかとなく生きることこそが幸せと言いたかったのだろう。それは、当時の日本社会が連合赤軍による浅間山荘事件を機に社会変革よりも優先すべきは自分…の時代へと急速に変化しはじめたことと関係している。そしておそらく、社会が変わってゆく気配を感じていたであろうこの国を生きる人々の本音はきっと、母のそれと同じであったのではないかと思う。それからおよそ半世紀。二度目の東京オリンピックの開催が目前に迫り、いまだ世界的経済大国の地位は揺るぎないと鼓舞するかの年の始まり。東京をはじめ都市部のきらびやかさだけをみれば、この繁栄が永遠に続くかに見えるものの、視点を日本全体に転じてみれば、地方人口は急激な減少傾向にあり、過疎化、高齢化による人手不足や後継者不足といった状況が地方経済に大打撃を与え続けている。こうした現状からすれば、大都市の繁栄ぶりはこの国が陥っている事実を覆い隠すカモフラージュに過ぎないと思わずにはいられない。昨年10月の台風19号の通過に伴って発生した災害は、自分が暮らす、すぐ隣り、千曲川(信濃川)本流に接する、長沼・豊野周辺地域に甚大な被害をもたらした。自分が共に活動している団体は年末年始の活動はお休みで、今回の災害についての原稿を頼まれていることもあって、友人でもある某誌編集長に教えてもらった水防についての文献を読んでみたりしている。「社会的共通資本としての川」宇沢弘文(編集)・大熊孝 (編集)この本の中で大熊孝さんは、「6・水防の心得」の中で次のように書いている。新潟では1978年6月にも越後平野全体にわたる水害があったが、その際には100万人におよぶ出勤があり、技術的にも見事な活動が展開されていた。〜中略〜2004年の水害(信濃川水系、渋海川の氾濫)では消防団が活躍したのは事実であるが、十分に手が回らずに、五十嵐川、刈谷田川の両破堤地点では殆ど水防活動が行われていなかったし、水防倉庫の鍵がかかっていて資材の取り出しが遅れたり、資材が手付かずで残っていたりと、水防活動の低下は覆い隠し難い状況にあった。〜中略〜こうした水防活動における現状は新潟に限らず、全国各地で同じような状況にあると考えていい。〜中略〜堤防の全面強化という苦肉の策は、「技術の自治」を行えるだけの市民力がないので、発達した手段的段階に頼るという構図である。しかし、災害というのは、文明の時代から一瞬にして原始の時代へと瞬間的に放り出されるということであり、避難勧告や命令には限界があり、最後は個人の生きる能力、すなわち、私的段階に頼らざるを得ないということを肝に銘ずるべきである。これを読みながら自分はなぜか、「ヒッピーと過激派にはなってはいけない。仕事は公務員か教師が一番良い…」という、子供時代に母に言われた言葉を思い出したのだ。大都市の繁栄ぶり、それに対する地方社会の衰退ぶり。今回の災害がそのまま、これに直結しているとは言えないが、少なくとも、この国の現状は歪んでしまっていることは事実だと思う。自分はヒッピーにも過激派にもならなかったけれど、美術家という生き方を選択したことによって、人々の選択がいまにどう関係しているのかについて考えることになってしまった。あの時代を生きた彼ら彼女らはなぜ、民衆の支持を失う結果へと向かってしまったのか…。アメリカがイランに対してついにやってしまったという報道になんとも言い難い絶望を感じる。もしもこのままの自分で、あと10年早くこの世に生まれていたとしたら、きっとその時は、ヒッピーか過激派、そのどちらかを選んでいただろうなと思う。

山彦DNA

「イトナミダイセン藝術祭2019」に来てくれた若い漁師さんに、網を仕掛けたので一緒に海に出ますか…と声を掛けて貰い、はやる気持ちを抑えつつ、まだ暗い道を夜明け前の漁港へと車を走らせた。山彦DNAの自分だからか。海の漁師という生き方は憧れ。その厳しさも苦労も知らない自分だからこそ、憧れなどと簡単に言えてしまうのかもしれないけれど、それでも、海の近くの町に来る度に漁港へと出掛けては、そこにある気配を感じるだけで、自分の内側に、普段はあまり感じることのない不思議な感覚が沸き起こる。イトナミダイセン藝術祭は、鳥取県および中国地方の最高峰である、大山(1,729M)の裾野にある、大山町長田地区で行われている藝術祭。主催者でもあるアートディレクターから、とにかく大山町に来てくれれば良いですから…と言われたことを良いことに、事前の勉強も準備もまったくしないまま此処へと来てしまった。フロントガラスの向こう側に日本海が見えるガガガ学校(旧長田分校)の前の広場で車中泊しつつ、太古の昔から大山の裾野で延々と育まれてきた人々の営みを想像しつつの日々。刻々と色を変える夜明けの海の美しさ。小さな漁船の上から見る大山の雄大さ。海と山は一つだということをこれ程に感じたことは生まれて初めてだった。

匙屋

11月4日(月)昨日に引き続きWSはお休み。そこで、昨日夕方「イトナミダイセン藝術祭2019」が行わている鳥取県大山町を出て、岡山県瀬戸内市牛窓町の友人宅を訪ねることに。彼と彼女は、自分たちが東京 国立市に暮らしていた時からの友人であり、一時はお隣りさんでもあった工芸作家の旦那とギャラリストの奥さん。繊細な工芸家と怪しげな美術家という違いはあるけれど、相方が ギャラリストという共通点もあり、自分にとっては、つくり手という生き方を理解しあえる大切な友人。とはいえ、会うのは10年ぶり。国立市時代と同じ。「匙屋」と書かれた看板。自分たち家族が東京から長野市に活動の拠点を移した数年後、彼らもまた東京を離れ、瀬戸内海、牛窓の海が見える場所に移り住んだのだった。人の時代に対する感じ方は様々だけれど、私達が生きる時代は既に確実に次の時代へと変わった。どう変わったのかを言葉にするのは難しいけれど、社会を取り巻く空気感、気配が変わったことを感じる…としか言いようがない。例えればそれは、天気が崩れそうな気配を感じる時にも似て…。匙屋を自分と同じ、自分たちと呼ばせてもらうとすれば、こういった生き方を続けようとする自分たちにとって、社会の気配を如何に感じ取るるかは極めて重要で、それは知識や技術とは異なる、この世をかたちづくるすべてのモノやコトが発する目には見えない、耳にも聞こえない、それぞれが発する信号のような何かが関係しあうことによって生じる何かを感じる力…。人は皆本来、その何かを気配として感じる力を等しく持って生まれてきているのだけれど、この世の中を生きるということはその力を如何に失わずに生きるかということに等しく厳しい…。でも、自分たちはそれがあるからつくることができる。人は感性によってこの世を感じながら生きている。 匙屋は、東京を離れることを決めてから、その理由を沢山の人から聞かれたものの、それに答えることにとても苦労したらしい。…そりゃそうだと思う。きっと彼らもまた自分たちと同じ。この世の気配を感じたからだと思う。それを人に上手く説明できるようなら、いまも変わらず、ずっと匙ばかりつくっていないと思う…。牛窓に流れる時間が匙屋にとても似合っていた。

長野市穂保長沼

長野市穂保長沼千曲川堤防決壊場所の上流側、1km付近マゼコゼがある善光寺周辺をはじめ長野市街地には既に台風の影響は見えず、いつもどおりの日常。(マゼコゼの北側の壁は剥がれたままだけど…しばらく保留)長沼地区に入ると景色は一変。アスファルト道路がドロドロの土に覆われた道へと変わる。このあたりは、平均すると1m50cmほどの浸水だったようで、水位の跡が壁に残っている。(決壊場所下流、赤沼では2M〜3Mの浸水)友人繋がりのお宅の泥掻きに男手が欲しいとのことで現地に向かったけれど、近所の町会長さん宅の作業が進んでいないということで、そちらへと移動。何処もかしこも泥また泥。泥には慣れている自分だが、とにかく重い。この量にはさすがにうんざり。どの家の庭先にも浸水で使えなくなった家財が山と積まれている。既にそうしたものを片付けるための一時置き場は満杯だそうだが、何とか置ける場所を探して軽トラが荷台を満載に走り回る。とにかくこれらを片付けないことには、泥を片付けることすら難しい。その上、敷地内の外へと積まれた泥で道路幅はどんどん狭くなってゆく。少しでも早く、本格的な国の対応が求められる。とは言え、現場はさほどの混乱が無いように感じる。これほどの状況にも関わらず、どうやら、これといった明確な指示が出されているということでもないらしい…。それぞれが協力し合いながら、ゆっくりだけれど一歩一歩、前に進んでいるといった感じ。多くのお宅が、林檎を中心とした農家の方だからだろうか。町会長さんは、ここに住んでいるのだから、こういうことがあることは皆、想像はできていた、と言う。大変なことにはなったけれど、ここに生きるからには仕方ないこと。そうやって皆、ここに暮らし続けてきた…と。長い歴史の中。何回も何回も千曲川が氾濫してもなお、ここに暮らし続けてきた人々がいる。そしてこれからも。これもまた自然だと思った。

http://nada-salon.jp/

ちょうど2ヶ月間の美容室制作工事が終了。サロンは明日10月19日にオープン。http://nada-salon.jp/イメージが具現化し、店となってオープンを迎えられるいまという時に感じる、完成させることができた安堵と一抹の寂しさ。こうして感じるこの感覚が、自分を次の空間づくりへと向かわせる原動力なのかもしれない‥と思う。こんなにも大変なのにな…まだまだやめられそうにない自分。

原爆は「人の手」によってつくられ、「人の上」に落とされました。だからこそ「人の意志」によって、無くすことができます。そして、その意志が生まれる場所は、間違いなく、私たち一人ひとりの心の中です。     (長崎平和宣言からの引用)長崎平和宣言 2019年(全文)https://www.jiji.com/jc/article?k=2019080900471&g=soc長崎平和宣言は、基本的には市長がつくり市長が読み上げるものだそうだが、市長一人の考えではなく、できるだけ多様な視点を取り込みつつ、世界に届く平和宣言にするために、長崎市では長年、「起草委員会方式」を取っているそうだ。 「平和宣言文起草委員会」http://www.city.nagasaki.lg.jp/…/715000/p033022.html長崎県長崎市に原子爆弾が投下されてから74年目の昨日。ラジオから流れる長崎市長による「平和宣言」を聞きながら、私たち一人ひとりの心の中に意思を生み、その意思によって表現することの重要性をあらためて強く感じた。 私たち一人ひとりの心の中に意思を生み、その意思によって表現することができる。その大切さとはまさに、憲法にも明記されている「表現の自由」という民主主義の基本理念そのもの。しかし、この国が犯した間違いを自国民の歴史として信じたくない、信じようとしない人々が増えつつあることを見越して人気を取りをしようとする政治家、ナショナリストを装ったエゴイストが、歴史否定の言説を弄し、「あいちトリエンナーレ2019」における「表現の不自由展・その後」展という芸術の場に暴力を持ち込んだことを考えれば、平和宣言であろうとも危うさを感じるのは自分の考えすぎだろうか。この国に生まれた自分をはじめ、私たちは誰も皆、過去の歴史の上に生きている。この国が犯した間違いを自国民の歴史として信じたくないという気持ちが生じてしまうことはわからなくもないが、だとしても、広島、長崎での一般市民への原爆投下は明らかな大虐殺行為であり、今もなお、それと同じ大量の核兵器がいつでも発射できる状況であることを否定できる人は誰一人いない。だからこそ、人が犯したこの過ちを、誰であろうと、二度と繰り返さないためには、私たち一人ひとりの心の中に意思を生み、その意思によって原爆の無い世界を実現させるしかない。にも関わらず、戦争における唯一の被爆国でありながら、核兵器禁止条約に署名できないこの国の姿勢は、この平和宣言を無視するに等しく、また、先の戦争に於いて、祖国防衛の「捨て石」とされ、苛烈な地上戦で住民の4人に1人が犠牲となった沖縄がいまもなお抱え続ける傷みをも黙殺しようとしているに等しい。世界情勢の不安定さが増しているいま…。国が最優先すべきは、憲法の改正でもなく、防衛力の増強でもなく、核兵器の全面的禁止の実現に向けた取り組みであるはずだが、内閣総理大臣の「核兵器国と非核兵器国の橋渡しに努め、双方の協力を得ながら対話を粘り強く促し、国際社会の取組を主導していく…」というもの言いは、被爆当事者、被爆国の国民が生命をかけて実現しようとしている気持ちを嘲笑う戯言にすぎない。国がこれを再優先するように働きかけるのは、右派であれ左派であれ、国会議員であれ地方議員であれ、政治家はもちろんのこと、私たち全員が常に心の中心に置くべき意思であると思う。

「あいちトリエンナーレ2019」における「表現の不自由展・その後」の中止に対しての自分の意見は昨日も投稿したが、その後、美術評論家連盟から「「あいちトリエンナーレ2019」における「表現の不自由展・その後」の中止に対する意見表明」が公開された。本来、芸術は芸術家のためだけにあるものではないことは言うまでもないが、世間の関心は急速にここから離れることは容易に想像できることを考えれば、少なくとも、芸術に携わる人はその責任として、ここに内在する問について考え続けて欲しいと思う。美術評論家連盟からの意見表明では、今回の事態は、まさに憲法 21 条に明記された「表現の自由」民主主義の基本理念が根本から否定されたことを意味するとした内容と要望が述べられている。大筋は同意できるものの、あくまでも行政による作品の撤去や隠蔽は、市民の自主的な判断能力を信用せずに、市民自ら判断する権利、鑑賞する権利を奪うことを意味するに留め、展示されている作品については言及せず、当該国際現代美術展の開始当初のすべての展示が取り戻される社会的状況が整えられることを望むとされている。公的組織が市民の自主的な判断能力を尊重し、市民自ら判断する権利、鑑賞する権利、表現や意見の多様性を保障することはもちろんのことであり、それについては否定はしない。しかし、自分としては今回の騒動へと至った最も大きな理由は、その前段階である芸術祭の開催準備段階に、公的組織が市民の自主的な判断能力を尊重するがあまり(この表現は必ずしも妥当ではないが)引き起こされてしまった芸術祭および芸術の脆弱性ではないかと考える。最も重要なことは、展覧会開催前の準備段階に於いて、展示内容がもたらす社会的影響についての検討や議論は、誰によって、どのように、どれだけされていたのかということであり、公的組織および行政はその検討・議論についての報告をいつ、どのように受けていたのかということ。それによって、当該国際現代美術展実行委員会として、展覧会を開催した時に起こり得ることをどのように想定していたのかということ。今回の事態は終始、「表現の不自由展・その後」という展示そのものを一つの表現として捉え、展示作品個々の芸術性は問わず、鑑賞者への問いかけが成功すれば良しとした、言わば現代美術的な視点を中心に置いた上での議論であることに違和感は拭えない。展示を取り戻そうとする力は既に、社会における芸術の必要性、重要性を論じる域を超え、政治的なイデオロギー対立構造へと持ち込まれてしまっている感は否めない。市民からすれば、鑑賞する権利を一方的に奪われたいま、それを取り戻そうとする気持ちが湧起こるのは当然かもしれないが、事態の経緯を考えれば、「表現の不自由展・その後」という展示そのものを一つの表現として捉えるのではなく、展示作品個々の芸術性まで戻った上で、公的組織が市民の自主的な判断能力を尊重しつつ、市民自らが判断する権利によって議論し、考えるための場をまず第一につくる必要性があると思う。その上で、当該国際現代美術展の開始当初のすべての展示が取り戻されるべきであるかどうかについて判断するべきではないかと自分は思うのだが…。