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昨日は長野県佐久市内にある中学校の家庭科の研究授業にゲストとして参加。
この授業はインターネット通話を用いながら学ぶことも目的としてあるそうで、私は長野市にある自宅からの参加。
普段、人前で話すことには殆ど緊張しない自分だけれど、画面の中の教室の生徒や先生と会話するという形式はどうも勝手が違う。
終始緊張気味の画面端に映る自分の姿が笑えた。
 
1年生の2クラスに向けた今回の授業の主題は「環境に配慮した生活を目指して」
これから調理実習の授業を始める前に、エコロジカルな社会の出来事や活動を紹介することをつうじて、生徒たちが身近な環境へと目を向けるきっかけとしたい というのがこの授業のねらい。
とは言え、正直なところたった1回の授業時間の中で持続可能性について理解してもらうことなどできないし、それは担当の先生こそが解っていたはず…。
では、そこでの可能性があるとしたら、それはいったい何か。

おそらくそれが、「考える力を育むの場」という可能性なのかもしれない。
 
私という人間の思考性の多少が、理論に基づいた知識や方法から学んだことによってつくられていると言えないこともないけれど、いまだその活動はまったく体系化されていない…、と言うか、そんなつもりは端から毛頭ない…。
あるのは、自分の中にふと沸き起こったかのごとく現れる様々な疑問ばかりであり、その疑問を自分なりの方法で解決してみたいということだけ。
別の言い方をすれば、なぜ自分の中にこうした疑問が生じるのかこそが自分にとっての最大の疑問であり、その疑問を解決するために自分は、たまたまそこにあった美術という方法を選択している。
自分にとって美術はそれ以上でもそれ以下でもない。
 
特定宗教に対する信仰心が薄く、世間でよく聞く、前世だとか運命というものを信じていないからと言って、そんな自分を現実主義者だとか実存主義者と言って良いものかどうか甚だ疑問だけれど、少なくとも、この世に存在するありとあらゆるもの、ありとあらゆる出来事は必ず関係しているということは自分の思考性にとっての大前提であり、にも関わらず自分の中にその関係性が見出だせない時に、自分の中に疑問が生じる。
 
そもそも持続可能性とは何かという問いは、「いのち」とは何かという認識によって大きく異なるものであり、個としての「いのち」が滅ぶことがこの世の必然であることからすれば、いま社会で語られる環境持続可能性と「いのち」の持続可能性は似て非なるものなのかもしれない。
人間が生きるための環境持続可能性は大切。
でもだからと言って、一部の人間の都合によって滅ばなくても良い「いのち」があるのだとすれば、そうした「いのち」の持続可能性こそがいま問われるべきだ。
こうした持続可能性は、時間的あるいは歴史軸に沿った思考性、また地方や都市といった地理的、空間的な思考性を持ちつつ、つねに俯瞰で捉え感じようとする感じる力が必要だ。
 
RocketStovesという活動と私という美術家が取り組む小さな建築という活動。
たとえ、こんな活動でも、それを知った人々が、「いのち」の持続可能性について考えてもらえるような場に、今後も関われたらと思う授業後の自分の感想。

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いまのところ、自分の老化現象の現れは老眼ぐらいだと思ってはいたのですが、最近ふと気が付いたのは、こうなりたいとか、これがしたいという将来の夢や希望のような気持ちよりも、自分の役割ってなんだろう…なんてことを考えることが多くなってきたこと。
これはおそらく、やると言ったままやれていないこと、やり残してしまっていることの方が、自分の夢や希望よりも随分と多くなってしまったということなのかもしれませんが、これこそが自分にとっての顕著な加齢現象なのではないだろうかと思っています。
と言いながらも相変わらず、嫌なことはしない の基本路線に変更はありませんから、これがあんたの役割だよ と言われても、そうそう簡単には自分は動かないと思います…。
 
そんなことを思いつつ、ここのところ、「考える力」と「感じる力」の関係がとても気になっています。
きっとこれも自分がやり残してしまっていると思うことの中の一つなのかもしれません。
人がこの世を生きる上で、この二つの力、二つの関係性はとても大切。でも、どうしたら「考える力」と「感じる力」は育まれるのか。
その間にはどういった関係があるのか。
自分にはまだそのことがよく解っていない。
美術家なんて名のりながら、やらなければならないことをほったらかしにしてしまっているのも、たぶんここに原因があるのかもしれません。
  
私たちは学校で、一定の理論に基づいて体系化された知識と方法である「学問」を学びます。
それは私がかつて学んだ美術大学であっても同じで、美術やArtと関係が深いであろう感じる力の一つ、「美的感性」も、そこでの前提条件的であるだけで、それを学ぶわけではない…学ぶのはあくまでもArt、もしくは美術という学問です。
一方、考える力についても同様に、私たちは学問は学んでも考える力は学ばない。
もちろん、学びの過程において考える力や感じる力がまったく育まれないとは言えませんが、少なくとも学校教育という場にいおいてはそうした力の育みは目的とされてはいないことは事実です。
 
先日、高1の娘と話をしていた時のこと。

娘:勉強の成績が良いからといって、それは必ずしも勉強時間には比例しないよね。
いくら勉強する時間を長くしたからといっても成績がそれに比例して良くなるわけじゃないし…
勉強の仕方という質の違いが成績の良し悪しを決める上で大切な要素だとするなら、その勉強の仕方を学びさえすれば成績が良くなるってこと?
答えはたぶんNOだよね…
それが教われるなら、みんな同じになれるはずなのにそうならないし…
俺:それが脳の違いってやつかな。
娘:そうだよね。勉強の仕方の違いでは無くて、きっと脳の使い方に違いがあるんだろうね。なんだろうね、それって…
でもさぁ、先生たち、知ってるはずだよね…そのことについて。
 
そう、考える力、感じる力は教えられない。
先生たちだって大人たちだってみんな気付いてるのだと思います。

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5月29日(火)18時〜20時 武蔵野美術大学1号館103教室
小池マサヒサ(美術家)
「アートを使いこなす力を育む場づくり」の報告
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小池マサヒサさんは、彫刻や絵のような主に美術館等で鑑賞する作品ではなく、「場づくり」をアートととらえて活動している美術家です。

大学を卒業して彫刻家・若林奮氏の制作助手として仕事をしていた1995年、東京都西多摩郡日の出町に計画されていたゴミの最終処分場に反対の意思を表明した若林氏がトラスト地内に「庭」を造る活動に参加します。

この出来事をきっかけに、「美とは何か」「美はどこにあるのか」と考え始めた小池さんは、一度はアートから距離をおきつつ、岩登り(フリークライミング)に没頭しました。

腕を痛め、思うようにクライミングができなかった時に、フィリピンの離島の小さなまちを訪れます。そこで感じていた心地よさを日本で再現してみたいと考えて、1999年から、当時暮らしていた東京都国立市で「プランターコテッジ(植物の住処)」と名付けた場所を作り始めました。部屋の天井を抜いた洞窟のような室内で、夏の暑さをしのぐために屋根の上をつる性の植物で覆ったこの家は、その後13年間、さまざまな人が集まる場としてつくられ続けました。

プランターコテッジによって様々なヒトや出来事が繋がってゆく中、岩手県の葛巻町で環境教育を実践していたNPO「森と風のがっこう」に出会います。そこで行われていた循環型の生活を実践する場づくりの活動を通じて、「美術を使いこなす力を育む場づくり」を様々な形で研究実践していきました。

土地の素材である木の枝、土、わらなどを使ったカフェづくりや、そこにあるもので作るロケットストーブづくりなど、小池さんが取り組んできた「美術家」としての活動は現在、自然と人との関係性について再考するための「場」をつくる活動へと繋がっています。

ひとつひとつの活動内容については、小池さんご自身が書かれた文章もありますので、ここではお話の後の質問タイムの「場」で話されたことをご紹介したいと思います。
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【素材について】

Q 素材は、「この場にあるもの」ということの他に、続けて状態を保てる素材ということも考えるのでしょうか?

A 私は基本的に、「あるものはいつかなくなる」というのが原則だと思っています。なので、ずっと残したいと考えていません。とは言え、必要に応じてある時間はその状態を保たせることはもちろん考えます。でも、なるべく早く土に還るもの、いずれは土に還るものを選択するというのが基本的なスタンスです。

空き缶やペットボトルなどの素材も、いずれは土に戻るはずです。それを可能にする誰かがきっと出てくると思います。例えば、私が注目しているフィリピン人の学者は、プラスチックを食べるバクテリアを探し続けています。もしそうしたバクテリアが見つかったとしても、そのバクテリアに必要以上の負担をかけないためにも、なるべく早く土に還るものがいい。土の中に入れても他者に迷惑をかけないものを選択するというのが基本軸だと思います。

幸いそういうものの考え方を支持してくださって、仕事の発注者になってくださる方もいます。こうした方々が増えることによって、美術の可能性もまた広がっていくのではないかと思います。
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【美と環境の間の葛藤】

Q アーティストとしての美の追求と、環境問題的に土に還すということがあって、自分の中でどちらを優先しようというような、違う意味での美意識の葛藤はないですか。

A あります。私が思う美しさの多くは環境と大きく関係しています。とは言え、環境問題に足を踏み入れると、反対運動など力と力の戦いに巻き込まれることもあります。美術をやっていると、環境保護派の人たちから「仲間になって一緒に行動してほしい」というお誘いを受けることも多々ありますが、多くの場合、私はまず仲間になることはしません。一人の人間として、自分の考え方を述べることはできても、一緒に何ができるかということについてはこれから話し合いましょうという姿勢でお付き合いをはじめます。

そこでは、「美術家」と名乗ることで守られていると思います。人が集団になることによってつくられる集団意識は必ずしも良いことだけではありません。人と一緒に行動するにせよ、自分としての美意識を持つことによって自分が保てるし、相手もそれに対して怒りといった感情を返してくることはさほどありません。環境問題に関わる上で、自分の美意識と環境保護上の必要性という葛藤はありますが、美術家であることで自分が守られていることはありがたいと思っています。
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【一人ひとりの心の中にあるものを引き出せる「場」】

Q 場をつくるとは?

A 「場」を説明することは難しいのですが、一人ひとりの心の中に持っているものをどう引き出すかが大切です。作品があることによって、見た人の中に気づきが起こっていく。そのきっかけや場所が美術館であることもあるし、大学の講堂であることもあります。一人ひとりの中にふとひらめいてくるような気づきの瞬間を促せるのが「場」だと理解しています。

今、建築家に近い仕事をすることが多いのですが、建築の最大の魅力は共同作業です。一緒に力を合わせないと前に進めないこと、みんなで力を合わせるシチュエーションをつくり出していくという意味では、ぼくにとって建築は「場」です。その場があることによって、それぞれに気づきがあることが大きな魅力です。
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【創造を解放するのが美術家の使命】

Q 植木屋をやっています。お庭やマンションの植栽の管理の仕事では、美しい空間を作ってお客さんに提供するという意識で仕事をしています。その意味では美術家と同じ考え方のようにも思いますが、アートの分野というのはどこで区切るのでしょうか。「美術家です」と言い切れるのは、どういったことがあるとお考えですか。

A 基本的にはそこに差はないし、壁をつくろうとは思っていません。彫刻を選んだことからスタートして、私には「美術によって生きている、活かされている」という実感があります。だからそれに対する感謝の気持ちから美術家を名乗っています。造園の仕事には非常に興味があります。造園家が見ようとしている美と私が見ようとしている美は全く変わりがないと思っています。「美術家」というのは、どちらかというと外部に対する自己紹介程度のもので、そこには大きな意味はないと私は思います。

私が「美術家です」と名乗ると、美術の専門教育を受けていない人たちから、「私は美術のことはわからないんですけど…」と言われることがよくあります。私は正直その言葉を聞くたびに、その人からつくる権利(つくる自由)を取り上げてしまっているのは自分や美術家なのではないかと思ったりもします。

私が思う美術家としての使命は、どちらかというと「つくることはだれでもできるし、創造することはだれでもできる」というような、美術力を解放させることではないか。そういった方向性が、私が目指す美術家のあり方です。美大に来た者だけが美術作家になれるということではないし、つくりたければ誰でも勝手につくればいい。もっとどんどん好きにやっていいと思います。想像力や創造力は美術の専門家によって専有されてはならないとも思います。まぁ美術大学にも美術大学の事情があるとは思いますけど。

私の場合、高校の時に美術大学に行こうと思ったのは、それしか見えなかったから。子どものころから地図帳が愛読書であった自分でしたが、文化人類学というものがあることは高校のころは見つけられなかったし、誰も教えてくれませんでした。もし知っていたら、今とは違う選択があったかもしれません。

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【小池マサヒサさんのお話の主な内容】
1:美の所在
https://www.facebook.com/events/158512104986062/permalink/163406274496645/

2:ゴミ
https://www.facebook.com/events/158512104986062/permalink/168076074029665/

3:植物の棲家をつくる : Plantercottage(プランターコテッジ)
4:場をつくる
https://www.facebook.com/events/158512104986062/permalink/174005530103386/

5:風土
https://www.facebook.com/events/158512104986062/permalink/173991716771434/

6:そこにあるのもの、そこにある力でつくる : RocketStoves 
https://www.facebook.com/events/158512104986062/permalink/164940384343234/

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「美はどこにあるのか」という真摯な問いかけから始まり、継続する美の探求。どんなところにも美は必要であり、だれもがもっと自由につくっていいんだ、と心が解放されるお話でした。質問の「場」によって腑に落ちることもたくさんありました。小池さん、豊かな時間をありがとうございました。

(写真:豊口信行 棚橋早苗 報告:足達千恵子)

1999年の3月から2012年5月末までの13年間。私たちは東京都国立市で、Plantercottage(プランターコテッジ)と名付けた場所を運営していました。
運営者である「私たち」とはその始まりこそ私と妻の2人でしたが、PlanterCottageとしての活動が終了する2012年にはこの場をつうじて繋がったたくさんの人々が私たちの中に加わっています。
プランターコテッジは、自分の中に沸き起こった、美・美術・あるいはArtにまつわる疑問から始まったことからすれば美術的でもあるかもしれませんが、それはまた建物であり、人が訪れ集う場所であることからすれば建築的であるとも言えます。
しかしそもそも、美術であるかどうかは自分にとってさしたる問題ではないと気付いたことによってPlanterCottageという試みが始まったことからすれば、それは「場の表現」であるとしか言いようのないものかもしれません。
 
作品をつくりたいという気持ちが薄れ、美術から遠ざかっていた自分の中に表現したいという気持があることに気付いたのは、クライミングのし過ぎで痛めた肘のリハビリと称して滞在していたフィリピン・パラワン島から日本へ戻ってまもなくのこと。
そこは、石灰岩の高い岩壁と透きとおった海、深いジャングルに囲まれた小さなまち。夜9時になると町中の電気が消え、焚き火の周りで夜遅くまで語らう人々の姿。夜中だというのにあちらこちらから聞こえる雄鶏の鳴き声。人の声と豚の叫び声が入り混じる夜明け…。
そこは自分にとって、時間と空間が途切れなく繋がりあっているということをまざまざと感じられる場所だったのです。
この世のありとあらゆる生命にはそれぞれが持つ時間があり、私たちは誰しもそうした生命が入り交じることによってつくられる時間と空間の中に生きています。しかし、それが自然の本質であるということを頭では理解できたとしても、時間と空間が途切れなく繋がりあっているという実感が薄れがちな社会。
あの場所では感じることができたあの感覚を自分が暮す場所でも感じるために表現するとしたらどうすれば良いのだろうか。
1999年の春、当時暮らしていた東京都国立市の住宅地の真只中にある築40年の木造平屋賃貸住宅を借り受け、賃貸契約終了時には元の状態に戻すことを条件に大家さんの了解をどうにか取り付けて、妻と二人で半年間、建物を全面改装することにしました。
目的は「植物の住処」をつくること。
植物が自然という意味では無いにしても、少なくとも自分が自然についてを理解するためには、少なくとも自分よりも自然を理解しているであろう存在、否応なく自然と関係しているであろう植物に自分からもっと近づく必要があると思った私は、自分たちが暮らすこの場所の自然さとはどういったものであるのかについて感じるために、まずは植物の住処をつくってみることにしたのです。
妻によってPlanterCottage(プランターコテッジ)と名付けられたそこには、始めこそ自分たちが植えた植物ではあったものの、気が付けばそこが建物であったかもわからないほどに生い茂るようになるにつれ、昆虫や鳥たちが植物に呼び寄せられるかのように、様々な人も
また様々な目的を抱えそこへと訪れるようになってゆきました。
 
東日本大震災の発生からしばらく経って、建物をお借りしていた大家さんから安全性を考慮した結果、建物を取り壊す旨を伝えられ、それから一年後、PlanterCotatgeという場づくりを終えました。

様々な人の様々な目的が交ざりあう場をつくる。
言葉にすればただそれだけのことですが、たくさんの生命が共生する場をつくること。そこには「美」が欠かすことができないということを感じ続けた13年間だったと思います。

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風土

講座では、おおよそ次のテーマに沿ってお話しする予定です。
1:美の所在
2:ゴミ
3:植物の棲家をつくる : Plantercottage(プランターコテッジ)
4:場をつくる
5:風土
6:そこにあるのもの、そこにある力でつくる : RocketStoves 
課外講座の当日まで、これらのテーマに関連することについて書かせて頂いていますが、今回はその5回目 「風土」です。
 
 
風土
 
暮らしを営む地域の自然とそこに生きる人との間にある相互の関わりを再度見つめ直しながら、土地の特性や自然の持続性を損なわないような暮らし方をつくろうとする考え方を、生態(生命)地域主義[bioregionalism]と呼んでいます。
私がこの言葉を知ったきっかけは、アメリカの詩人 GarySnyderによる「対訳 亀の島(Turtle Island)」という詩集でした。この詩集を手にしたのは1993年。この詩集が1975年にピューリッツァー賞を受賞していることからすれば、私がそうした考え方があることを知るまでに約20年の隔たりがあったいうことになります。それはもちろん私の関心がそこへと向いていなかったからということなのですが、客観的に考えてみれば、その隔たりとは自分が10歳から30歳までの間の20年。戦後の日本経済が産業構造の転換によって高成長を実現した後、急激に失速した時代と重なります。
もちろん、生態(生命)地域主義[bioregionalism]という考え方を早くから知っていた人はたくさんいると思います。しかし、日々の暮らしの中でbioregionalismという考え方の必要性を実感できていた人はおそらくほんの僅かだったと思います。
 
生態地域は、自治体や市町村など行政上の区割りとは異なる、地理的、生態系的にみた地域を示し、多くの生命地域は河川とその支流が流れ込む流域を中心として広がっています。そこには古くから固有の文化が育まれ続けてきましたが、その在り方は人間を中心とする生存可能条件を示す意味合いが強い「環境」とは異なり、人間だけでなく、山や川、木や草、鳥や動物も含めた、生きとし生けるものすべてが互いに関係しあっているという意味からすれば、日本に古くからある「風土」という感覚により近いと思います。
年間をつうじて温暖な土地であったり、寒暖の差が大きな土地であったり、山間であったり、平地であったりと、風土の違いはあれど人はそこに風土の特徴を感じ取れていたからこそ生き続けてこられた。そして文化はそうした風土の上に育まれるものであるはずです。
 
私はいま、長野県長野市に暮らしています。
ここが自然環境に恵まれているは嘘ではありませんが、千曲川流域に広がる盆地を中心としたここは、千曲川へと流れこむ多くの支流で育まれた固有の文化の集積地でもあるのです。しかし過去20〜30年、そうした支流域の過疎化や高齢化が著しく進んでしまったことによって、支流域の文化の多くは既に継続できなくなっています。
人口だけを数えれば中核都市人口を抱える長野市ではあっても、支流域の文化が途絶えてしまえば、支流が流れ込む流域都市の文化もやがては途絶えてしまうでしょう。
少なくとも、美術が文化の一端を担うものであるのなら、「風土によって育まれる美」について真剣に考えなければならないのではないかと思います。
 
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ゴミ

課外講座の当日まで、これらのテーマに関連することについて少しだけふれてみたいと思います。
今回はその3回目。
ゴミとゴミをめぐる関係性について考えることは、私の判断や決断にとってとても大きな意味を持っています。
 
 
ゴミ
 
月の半分はアルバイト、残りの半分は有り金の殆どを作品制作に費やす生活。そんな生活が駆け出しの美術家にとってのあたりまえで、そんなあたりまえに慣れてしまっていた自分の中に、美術とは何か、美とは何か、美術家とはどんな生き方なのか、そもそも自分がつくりたいものは何なのかという疑問が沸き起こったのは、大学院在学中から続けていた、彫刻家・若林奮の作品制作アシスタントを辞めて数年が経った頃のこと。
その若林奮は1995年、東京都西多摩郡日の出町の森の谷間に計画されていた二ツ塚廃棄物広域処分場建設の予定地内にあるトラスト地の中に、詩人・吉増剛造によって「緑の森の一角獣座」と名付けられる、「庭」の様相を持った作品を制作することによって、その建設に反対であることの意思を表明します。
この廃棄物広域処分場建設の成り行きと、緑の森の一角獣座を巡る様々な出来事は、廃棄物をめぐる社会のあり方、そして、美術と社会との関係に対する重要な問題提起であったとは思いますが、私個人にとっては、それまで自分の中にあったはずの作品をつくりたいという気持ちが急激に薄れてゆくことに対する戸惑い、言い換えればそれは、自分は美術に対して何を期待していたのかという問いであり、そもそも自分は本当に美術作品がつくりたいのかという問いでもあり、なによりも、そうした問いに答えられない自分に気付くという意味でも大きな出来事であったと思います。

誤解を恐れずに言うとすれば私は、森で育つ木も、石も水も、緑の森の一角獣座も、そして私たちの暮らしから排出される廃棄物も、すべてはこの世に存在するものとして同等の価値があると思っています。
あるものを他のものよりも上位に位置づける理由となる性質が価値であるとはいえ、美術作品であることが廃棄物よりも上位であるという意味ではけっしてありません。
「緑の森の一角獣座」と呼ばれる美術作品の価値とは、私たちの暮らしとそこから排出される廃棄物との間にある目には見えない関係性に気付くためのもの。
若林はきっとあの森の一角につくった、石を積み上げたたけの椅子に座り、自分を取り囲む森の木々を見ながら、そこと自分との関係性について一人静かに、深く考えたかっただけではないかと私は思っています。

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課外講座 「アートを使いこなす力を育む場づくり」の前に、これらのテーマに関連することについてふれてみたいと思います。
今回はその2回目です。
 
  
そこにあるのもの、そこにある力でつくる
   
フィリピンの首都、メトロマニラの北西部に位置する世界有数の人口密集地帯、トンド。かつてここには、通称、スモーキー・マウンテンと呼ばれるゴミの最終処分場があったことで、周辺はスラム化し、現在に至ってもなおトンドには多くの貧しい人々が暮らしています。
数年前のこと、トンドのスラムに暮らす人々に対して支援活動をしている知人から、私が自作している通称、TLUD Stoves(火を燃やす際に煙が出にくい木を燃料とする調理用コンロ)が、トンドで暮らすurban poorの人々の生活支援策として活用できるのではないだろうかとの相談を受け、2種類のTLUD Stovesを制作し、トンドへと持って行ってもらったことがありました。
後日、現地の支援団体の方から私宛のお礼と現状報告の手紙が届きました。手紙にはトンドの生活支援策として有効な手立てとしたい…とのことに加え、「…しかし、こちらには送ってもらったStovesにあるような綺麗な円形の穴をあける道具が無いのです」…との内容。
私が送ったStovesは、ペンキ缶を改造したものと、自動車オイルが入っていた大きめの缶を改造した2タイプ。どちらの材料も現地で調達できそうな廃材で事足りるとは言え、加工には金切ハサミとペンチ、電気ドリル、数種のドリル刃、そして、大きな穴を開けることのできる、ホールソ-という特殊な刃を用いていました。
トンドならペンキ缶やオイル缶はいくらでも手に入るはずだし、燃料として燃やす木屑や紙だって幾らでも手に入るだろうし、これだけ簡単な仕組みなら後はどうにかなるだろうと思っていたのですが、自作とは言え私の作ったStovesは日本製、穴の大きさや形状も日本製なのです。
そもそも私がロケットストーブやTLUDに注目するようになったのは、そこにある材料、そこにある力を用いてつくることによって、いま自分たちが何処にいるのかを知る手立てとなるのではないかと思ったから。
機能の完璧さはさして重要なことではなく、何よりも、「生きる力とは何であるのかを教えてくれるものであること」と思ったからでした。
でもそれは、丸い綺麗な穴を開けることができる国の材料でつくったものだったのです。
それをつくる時、そこにある力のことについて私は深く想像していませんでした。
大切なことは、そこにある材料ではなく、そこにある材料を「探し出す力」そして、「そこにある力がどんな力であるのかを知ること、想像すること。」
綺麗な穴を開けることと生命力はけっして無関係ではないのだと思います。

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