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新型コロナウイルスの世界的蔓延に伴う、アメリカ国内でのテレワークの増加、都市部から郊外への移住増加、大規模な森林火災の影響などもあって、アメリカの住宅市場が活発化すると同時に、アメリカ経済を支えるための莫大な財政出動、低金利政策によって確保された資金が木材取引市場に大量に流れ込んでいるそうだ。こうした傾向にいち早くコロナ禍を抑え込んだ中国が反応し、世界中の木材を高値で買い付けていること、スエズ運河の座礁事故にもつうじる海運業界の物流事情による海上輸送運賃の上昇という要素も重なりあって、「ウッドショック」と呼ばれる木材価格の高騰状態が続いている。

これについての自分の理解は、先ず第一に日本は世界的コロナ禍という社会状況に対する想像力が足りていなかったということであり、木材の全体量が不足する状況の中で、必要な材木を買い付けるだけの力(資金力)を持っていなかったということなのだが、最も重要な問題は木材で起こっているこの状況は他の品目でも起こり得るといったことであり、この先、私たちはこうした状況にどう対応し、この先の未来をどう想像するのかが益々重要になってくるということなのだろう。

日本の末端に位置するものづくりである自分は、いまのところウッドショックの影響を感じていない。しかし日本の木材を巡るこうした状況は、既にコロナ禍以前から想像できていたこと。輸入材木が足りないのであれば、国産材に切り替えるという考え方は以前からあったし、これだけの山林があるのだから勿論そう考えるだろうけれど、木が建築材料になる迄には多くの時間と手間が必要だ。何よりも国産材となり得る木材のその殆どが日本の山地で生産されるからには、山地に近いところに木材生産に携われる人がどれだけいるのかを考えなければならない。その上、木が建材として活用できるようになるためには人の一生…少なくとも40年~60年の年数がかかる。しかし現状はどうかと言えば、山村の過疎化・高齢化はいまに始まったことでなく、そうした傾向に比例して里山が荒廃してしまっている状況は、その気になれば誰にでも解ること。そこから考えただけでも、輸入材を国産材へと切り替えることは簡単なことではないことは容易に想像できる…。

こうしたことを考えつつも、あえて無知無責任を承知で言わせてもらうとすれば、国産材木の生産と需要は、こうしたいまからでも高めてゆくべきだと自分は思っている。とは言え自分がそう思うのは、建築建材としてというよりは、「美的感性の育みの重要性・必要性」といった観点から考えてのことなのだが…。

日本という地理的視点、木という生物学的視点、山村という社会的視点 に繋がる山の暮らしは日本人にとってとても重要で、それをさらに紐解いて行った時に見えてくる「自然」と「生命」との関係の中に、日本ならではの「美」とその在り方、必要性があらわれるのではないかと自分は思っている。

自分としては、輸入材から国産材への切り替えの必要性はさておき、「美的感性の育み」の為には、既にあたりまえになってしまっている、人の暮らし方、働き方を捉え直す必要があるということ。そのことからすれば、コロナ禍というタイミングで起きたウッドショックは、土壇場の追い風となり得るのかもしれない。勿論のこと、木材をめぐる状況は単純ではないし、いまもなお疲弊し続けている山村やその周辺に人を近付けさせることは簡単なことではない。だとしても、現在の都市中心の社会システムが必要とする美あるいはArtだけでは既にこういった状況には対応出来ない。だからといっていまの美術やArtを否定するのではなく、都市ではない場所で暮らし、生きるために必要な「美」というものもあるということ。おそらくは、そうした「美」こそがこの社会全体の滞りを緩和し、そうした美的感性を持つ人々がいずれ、ウッドショックのような状況をつくらなくても良い新しい生き方をつくるのではないか…と思うのだ。

いま自分がイメージすべきことはそういった美のあり方を実践すること。ウッドショックに象徴される、グローバリズムの歪を修正できる最も大きな可能性は人が持つ「美を感じる心」その心を知るためには、いまは一度、人間が築いたものから離れてみる場と機会が必要だと思っている。

「波動」

隣駅にある、若い友人が運営するゲストハウスを使って開催されている展覧会 「antasy【F】igure~幻想造形展覧会」に出かけた。
https://www.facebook.com/events/1565611573637042/?ref=newsfeed

https://kirisimizu.com/
 
陶器によってつくられているとは思えない繊細で複雑な部分からなる幻想的、空想的な世界観。そうした世界観をファンタジーと表現することも判らなくはないけれど、そうした世界を前にしたとき、現実には起こり得ない安心感というものを信じていない自分に気付く。
それは否定とか拒絶ということでは無くて、幻想的、空想的なファンタジーと捉えられようとも、人の想像とは既にこの世に存在し得る証明。しかし私たちはその想像をファンタジーと呼ぶことによって、安心という柵によって囲まれた檻の中に閉じ込め、その外側から眺めようとしているのかもしれない。
 
 
自分はもう随分と長いこと、時間と空間の一体感について考え続けている。
自分にとって、人の想像から成る作品との出会いとは、好きとか嫌いではなく、何が優れているかはたいした問題でもなく、自分がその作品をどう自分を通過させることができるのか、その過程で何を感じることができるのかであって、作品としての存在はただそれだけで十分に価値があると思っている。
自分が捉えようとしている時間と空間の一体感とは、この世に存在するありとあらゆるものが、それぞれ独自の波動を持っているという認識が前提。
私たちが生きるこの世とは、そうした無数の存在が発する波動が互いに響き合ってつくられる現象であり、私たち人間は、そうした波動がある瞬間に、共振、共鳴したその時、「美しさ」という状態を伴ったものとして感じるのだ。
美とはこの世の全体を私たちが認識するために必要なものであり、この世の全体性が何らかの影響によって歪が生じた時に、その歪を修正するためにも美が機能していて、そうした意味からすれば、美とは人がこの世を生きるために必要な自己免疫的な機能を担っているのだと思う。
 
人の想像によって導き出されるファンタジーの世界観もまた、私たち人間が持つ美のセンサーが捉えるこの世の波動が共振・共鳴した現れであり、この世とは私たち人間が考えるよりも遥かに広く奥深いものであることの証拠だとも思う。
 
 
かつて経験したことのない不安と恐怖を伴った大きな歪が生じてしまっている いま。
人々が長い列をつくるその列の先にあるのは何なのか。
その列の先で、想像の自由と引き換えにもたらされる安心によって、美を感じる心を失ってしまわないことを願う自分がいる。

自分が自分であり続けるとはどういうことか。
人を生かすためには何が必要なのか。
幻想造形家kaoが想像するファンタジーをつうじて、この世を感じた、ひとときだった。

「惑星だより」

facebookというSNSの仕組みゆえ、一つの投稿が人目に触れる時間的有効性は極めて短く、基本的には過去の投稿を探すことを目的とはしていない。
その意味からすれば、SNSはHPやBlogとは性質が異なるものであることは理解はしているつもりだが、所詮、自分にはSNSは性に合ってはいない。そこでFaceBookに投稿しているタイトル付きの文章は、再度、「美学創造舎マゼコゼ日記」と題したBlogに投稿するようにしているけれど、いずれこうした文章も含めて、自分の散乱する思考と活動の記録はすべてHPのみに一本化し、できれば「本」という形にしたいと思ってはいるものの、いまはまだそこに力を集中させることができていない。
SNSという仕組みは巨大企業の企みの下にもたらされるサービスと言う名の巧妙な仕掛けであって、そこに繋がる社会について想像すること思うことは多々あれど、自分が感じ考えることを言葉によって人へと届けることができる可能性がそこに少なからずあるのだとすれば、いまはそれはそれとして使わせて貰おうと思っている。
https://mazekoze.wordpress.com/
 

すこし前のこと。私たち家族がまだ国立市に暮らしていた頃に、装飾金物制作の依頼をしてくださった方が長野市に旅行に来られた際に、偶然にもMAZEKOZEを見つけ出し訪ねて下さった。
自分は残念ながらその時は不在で、お会いすることは出来なかったけれど、先日、その方が発刊している、「惑星だより」という季刊誌数冊とお手紙を頂いた。
国立市の公民館やカフェ数カ所に置いているという、A4判の白い用紙を半分に折った、A5判、20ページ程の簡素な装幀の小冊子。
2014年に創刊、途中2年間休刊をはさみ、最新号は12号。この小冊子は、自分たちが国立に暮らしていた頃に、ことあるごとに立ち寄らせて頂いていた、国立“カフェひょうたん島”の店主・星野ちゑさんが創刊からエッセイを寄せていたのだそうだ。
自分たちが国立市から長野市へと移り住んだのは2009年の春のことで、惑星だよりという小冊子が発刊されていたことも知らなかったけれど、国立の知人から、星野ちゑさんがお亡くなりになったことだけは聞いていた。
送って頂いた、惑星だより9号は、星野ちゑさん追悼号とされていて、星野さんが1号から7号まで寄せていたエッセイがまとめられている。
自分が国立に暮らすその前から、そして自分たちが国立から転居してからも変わらずに愛され続けた、“カフェひょうたん島”という場はまさに国立市の風景そのもの。
かつて自分たちが、ひょうたん島と同じ国立市で、Plantercottageという場づくりをはじめたのはけっして偶然ではなく、あのコーヒーの香りと様々な表現者たち、そこに集う人たちによってつくり出される時間と空間が醸し出すイメージは自分の中には常にあったし、そのイメージいま、長野市という街でMAKOZEKOZEという場づくりになってからも変わらない。
 
惑星だよりを読ませて頂きながら、あらためて空間が場へと変容するために必要なことについて考えると同時に、その惑星だよりに、数年前に自分が書いたまま、「美学創造舎マゼコゼ日記」の中に言葉として掲載したままだった詩編の中から2点を掲載したいという申し出を頂いけたことは、自分にとっては言いようのないほどの喜びで、自分が追い求める美の在り処に、よやく一歩近付けたような、そんな気がしている。
 
 
 
同士 ー漆黒の思い
   cafeひょうたん島店主 星野さんへ
 
ひょうたん島はひとつの村
様々な人が暮らしている
そこで店主は店主は一段下がって言葉控えめ
村人の話に耳を貸す
だがここに集う人は知っていた
奥底深くから湧き ある時はフツフツと沸く
店主の静かな思いと煮えたぎる思いを
それらは日々 ヤカンの口から
コーヒーの漆黒へと注ぎ込まれていたから
静かな思いは静かなまま
煮えたぎる思いは煮えたぎるまま
村人はカップに手を添え飲み干した
ロアにケア ビスケットに酵母パン
立ち上る香りとともに村人は忘れない
人から人 言葉から言葉 声なき声
大学通りを南北に 桜通りを東西に
静かで煮えたぎる漆黒の思いを
次の人へ 隣の人へ
ここに集った人がその証し
星野さん さようなら
 
(山口 修)
 
惑星だより ー9ー
星野ちゑさん追悼号 2019春 より


2021年6月に、FlatFileSlash Warehouse Gallery(長野県長野市)にて開催する、小池雅久 個展 「人は何故、山に登るのか」 Why do people climb mountains?
の作品制作をサポートしてくださる人を広く求めています。
 
※作品制作サポート作業に対して、金銭的なお支払いはできませんが、以下をお読み頂き、サポートができるよ という方がいらしゃいましたら、投稿へのコメント、私へのメッセンジャーによる連絡、メール等でご連絡ください。追ってこちらからご連絡差し上げます。
   
◆制作サポートを希望する作品について。
FlatFileSlash Warehouse Galleryの広さ80㎡×高さ4Mの空間を使ったインスタレーション(空間表現)作品を、細く製材した杉の角材と土(壁土)を用いて制作します。(作品イメージのドローイング参照)
・サポート制作には、高度な技術、経験は必要ありません。
・材料を支えて頂いたり、材料を運び込む…などの簡単な作業の他、壁土を塗る(左官に似た作業)が中心となります。
・女性、男性、年齢は問いません。
・基本作業時間は、午前9時半頃から午後6時頃までを予定。
・午前のみ、午後のみ、一日のみ のサポートも歓迎します。
・美術やArtに興味ある方。
インスタレーション制作に関わってみたい方。
小池マサヒサの活動に興味ある方のサポートを希望します。
※長野市近郊以外、遠方からのサポートして頂ける方の、宿泊等については 別途相談のうえ対応いたします。
 
 


「人は何故、山に登るのか」 Why do people climb mountains?
  
美術大学の学生だった頃。現代美術(Contemporary art)を知ったことは、その後の自分の生き方を決定付ける出来事だったとも言える。中でも当時、インスタレーションという手法による表現はArtにとっての流行みたいなもので、自分もまたそんな時代がつくる空気の中で、Artのみならず、表現行為はすべてインスタレーションであると捉えつつ、自分が表現すべき場所を探し続けた結果、気が付けば、自分が表現したいと思う場所は、美術館、画廊から遠く離れた場所へと移り変わってしまっていた。
自分としては何処で表現しようとも、それがArtであることは変わりないと思ってはいたものの、自分が既存のArtよりも別の何かに興味惹かれていたこともあってか、Artが次第に自分から遠退いてゆく気配を感じながらも、その頃から自分は、Artでもない、建築でもない、デザインでもない。
「場」をつくることの中で、美術家としての役割とは何であるのか、美は何処にあるのかを考え続けながらいまに至っている。

子供時代の落ち着きがない自分を見ながら母は、身体能力を活かした生き方…体育教師とかを目指して欲しいと思っていたようだったが、「登山だけはダメ…遭難したら、お金もかかるし、山なんか登っても何の意味もない…」と言われていたせいもあってか、山岳登山に意識が向かなかったものの、時折、山岳遭難のニュースを聞く度に母がそう言っていたことを思い出しながら、自分はいまもずっと登山に憧れているのかもしれない…まったくジャンルが異なる自分のものづくりの方法は何処か山岳登山に似ているのではないかと思うことがある。

とりわけ、インタレーションという表現方法は、完成した作品を何処か別の場所に移したり、保管したり、売買することは難しく、多くの場合、作品は、展示期間が終了すると同時に解体され、作品は跡形もなく消えて無くなってしまう。
限られた時間の中で空間を作品として成立させることは勿論のこと重要ではあるものの、作品として残らないからこそ、作品が出来上がるその過程もまた重要…というよりはむしろ、インスタレーションにとってはその過程こそがより重要であると言えるのかもしれない。
それついて考える時、山の登頂に成功するかどうかは勿論のこと重要ではあれど、その登頂が如何に成し遂げられたかもまた重要で、山岳登山はしなかった自分ではあるけれど、かつてロッククライミングにのめり込んでいた自分がそう思うのと同じように、山岳登山家にとってもまた、その両方を切り離すことは出来ないのだと思う。

自分が美術、そしてArtに興味持ったのは、インスタレーションが持つそうした移動不可能ゆえの物質的、時間的リアリティーさであり、それゆえに様々な関係性がそこに見えてくると思ったからだった。
その後、いまも自分は、美術やArtという領域ではなく、内装デザインや建築といった領域の中で、Artインスタレーションの手法を用いながら仕事することになってはいるものの、いまや建築にしろ内装デザインにしろ、その大半がほぼ完璧に分業化されることによって作業の効率化が図られるようになり、各工程に携わる人が全体をイメージする必要が無くなってしまっているのが現状だ。
今後も、こうした効率化の動きは加速するであろうことは容易に想像できることだが、そうした傾向はArtにとってもまったく同じだと思ってもいる。

もはや移動不可能なインスタレーションという表現方法は流行りではない。
移動可能なArtは益々進化すると同時に、Art作品としてのオリジナリティーの重要性はより希薄化してはゆくものの、Artというフィルターをとおして大量につくり出されるコピーArtもまた、オリジナルと遜色ないArtであると証明されることによって、社会の全体の分業化と効率化はより促進されてゆくのだと思う。
自分はそうしたArtの方向性に対して異を唱えるつもりはない。それもまた自分たちの過去の想像がいま、具現化したということなだけ。
しかしもはや、そういったArtでは自分自身を満足させることができなくなってしまった。

そんなことを昨日は仲間と語りつつ、FlatFileSlash Warehouse Galleryでの展示は、自分がこの世を理解するための手法を用いて表現してみたいと考えている。
そのために、今回の制作では、未だ誰も登頂したことのない…そもそも、その山を登ろうとする人は誰もいない、何の情報もない山を登ってみようと思っている。
この登山はあえて登頂を目的としない。限られた時間の中で、自分が満足できるところまで登った後、下山したいと思っている。

自分に許されたFlatFileSlash Warehouse Galleryを占有できる期間はおよそ1ヶ月。
このインスタレーションに要する一連の時間すべてを作品として捉え、搬入から搬出迄すべてを公開で制作します。

人はなぜ山を登ろうとしたのでしょうか。
私はいまもずっと、そのことばかり考えています。


 

今月から 図書館ギャラリーMAZEKOZE で始まった、後藤剛史・個展 「2021年 宇宙の旅」をつうじて思うことが実に多い。
驚く程、自分の思考が活性化しているような。

今回の展示をつうじて、あらためて、美術作品のみならず、ヒトと空間との関係性を考えることが出来ている。と同時に、図書館ギャラリーMAZEKOZEという場が考えるギャラリーとしての役割についてもまた。

この場づくりをはじめてから12年。
社会にとってのギャラリーの必要性についてはいまも変わらず感じてはいるものの、ギャラリーのみならず美術館も含めて、そこに示されるものには否応なしに場としての意思が重なることについてをどう考えるか。
その意志を一時的であれ、打ち消すために(後に引く)、あるいは強調(主張)するために、いわゆるホワイトキューブ(白い壁面によって囲まれた空間)としての役割というものがあることを否定しないまでも、関係性によって育まれている場にとってはそこで「示されるもの・こと」は極めて重要。
ようするに、場とは作品との関係性によって成長するものであって、場との関係性を否応なく作品に関係付けるということ。
自分たちが考える場とは社会に対する異空間ではなく、繋がりあうべきものとは何であるのかを示す役割を担いたいと願っている。
と、そんなことを考えながら、このタイミングで、後藤剛史…マルさんの展示を、自分たちが悩みながらもつくり続けている場 で開催出来ることに必然的な何かを感じつつ、重要な気付きをあたえてくれているマルさんには心より感謝したい。
 
 
後藤剛史 個展
「2021年宇宙の旅」
2021年5月1日から5月30日迄
(日・月・木 休み)
※5月30日は開催


 
 
とかく芸術という類は面倒臭い。
芸術論なんてものは結局のところ、芸術という領域の既得権争いによって捏ね繰りまわされた複雑かつ難解な理屈に過ぎないし、そもそも芸術論が理解出来なければ解らない芸術なんてものが無かったとしても、この世の本質からすれば何ら困りはしない。
にも関わらず、芸術が難解になればなるほどに難しい芸術を理解できる人は尊敬され、その理解者によって価値があると評価された芸術作品の価値は高まってゆく。高い価値を携えた芸術作品は博物館や美術館と名付けられた場所に収蔵され、国民の前に崇高さを纏って高々と掲げられる。
 
 
きっと此処まで読んた人は、出たよ、また面倒臭さい長話しだな、と思っていたりするのかもな、と思いつつ、やっぱりこういった話しをするのは止めた方が良いんじゃないかと思うことだってあるし、日々、芸術に疑問を持たず関わっている人々がいるわけで、友人知人の多くが芸術に携わっている人々であることを思えば、芸術の否定と感じられかねない、こうした物言いをすれば、友人関係だって失い兼ねない…と思う自分もある。
でも、自分が歩くこの道がたとえ芸術の脇道ではあれ、芸術が自分にとっての生き方であるという気持ちには変わりなく、自分にとって、この世について気付かせてくれたのもまた芸術であることを思えば、自分の芸術に対する本心を言葉にすることは、自分の芸術に対する筋の通し方だと思うのだ。
だから申し訳ないけれど、ここから先は面倒臭い話しであることを覚悟しておいてもらいたい。
 
  
  
松宮秀治による著書「芸術崇拝の思想・正教分離とヨーロッパの新しい神」では、西欧近代社会における「芸術」について、以下のように語られている。
 
 18世紀末から19世紀初頭にかけてヨーロッパでは宗教と芸術の位置は完全に逆転する。宗教は個々の人々の内面の慰安、今日のわたしたちの言葉で言えば「癒し」の領域に取り込まれ、代わって「芸術」が市民社会の公共の典礼となる。美術ミュージアムや芸術展覧会、あるいは古寺巡礼の訪問者たちが、「芸術」に癒しを求め、作品との美的交流。魂の対話をおこなっているというのはひとつの幻想であって、真実は「芸術」という観念に身をゆだねるのである。政教分離が確立されていく西欧近代社会にあっては、宗教はかつてそうであったような不可抗力的な社会制度ではない、まさに「芸術」こそが近代社会の不可抗力的な制度となっているのである。
 ~「芸術崇拝の思想・正教分離とヨーロッパの新しい神」P28
 
西欧社会のつくり出した「芸術」はせいぜい200年の歴史しかなく、西欧社会に於ける正教分離と近代国民国家の成立にとって、芸術は極めて重要な役割を担うことになってゆくものの、そこでつくられた「芸術」という概念はけっして普遍性あるものではないと言う。
松宮の現代の芸術に対する見解は幾分言い過ぎの印象を感じはしたものの、西欧の思想・哲学の変換をつうじた芸術に対する検証は十分納得できるものであると思ったと同時に、少なくとも芸術がいまのままである限り、芸術はますます美しさの本質からかけ離れたものとなり、いずれは自滅するしかないと思う…。
 
 
松永によるこの論を読みながら、夏目漱石の「草枕」の主人公である画工の芸術家を思い出していた。主人公、余の芸術に対する考え方は夏目漱石自身の芸術に対する考え方であることは間違いなく、イギリスへ国費留学し西欧文学を学びつつ西欧近代社会を目の当たりにした漱石が、日本に怒涛の如く押し寄せる西欧近代文明と日本の関係についてをどのように感じ、そして何を考えていたのか。
西欧近代社会がつくり出した芸術という概念とはどういったものであるのか。
それに対する日本人として慣れ親しみ育んできた「それ」とは何であるのかを伺い知ることができる。
  
「二十世紀に睡眠が必要ならば、二十世紀にこの出世間的の詩味は大切である。惜しい事に今の詩を作る人も、詩を読む人もみんな、西洋人にかぶれているから、わざわざ呑気な扁舟を泛べてこの桃源郷に遡るものはないようだ。」
 
現代人ならばそうとも言えるが、いまから100年以上前の日本人が既にこういった西洋かぶれ体質を獲得していたのだとすれば、芸術であれば尚のこと、日本の「それ」となど比較せず、疑うこと無く受け入れてしまったのだろうし、そうしてしまったのは多分に、西洋に対するコンプレックスからだったのかもしれない。
そんな急速な日本人の西欧化に対する一部の日本人の強い反動が、強制徴兵制度による帝国主義の時代へと突き動かす原動力となり、戦争という結果をもたらしてしまったと考えることができるのではないかと思う。
 
しかし、その当時、欧米列強によるアジア進出という世界情勢があったにせよ、そうすることは仕方なかったことなのだろうか…。
国民国家という西欧近代社会にとっての不可抗力的な制度としての「芸術」を受け入れたとはいえ、芸術家たちが皆、近代国民国家を求めていたわけではないはずだ。
少なくとも、放浪の画工、余は、西洋思考によってもたらされる世界から目を背けるために放浪していたのではなく、芸術家であるからこそ西洋の思考とは何であるのかについて真剣に考えることができていたはずであって、だからこそ世間から出て、すこしの間でも非人情の天地に逍遥したいと願ったのだろう。
もはや日本も西洋と同じ世間の中にあることを知った余は、不可能なこととは思いながらも、この先に待ち受ける世界に日本がのみ込まれないためには自分がそうするように、日本もまたこの世間からしばしの間出るしかないと思っていたのではないだろうか。
 
 
「汽車程二十世紀の文明を代表するものはあるまい。何百と云ふ人間を同じ箱へ詰めて轟と通る。情け容赦はない。詰め込まれた人間は皆同程度の速力で、同一の停車場へとまつてさうして、同様に蒸気の恩沢に浴さねばならぬ。人は汽車へ乗ると云ふ。余は積み込まれると云ふ。
人は汽車で行くと云ふ。余は運搬されると云ふ。
汽車程個性を軽蔑したものはない。
文明はあらゆる限りの手段をつくして、個性を発達せしめたる後、あらゆる限りの方法によつて此個性を踏み付け様とする。」
 
 
いま、芸術はその力の使い方を見失ってしまっている気がしてならない。
芸術という類が面倒臭いものであることもまた、この世にとって必要なのだと思う。

「感じて動く」

人は理路整然としたものごとや論理的なものごとよりも、見たことのないもの・感じたことのないものに対して心が動きやすい。
喜び、怒り、悲しみ、恐怖、驚き、嫌悪、諦め、などといった感情を、進化論的適応によって説明しようとする場合、恐怖や怒りのような基本的感情については可能でも、物事に触れることによっておこる微妙な感情の変化、またはその感情を引き起こす雰囲気によって起こる情緒的感情は説明しづらく、視野の外におかれがち。
心理学においては、不安や悲しみ、愛などの臨床的問題に関わる感情、あるいは表情と結びついている感情などには関心が集中するものの、これらの問題に結びつきにくい感情は研究の枠組みに入り難く、そうした感情の一つである「感動」は、明確な進化的起源をもたず、野生生活において特定の適応行動と結びつき難いと言われている。
とりわけこの感動と深い関係にあるとされる芸術ではあるものの、その実、芸術の何が人を感動させるのかについて、いわゆる芸術の専門教育を経験した自分ではあるけれど、それについて教わった記憶はない。
 
 
感動は現代社会のあらゆる側面で重要視され、もはやより多くの大衆の心を動かすために感動が演出されていることもまた事実。
昨年に開催が予定されていたオリンピックが今年へと延期されたものの、未だ世界は新型コロナによる混乱の只中に置かれたまま。その開催には否定的な意見が多いものの、いまのところ開催に向けて動きは止まっていない。
こうした現状やいまについて考えれば、そこには少なからず…、否、現代社会はそれほどまでに「感動」の重要性を、意識的であれ無意識的であれ、認識しているということなのだと思う。
と同時に、感動をもたらすものとしての芸術の役割はもはや消滅していると考えても良いほどで、であるからこそ、人にとっての感動とは何であるのか。なんのために感動はあるのかについてを、芸術の役割として考えるべき時にあると自分は強く思っている。
 
 
芸術のジャンルには現代美術、Contemporary artという分類があり、言葉としては現代の芸術ではあるものの、現代につくられた芸術が現代美術ということではなく、Contemporary artは、わかる人だけがわかればいい、社会の支持も、ましてや大衆の支持をも拒絶するかのような、高踏的な特定の芸術信者たちのみに顔を向け、芸術の目的は芸術の純粋化のためだけにあるかの如く、「芸術のための芸術」という教義こそが重要視される芸術であるかのように感じてしまうのは自分だけではないと思う。
芸術系大学や美術館が増え、大小様々な展覧会が常にどこかしらで開催されるいま。芸術をとりまく制度的な環境は十分すぎるほど整えられてはいるものの、Contemporary artに限らず、芸術(美術)はよくわからない、難しいものという社会的印象は一向に変わる気配はない。
そうした一方、アート市場では、そのよく解らなくて難しい芸術作品が驚くほどの高値で売り買いされている現実がある。
それとはいったいどういうことなのか。
 
 
芸術作品の評価基準を作品それ自体が失ってから久しく、かろうじて芸術家自身が芸術の評価基準となりながら、社会的には授賞制度や栄典顕彰制度が整えられ、そうした制度が作品の評価基準となって、優秀な芸術が美術館という名の殿堂入りを果たすという仕組みが形づくられている。
この仕組みによってかろうじて現代の芸術は芸術として生き延びているものの、芸術の評価を権威による承認に頼りつつ、その評価が作品の値段に反映されるという状況からすれば既に芸術は民衆から遠く離れた位置に置かれ、権威主義と資本主義によって守られ、制御されているということからすれば、既に芸術は壊滅状態にあると言ったとしてもけっして過言ではないと自分は思う。

とは言え、自分をいま・ここへと導いたもの。
それもまた芸術であることは否定できないしそのつもりもない。
芸術を取り巻く現実がどうであれ、かつて自分は芸術という西洋社会によってつくられた芸術概念を纏ったそれに心が動かされ感動したという事実がある。
あの時の自分の心を揺り動かしたものもまた芸術であり、その経験と感動がいまもなお自分を支えているし、芸術という概念が西洋という特殊な社会性と論理的な思考によってつくられた概念であるとしても、自分はいまもずっとその芸術によって気付かされるその力が、人がこの世に生きるために最も大切なものが何であるのかについてを理解するために必要な力であると信じている。
 
 
社会は未だ人類の進歩という幻想を追い求め、その途上を歩み続けようとしている。
だからこそ、芸術は原点に立ち戻り、人の心が動かすその瞬間に何があるのかを知る必要があるのではないか。
人は進歩しなければならないもの…という幻想を断ち切ったその時に心の中に沸き起こる感動。
それは太古の時代から受け継がれた人が人として感じことができるものだと思う。
その感動を遠ざけることも恐れる必要もないこと。それを伝えるのもまた芸術の大切な役割だと自分は思っている。
 

写真:荻原守衛 作 「女」
 
Exhibit in the National Museum of Modern Art, Tokyo (東京国立近代美術館). This artwork is in the public domain because the artist died more than 70 years ago. Photography was permitted in the museum without restriction.


今年6月。随分と久し振りに美術展覧会(個展)をすることになりました。
広さ80㎡×高さ4Mの比較的大きな空間でおよそ2週間の制作。制作終了後に公開の予定。
制作期間および展示期間についての詳細は未定。
詳細決まり次第、あらためて報告致します。
  
  

20代も終わりに近づいていた頃。既にArtistという山の頂を目指し歩きはじめてはいたものの、自分の中に、そもそも、美術・Artとは何であるのかという疑問があることにおくればせながら気が付くと同時に、その疑問は次第に大きくなって、少なくともいま自分には展覧会は必要ないと思うようになっていた。
そう思うようになった背景には、美術がArtであるあたりまえ、があって、Artは自分にとっての「いま・ここ」を知るための大きな手掛かりではあっても、Artと美術とは同じではないと思っていた自分は、このまま美術がすべてArtになってしまうその前に知っておきたいことがあると思っていた。
それが自分には展覧会は必要ないと思う理由であったのだが、それにしても、そのことにこれほどにも多くの時間が必要になるとは、その時はまだ思ってはいなかったのだが。
 
 
いま、英語に翻訳するとArtである芸術と美術という言葉は、明治維新になって日本が西洋の思考体系を積極的に取り入れようとした際、英語をはじめとした外国語を日本語へと翻訳し充てられた言わば新しい言葉であり、liberal arts を「芸術」、fine arts を「美術」としたのだそうだ。
言葉とは、土地の気候・気象・地形・地質・景色(景観)などの風土や宗教観、生活様式などによって育まれる物事の捉え方、思考概念を表しているものだとすれば、人が言葉を用いてお互いの意思の疎通を行うということは、互いの間に共通する思考概念が必要になるということ。芸術や美術という言葉とは、西洋で育まれた思考概念を日本の思考概念によって理解した結果であって、西洋思考概念とは異なる日本の(東洋の)思考概念によって西洋の思考概念を理解しようとしたそのことは、現代日本社会の殆どすべてがほぼ無意識に西洋思考体系によって形づくられているいまだからこそ重要な意味を持っているのではないかと自分は思っている。
 
 
それはどちらかが優れているということではなくて、この風土で育まれた言葉の中には、この風土がどういった風土であるのかが多分に含まれていて、地球環境を如何にして持続可能なものへと転換にするかの重要な鍵もまた、かつてこの風土が育んだ言葉でもある思考概念の中にあるのではないかと自分は思っているということ。
かつて、fine artsに「美術」という言葉を充てたその思考概念、ことさら、そこに「美」を充てたその中に、この風土だからこその美の本質があると思うのだ。
 
 
どの言語であれ言葉は当然のこと意味を持っていて、美術にもArtにもそれぞれの意味がある。しかし日本語である美術が英語であるArtと同じ意味を持っているのかどうかは、それぞれの言葉を用いている人々がその言葉の意味をどう理解し、日常の暮らしの中でどのようにそれが機能しているかこそが重要で、美術家である自分は、日常の暮らし中で「美」がどのように用いられているのかを知ること、考えること、美を用いてつくることによって、Artと美術の共通点や相違点を探ること。それが美術家としての大切な役割だと思っている。
その意味からすれば自分はArtは美術を知るために重要であるとは思っているものの、Artは美術であるとは言えないし、美術家である自分もまたArtistであるとは言い難いとも思っている。
  
 
とは言え、Artと美術の違いなどもはやこの世にとってどうでも良いこともまた事実だと思う。
世界中のいたるところで戦争や紛争が続き、富める者と貧しい者との差が広がる一方、Artであっても美術であってもその価値は資本主義経済に直結していて、その言葉は一部の人々にとっての共通語となってしまっている気がしてならない。
かつて明治維新の時代。西洋の言葉に対して芸術や美術という言葉を充てることによって異なる思考概念を繋ごうとしたそうした働きは、世界中が西洋思考概念一色に満たされてしまっているかに見えるいまという時代だからこそ必要なのではないか。
美術やArtだけがその役割を担うものだとは思ってはいないけれど、少なくとも、Artや美術に関わる人々にとって、この世の分断は他人事ではすまされないのではないか。
それはなにも、世界情勢を考えねばならないということでは無くて、この世とはすべて、関係性の結び目によって繋がった全体であるということ。Artや美術はそのことと大きく関係しているのだと自分は思っている。
 
 
まぁ、何はさておき、久し振りの展示についてあれこれ考えつつ、自分はつくることによって、この世と関わることが出来ていて、生きていることが実感できるのだと思う日々が続いていることに感謝している。

 
 
※展示空間の画像は、FLATFILESLASH Web からお借りしました。


 
 
新型コロナウイルスという出来事とは、この世の現実と幻想の境目を曖昧にしてしまった…というよりもむしろ、現実だと思い込んでいた社会が実は幻想でしかなく、もはや現実がどこにあるかについて気にも止めず、たとえ幻想の中であったとしても生きて行けるのならそれで良い、という意識が薄ぼんやりと、どこまでも広がって行く気配のことであるような気がしている。
SNSは幻想と現実の境目を繋ぐツールとして、SNSが普及し尽くした感のあるいまというタイミングと新型コロナウイルスの蔓延との間には少なからずの関係があるであろう、ということもまた。
 
 
一昨年、我が家の犬に悪性の腫瘍があることが判り、それ以来、何かと病院通いが増えてはいるものの、そんな家族でもある犬と暮らしながら、いまさらながら関心することは、いのちの限り迷うこと無く生きようとするその実直さ。
犬に限らず生物には生物固有の寿命があるにも関わらず人の年齢にあえて換算するのは人の都合でしかないけれど、少なくとも人よりも短い犬の一生だからこそ、人は犬の一生をつうじて生命の何たるかを感じることができるのだと思う。
自分はこの感覚こそが、人がコロナ禍から脱するために最も必要な感覚であり、幻想がつくり出す仮初めの心地良さをかなぐり捨て、人が街に繰り出すためにはこの感覚を如何につくるかこそが重要だと思っている。
 
 
10年前の今頃。
未曽有の大惨事の状況が次々と判明するにつれ、人は深い悲しみを突き付けられたその先に、生命の何たるかについてを、人それぞれが、それぞれの感覚として、感じていたはずだ。
目を背けようにも背けられない、現実から逃れようにも逃れられない悲しみの中、人は皆、現実の中に留まるしかなかったのだと思う。
あれからたった10年。
世界中を巻き込むコロナウイルスという未曽有の出来事によって、真実の在り処は何処にもなくともその現実は現実として存在できるという事実が露呈してしまったかに見える…。
現実と幻想の境目が限りなく曖昧な社会では、今まで信じられてきたすべてを幻想にすり替えることさえ可能で、そもそも真実を追及したところでこの社会は何も変わらないという気配が世間を覆ってしまっているにも関わらず、その気配は既にマスクによって覆い隠されてしまっているかにも見えるのは自分だけなのだろうか。
このたった10年間という年月の中で、人はなぜこうまで現実を受け止めきれなくなってしまったのか。
あの時、生命の儚さをあれほどまで感じていたはずなのに。
  
 
はじめてその本を手にしたのは12年前。
東京から生まれ故郷の長野市へと移り住んだ年だったと思う。 
そして、いまから10年前の今頃に読んだ記憶がある。
あれからいままで、10年の間に何度読んだかも既に忘れてしまった。
その本の最後にはこう書かれている。
 
 

いま世界は疲弊し、迷い、ぼろぼろにほころび、滅びに向かいつつある。
そんな中、つかみどころのない懈満な日々を送っている正常なひとよりも、それなりの効力意識に目覚めている阿呆者の方が、この世の生命存在としては優位にあるように思える。
わたしは後者の阿呆の方を選ぶ。
わたしはあきらめない。
 
藤原新也 
~メメント・モリ
Mémento-Mori 死を想え~

図書館ギャラリーMAZEKOZEが、一地方都市の片隅とは言え、というよりはむしろ、一地方の片隅のギャラリーだからこそ、この場をつうじて社会とどう関り持っているのかという現状と、今後社会とどう関わりを持とうとしているのかについて考え、そして、伝える必要があると思っている。

勿論これまでも、これについては常に考えてきたことではあるものの、社会が新型コロナという混乱の只中にあることも多少は関係しつつ、しかし何よりも、12年前に娘の小学校入学と同時に自分たち家族が長く暮らした東京から長野市へと移り住み、その娘がこの春、高等学校を卒業し此処を離れること、そして自分と妻は此処に住み続けることは自分たちにとっての節目のようなもので、そのことが大きく関係していると思う。妻がこれについてどう思っているのかについて、まだ詳しくは話してはいないけれど、娘がこの世に誕生してからいままでの間、娘の成長と自分たちがつくろうとしている場の成長は常に同調させながら考えてきたことは事実であって、しかし今後は、そうした同調は彼女にとっても自分たちにとっても必要が無くなったということでもある。とは言っても、もう知らないとか縁を切るということではないけれど、彼女(娘)にとっては、これからの生き方とそのために必要な力とは何であるのかを見つけるための数年間であることを思えば、自分にできること、自分がすべきことは、自分が目指す生き方を実践することであって、そうしたことが彼女からどう見えるのかは判らないけれど、自分が彼女にしてやれることはそれぐらいしか思いつかない。

かつて、自分がいる場所がいわゆる美術やArtのプロフェッショナルが生きる世界だと気付いた時の言いようのない閉塞感…というか、「あれっ、俺はなぜここにいるのだろうか…」という思いが沸き起こると同時に、美術やArtのプロフェッショナルへの関心が急速に薄れて行く自分がいた。月並みな表現をすれば、人生には幾つもの分岐点というものがあって、自分もそこへと差し掛かっていただけのことだとは思うけれど、あの時の自分の目の前には、何処までも続く美術やArtのプロフェッショナルが歩む道筋がはっきりと見えていたし、自分がその先を歩むためにその道を選択することも不可能ではなかったと思う。どの世界のどの道であれ、プロフェッショナルとは、先人たちが切り開いてきたその道筋をまっしぐらに突き進み、道が途切れたら自分が道を切り開く覚悟を持つことだと思う。だからこそ先を行く者は評価もされるし尊敬もされる。自分はそうした先人たちを何人も見て来たし、今も尊敬すべきArtitが身近にいることは幸運だと思っている。

自分は美術もArtも嫌いになったことは一度もないけれど、しかしあの頃の自分は、自分が登る山に迷っていたのだと思う。山を目指す登山家にとって、世界にたった14峰しかない8,000メートル峰を登頂することは格別の意味を持つ。未だその14峰すべての登頂に成功した人数は世界でも40人に達していない。美術やArtがそうした山だとして、自分はそうした世界に名の知れ渡る山に登りたいのかどうか自分でもよく解からないまま、しかし自分の周りは既にそうした山を目指す人たちばかりで、自分もまたその中にいることにふと気付いた時だったのだと思う。そして、何を思ったのか…自分は実際に岩登り(フリークライミング)に熱中しはじめていた。多くのArtistがNYを中心としたアメリカ東部を目指していた時に、自分は同じアメリカでも、ネバダやアリゾナ、カリフォルニアの砂漠や山岳地帯を目指していた。美術とは何の関係もない…と言えばそのとおりだけれど、自分のいまにとってそのクライミング期はとても重要な意味を持っている。それは、この世界には岩壁が無数にあるということに気付いたこと。その岩のどれもが独特の特徴を持っていて、たとえ5メートルの高さしかない岩であっても、それを登ることができた時の喜びは他と比較できるようなものではないということを知った。思えば、いま自分がつくろうとしているMAZEKOZEという場は、その時に感じたあの喜びを自分だけでなく、同じ岩にへばりつくことによって感じる何かのための場づくりであるような気がしている。

自分は美術大学を通過して、美術やArtが持つ魅力と可能性を知った。そこで得た経験は自分のいまに大きく役立っているし、そのあり方や美術やArtといった仕組みに対して思うことはあってもそれを単に否定するつもりはない。とは言え、未だそれにとって8,000メートルの峰々を登頂することこそが頂点であり、そこへの注目度はその仕組みを保つために必要であることを忘れるべきではないと思う。

幼稚園・保育園でのお絵描き、小学校の図画工作、中学校の美術…。そもそも人間は何か思いを伝えたいと思っているし、誰もが絵を描いたり何かをつくることを本能的に望んでいる。しかし、〇〇さんは絵が上手いとか下手だとかと言われつつ、評価され、創造の場に点数が付けられる既存社会の仕組みによって、次第に美術が嫌いになってゆく人は実に多い。そしてやがて大人になると、「私はArtの専門家ではないのでArtのことはわかりません」と言うようになる…。こうしたことを考えれば、極めて有能で、いずれ優れたArtistになり得る人がいたとしても、このしくみの元では育たない可能性は多々あるし、それはすなわち、社会にとっての様々な問題を創造性によって解決するという可能性が閉ざされてゆくということではないだろうか…。美術・Artは、Artistを育むことだけが目的ではないことは言うまでもないけれど、それが何のためにそれがあるのか…という質問にいったいどれだけの人が答えられるだろうか。上手いとか下手を問うのではなく、感じたことを様々な方法によって表すことの大切さ。それは美術・Artのみならず、社会のあらゆる物事に接した時に、人が何を感じ、どう表したのかを想像することこそが、人と人とがこの社会を生きる上で最も重要な力だと言っても過言ではないと思う。8,000峰を登頂できる技術と才能を兼ね備えたた人達がいるだけでは、その努力や経験は社会に活かされない。この社会に生きる私たちが、美術やArtが技術の習得のためにあるのではない、ということに気付くことが出来なければ、8,000メートル峰とて所詮は絵に描いた餅にすぎないし、そこにいのちをかけて挑んだ登山家の死すら浮かばれないと思う。

『ポヨコ・竹節裕子 Something special 展』探しているものとは違う別の価値観をみつけた何か特別なもの達の絵画展。

「草枕」

~山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。~

先日、友人から「草枕」に書かれている芸術論について尋ねられ、そう言えば教科書とかで部分だけは読んではいるものの、夏目漱石の小説を全編をとおして読んだことは一度もないことにはたと気が付いた。若さとは常に腹が減っているということ。満たされていないという感覚であって、夏目漱石の類はそうした空腹感を紛らわすためのもの。旨いとか不味いとか気にも止めず、食えそうなものは全部食ってしまえる体力と気力があるうちに食ってしまうべきものだと思っていた自分。とは言え、机の前に座っていることほど辛いことはないと思っていた子供時代の自分にとって、本は自分を机に縛りつけようとする敵が携えるバイブルのようなものであって、中でも夏目漱石のように超が付くほどに有名な作家の小説や偉人伝記を余計に毛嫌いしていたこともあってか、夏目漱石は自分の中ではかなり意識的に遠ざけられていた作家でもあったのだ。

友人によれば、何処かで目にしたか聞いたかは忘れてしまったけれど、そこで語られていた草枕に書かれている夏目漱石の芸術論をはじめて知ったそうで、コロナ禍によって暮らし難さを感じているいまの自分たちと草枕が書かれた時代の背景にある住にくさには何処かつうじるものがあって、草枕にはそうした住みにくい社会だからこそ、芸術の役割というか、芸術の本質が際立つのではないかというような内容だったらしく、自分にも是非それについて尋ねてみたいと思ったのだそうだ。そんなこんなで自分もついに、夏目漱石を読んでみることにしたのだった。

芸術は芸術論を必要としていない。草枕を読んで自分が思ったのは、先ず以てそのことだった。単なる想像・空想・夢想・感情・情緒の産物でしかなかった不確かな思考。芸術はそうした不確かな思考を食らって生きる。人は旨いとか不味いとか気にもとめずに芸術を食らう。

芸術論は食えない。ただそれだけのこと。昨日、草枕を食ってみた。

作業場なのか倉庫なのかの境界線の無い、基地害美術家の研究室を眺めながら、なんとまあ、これがようするに、自分の頭の中ってことか…と思いながら、妻からは材料や道具たちのことは自分で何とかしてくださいね…と言われるのも、そりゃぁもっともなことだと思う。

乱雑に積み重なった材料や道具。切り刻んだ鉄屑やネジやペンキ。何処で拾ってきたかも忘れてしまった木の実や木の葉。いつか、何処かで、何かを感じたからこそ此処へと集められたモノたち。いまは未だじっとそこにあるだけのものたち…。作品や製品と呼ばれるものはそれはそれでもちろん大切で、自分をはじめArtistやものづくりたちが発する言葉とはそういったものだと思う。でも、言葉が声として発せられる前の、声を出すために息を吸い込んだあとのほんの僅かな沈黙とか、言葉と言葉のあいだの間だったりとか。それは思考と思考の断片を繋ぐための関係性であり、そうした関係性こそがこの世にとって最も大切なものだと思う。

このことろ、学校だとか教育だとかについてあれこれ考えてはいるけれど、これについてもまた、学校や教育は自分にとっては材料や道具のようなものであって、それだけを見ていてもこの世の全体は見えてこない。自分が学校や教育について考える必要があると思っているのは、感性と悟性を繋ぐために必要な概念からであり、既存の社会システムを覆う既成概念が私たちにとっての感性の自由を阻害するようなことがあってはならないと考えているから。

学校とは、教育とは、学びとは何であるのかについて考えてゆけば、結局は「自発性」に行き着いてしまうと自分は思っているのだが、…そうすると今度は、この自発性を如何に育むかの教育を考える…なんてことを言い始めるのが既存社会システムで、あくまでも子供という領域は自分たちの領域であるが如くの学校教育の現実には正直うんざりもする。自ら発するからの自発性を、教育によって教え育むといった思考性が、本来誰もが持つべき学びの自由性を阻害する。感性の自由が自発性から発するものであるとすれば、自分にとっては学校教育がどうあるべきかなんて本当はどうでも良いことだ。でも、自発性を学校教育が阻害するとすれば、自分は何かしなければ、と考えるだけ。学校も教育も変えたいとは思っていない。でも自分にできることはする。ただそれだけのこと。

ここ最近の自分は、ものづくりをつうじた共有の場をつくりたいと思いつつ、あれこれ考えたり、場所を探したり、人を探したり、話したりしながら、徐々にその動きを本格化し始めている。こういった発想は、東京に暮らしていた時からずっとあって、東京・国立市での場づくり(Plantercottage)も、長野市に移り住んでからの場づくり(MAZEKOZE)もそのための実験と実践の場であり、気が付けば既に20年以上もこの実験と実践を繰り返してきたとも言える。

ものづくりの場の共有、いまで言えばシェアスタジオということになるのかもしれないけれど、今も昔も貧乏芸術家たちや弱小モノづくりたちのスタートには無くてはならない発想で、かつて自分も埼玉県飯能市、東京都武蔵村山市と場所を変えつつも、長いことシシェアスタジオで制作してきた。シェアスタジオの最大のメリットは家賃の負担を抑えつつ、仲間との情報交流や意見交換ができることか。いまこうして何とか自分が生きていられるのも、そんなシェアスタジオからの様々な繋がりがあったからと言っても過言ではない。しかし、仲の良い友人とのシェアから始まるとは言っても、時が経てば次第に、考え方や進む方向性に違いが生じるのも当然。だからこそ、会話の機会はもちろんだけれど、互いが協力するという機会を如何につくり出すかといった共有するための共同がとても重要だ。最初の頃は、メンバーの展覧会の搬出入の手伝いだったりした共同作業が、やがてものづくりの仕事を頼んだり頼まれたりと、場所のシェアがモノやコトのシェア、そこには当然、ヒトからヒトの繋がりが生まれてゆく。

最初のシェアスタジオから、現在のMAZEKOZEまで。自分、あるいは自分と妻が行ってきた共有と共同についての実験と実践をつうじて、自分たちはいまも日々実に多くを学び続けているけれど、それはまた結果的に、この社会に於いて学校や会社といった何らかの組織に所属せずに生きるという生き方を実践するということでもあった。日々変化し続ける社会の中でのこの生き方は、不安定極まりない生き方であることは否定できないものの、共有と共同の場をつくり続けることをつうじて、自分は数えきれないほど多くの、ヒト、モノ、コトに出会い、またそうしたヒト・モノ・コトの関係性が自分たちを生かしているということを実感しつつ、困った時はこの関係性の糸を手繰れば必ずや何とかなる…といった、不確かな確実性とでもいうか、自分という存在が繋がっている関係性の糸を手繰れる社会を生きているという安心感は他の何にも変えられない。

考えてみれば、学校での学びはそれはそれとしてとても重要な学びの機会であると思う。何より、私たちは学校という場をつうじて社会とは何かを学ぶことができる。そこで学んだ知識や技術は学校を出てから、社会を生き抜くために必要な力となる。しかし目には見えない社会を学校の何処で学ぶのか…。それは例えば、授業と授業の間の休み時間だったり、昼食の時間だったり、すれ違いざまに交わす何気ない会話だったり。そういった点と点を繋ぐ部分に社会にとっての最も重要な部分があって、その先に全体が、社会とはどうやってつくられれているのかを見ることができるのだと思うのだけれど、現状の学校という仕組みは殆どその機能を果たすことができなくなってしまっているような気がする。さらにコロナ禍である…。テレワークやオンライン授業はそれはそれとして否定しないけれど、いま社会の分断は急速に加速し、目隠ししたまま、猛スピードで進むことを要求されるかの社会。こういった状況について行けない人がいるのは大人も子供も同じ。

そんなこんなで自分は、ものづくりというリアルな場を、つくり手が共有するだけの場ではなく、そういったものづくりのすぐ隣で、ものづくりの仕事を見たり、経験したり、実践できる場が持つ可能性と重要性を強く感じている。それが学校である必要はない。でも、これからの社会という道筋がほんの少しでもいいから見えやすくなり、自分が生きるために本当に必要な力について一人ひとりが自分で考えるための場がいま、どうしても必要だと思っている。共有と共同の場づくりを始めます。仲間を求めています。

「世代論」

気が付けば自分も、社会を世代によって考えたり論じたくなる気持ちもわからなくもない歳になってしまっている。子供の頃から予定とか目標を立てることが嫌いだった自分だが、いずれ若者ではなくなってしまっても「最近の若い奴等ときたら…」とだけは言わないようにしようと何となく思い続けてきた。もちろん、年齢や世代によって社会の感じ方には共通性や違いがあって当然だし、というよりもむしろ、その違いは目には見えない社会を、この社会を生きる人々が理解し合うための大切な違いであると思う。でも、「最近の若い奴等ときたら…」という言葉にはそういったことは感じない…というか、個性も可能性も打ち消すようでそこに愛を感じない。そういう気持ちを抱く理由も解らなくもないとしても、こういった全体責任的な無自覚、無責任な言動はこれに限らずこの社会には山とある…。そう言ってしまう人からすればそんなつもりは無いのかもしれないけれど、そういった無意識が社会の標準化を押し進め、人の感性は傷つき、人間の可能性が阻害され、結果的には社会としての進歩もまた阻害されるのだと思う。

地方社会の過疎化・高齢化という傾向は、もういっぽうの社会に対して人口の過密やそれに伴う様々な問題をもたらしていることは言うまでもない。人口と情報が集中する大都市では、様々な高度なシステム化が要求されるのも当然だが、社会システムそのものが高度になればなるほどに、社会システムにとって無駄や隙間と判断されるものは次々に縮小する、あるいは消滅してゆく傾向を辿ることになるだろうし、そう言ったシステムは社会の標準化や平均化を加速させると同時に、やがて大都市にとっては地方そのものが無駄や隙間と見なされのかもしれない。それは、地方都市が大都市のようになるということではなくて、社会がより効率化してゆくということであって、地方と都市の役割がシステムによって明確に分けられて行くということだと思う。

既存の学校教育は社会の変化や要求もあり、自分の子供時代と比較すれば様々なことが変わって来てはいる。その最たるものが体罰の禁止ということになろうか。もはや教育の現場ではそれが課外活動であろうと体罰厳禁が常識となっていることは言うまでもないけれど、それは単に教育現場に於ける対応策にしかなっていないがまた現実であり、学校から一歩社会に出てみれば、未だ自分たちの若い頃は…と言うだけならまだしも、体罰としつけは違うといった見解をそこかしこで耳にするし、痛ましい家庭内暴力が後を絶たないことを思えば、これは体罰とは何であるのかという定義の問題ではなく、そうした心理はなぜ、何処から発生し、やがて何処へと繋がるものなのか…といった全体性とそれに至るまでの関係性についての思考が未だ社会には決定的に欠けているということだと思う。体罰とは恐怖による支配の構造を形づくる元となるものであり、けっしてそれは容認されることではないけれど、自己決定権を放棄させるといった観点からすれば、体罰は既に社会的に広く用いられている悪しき構造そのものであり、自分たち自身もまた、この構造の内にあり、知らず知らずの内にその仕組みを利用したりされたりしていることは忘れてはならないのだ。

友人から、小学生である自分の子が、「どうせ全部先生が決めちゃうんだから。」と言ってドキッとした…というのを聞いて、そうした構造を力の弱いもの、子供へと向けられることを食い止めるためには、まさにこういった思考のやり取りこそが重要で、私たちは社会に於いて、この部分に全力を尽くさなければならないはずだとあらためて強く感じた。たとえそこでは、先生が決めたことに従ったとしても、本質的な自己決定権放棄をしたわけではないという意思を子供たちが無くさないこと。その意思を社会的弱者でもある子供たちのひとり一人が持つことがとても重要なのだ。

学校教育という人の成長にとって重要且つ難しい場に於いて、先生が決めざるを得ない状況があることは理解できる。私たちが選択している既存の社会システムは、学校教育という領域に深く侵入していることは明かだし、そういった社会システムと子供たちの間に置かれた先生たちの苦労も想像することはできる…。とはいえ、何よりも生徒や子供たち一人ひとりの意思を如何に尊重するかは教育者にとって最も重要なことであって、少なくともそこにシステムの効率化とか標準化という理由を持ち込んで欲しくは無いし、教育現場に携わる先生は勿論のこと、私たちの誰もが、相手の意思を尊重しない決定権の行使は、すべて体罰に等しいということを忘れてはならないのだと思う。

自分もまた人の親の一人であり、子供のために良かれと思う教育とは何であるかを考えることもある。いま思えば、学校や教育のことなど殆ど考えていなかったし、教育なんて糞くらえだ!と思っていた自分に、否が応でも考えるきかっけを与えてくれた娘には感謝しなくてはならないけれど、そのいっぽう、わが子ありきだけで教育について考えることなく、教育と社会との間にArtとものづくりを置くことができたことは、とても重要な意味を持っていると思っている。わが子の性質や家庭環境、経済状況といった視点だけで教育を考えていると、どうしても既存の社会システムの中にある教育へと不満が募る…。その点で言えば、わが子に囚われ過ぎることによって視野が狭くなり、人の育みを俯瞰として捉え難くなりがちだが、例えばそこに、自分の場合は美術を置くことによって、「美しい育み」といった概念が生じ、その概念の元で教育について考えることができるということになるか。その概念を他人に強要するつもりはないけれど、少なくとも正しさを論じることによって、結果、対立軸をつくることなく、教育を語ることができる方法になるのではないかと思っている。これもまた美術の大切な役割だということに教育は気付かせてくれた。勿論まだその道の途上にいるのだけれど…。

何故、先生が全部決めてしまうのか…といった疑問が子供の中に生じることによって、自分で決めることの重要さと共に、その責任と困難さに気付いてゆく…そうした思考のある場に体罰の効果は無い。簡単な道筋ではないけれど、悪しき社会の構造から脱するためにはそこにしか道は無い気がしている。

「経験と感性」

12年前、娘の小学校入学にかこつけて半ば強引に長野市へと移り住んだ。その娘は高校3年生となって、その高校生活も残すところあと数回の登校と卒業式だけ。自分はと言えば、長野市で生まれ育ったとは言え、あれから10年以上が経つと言うのに、未だ浦島太郎状態から抜け切れていない。

自分と血縁の子供は娘の一人だけれど、長野へと戻って数年した頃に、縁があってとても小さなフリースクールで子供たちと関わっていたことがある。そのフリースクールに通ってくる子供たちは、ちょうど娘と同じぐらいの年齢の子たちだったこともあるし、いわゆる既存の学校での子供との繋がりでは無かったこともあって、自分にとってはふと、何となく気になる子供たちなのだ。その後、そのフリースクールは名称を変え別の場所に移動して自分はそこには関われなくなってしまったけれど、そんな子供たちの中で時折、MAZEKOZEに顔を出してくれていた子供(既に高校性なので子供という呼び方は失礼かもしれない…)は、昨年の春から通信制の高校に通いはじめたそうだ。その彼と話していると、かつてフリースクールでも感じていた、子供と大人、生徒と先生…といった境目を感じることなく、それぞれの人間として経験と感性のやり取りをつうじた会話ができる心地良さを感じる。

自分がいまに至った背景には、そのフリースクールや、かつて東北・岩手にあって長い間関わってきた「森と風のがっこう」や、全国いくつかの場所にある「森のようちえん」も…、既存の社会システムでは今はまだ正式に認められてはいないものの、そういった学びの場に関わってこれたことはとても重要な意味を持っている。昨年、新型コロナウイルスによる社会的動揺が増す最中。東京と長野を何とか行き来しつつ自分のすべき活動をする一方で、いつも考えていたのは、そうした学びの場の必要性についてだった。自分は、既存の教育という仕組みの中で、教えるという立ち場に立ったことはないけれど、年齢や性別や国籍の境目無く、経験と経験の交換作業…と言ったら良いか、お互いが感じたことのやり取りをつうじて、人が繋がりあう経験と場の機会がこの社会には圧倒的に不足していることを痛感している。

自発性の重要性と必要性、その育みについてが取り沙汰されるいまの社会ではあるけれど、既存社会の仕組みの中で、自分が経験してきたようなことを教育の仕組みの中に取り入れることは、不可能とは言えないまでも、とても困難なことであると思う…。今の自分の状況や社会のあれこれを考えながら、お互いが感じたことのやり取りをつうじて、人が繋がりあう経験と場を具体的につくりたいという想いが増している。それを「がっこう」と呼ぶべきかどうかは考える必要があるとは思っているけれど、少なくとも自分がつくりたいもの、創造したいものにとってそうした場は必要なことだけは確かだと思っている。

※以下。長くなってしまいますが、以前、自分がFBで投稿した文を貼り付けておきます。お時間がある時にでもお読みになってください。ご意見などお聞かせ頂けると嬉しいです。

※2012年8月 投稿「森の中へ」

暑い日が続くここ数日。週1回開講する、「おひさまと虹の学校・土曜クラス」も、森の中へと教室を移動することにしました。場所は、学校(観音寺)のすぐ下を流れる、鳥居川の上流。そこは、涼しさ満点!、生命の満ち溢れるところでした。今年1月からの準備クラスを経て5月から開校した、「おひさまと虹の学校・土曜クラス」は、小学生にあたる年齢の子供たちを対象にしたフリースクール。月/3~4回開校するこの学校は主に、上水内郡飯綱町にある、古いお寺(住職がいなくなり、門が閉まってしまっていたお寺…観音寺)を使わせて頂きながら、時に、周辺の大自然の中へと教室を移動しています。月曜日から金曜日までは、シュタイナー幼稚園「れんげ子供園」として。土曜日は「おひさまと虹の学校・土曜クラス」がこのお寺を使わせて頂いています。

私たちが生きるこの世界は、無数の「いのち」の連なりから成っていて、私たちはこの「いのちの連なり」によって生かされている気がします。にも関わらず、私たちにとって欠かすことのできない「いのちの連なり」を教えること、学ぶことはとても難しい…。そもそも、誰にもこれを教えることはできないのかもしれません。…。でもおそらく、私たち自身が日々の暮らしの中に「生命」を感じることを通じて、「いのちの連なり」は、私たち自身の「生きる力」へと変化しながら、身体の中に沁み込んでゆくようなものなのではないでしょうか。私たちは、子供たちが生命と出会う瞬間をつくるほんの少しのきっかけづくりを行いながら、子供はもちろん大人にとっても、この世に満ち溢れる「いのちの連なり」を感じることを通じて、『生きる力を学べる場づくり』を目指しています。

私たちの活動にご興味ある方、子供たちと一緒に、感じてみませんか?ご連絡お待ちしています。

※2012年 7月投稿「おひさまと虹の学校・土曜クラス」

「おひさまと虹の学校・土曜クラス」は、長野県上水内郡飯綱町(旧牟礼村)の町の高台に古くからある、小さなお寺を使わせて頂いて開校している。二十~三十年前にこのお寺…「観音寺」のご住職が亡くなって以来、住職のいない、いわゆる無住寺となって荒れてしまっていたこのお寺は、5年前、「れんげ子ども園」という小さな幼稚園となって新たな時を刻み始めた。

お寺という場が仏教という教えを説き広めることに始まったことは間違いないけれど、仏教という教えをつうじて人々の中に「何か」が育まれ、その「何か」が人々の暮らしにとって欠かすことのできないものとなってゆくことをつうじて、結果としてお寺は、地域の人々や檀家の人々など、たくさんの人々が集まる「場」となっていったのだろう。

…現代という時代に生きる自分からすれば、それは仏教でなくても良かったのではないかとも思ったりもする。でもきっと、ここに仏教という種が撒かれ、根付き、結果として寺という場となっていったことを思うと、そこに撒かれた仏教という種はきっと自分が思っているような仏教ではないのかもしれない…とも思う。おそらくは、江戸時代から明治時代にかけてつくられたであろう寺の庫裡。入口の土間は今よりもずっと広かったのかもしれない。土間には土に覆われた竈があったのだろう。庫裡の二階に上がると、その竈の煙で煤けて黒くなった天井が見える。現代的につくり直された…とは言っても30年ほど前であろうか。台所の奥には、一度に三升の米が炊ける釜が二つのる竈が今も残っている。

この竈を子どもたちと掃除して、火をつけてみることにした。梯子をかけ煙突のつき出した屋根に登って、屋根の上に積もった葉っぱを掃除する子がいる。煙突の上のほうから声がする。「お~い、聞こえる?」「薪も集めなきゃ…。」「杉の葉は燃えやすいよ。」「竹の葉っぱはどう?」「まっちで火つけられるかなぁ…」お寺の境内、小さな本堂の前には20ほどのお墓が立ち並ぶ。子どもたちがそのお墓の傍らを走りまわる姿を見ながら、「何か」を感じた。

学校も、がっこうであっても、自分にはその響きが心地良くは聞こえない。それは嫌いだから…とかではなくて、学校やがっこうというその響きから感じる何か…それを自分は心地良くないと感じているということ。もしgakkouではない別の響きを持つ言葉をあてがったとしても、心地悪さを感じさせている本質に蓋をしたままでは単に言葉を浪費するだけで同じことが繰り返されるだけのことだ。

18世紀を生きた哲学者、イマヌエル・カントは、人は「感性」と「悟性」の二層構造でこの世を認識していると考えた。認識は人のあらゆる活動の根源にある行為。ヒトの外の世界を人が感覚を通じて如何に認識していくかを問う認識論は、存在論、形而上学と並ぶ哲学の主要なテーマとなっている。感性とは、この世のから与えられるさまざまな感覚を、非言語的、無意識的、直感的に感じとる力。しかし、感性で感じ取ったこの世は間違いなくこの世の現実ではあるものの、感性によって働く様々な感覚によって受動的に捉えたこの世の断片は、ぼんやりと掴みどころのないイメージとして漂ったままの状態で、そうしたイメージを自発的に整理し秩序づけるのが悟性ということになる。とすれば、自分がgakkouという響きを心地良く感じないというこの世の現実は、感性によって捉えた響きだけでなく、他の様々なイメージが悟性によって整理され秩序付けられ認識されたものであると考えるべきだろう。

自分があえて美術家を名のりつつ、自分でもいったい何をしているのかと思うほど様々なことが気になってしまうのもまた、ここと大きく関係している。人は社会によって認識された現実ばかりを注目しがちだけれど、もしもこの現実を変えられる可能性があるとすれば、それは、人が感覚を通じて如何に認識していくかの過程にこそあるのではないか…。

感性によって感じたイメージが悟性によって整理され秩序付けするために概念があって、そのの概念によって現実社会となって現れているのであるとすれば、先ずはその概念とは何であるのかを知らねばならないのではないか…。自分が理解するArtとはそうした概念を検証したり、つくり変えたり、新しくつくったりすることができる、「人の誰もが、持とうと思えば持つことができる力」のこと。ことさらContemporary artの主要な目的は、変化させるべき現実と変えてはならない現実についてをそういったArtによって表現することでもあるので、Art作品を前にした時、先ずはこの社会を形づくる既成概念そのものを疑い、または取り払って感じなければ何も始まらない…。Artは解らない、理解できないと言われるのも当然だとは思うけれど、これをこのままにしておいても良いということではないと思う。

Artにとって重要なことは、「そう考えることが当然だ」という既成概念そのものに自分自身が縛られていないかという部分であり、Artは問であって答えではないということ。これについては、Artが美術や芸術として日本語に訳されてしまったことから誤解と混乱が生じてしまっていると思うのだけれど、自分の経験的には美術大学でそのことについて教わった記憶はまったくない。

そもそも概念とは、法律や法則ではなく、こういった時にはこう考える…といった、思考の基礎となるように意味づけられたものにすぎないのだ。例えば、ゴミの分別方法や処理方法が審議され法制度化された以上、これに従うことは当たり前の社会的ルールではあるけれど、人それぞれが感じるゴミとは何であるのかという認識と、法律によって定められたゴミの認識は必ずしも一致するわけではない。ルールは社会秩序にとって必要ではあるものの、ルールに従うことが当たり前のこととして慣れ過ぎてゆくと、人それぞれにあったはずの個人の認識は次第に薄れ、ルールだけが既成概念化してゆく…。もちろん、一人ひとりの認識によって社会秩序を保つことは難しいことは認めざるを得ないけれど、概念が既成事実化し、人がその既成概念を疑うことなく受け入れるようになることによって、人それぞれが感じ考え、そして認識するといった力が衰えてゆく。

それは言い換えれば、人間らしさの喪失に他ならないのではないか。コロナ禍のいま。この社会を構成する様々な既成概念が当たり前という同調圧力となってしまっていることもまたその現れであるような気がするのだが。

私たち人は、特殊な能力を持たない限り、自分ではない他人が何をどう感じているのかについて何も解らない。だからこそ人は、感性によってこの世を感じ、様々な概念をつうじて悟性によって人が何をどう感じたのかを想像し認識する。この世の現実を導き出すために様々な概念があり、人が人としてこの世に存在するために変えられない概念もあれば、人が社会によって成長しつつ、検証し、変えるべき時には変えなけばならない概念もある。それを見極めるためには、何よりも先ず、「感性の自由」が保たれなけばならない。Artは「感性の自由」を保つ力であって、Artistが占有するためのものではない。しかし実際には、Artは難しく解らないものという既成概念を超える手立てが乏しいいま、Artはその役割を十分には果たせていない…。Artと美術は、共に感性の自由に関係するものではあるけれど同じではなく、美術が「美」という実に厄介で曖昧な概念と関係するものであることからすれば、「美しさを感じる自由を保つためのもの」…しかし美術もまたArtと同じくその役割を果たせているとは言えないだろう。それは、この世の現実が美しさを覆い隠してしまっているからではないか…。美術にたずさわる者の一人として、美しさに覆いかぶさるこの世の現実から解き放ち、誰もが美しさを感じる自由を取り戻すためにすべきこととは何なのか。

自分にとってArtとは何かについて考える上で欠かすことのできないArtistであるヨーゼフ・ボイスは、東西が分裂していた当時のドイツの状況下において、体制や資本などではなく、人々の「創造性」こそが社会を形成するとした「拡張された芸術概念」とともに「社会彫刻」という概念を提唱している。ここで言う「創造性」とは、Art作品を作るときだけに使われるものではなく、誰もが持っている能力であるからこそ、「それぞれの人がそれそれの労働の中で芸術家として生きることが出来るのだ」とボイスは言う。労働とは人間の手作業であり、手は人間の意志を表わす。仕事とは表現であり、その人の全てを意志として計らずも表現している…。日常的な「労働」という営みをどのようにしてArtとして再定義するかといったボイスの試みの数々は「感性の自由」に覆いかぶさる既存社会を形づくる既成概念に対する真正面からの挑戦でもあったことは疑いようもない。自分は未だボイスのそういった挑戦と思考のすべてを理解しきれてはいないけれど、それならば、自分もまたArtと美術をつうじて、ボイスの思考を自分の感性によって感じながら、Gakouという響きを心地良い響きとして感じられるようになるための挑戦をしてみたいと思っている。

「移住」

長く暮らした東京から長野市の善光寺門前町へと家族と共に移り住んだのは12年前。長野市出身の自分にとってはUターンということになるのだが、そんなことよりも先に、過疎化高齢化に伴う問題が深刻化を増している地方自治体にとっては、その対応策としての移住こそが重要なのだ。

高齢化に伴う生産年齢人口の減少は産業の衰退を招く要因であると同時に、自治体の財源に直結する問題であることは言うまでもない。国はそうした地方公共団体の財源の不均衡を調整し、どの地域に住む人にも一定の行政サービスを提供できるよう財源を保障するために地方交付税制度を設けているとはいえ、日本全体の人口もまた減少の途上にあって、これは当然のこと日本経済の何らかに影響するであろうし、となれば地方交付税にもその影響が及ぶであろうことも想像できる。ちなみに、自分が暮らす長野市の平成元年の歳入は1,657億1,800万1千円、歳出総額が1,636億4,773万8千円。歳入は、市民税や固定資産税などの市税が、586億円(歳入全体の35%)国・県支出金は350億円(21%)、地方交付税は235億円(14%)歳出は、児童・高齢者・障害者福祉などに充てる民生費が547億円(歳出全体の33%)以下、総務費が179億円(11%)、土木費が177億円(11%)公債費が160億円(10%)かなり大雑把に捉えれば、人口が減少し高齢化が増すと、歳入の市税割合が下がり、歳出の民生費割合が増加するということになる。

統計から未来を予測することは大切であり、それはそれとして重要だと思う。けれど、過疎化や高齢化という統計は単に傾向を数値化した際にあてがわれる言葉であり全体の中の部分にすぎない。それだけで社会全体が見えるわけではないことを私たちは忘れるべきではない。移住という選択を、単に過疎化や高齢化によって生じる不足に対する補填策としてでなく、その選択が移住者はもちろんのこと、移住者を受け入れる地域にとっても価値ある選択とするためには、移住をとりまく社会全体を俯瞰して捉える必要があると思う。とは言え、過疎化高齢化によって生じる人手不足によって、地域にとって必要な活動が滞ることからすれば、高齢者に代わる地域の担い手はいますぐにでも必要な状況であることもまた確かなこと。そういった必要性から移住という選択を推進したいと焦る気持ちも理解はできる。ただ、こうした問題は地域の中で語られることはあっても、そういったことが表立って語られることは稀で、特に移住者と地域との間でどのような関係を、どのようにつくっていったのか…といったことについては外部には殆ど聞こえてこない。

自分たち家族が長野市へと移住すると決めたのは、自分が生まれ育った地域に、老朽化はしてはいたものの自由に改装できる空き家物件に出会えたからだった。家族としてこの町で暮らし続けるためには、この地域との間に関係を育むためのきっかけとなる場が必要だと考えていた自分と妻は、移り住んですぐにMAZEKOZEという場づくりを開始する。移住する理由は人それぞれだろうけれど、夫婦のどちらかが生まれ育った地域に移り住むという選択はよくある話しで、自分たちも御多分に漏れずその選択によって長野市へと移り住んだのだった。

地元生まれで土地勘もある自分と雪道を歩くことすらままならない妻。MAZEKOZEの活動の中心は、私たちがいま大切だと思うものの展示…で、主に妻が担当。特に決めているわけではないけれど、展示して貰う人々のおよそ2/3が長野県以外で生まれ育った人。1/3が長野市とその近郊で生まれ育った人 といったところか。移住者でありながら地元育ちの自分は基本的に外周りの仕事。長野市を中心に半径100㎞圏内+東京圏を拠点として仕事することが多い。そんな自分たちがつくる場には、長野市やその周辺に移住してきた人、移住を考えている人も頻繁に訪れる。移住はMAZEKOZEにとってはとても身近な話題であり、移住者だからこその視点と地元住民の視点からの話しをつうじて、長野市のみならず日本社会がいまどういった状況なのかが実に良く見える。

自分たちが此処へと移り住むと同時に小学校に入学した娘は高校の最終学年になり、この春からは長野を出ることが決まっている。長野市へ移住した少なからずの理由は、子育ての環境としての選択であったと思っているけれど、自分たち親の選択が彼女の人生にどう影響するかについては今はまだ何もわからない。自分たちの場合。子育て経験がない自分たちは、子供が生まれる前から暮らしていた地域で、地域の仲間達と関係しながら子育てを始めることが良いと考えた。それと言うのは特に、子育ての大半を担う母親が孤立せずに悩みをうちあけられる環境がそこにあったし、足りない関係はここならばつくれると思ったからだ。そもそも子育てに適した環境という基準はない。自然豊かな環境も東京のような環境も、そのどちらかが正解ということでないけれど、人は関係によって育まれる生き物であることだけは確かだと自分は思っている。少なくとも、子ではあっても人である以上は、親との関係だけでこの世を生きては行けないし、人との関係をつうじて子供を育てることはとても重要だ。その意味からすれば、移住によって人との関係を築き易くなると思うのであれば、移住してみると良いと思う。自然との関係は、人と人の関係を円滑にする潤滑材のようなものか。そもそも自然はどこにでもある。それに気付くか気付かないかの違いだけだと思う…。

子供を育てるための移住。それが終った後は自分たちの生き方選択に即してまた移住する…。少なくともそういった選択は間違いとは言えないどころか、今後ますます深刻化するであろう過疎化・高齢化の問題を抱えるこの国の選択肢としての可能性、有効性についてを真剣に考える必要があると自分は思っている。安直に考えれば、高齢者は自然条件の厳しい山間地域に暮らすよりも、平坦で買い物にも便利な都市部に暮らす方が身体への負担は少ないはずだ。しかし現実はその逆で、高齢者が山間の過疎地に残り、若者は山間地域を離れ都市部へと移り住む。そうした状況を招く要因は「働き方」であり、「子育て環境」であり、そして何よりも、地域を守り継ぐといった信条を支える「死生観」がそこにある。人は死に、そこが還る場所であるならば、誰かがそこを守らねばならない…そう考えるのは当然だと思う。

過疎化・高齢化の対応策として重要な可能性が「移住」であることは否定できないけれど、移住をその先の選択肢とするのならば、自分たちが抱き続けている既成概念を根本から問い直し、人が生きるためには何が本当に必要なのかについてを考える時期が間違いなく訪れているのではないか。移住に可能性を見出そうとするならば、数値化された部分を見るのではなく、過疎化・高齢化という現実の中に一人の人間として足を踏み入れ、かつて人が暮らしていた場所を離れざるを得なかったそのことについて想像し、荒廃する状況を前に、自分の中にやるせない気持ちが沸き起こることを確認する必要がある気がしている。

「二極思考」

理系が理科系の略語であるのと同じように 文系は文科系の略語。一方、文化系は体育会系の対義語。美術家の自分は文化系(芸術系含む)なのか。まぁ、もはや自分が文科系(芸術を含む)であるかどうかなんてことは何の役にもたたないし、近しい友人達であれば既に知っている自分といえば、高校生時代は体操部(男子新体操部)インハイだの国体だのの体育会系男子。そこから逃亡して色々とあって、最終的に受け入れてくれたのが文科系(芸術系)。芸術系の中の体育会系彫刻科。彫刻の中の抽象系(…もう一方は具象系)。抽象系から現代美術系を辿ったものの、気が付けば美術の枠からはみ出してしまって現在へと至る。

自分ですらこれだけ紆余曲折あるにも関わらず、この社会は二極思考に縛られていて、私達は誰も皆、そうした社会に生きることを強いられている。ダーウィンの進化論提唱以降、進化と創造の論争は現在もなお続いていて、かつての冷戦構造、西洋と東洋、アメリカと中国…無理やりにでも二極構造の枠の中に収めようとする傾向は否めない。

精神医学の分類の中には、「境界性パーソナリティ障害」という障害があるそうだが、この障害にあたる人は、白か黒か、全か無か、敵か味方か、0か1かといった両極端な考えに陥りやすく、考えや行動が極端になりやすいという特徴から、二極思考や白黒思考と呼ばれている。しかし、現代社会そのものが二極思考状態の中にあることを思えば、個人の思考傾向が障害であるかどうかの判断は発達障害と同じでつき難しく、だからと言ってそれを程度の問題で片付けてしまうことは自分はどうにも納得がいかない。ある人を絶賛したかと思えば、ちょっとしたことがきっかけで、その人をこきおろしたり、親切にしてくれている間はすごく良い人と思うのに、少しでも思いに反することをされたりすると、あっという間に「最悪の人」「酷い人」と評価が逆転するといった傾向は多かれ少なかれ、日常ではよくある傾向ではあるものの、少しぐらいは正常、程度を超えれば障害と区別できることではないと思う。先ずもって大切なことは、この社会に生きる同じ人間である以上、等しく私達にはそういう傾向があることを認めること。そうした傾向の強い弱いは個人の問題ではなく、人間全体の問題であると捉える必要性があると思う。これを単に精神疾患だと分別することは社会にとっての都合でしかなく、それを個人が抱える問題であって解決すべきは個人だ としてしまえば、人は結局のところ薬や医学的治療に頼るしかなくなってしまうことは容易に想像できる。

人は、物事には様々な見方があることを学びながら成長する。境界性パーソナリティ障害が疑われる人はそうした考え方が苦手とされ、人を敵か味方か、善か悪かでとらえ、人間関係でトラブルを引き起こし易いとされる。そうした原因のひとつが教育環境だという見解も解らなくもないけれど、親の期待に応えようとして、自分を偽り良い子を演じてばかりいることによって、中途半端が認められない考え方が染み付いてしまうというような短絡的な捉え方には少なからずの疑問がある。人はそこまで単純ではない。たとえそういった親の期待があったことによって中途半端が認められない考え方になったとしても、そうした親や子供だとしても、社会はそれを個人の責任にはしないことが何よりも重要ではないのか。そうした事実を先ずは受け入れることこそが社会としての重要な役割であって、そうした社会はそれを望む私たちみんなでつくる。それが個人と社会の役割の違いであって、そこを私達は正しく認識し、それを前提に個人と社会、個人と個人が関係し合わなければ、いずれは分断と分裂によってつくられる高い壁に囲われた世界に生きるしかなくなってしまう…。

勿論、この問題がそう簡単なことではないことは重々承知しているつもりだ。けれど、既に分断と分裂の兆しがそこかしこに見えるようになってしまっているいま。高い壁を築いて互いが分かれるのではなく、関係を途切れさせることのないまま、この社会に対して生きづらさを感じる人々がこの社会を生き生きと生きられる可能性を探る場、つくる場がどうしても必要なのだ。

自分はこの人生をこうして生きると決めたことによって、生きづらさは逆に創造の糧にしてこの社会を生きてきた。自分のそうした経験とそこで培った知識は、社会全体からすれば極めて偏ったものではあるけれど、これが活かせる場を求める人が少しでもいるのであれば、それを共有できる場を本気でつくろうと思っている。

自分を育ててくれた親のことを悪く言うつもりはないけれど、あえて言うとすれば、自分は普通の親に普通に育てられ、そうした親が自分に要求する普通さを鬱陶しく感じてもいた。でもそのおかげか。鬱陶しく感じていたのは親というよりも、親も自分も取り巻く社会を覆う「普通」であることがやっとわかってきた。その意味からすれば自分は「普通とは何か」という疑問を常に抱えながらここまで生きて来たとも言える…。そんな自分を例にあげれば、たとえどんな環境で育とうとも、自分の中に芽生えた疑問、欲求に対して素直に従うこと。自分が自分に対して強くなると決めればおのずと道は開けると信じている。それは自分が歩むこの道がどこへ続く道かがわからなくても。自分の中に芽生えた疑問、欲求に対して素直に従うと決めるのは自分。そうした自分が強くなると決めた人たちが集い、共に生きられるための場をつくる。残された時間は僅かかもしれない…。共に場をつくる仲間を求めます。

もう随分と前のこと。友人の気功治療院の院長から、「小池君さぁ。この本読んでみてよ。俺はこの本読んで物凄く楽になったんだよ…」と言われて渡されたのが、「発達障害かもしれない大人たち」という本だった。院長は普段からいわゆるKY的な発言や行動が多めな人で、多かれ少なかれ周囲の人達もそう感じていたであろうし、院長自身からもそうしたことが理由で失敗したことや苦労した話しも何度か聞いてもいた。自分もまた院長の発言にムカつく野郎だな…と思うこともたまにあったけれど、院長の真っ直ぐさというか正直さは嫌いでは無かったし、そうした院長の性格ゆえに、たくさんの人と人を繋いでいることを知るにつけ、KYであることはこの社会にとって必要性であり重要なことだと感じていた。

院長いわく、「小池君もさぁ、生きづらさを感じているんじゃないかと思ってさ。だって、そうじゃなければあんな場所つくらないんじゃないかと思ったんだよ」…と。あんな場所とは、借家を改装しまくりの、壁や屋根を覆う植物を植えまくり、かと言ってこれといった目的もないままにつくっていたPlangtercottageのこと。院長はPlangtercottageに訪れる言わば常連の一人でもあって、あの場をつくり続ける理由についてずっと気になっていたのだろう。ある日その本との出会いによって、院長自身が抱える生きづらさは何処から起こるのかという疑問に対する答えとPlangtercottageをつくり続ける小池という人物の間には共通性があると感じたらしかった。

高機能自閉症、アスペルガー障害、AD/HD、精神遅滞といった発達障害。そうした数は5~6人に1人以上が存在する可能性があるそうだ。「発達障害かもしれない大人たち」の著者自身が発達障害を自覚している臨床医であり、発達障害の立場からの分析や、対処、発達障害の人のことをどう理解するかがとても分かり易く書かれていて、発達障害について興味のある人にはお勧めできる本だと思う。気功治療院の院長から、君も発達障害かもしれないよと言われ、この本を薦められて読んでみて思ったのは、そうと言ってしまえばそうかもしれないけれど、だからと言って自分は院長のように、自分が発達障害を自覚して楽になれたという感覚はまったくなかったし、そもそもが生きづらさの解決方法としてPlangtercottageをつくっていたということではなかったはずだし…。

場とは何か。多様性と美との関係性を確かめたくて場づくりをはじめてから20年以上が経つ。自分にとっては場をつくることも美も、そのどちらもが目的とは言えないけれど、場にとって多様性を如何に自然に受け入れるかはとても重要であり、思ったよりも随分と時間は掛かってしまったものの、多様性を空気のように感じることができる場は美の本質を内在させているということについては確信することができるようになった。美とはそれのみで存在し得るものでなく、この世に存在するありとあらゆるものが関係性によって結ばれ紡がれる際の、言わば結び目をつくる手の動きのようなもの。この世が無数の関係性によって紡がれる場であるとするならば、この世とは美が無数に存在しているということ。美とはつくり出すものではなく既にここにあるもの。それが自然であり、人はそうした自然がつくる場の中に身を置くことによって美の本質を理解できるのだと自分は理解するようになった。美しい自然というものがあるのではなく、どの自然であれ既にそれだけで十分に美しい。そこにある美しさに自らが気付けるかどうか。この世のすべては関係性によってできている。

自閉スペクトラムまたはアスペルガー症候群と呼ばれる発達障害を例とすれば、社会性・コミュニケーション・想像力・共感性・イメージすることの何らかの異常、こだわりの強さ、感覚の過敏などを特徴とする自閉症スペクトラム障害と呼ばれるもののうち、知能や言語の遅れがないものについてをそう言うのだそうだ。自分がこれまで出会った美的感性に抜きん出た人の多くはまさにこうした傾向に一致する。そもそも人間誰しも自閉症的な部分は多かれ少なかれ持っているし、5~6人に1人以上に発達障害が存在する可能性があるとするならば、発達障害は既に社会の多様性の一部だと言っても良いはずなのだが、いまだ社会はこの多様性を空気のようには感じようとはしていないのが現実。社会のスタンダードは未だ「普通であること」であり、大くの人がたとえ本当は普通では無いと自覚していたとしても、普通という枠組みからはみ出さないようにすることによって社会の安定が確保されている…。そうした社会に蔓延する無自覚な普通の強要こそがこの社会に生きづらさの本質であり、そういった普通が個性を障害にすり替え区別する。多様性と共にある美しさもまた、これによって見えなくなってしまっているのだと思う。

実存主義の代表的な思想家の一人として知られるニーチェは著書「ツァラトゥストラはかく語りき」の中で「神は死んだ」と宣言する。キリスト教が社会の絶対的倫理であった西欧社会のその時代におけるこの宣言はキリスト教の否定として捉えられたとしても無理はない。けれどニーチェが最終的にたどり着いた「超人思想」から遡れば、「神は死んだ」とは、自分の外に自分を支配したり、命令したり、自分を価値づける権威を置かないということ。その神は現代の日本でいえば、偏差値の高さであるとか有名であるとかがそれであり、そうしたの背景には必ず「普通であれ」という権威が横たわっている。

「既存の観念にとらわれない」「リスクがあっても挑戦する」「空気を読まず、自分の信念に従う」といった発想や行動が求められているとは言われてはいるものの、社会は未だ「普通であること」という権利に盲従している。自らが感じる生きづらさの本質はそこにあると気付かない限り、信念や想いによって考えたり行動することのみならず、人種的な多様性、文化やライフスタイルの多様性を自然に受け入れられる社会にはなり得ない。

社会が抱える生きづらさの本質を解く鍵は発達障害かもしれない大人たちが持っているのかもしれない。そんな疑惑を自分にも向けられているのであるとすれば、もう一度ポケットの中を探りその鍵を探してみようと思っている。

誰しもが心は有ると信じて疑わないこともまたこれと同じ。けれど、人間はこの心によって、自然という証明出来ない力の数々を、人智を超越した神のみが成せる力として理解し、この世と自分との関係を保ちながら生きて来たとも言える。どの神々であれ、神を生み出すことに気が付いた人間の心の存在とは、人間の中の最も重要で奇跡的な出来事なのだ。そしてそういったことが、人間がこの世に生きるために必要なバランスを保つための…、言わば自己免疫機能的な役割を果たしていたにも関わらず、現代を生きる人間が得るこの世の情報の大半は、自然から得る情報とは異なる、自らが直接得る情報では無くなり、他者を介した情報が大半になってしまっていることによって、人が人としてこの世に生きるための自己免疫機能に極めて深刻な狂いが生じてしまっている気がしてならない。

アメリカの海洋生物学者・作家のレイチェル・カーソンが1956年に雑誌Woman’s Home Companionに「あなたの子どもに驚異の目をみはらせよう」と題して掲載されていた記事を、彼女の死後、その死を惜しんだ友人らがまとめ出版されたエッセイのタイトルがThe Sense of Wonderレイチェル・カーソン自身はSense of Wonderとは「神秘や不思議さに目を見はる感性」だと綴っている。

いわゆる名言と言われる言葉は大概興味ないけれど、もう随分と前に、the Sense of Wonderをはじめて読んだ時に感じた、言葉が放つ自然さのような感覚は今もずっと残っていて、その言葉は自分が道に迷いそうになった時の道標のような気がしている。

すぐ目の前の車が突然見えなくなるような風と雪が吹き荒れる道を走りながら森のようちえんへと向かう途中、the Sense of Wonderにあったフレーズを思い出していた。It is not half so important to know as to feel.「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではない。それはきっと、この道の先にはきっと自分が探しているものがあるということか。

新潟県上越市にある森のようちえんてくてくは、「NPO法人緑とくらしの学校」が運営するようちえん。・3歳児から5歳児までの野外幼児教育活動・保育・月に1回の森のようちえん(土曜日幼児教室)を行っている。2006年に開園した野外幼児教育 森のようちえんてくてくにやって来る子供たちは、一日の大半を森の中ですごす。http://www.green-life-school.or.jp/

2015年。かつて市営保育園だった施設を上越市より購入し、修繕・一部増築し新しい拠点として開所。冬の間は深い雪に覆われてしまう森ですごすことが難しくなるため、子供たちはここへとやって来る。自分とてくてくとの関係は、この園舎にロケットストーブ式のヒーターをつくることで始まった。http://www.green-life-school.or.jp/facility/facility03/そのてくてくが上越市の認可園となり、これに伴って園舎の一部改修の必要からロケットストーブヒーターの位置もまた変更が必要になり、ちょうど不具合もあったロケットストーブヒーターをあらためてつくり直すことになった。と言いつつ、自分が抱え込んでしまっていた諸々の仕事の都合によって、ストーブ制作は年が明けた2日になってから。強い寒波の影響を心配ししつつ、正月休み中のスタッフにもお手伝いしてもらいながらの作業だったけれど、心配していた日本海沿岸部への豪雪の影響は予想を超え、園舎までの道路が雪で埋まってしまって一時中断。先週は、一昨年の長野市での台風災害の時にできた災害支援チーム、チームSHIROの仲間も駆けつけてくれて除雪作業を行って、今週からは園児たちに見守られながら作業を再開した。

その後、ロケットストーブヒーターをつくってからの5年間は、森のようちえん てくてく へとへを訪れる機会はなかったけれど、「いま」というタイミングにまたここに関われたことは自分にとってはとても重要な出来事であり必然すら感じている。

社会は未だ新型コロナに翻弄される日々が続いていて、それはそれとして心配ではあるものの、正直なところ自分は「神秘さや不思議さに目を見はる感性が失われつつあるいま」のことの方がより深刻だと思っていて、おそらく社会のいまの状況とはそのことと深く関係しているとも思っている。経済とは言わば社会を動かすために必要な燃料であり食物のようなもの。それが無ければ社会は動くことができないのは確かだとは思うけれど、人にとっての免疫が病に対する自己防御機能だとして、社会にとっての免疫に値するものは何かについて考えれば、自分はそれこそがSense of Wonderによって育まれる、美しいものを美しいと感じる感覚、新しいものや未知なものにふれたときの感激、思いやり、憐れみ、賛嘆や愛情などと言った、様々な人の感情の集積なのではないかと思うのだ。

社会がコロナ禍にあると言われるいま。新型コロナに感染するこによって生じる健康被害とは別に、社会に渦巻く様々な不安要素もまた人の健康を大きく阻害する。社会とは人の集合体だとすれば、原因がウイルスであろが何であろうが、人の多くが健康を害すれば社会もまた病んでゆく…。It is our misfortune that for most of us that clear-eyed vision, that true instinct for what is beautiful and awe-inspiring, is dimmed and even lost before we reach adulthood. 残念なことに、わたしたちの多くは大人になるまえに澄みきった洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直感力をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまう。確かに…、レイチェル・カーソンがこう語るように、この社会に生きながら子供から大人へと成長する中で、 Sense of Wonderを保ち続けることは簡単なことではないと思う。だからこそ子供たちに生まれつきそなわっているSense of Wonderをいつも新鮮にたもちつづけることが重要だという言葉についてもそのとおりだとは思う…。

自分がこの社会に何とか生きることができているのは、自分の中にはかろうじてSense of Wonderが保たれているからだと思ってはいるものの、いまはそれを、いままで以上に大切にしなければ、この社会に生きることはできなくなってしまいかねない。しかし何よりも、私たちはすべて社会との関係無くして生きることはできない以上、Sense of Wonderとは自分だけが持てばそれで良いということでは無いし、いまこの社会にはSense of Wonderがまったく足りていない状況に対して、自分に出来ることは何であるのかについて真剣に考え、すぐにでもすべきことに取り掛かる必要性を強く感じている。

自分が少なくとも美術家としてこの世を生きている以上、Sense of Wonderを育む場をつくることこそが自分の役割であると思っていたいし、東京、長野を拠点に、つくり続けてきた場での経験をさらに次の場づくりへと活かすためには、いまはもっともっとたくさんのSense of Wonderとの出会いが必要なのだ。

子供たちの背丈の倍以上ある雪に囲まれた園舎の中、時折、子供たちと話しながらロケットストーブヒーターつくりながら、こうすることが自分にとってのSense of Wonderの育みの場になっているのだと思った。