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Archive for 2011年6月

この世の中に偶然なんてものがあるのだろうか。

それが、“ほんの偶然“であればあるほど、その偶然は、自分であることを探し求めている自分を露出させる鏡のようなものである気がする。

この街に暮らしているのも、私にとっては、ほんの偶然の出来事の一つ。

一人で遊ばせておくには、まだちょっと早い娘との散歩。

公園という場所がどうしても馴染めない私にとって、家からもさほど遠くない場所にあるこの街唯一の大学のキャンパスが、お気に入りの散歩コースとなっている。

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この街の幸いの一つ。

それは、この大学の中にかろうじて残されている緑色のフィールドであり、過去から現在にまでに蓄えられた膨大な遺伝子がそこにはプールされていることだ。
ここで私が偶然出会った植物の数は多い・・。

東京とは言っても、ここまで山に近づけば少しは緑も増してくる。
・・・・・・。

本当は、「増す」では無くて、「残っている」と言うべきなのかもしれないが・・・。
まさか、こんなにも長く、この街に住むとは思ってもいなかったものの、これ以上東にも西にも移動する気にもならない。
もう何年も自分自身がつくりだした境界線上に留まり続けている。
四方を大小の山々に囲まれ、描く絵には、緑色の絵の具は欠かせない地方都市で育った私からすれば、緑の豊かさが気に入ってこの街に住んでいる訳でもない。
・・・・・。
「なら、何が気に入って・・・」という質問には、いつになっても上手く答えられない。

此処という場所が、此処であり続けているから。
私の中の、こちら側とあちら側の間に此処があるから。
だから私はこの街に暮らしている。
・・・と、今は答えることにしている。

娘を連れて大学の裏門を通り抜ける。

植物と大気が複雑に混じりあって放つ匂いの中に、ほんのわずか、土の匂いが含まれていることに気がつくと、木立の隙間から差し込む太陽の光は、幾分緑色に近いことを知る。
木立の上の鳥たちのさえずりに重なって、風が揺らす葉が触れ合う音や、木立の間を通り抜ける音が聞こえ始めると、私という存在もまた緑色のフィールドの一部であるということ。
・・・私たちが以前暮らしていた場所は、此処だったということを思い出す。

すずかけの木の実を、見つけて喜ぶ娘は、あっちにもこっちにもある実を拾い集めている。

彼女が集めるその実は、はるか昔の記憶と、はるか未来永劫まで伝えなければならないことによってつくられている。
彼女によって拾い集められたという出来事は、その実にとってのほんの偶然。
でもきっと、この偶然は、その実の中の何処かが待ち望んでいたはずの一つであって、次の瞬間には、記憶となって、その実の中の遺伝子の一部に書き加えられるのだろう。

そうやって、つくられるもの。
それを自然と呼ばなければならないと私は思う。

私が住んでいる場所・・・・。

私たちが日常的に使っている「住所」というものは、自然という観点を全く含んではいない。
勿論、現代に暮らす私たちが、その便利さや必要性を全て否定することはできないが、住所によって私の暮らす場所に郵便物は届けられたとしても、住所からは、その街の気候や地形、そこに生息する植物の種類を知ることはできないということを、私たちは忘れてはいけない。

私たちの誰もが、すずかけの実の持つ自然さと同じものをその内側に持っているにも関わらず、住所という効率化の手段を、無条件に受け入れることによって、自分たちが緑色のフィールドに暮らすものたちであることの意識が薄れ、其処に暮らす権利をも放棄しようとしている。

そもそも、植物の葉の緑らしさは、他の何物によっても感じられない緑と感じるように私たちはつくられている。

どんなに科学が進化しても、植物の葉の緑らしさと同じ緑色を、私たちがつくり出すことはできないだろう。
それがどうしてなのかはわからない。
しかし、そこには確実に「心動く何か」がある。
私は、その「心動く何か」が訪れる瞬間を逃したくないと思い続けている。
現代という時代に生きる私たちが、私たちもまた自然の一部であるということに気付く瞬間はとても少ない。
少ないからこそ、その瞬間を少しでも多くの人々が共有し、少しでも長くそれを持続させられる場づくりを私たち共通の目的としなければならないと思う。

私たちは長い間、いかなる他の存在にも依拠せずに自立して存在するべきだという幻想を抱いてきた。

それは、自分たちが暮らす場所に対しても変わらない。
自立して生きる為には、緑色のフィールドを支配する力が必要だと思い続けてきたのだ。
そうした幻想は、自然ばかりか、文化や歴史といった目には見えない関係性も含め、全て破壊する。

このような幻想を断ち切る為に・・・。
場所との関係性を築く為に・・・。

私たちは、場所との関係性を生きる植物という存在から多くを学ばなければならない。

植物はまさに、場所との関係性によってのみ生きている。
土地に根を張り、自らは動くことができない、植物にとって、その場所が如何にして持続するかが=自己生命の持続に繋がる。
その特徴は、「次に託す・・」、あるいは、「他の存在に委ねる」といった、人間が抱き続けてきた幻想の逆にある。
植物の場所に生きる関係性は、自らが循環を促す一員となることによって築かれる。

私たちは、今すぐにでも、自分が暮らす場所に根を張る植物に一歩近づいてみることができる。

それが、場所に対しての関係性を生きるということへの最初の一歩となり、循環の一員に加わる意思表示でもある。
私たちは全て、緑色のフィールドに生きる権利を持つ者として、壊れかけた関係性を復元しながら、人間の生活のあり方を再発見し、持続可能な地域に転換する、あらゆる可能性を探り始める。
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痛みや苦しみ
このところ私に起こっている症状についての原因は未だ不明。
いくつかの病院を行き来し、総合病院への紹介状が出て、組織細胞検査?なるものに進んだものの未だ結果は判明せず…、原因が特定できていないのでいまのところ治療は難しいとのこと。
とはいえ、痛みはずっと続いたままなので、それをなんとかごまかす…あるいはそれを忘れられるようなことをしていないと気持ちがすさんでくる。口の内部と喉が火傷に似た状態でもあるので、食べるにも飲むにも痛みが伴うものの蕎麦だけは痛みも感じずに食べることができるのでこのところは蕎麦で生きている感じ。
幸い、熱があるわけでもなく、動くことができないわけではないし話しもできる。
「病気だと聞いたけど別になんともないじゃない」…とか言われたりもして…。
あらためて「痛み」は目には見えないものであることに気付かされます。

皆様から、いろいろなアドバイスやご心配を頂きありがたく思っています。
ご迷惑をおかけしている方、ほんとうにごめんなさい。

生まれてからこのかた、これといった病気にかかることもなく極めて健康、体力も腕力も人並み以上…の自分。おそらくそんな自分への過信、きっとそのあたりに何らかの原因があるのでしょう。
そんな自分について反省しすぐに改めたいという思いはあるものの、何をどう改めれば良いのやら…。
変われない自分にうんざりなのは今に始まったことじゃ無いけれど、なかなか改善しない症状に、焦ってもしかた無い…とは思いつつ、いったいどうなってるんだ自分…と、煩悩にまみれた私の焦りは募る今日この頃です。

…というわけで、私の気は病んでいるのだと思います。
そんな時に自分の足が向くのは「山」。
最近のパワースポットブームで山の中の一点に人気は集中してはいるようですが、何はともあれ、山には気が満ちている…ということは確かですし、山から何かを感じ取って頂けるのならブームであろうがなんだろうがかまわないと私は思います。
気がつけば、先週から今週にかけては何度も善光寺門前町と山の中を行ったり来たりしていました。
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私の父と母、その父と母そのまた父と母…は長野市近郊の山村に生まれ育った人々です。私の先祖にあたる人々がいつ頃からなぜ山に暮らし始めたのかはわかりません。
私はそんな山村と善光寺門前町の境界線上にあるような町…戸隠山や飯綱山を源にする川の流れが最後のカーブをつくり善光寺盆地へとそそぎ込むそのあたり…川の流れの音が片時も途切れることなく聞こえるあたりで生まれ育ちました。
今もたくさんの親戚や友人は善光寺門前町の周辺に広がる山の中で暮らしています。

幼少の記憶の大半は山の記憶。
私の中にある遺伝子はそんな山の記憶で満たされているのだと思います。
山に出かけて気持ちが満たされるのは、遺伝子のプールに蓄えられた山の記憶と私が感じる山の気配が振動し響きあっているからこそ。
おそらく、遺伝子レベルでの体内振動を自然治癒力と呼ぶのだと思います。

山は豊かな恵みをももたらすその一方で、河川の洪水や土砂崩れによって一瞬にして全てを奪い去ることもあります。こうした土地に暮らし続ける人々の中に、山の自然への畏敬の念が生まれるのは当然のことだと思います。
山村に点在するどの集落にも必ず神社が祀られ、はるか昔からそして今も山の神々と共に山の暮らしは営まれています。

とはいえ、町の暮らしは便利さ快適さを増し、それに比較すると山の暮らしは不便だと言われるようになってから随分と時は経ちました。
山に暮らす多くの人々が百姓から農家へ、専業農家から兼業農家と移行してゆく流れは、善光寺門前町界隈の賑わいが徐々に長野駅周辺へと移り変わってゆく長野市街地の変化に比例して進行してきました。
町に暮らす人々の暮らしと、周辺の山村の暮らしが一体となって繋がりあっていた時代、それが、善光寺門前町の賑わいの姿であったことは間違いありません。
そしてそれこそがこの地域でしか成立し得ない「循環型の社会体系」そのものであったと思います。
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東北大震災という惨事は、私の遺伝子の奥底にある何らかを揺り動かしていると感じています。でもその「奥底にある何か」とは何なのか…。
正直なところ、私にはそれがまだわかっていない。
原子力エネルギー利用はすべきでは無い…。
でも、どんなに核の歪みや原子力エネルギー利用の歪を知ってみても、どんなに自然エネルギーへの転換が叫ばれても、私の中の遺伝子は、そうした知識や転換ビジョンぐらいでは振動しないことを感じます。
感覚として何かを感じてはいるものの、それを実感できないまま、あともうちょっと…でも掴めない…とどきそうでとどかないという焦りにも似た気持ちを抱いたまま、震災から100日目を迎えました。
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善光寺での100日法要に娘と参加した翌日、東北大震災から101日目。戸隠の古民家に移り住む友人宅の地鎮祭にお邪魔しました。
この集落は戸隠地区にあるのですが、戸隠山では無く飯綱山に降り注いだ雨の恩恵を受けて農耕が営まれてきた集落。その昔、そこからもう少し下った場所にある集落に暮らしていた人々が開拓し築いたのだそうです。
飯綱山南面から西面に降り注いだ雨は、戸隠連峰の最高峰、高妻山(標高 2,353m)に源を発する裾花川へと集まり、その流れは善光寺平を経て犀川、千曲川へ。その後もいくつもの流れは合流しつつ信濃川となり日本海に注ぎ込みます。信濃川水系の流域面積は11,900 km2、関東平野を流れる利根川、北海道の石狩川についで3番目。

森に暮らすことを決意しこの地に生き続けてきた人々の歴史…。
そこには常に自然との対話を繰り返しながら、自分たちが死んだ後のはるか未来を想像しつつ、自然と一体となろうとした人々の姿…生き様を感じることができます。
この風景の美しさを前にすると、私の遺伝子の奥底にある何らかが揺り動かされることを感じます。

この美しさをどうやって次の人に伝えようか…。
この季節の山々、そして山村の風景はほんとうに美しい。
この美しさは、自然と人々が共に紡ぎ出した美しさ。
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かつて森を開き、村をつくり、自然を敬いつつ、自然との対話を絶やさず山の暮らしを続けてきた人々の苦労は、私の想像をはるかに超えるものだったはずです。
そうした人々が便利さを求めていなかったとは思えないものの、長い年月をかけてつくられてきた山村の風景を見ていると、そこにある便利さは私たちが生きる現代の便利さとは何かが決定的に違うと思えてくるのです。
山の暮らしを選んだ人々は「便利さ」「快適さ」をどのように捉えていたのだろうか…と思います。

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「無痛文明」の著者、生命学者・哲学者である森岡正博氏は、あるエッセイの中で現代社会でもある「無痛文明」を以下のように語っています。

「文明が進歩することによって、何か大切なものを置き忘れてきてしまった、というような牧歌的な次元は終わり、文明は、私たちに「快楽」と「快適さ」を惜しみなく与え、それと引き替えに、私たちから「生きることの深いよろこび」とでも言うべきものをシステマティックに奪い去ろうとしているのではないか、というふうに私には感じられるのである。そして、私たちは、その事実から目をそらすための仕組みを、社会に中に張り巡らせて、私たちがみずからの「空虚」に気づかなくて済むようにしているのである。」

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森岡氏が「無痛文明」と呼ぶ現代社会とは、私たちの身の回りから「苦しみ」や「つらさ」が次々と消去されていくようなシステムであり、目には見えないこのシステムが社会全体をすっぽりと覆いつくし、いまなお、積極的にこのシステムを増殖させ進化させ続けている…そして何よりも、ほかならぬ現代社会に生きる私たち一人ひとりが、このようなシステムを裏側からしっかりと支えてしまっているということなのです。

私たち誰しもが、人生のなかで、つらいことや苦しいことに、なるべく出会わないように願っています。苦しいことやつらいことになるべく出会わないで済むような社会をみんなで作り上げていくこと…そこにむかって皆が協力しつつ歩むこと。その方向・目的には何の間違いもなかったはずです。
しかし、便利さや快適さが日々向上し続け、モノに囲まれ、苦しみから遠ざかり、安定した生活を手に入れ、気持ちのよいことをたくさん経験できるようになったにも関わらず、なぜか心は満たされない…私たちは皆それを薄々感じてはいるものの、ただひたすら便利さ快適さを求め続けるしかないほどに無痛文明は巨大化してしまっているのかもしれません。

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私たち自身がここまで強大化させ続けてきた社会を根本から変えることは難しい。
難しけれどそれをしなければ私たちひとり一人の心にできた空虚さはやがて社会全体を覆う空虚さとなり、やがて疑問も問題も興味も感じない…生きているのか死んでいるのかもわからない…そんな社会がつくられてゆくような気がします。

もしもこの空虚さが覆い始めた社会の中で「生きることのよろこび」…、「生きているという実感が全身を駆け巡るような感覚」を回復させる手掛かりがあるとすれば、その鍵はきっと、「痛み」や「苦しみ」「辛さ」のような現代社会が排除しようとしてきたもの…その周辺にこそある気がしてなりません。

「痛みや」や「苦しみ」は何も病気や怪我だけに限りません。
社会の標準から見たときに「病」として見えるもの…。
なぜか私は幼いころからずっとそんな病的な何かに魅了されてきた気がします。
岩に登ることだけ…それだけを考えていた頃も、PlanterCottageをつくった頃も、善光寺門前に移り住んだ今も…。
この社会であえてArtを選択し、Artによって生き続けてゆこうとすることも社会標準からすればりっぱな「病」なのかもしれません。
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今現在、自分が抱えている「痛み」はもっと大きな痛みを抱えている人々に比べたら取るに足らない痛みなのかもしれないと思います。
でも、「痛み」を感じているのはその人自身であって、そもそも、他人の痛みを自分の痛みと比較することなど誰もできないはずなのです。
そう思ってみると、痛みに大小はありません…。
大切なことは、他人の痛みを自分の痛みに置き換えて判断するのではなく、他人が感じている痛みは何に繋がっているのかということ…その痛みの周辺にある目には見えない社会と同じ今を生きていることを思えば、人の痛みを知る…ということは、実体のない、目には見えない社会を見ようとすることでもあるような気がします。

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町の暮らしは便利で快適です。
山に暮らしてきた人々が便利で快適な町に憧れ、山の暮らしを便利で快適にしようとすることを私たちは誰も否定できません。

山はほんとうに美しい。
この美しさをどうやって伝えようか。

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自然

善光寺門前の表参道は北国街道でもあたったことから、この一帯は門前町であると同時に宿場町の役割も兼ねた町…善光寺町とも呼ばれ、この善光寺町が現在の長野市へと至っている。

このまま東京で暮らすのか、それとも…。

超強力な東京という引力圏から外に飛び出すには、娘の小学校入学という超強力なエンジンを使わせてもらうしかない…タイミングはたった一回だけ。

私たち家族が長く暮らした東京から自分の生まれ故郷の長野へ半ば強引に引っ越すことを決意し…とは言っても、18歳で東京に行ったままだった私にとっての長野は、地図上の長野市よりずっと狭く限られた範囲。
そんな長野で暮らせそうだな…と思える場所となると、その範囲はちょうど自分の通った中学校の通学区程度の範囲とほぼ同じぐらいまで狭まってしまった。
結果、かつて善光寺町と呼ばれた町の片隅に暮らすことに決めたことで、ある意味必然的に、私たちと善光寺門前町との関わりは始まった。

昭和30年~40年初頭頃をピークとした善光寺門前町の賑わいは徐々に長野駅方向に向かって移行する。
中心市街地が駅周辺に向かって移行していった町は長野市に限ったことではないが、善光寺という地域の歴史文化遺産拠点から長野駅という交通・物流の拠点に向かって市街地の中心が移行することは、社会の近代化の方向性からしても必然であったと思う。
ただ、この必然は善光寺がこの地に置かれた1300余年前から続いてきた善光寺を中心とした町の歴史からすれば、これまでにはなかった大きな一大方向転換であったと思う。
そんな中心市街地、門前町では以前から…つい最近まで賑やかだと思っていた長野駅前でさえ、既にたくさんの空き店舗が目立つようになった。
買い物客は中心市街地から郊外へと向かって拡散し、中心市街地としての役割は年々曖昧さを増すと同様に、長野市は今後いったいどこに向かって歩もうとしているのかは全くわからない。

いわゆる中心市街地の衰退ぶりは今に始まったことではない。
自分が小学校に通っていた頃だから、既に30年以上も前には、中心市街地の空洞化問題は「ドーナツ化現象」と呼ばれて日常的によく聞かれるフレーズだったし、門前町からほど近い山間地の人口は減り続け、山村の小学校へ通う子供の数も減る一方だったことは子供だって知っていた。

中心市街地の衰退化と市街地の郊外化、中山間地の人口減少に伴う高齢化…、
こうした「今」はどれも30年以上前に始まっていたこと。
ほんの少しだけでも全体を見渡しこの町の未来を想像していれば、30年後の今はもう少し違っていたかもしれない…。
とはいえあれから30年。
中心市街地には巨費を投じた建物がつくられ、町並みは大きく変わった。
それなのに、中心市街地の衰退化は依然として問題視され続けたまま…。
中山間地の人口減少化や高齢化問題はさらに深刻さを増し、市内いたるところの商店街は疲弊し続けてしまっている。
町の活性化とはいったい何をして活性化と言うのだろうか。

これが経済。
経済が成長し続けるとはこういうこと…。
自分はそう理解している。

ここ最近、門前町はことさら元気をとり戻しつつある…といった感がある。
かつて、中心市街地の中でも特に中心であった善光寺門前町の賑わいが衰退して久しい中、新しいお店ができたり、町のそこかしこで賑わいが創出されたり、新しい住民が町に加わることは喜ばしいことだと思う。
…とはいえ、私たちが暮らす長門町(ながとちょう)の小学生はたった一人…我が家の娘だけ。今年から町の育成会は私が引き受けることになった。
門前町で暮らすという現実の中で、「何ともなぁ…」と思うことは多々あるけれど、光と影が交錯するような「今ここ」を感じながら、自分が次に向かうべきトコロを予感させてくれるのもまた善光寺門前町ならではの魅力だと思う。

かつて、善光寺門前町は長野市の中心だった。それは、長野市がいまよりもずっと小さかった頃、買い物をするにも映画を観るにも全てが此処にしかなかった時代。
門前町にはここにしかない、たくさんの便利さがあった。
やがて、今ある便利さよりさらに便利な便利さを求める人々は増え、便利さへの欲求は加速し、そして善光寺門前町は便利では無くなったのだと思う。

祗園精舎の鐘の声、
諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、
盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず、
唯春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、
偏に風の前の塵に同じ。

善光寺門前町はまさに「諸行無常」

現在の長野市が善光寺門前町の発展した町であることを思えば、この町が何を芯として共同体を築いてきたのか、どの方向に進むべきなのか、町とは何であるのか…について、善光寺門前町のそこかしこに感じることができるはずだ。
そう考えれば、善光寺門前町は既に門前に暮らす人々のためだけにあるのではない。

善光寺の周囲には何層にも重なる山々があり、その山々には山の人々の暮らしがある。
そうした山々を背景として善光寺が置かれその門前に町ができ人々の暮らしがある。

現代に暮らす私たちの視点はどうしても、国宝指定建造物である善光寺本堂を擁する善光寺、もしくは善光寺に極めて近い門前町にだけ気が向きがちだけれど、
そもそも、善光寺とは何なのか…人々は、何を求めて日本各地津々浦々からはるばるこんな山国の奥深くにある善光寺を訪れていたのかを考えてみれば、そこには日本人が持ち続けてきた死生観が深く関係していることに気付く。
もちろん、日本人が全てが同じ宗教を信仰していたわけではないし、同じ死生観を持っていたわけではないだろう。ただ、ほんの少し前までの日本人の大半が、土を耕しながら、日々自然と向き合って生きていた人々であったことを思えば、「人は死ねと土となって自然に還る」という死生観はごくあたりまえの捉え方であったのは間違いないと思う。
こんな自分でさえ…、土を耕してもいないし自然とはたまに関わるだけの暮らしをしている自分でさえも、「死んで土に還る」という表現に何の違和感も感じないのは、土を耕し自然と向き合いながら暮らしていた人々と同じ土の上、同じ時間軸の延長線上に生きているからに違いない。

そうした死生観を考えつつ、もう一度、善光寺とは何なのかを考えてみれば、善光寺の周囲にあるもの…善光寺のまわりの山々やそこから通じる川の流れや門前の暮らしも、これら全てが一体の「自然」であって、この自然そのものが善光寺として立ちあがってくような気がしてくる。

善光寺はもちろん善光寺をとりまく全体性、それこそが「自然」であり、私たちはその自然の中に生きている…「人は死ぬと土となって自然に還る」とは、「人も死ねば自然になれる」ということでもある。
それが成仏であり、極楽浄土とは自然の姿そのものであると善光寺は伝えているのだと私は思っている。

建造物としての善光寺、場としての善光寺はこの全体性を感じる為の中心点、視点、あるいは装置のようなもの。人々は善光寺を参拝することを通じて自分たちが生きているこの世の時間の尺度とは違う時間尺度、この世の範疇をはるかに越えた物事の捉え方、誰しもがやがて向かう「自然」という世界観を現生において体現し、自然との一体感を…、この世の全体性を感じようとしていたのだと思う。
それはまさに究極の持続可能性=sustainabilityの学びの場。
長い歴史の中、人間もまた自然なのだという意識の育みは続いてきたのだ。

環境を守る…あるいは自然を守る…という意識を持つことは大切なことだと思う。
けれど、自然と人間を別のものとして、自然は私たち人間の外側にある状態…という捉え方をしている限り、本当の意味で自然を守ることはできないと私は思っている。
そもそも私たち人間は自然と一体であらねばこの世を生きてゆけないのだ。
自然も人間も同じ生き物。同じ世界を生きている…同じ世界をつくっている。
命あるものはもちろん、土や石や水のような生命が宿っていないものも全て含めて、同じ世界を生きている…。
私たちは「今」そうした全体性こそが自然であると感じなければならないのではないだろうか。

善光寺はそうした意味からして「今」最も大切な役割を担うことができると私は感じている。
だからと言って善光寺への信仰心を持てと言うつもりはまったく無い。
信仰する心とは、強制されるものでも義務でもなく自然でなければならない。
けれど、善光寺に流れる全体性…空間性(周囲の山や川や人々の暮らし…)、時間性(伝説の領域も含めた歴史の流れ)を感じようとしなければ、単純にもったいないと思うだけのことだ。

私たちは「自分」という意識を持って生きている。
自分がある限り、想像は無限、想像は永遠に自由だ。
でも、この自分という意識を持っているせいで、生まれたまま…自然のままに…あるがままに生きてゆくことはとても難しい。
生きてゆく過程で、自分の中に沸き起こる欲望は、自分と他人を比較したり羨んだり恨んだり傷ついたり苦しんだりさせる。
こうした欲望が自分の中に生じることも、生きてゆく上での自然と捉えることもできるのかもしれないけれど、自分が自分であることに打ち拉がれた時、あるがままの自然によって助けられ気付かされることはとても多い。

私たちは全て皆、自然の中に生まれ、自然の中に生き、そして自然に還る。

善光寺門前町の背後には今も自然が満ち溢れている。

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山の匂い

このままじゃどうしようもない…という無力感に覆われ、何かに押しつぶされそうで、それを必死に払いのけようとする時、そんな自分のずっとずっと奥底にほんの僅かながら煙が出始めているような感覚がある。
それは、火起こし棒を擦って火種をつくる時に似て、煙が出始めたこの瞬間からのほんのしばらくが最も辛く、でも火を起こすためには最も大切な瞬間であることに似ている気がする。
もう少し、もう少しだけ我慢すれば煙の根元に火種ができる。
そうしたら、火が産むことができる。

“今”そして“ここ”は間違いなく大切だけれど、今・ここに何を感じ、そして何処に向かうのかを想像することはそれよりも、もっとずっと大切だ。
かつての私たちが今・ここを生きながら、向かおうとしていたその場所に、今、私たちは立っているのだろうか。

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もう何回目になっただろうか。縁があったら長野に移り住もうと思う…という友人の暮らす場所を探しに山に向かった。
彼らはもちろん、彼らにつきあいながら一緒に場所を探している自分も、“今・ここ” を見つめながら…でも、そこに見ようとしている風景は、自分たちが向かおうとしているその先にある風景。
かつて先人達が、目の前に広がる森をわたる風を感じながら、木々をみつめながら、鳥たち行方を目で追いながら、自分たちが向かおうとしている未来を想像していたように。
生きる場所を決めるということはこういうことなのだろうと思う。
今ここに吹く風を肌で感じながら。初夏を感じながらこの場所の冬を、そしてそこに暮らす自分を想像する。

町の暮らしは快適だ。
あの頃と比べれば歩く人の数は少ないけれど、同級生のあの娘が暮らしていた家は無くなって、幅の広い道ができて、自動車の数は随分と減った気もする。あの頃、遠くの山の見晴らしはこんなに良かっただろうか。…空はこんなに広かっただろうか。
町はあの頃よりずっときれいになったような気がする。
でも、何か違う。

町の暮らしは快適だ。
今日の風向きはどっち、
今日の風は山の匂いがする。

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長野市に暮らすようになって、カフェマゼコゼという場所を持ってからは、マゼコゼの小池さん、とかマゼコゼさんって呼ばれるようになってしまって、私たちの屋号…RIKI-TRIBAL(リキトライバル)は殆ど知られていない。
結果、小池さんていつもマゼコゼにいるんですか?とか、ほんとうは何する人なんですか?…って感じで、私が何者なのか知らない人は多いと思う。

RIKI-TRIBAL的には、Cafeマゼコゼは 妻であるつねこさんの担当 、RIKI-TRIBAL的なArt担当が私・・小池マサヒサ。
…??
まぁ、これでRIKI-TRIBALを知って欲しい。。。ってのはどだい無理な話し…。
でも正直
これじゃぁやばい!!…と思う今日この頃

昔も今も、東京に暮らしている時も長野で暮らし始めた今も、RIKI-TRIBALなArt活動?ってのを面倒臭がって伝えていない…伝わっていない。
ほんと…どうしたらいいのだろうか?…誰か教えてほしい…。

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2002年のPlanterCottage外観

 

RIKI-TRIBALという屋号で活動を始めたのが1999年3月。東京の国立市にPlanterCottageという場づくりを始めた時と同時なので、RIKI-TRIBALとしての活動は13年目。
PlanterCottageBlog
できること・していることは昔も今も変わらず…変われず? RIKI-TRIBALは、Sustainabilityをテーマに「場をづくり」を行っています。
Sustainability…持続可能性は、循環が連鎖する状態…ぐるぐる周りめぐって元に戻る…みたいな感じ。
テーマは実に素晴らしいと思うのですが、現実は、日々のあれこれに追われて眼がぐるぐるまわっちゃって、なかなか前に進めない…という矛盾を抱えているのがRIKI-TRIBAL。

 

本屋さんや美容室や飲み屋さんや花屋さんやカフェや○○さん宅をつくったり、大工さんになったり左官屋さんになったり水道屋さんになったり、看板や椅子やテーブルや棚や照明や薪ストーブをつくったり、子供と一緒にキャンプしたり、絵を描いたり工作したり、山に木を切りにいったり、薪を割ったり火を焚いたり…。
まぁ、RIKI-TRIBAL的にあれやこれや色々やってます…ってのが本当なんだけど、そんなあれやこれやを、とにかくみ~んな知ってもらうしかないんだろうなぁ…って思います。

 

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文京区O邸鉄鍛造門扉
私がつくる時、多く使う素材は鉄、木、土。特に鉄は鍛造(鍛冶屋仕事)という手法を用いることが多くて、この写真にあるような大きなものをつくるのは時間もかかるし体力的にも結構大変。

 

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下北沢雑貨屋DJENNE
アフリカに魅せられた女の子が始めたアクセサリー屋(既に閉店しました)砂漠の遊牧民のテントをイメージし天井には海に流れ着いた大量の流木を使っています。

 

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代々木上原の古本屋Lospapelotes
人気の古本屋さん。Art本や絵本もたくさんあります。自分的にこのデザインは結構お気に入り。小田急線代々木上原下車1分です。

 

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国立市の茶道具屋 茶室 虚空庵
残念ながら既に閉店してしまったけれど、自分的にはかなり入り込んでつくった茶道具屋さん。けれど・・・
う~ん、やはり閉店は店舗の宿命か…と考えさせられます。

 

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国立市 A邸のベランダ 空き缶積み+左官
オルタナティブ工法?空き缶積み。 空き缶積みは大きな強度が得られることは研究で実証されています。
それに+左官で自然で自由なラインがつくれるので、私的にはお気に入りの手法です。

 

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横浜市 H邸 アジアンなキッチン
ネパールに何度も旅行に行っているという夫妻の住む家の、洞窟のようなキッチン。

 

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日野市 自然食料品店 自然甲斐

 

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川崎市 M邸 洗面台

 

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吉祥寺 美容室Laugh tab floor
東京武蔵野吉祥寺の、路地裏にある美容室。鉄と土を大量に使い、暗めの照明の店内は美容室というよりはバーな感じ。かっこいい!です。

 

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岩手県葛巻町 森と風のがっこう
岩手県葛巻町の山村の廃校となった学校をつかって続けられている場づくり。
今年から開催される循環の森づくりでは私も講師としてワークショップを行います。

 

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RIKI-TRIBAL 代表

 

…ということで、コンポストトイレについてのあれこれも、RIKI-TRIBAL的なArtな仕事についてのお話しです。

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Q:なぜコンポストトイレなの?って聞かれて、
A:興味があったから…と答えてしまえば、
やっぱり小池さんてちょっと変わってますね。で終わってしまうかもしれません。
だから、今回はちょびっとだけ社会背景も交えながら、自分の浅はかな知識をひけらかしてしまおうと思います。

 

Ecological sanitation…エコロジカル・サニテーションって聞いたことはありますか?
Ecological sanitationは文字にするとちょっと長いので、Ecosan とか Eco-san(エコサン)と書いたり言うことがほとんどです。
これを簡単に言ってしまえば、「生態系を考慮した衛生のしくみ」
もう少し詳しく言うと、
「人や動物の排泄物を、水を使わずに汚染や病気を防止・安全なものに変化させ、農作物の育成に利用する方法」
ようするに、“うンコとおシッコを肥料にしちゃえ!”っていうしくみ…と覚えても間違いじゃありません。

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うンコもおシッコも資源として活用すればゴミじゃなくなる…という循環のしくみそのものがEcological sanitation(Ecosan)
“Composting toilet”はEcological sanitationを具体化する装置です。

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ほんの少し前までの日本には、排泄物(うンコやオしッこ)を廃棄物としてでなく資源として扱い、その中に含まれる栄養素を再利用するしくみが暮らしの中のあたりまえとしてありました。
江戸時代の中期にはし尿のリサイクルシステムが完成し、し尿の買い取りのしくみがつくられていたようです。
江戸時代からSustainability(持続可能性)を学ぶ…は今や常識になりつつあります。

 

昭和に入り工業発展が国の政策として重視されるようになると、次第に農村から都市に人口が集中し始め、し尿の供給はだぶつき始めます。
都市部ではし尿の浄化が必要になりますが、その殆どは海洋投入処分をせざるを得ない状況になります。そして戦後…昭和20年代半ばになると食料不足から化学肥料が大量に利用されるようになり、し尿の需要は更に低下します。
これにさらに拍車をかけたのが、GHQの指導で昭和25年に作成された、「し尿の直接農地散布禁止令」でした。結果、町中にし尿が溢れ、あらゆるところに不法投棄され始めたことで伝染病が大流行。
都市部には下水道の整備と共に超大規模なし尿浄化槽が造られ、発生するし尿の処理が始まり現在に至っています。ちなみに2010年の日本の下水道普及率は73.7%、長野県は78.5%、長野市は84.7%、東京都は99.2%だそうです。
http://www.jswa.jp/suisuiland/3-3.html

Ecosanの取り組みが積極的に行われているのは、先進国側から発展途上国と呼ばれている国々がほとんどです。
でもしかし、こうした国々こそEcosanでは先進国なのです。
ようするに、下水道が普及率が高い国々、都市ほど、エコロジカルサニテーションへの注目度、必要性は低くなるということ。
Sustainability(持続可能性)のリアリティーはEcosanのリアリティーに比例します。
超がつくほどの巨額を投じて建設され維持管理される下水道や汚水処理場が整備されたにも関わらず、下水道を使わない…トイレも水洗化しない…なんて人は、間違いなく変わり者…あきらかにマイノリティーです。
でも、そんなマイノリティーな人々がみんな社会に迷惑をかけている…かけてしまうとは限りません。
でもしかし…そうとは言っても、今の日本の状況を考えれば下水道や下水処理施設型からEcosanに切り替えることはできないでしょう。
だからこそEcosanには大きな可能性がある…もっとたくさんの人がEcosanを知って、そしてEcosanを経験してみてほしいと思います。
それは、私たちが矛盾を抱え込まないための大切な一歩なのです。

 

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言うまでもなく、3.11の被害はあまりに甚大、深刻ですが、電気、ガス、水道といったインフラ=infrastructureの損傷は想像以上に大きく、完全復旧にはまだまだ時間がかかりそうな状況のようです。
各地で上水道が破壊され、水道からの飲料水確保は難しくなっていますが、それ以上に、下水道と下水処理施設の損傷の影響はかなり深刻。上水にくらべ下水は目に見えづらいので気がつきにくいのですが、汚水の処理ができなくなるということは、汚れた水や排泄物の行き場所が無いということ、簡易トイレに溜まった排泄物を収集しても処理することもできなくなってしまうのです。
2011年4月1日の国土交通省の発表によると、岩手県、宮城県、福島県にある下水処理施設147カ所のうち設備損傷が47カ所、稼動停止中の施設が21カ所という状況。復旧には2年から3年かかると見込まれているそうです。
下水処理施設の被害が大きかった理由は、排水施設はどうしても標高の低い場所に作る必要があるため、当然津波の被害も受けやすいから。
東北地方の中でも、下水道が整備され、超大規模なし尿浄化槽による下水処理システムの普及率が高い都市部ほど、事態は深刻です。
こうした現実も、超巨大インフラに頼らざるを得ない私たちの暮らしそのものが抱えてしまった矛盾なのかもしれないと思います。
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私の感性をビリビリ刺激してやまない、故フンデルトヴァッサー氏がデザインした、大阪舞洲スラッジセンター。
当初の計画からかなりの変更を余儀なくされたようですが、それでもフンデルトヴァッサーが下水処理場をデザインしたのか?についてもっと日本人に知って欲しい・・・。
下水処理場には汚水を処理する『水処理施設』と、汚水を処理した後に残る汚泥を処理する『汚泥処理施設』がありますが、この舞洲スラッジセンターは『汚泥処理施設』です。

 

自然界では動物の排泄物は、植物の栄養素を供給し土壌の状態を良く保つという本質的な役割を持っています。
自然界における動物にはもちろん人間も含まれます。

人間の排泄物中の植物栄養素のほとんどは尿中に発見されているそうです。
成人一人当たり年間で約400 L の尿を排出し、それには4.0kgの窒素、0.4kgのリン、0.9kgのカリウムが含まれている。しかもこれらの栄養素は植物に吸収されやすい理想的な状態…窒素は尿素の形で、リンは過ジン酸塩の形で、カリウムはイオンの形でで存在するしていて、尿中の栄養素のバランスは化学肥料のバランスと比べても十分に適しているということです。

あぁ…もったいない、もったいない。

 

Q:ではなぜ?これが使われず下水道に流されてしまうのでしょうか?

 

答えはRIKI-TRIBALまでどうぞ。

 

小池マサヒサ 記

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Cafe MAZEKOZEを運営している私たち…RIKI-TRIBALは、
黒姫高原の麓にある旧開拓農家での暮らしの場づくり…「はらっぱのーと」のお手伝いを始めています。
先週末は台風の影響であいにくの空模様でしたが、日曜日はその「はらっぱのーと」のお披露目?を兼ねた集まりもありました。

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「はらっぱのーと」の場づくりのお手伝いではまず第一にトイレづくり。
いわゆる“ぼっとん式トイレ” を “コンポストトイレ(バイオトイレ)”につくり替えます。
コンポストトイレ…Composting toilet は、今を生きる私たちが忘れがちな「大切な何か」を感じ、気づくためにとても有効なものだとずっと思ってきました。
ですから、先の3.11があったからというわけではありませんが、3.11やその時から始まっている様々がさらにその気持ちを後押ししていることは確かだと思います。

これから少しづつコンポストトイレやその周辺のことについて私(小池マサ)なりにお話ししてみたいと思います。

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3.11によって、社会が抱えた矛盾が見えてしまいました。
抑え込んでいた矛盾を抑えきれなくなった…、
その点からすれば、3.11以前と以後で大きな違いがあるような気もします。
安全・安心の前提が大きく揺らいでしまっているのも、そもそもそこに矛盾があったから…3.11によって安心・安全が抱えた矛盾を抑えきれなくなったのだと思います。
でも…、
矛盾は社会のみならず、人はそもそも矛盾を抱えながら生きているのだと思います。
…自慢なんかできませんが、私をたたけば矛盾と誇り埃しかでてきません…きっと。
もちろん矛盾は無いほうがいいわけで、矛盾を推奨する気もその必要もありませんが、
ただやみくもに、一方的に、“矛盾はあってはならないもの”とすることによって、矛盾は抱え込まれ、隠され、その結果、歪みとなって、さらに大きな大きな矛盾をつくり出してしまうのだと思います。

その解決策があるとすれば、それはきっと「抱え込まないこと」
3.11後のこれから。
「抱え込まなくていい」 そんなコミュニティーをつくりたい 心からそう思います。
安心や安全、便利さ、快適さ… 矛盾はどうもこのあたりに溜まりやすいということを多くの人々に気づかせたのが3.11なのかもしれません。

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何億年、何万年という時間軸上のほんの一瞬である「今」を生きている私たち。
この世の中の全ては例外なく「今・ここ」を共有し…関係しています。
そうした関係が集まってつくられる網の目の中に、「今」そして「ここ」もあるのだと思います。
この一瞬である「今・ここ」は、例えれば、薄い一枚の紙の厚みのようなもの。
紙一枚の厚みを目で測るのは容易ではありませんが紙が何枚も重なれば厚みも目で計れるように、「今・ここ」が積層した結果が歴史時間という厚みとなって私たちに見えてくる、把握できるようになるのだと思います。
そして、薄紙一枚である「今・ここ」、その薄紙一枚一枚のあいだ…そこにあるのが関係性。関係性は厚みがありませんし目にも見えませんからそんな関係性だけが幾ら積み重なっても同じこと。
でもそんな厚みも無い、目にも見えない、曖昧で捉えどころの無い、あるか無いかもはっきりしない…そんな関係性によって「今・ここ」は積み重なり、それはやがて歴史として語られるようになる気がします。

私の最大の興味はそんな関係性。
RIKI-TRIBALでは、この目には見えない関係性を実感する為の有効な方法として、Artに、そして、自分でつくること に注目してきました。
とは言え、Artならなんでも、自分でつくればどんなものでも、関係性を感じられるとは限りません。
あたりまえなことですが、やはり重要なことは、「どうやってArtするか?」「どのようにつくるのか?」
自らの感性の働きによる『気づき』がそこにはあるのかどうかということだと思います。

私はずっと美術家でありたいと思い続けてきましたし今もその気持ちに変わりはありません。美術家とは職業というよりは、自らの感性の働きによる『気づき』を他者に示す生き方のことだと思っています。
もちろん私は作品もつくりますが、それはあくまでも生き方が招いた結果。
食事をして消化吸収して最終的に排出され出てくるアレのようなものです。
こんな例えを持ち出すと、私の作品は買ってもらえなくなりそうですが、Art作品の本質ってそういうものだと思っています。排出されたものだからといってそれが全てゴミ…つかえないもの…という意味じゃないんですね。人がゴミだと思っているものも私にとっては宝だと思うものはいくらでもあります。
そう、ボロボロの空き家なんてのもそうかもしれないですね…。
この続きの話は長くなりそうですからまたにしようと思いますが、だからこそ、コンポストトイレ…Composting toilet は、私を魅了してしまうのです。

それが自らの感性の働きによる気付きなのかどうかを判断することすら難しい現代社会。
「気づき」に対して常に敏感でいることはとても難しいことだと思います。
目には見えないものを感じようとし続けることは「今・ここ」を捉え、積み重ね、そして歴史となる為にはとても大切なことだと思っています。

それでは、今回はここまで。  小池マサヒサ記

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The Humanure Handbook の2005年版
これまでに全米だけでも40,000冊売れ、現在は10ヶ国語に翻訳されているようです。
日本語版はありません。初版がMAZEKOZEにあります。

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The Humanure Handbook is available in Hebrew(イスラエル語版)

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The Humanure Handbook is available in Korean(韓国語版)

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