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Archive for 2012年9月

先日、マゼコゼに来てくれた友人から、本棚の本を見ながら「若林奮は先生なの?」と質問された。
彼女はマゼコゼの客さんとして知りあった方で、私が勝手に友人と言ってしまっているだけなのだが…彼女も大学で絵を学び、いまは絵を教える側にいるからだろうか、会話の数は少なくともなんとなく通じあえるような…そんな気持ちを勝手に抱いてしまっている友人。
そんな彼女が若林奮が著した本を見て、私にそういって質問したのは、彼女も同じ本を持っているからということだった。

若林奮という彫刻家が亡くなってもうすぐ9年になる。
戦前に生まれ、その後の戦後という時代の真っ只…高度経済成長期に生きながら、常に日本の現代彫刻・現代美術を牽引し続けた彫刻家ではあっても、没後9年…時代はさらに加速度を増し変化し続けているいまという時代に於いては、たとえ美術大学の学生であったとしてももはや若林奮という彫刻家を知る者は少ないのかもしれない…Artに興味がある人や美術を学んでいるという学生に向かってあれこれと作家の名前を出して話しかけてみても、話しが続かないことに驚くことは少なくない。
もちろん、学生に限らず、私たちは皆、変化し続けるいまという時代を生きる為にどうすればよいのかを考えるは当然のこと…そう思うと、知識として作家の名前だけを覚えることにはさほどの意味が無いと変化するのも時代の変化なのかもしれない…。
でも、それがたとえ過去の作家だったとしても、作家がその時代とどのように向き合い、その結果何を残したのかを知ることは、いまを生きる作家が、“いまをつくるため”にとても大切な…大きな力になると私は思っている。

こうしたことはたとえ美術周辺に見え隠れすることであったとはしても、それだけいまという時代が、絶えず流れる時間の表面に見える出来事だけに人々の意識が集中しているということなのかもしれない…。
流れ去ったものを思って引き返してみたりすればたちまち流れの奥深くにのみ込まれてしまうのではないかという不安を絶えず抱えながら、時の流れの表面だけに意識を集中させなければいまを生きることは難しいと思っている人は多い。

若林奮は、人間と物質…ありとあらゆる自然の状態との境界にあらわれる空間や時間についてを思索し続けた彫刻家だ。
若林による、震動尺という作品は、そうした空間や時間の中に微かに現れる震えの瞬間を捉え続けようとした作家の執念の塊とも言える。

私はそんな若林の残した執念を思う時、若林奮という作家と自分との間に現れる空間や時間を感じる。
そして、決して止めることのできない時間…絶えず流れ続ける時間の中に生きている自分をあらためて確認しながらも、目の前にある時間や空間は自分という存在の働きかけによって確実に震動しているのだということを感じる。
そうした僅かな震動はやがて別の誰かが震わした震動と連鎖し、そうした震動の連鎖がいずれ、いまという時代、ここという場所をつくり出すことにつうじるのだ…と思う。

近いうちに、美学創造舎マゼコゼ では、「若林奮ノートを読む」という場を始めようと思っています。
ご興味ある方、是非ご参加ください。

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共同体

共同体はCommunityと同義として語られることが一般的だ。Communityとは、同じ地域に居住して利害を共にしつつ、政治・経済・風俗などにおいて深く結びついている人々の集まりを示すとされている。このCommunityを日本語に翻訳すると共同体ということになるのではあるけれど、既に現代の日本においてコミュニティーは既に日本語となって久しく、いまさらCommunityだのコミュニティーだの共同体だのと疑問を持ち込んだからと言ってどうなるわけでもない…とは思うのだが…

とはいえ、私は何もこの翻訳について文句があるわけではない。こうして書き出してしまったことに理由があるとすれば、共同体という日本語が私の頭の中を駆け巡ってしまったから…。共同体=Communityなんだろうかという疑問が私の思考を占拠してしまったから…。
私が共同体という言葉を用いる時と、コミュニティーという言葉を用いる時…そこに少なからずの違いを感じるがゆえに、言葉を使い分けている自分がいる。

以前、「コミュニティアートの今~日英の対話から~」と題した特別公開ラウンドテーブルに参加したことがある。イギリスからお招きした講師の方に基調講演をして頂いてから日本のコミュニティーアートの現状と可能性を探るといった内容だった。当時私は、東京都国立市に暮らしていて、その国立市で、文化庁の助成事業「文化芸術による創造のまち」の一つ…「くにたちアートプロジェクト」の実行委員会として、また、くにたちアートプロジェクトの中の幾つかの事業に関わっていたことからの少なからずの使命感もあって、CommunityArtを無視することはできなかったという背景もある。
ただ、あの当時もいまも、私にはCommunityArtしている…という意識は全くと言って無いものの、私が関わりを持って進めている「場づくり」がCommunityArtと見られることや、私の活動の大半がCommunityにおけるArtの可能性を探り続けている…という点から、そもそも小池さんのArtとCommunityArtの違いは何であるのか…と質問を投げかけられることは多い。

ただ正直言って、私にはどうもCommunityArtという言葉が入ってこない…それはコミュニティーアートでも同じことだ。
私自身それはいったいどうしてなのだろうとずっと思ってきた。
と同時に私は、Artには私たちがCommunityにできた、大きくて深い溝の上に架ける橋となり得る可能性があると信じてきたしそれはいまも変わらない。

でも、いくら信じていようが経済は私と無縁では無い。様々な活動に対して経済的な問題は大きく重く私の上にのしかかっている。
もちろんそれは私の問題…それは私がそれをしているから…であって、Artの可能性そのものは私に資金があろうがなかろうが全く変わることは無い。ただ、私が抱えているこの問題…Artと経済の関係についての問題をいつまでも先送りにしていては、所詮Artは絵に描いた餅だと言われつづけるだろう。

「無いのなら無いなりに…、有るなら有るなりに…」という方法…自分の生き方はこの先もどうやら変わりそうもない。
でも、「無いのなら、無いからつくるしかない」…そうやってもがいていると、不思議なことに、その先に様々な共同の姿が見えてくる。そこにCommunityとは何であるのかが見えてくる…。
つくるために、Communityと関わるうちに、つくろうとしていたものは変化せざるを得ない状態になることもある…。
でもそうやっているうちに、自分が本当につくりたいものが何であるのかが見えてくるような気がする。

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見失う

私が美術家という生き方を選んだ理由は幾つかあるけれど、なにより、長野という地に生れ、その地で幼少から少年期をすごしたことは、その後の自分の選択に対して常に大きく関係していることは確かなこと…だとすれば私にとっての美術家という生き方は、ここ…長野盆地の北西…善光寺にほど近い山と町の境目あたりに生れ育ったから…と答えることもできる。
ただ、これが理由だと答えてはみても、それがどのように伝わるかのはわからない。自分が選択した美術家という生き方と生まれ育った風土との関係は理
解されないまま…結局は美術家とは理解しがたき生き方だと思われてしまうことに気が引けてしまう自分がいる。

何を弱気なことを言っているんだ…そんなこと気にしているようではダメだ…美術家という生き方とは美術家たる自分の信念を貫き、いばらのごときこの世を突き進むことにこそ意味がある…と言われるかもしれない。
…でも、この国が戦争をしたという事実は薄れ始め、高度経済成長期とも言われるような時代の真只中で学生時代をすごし、そうした時代のさなかに美術やArtに触れた自分は、正直なところ、そうした気概が美術家にとって必要であると言われようが…誰からの理解も得られなくとも貫き通す信念を持った美術家であろうとは思ってはいない…。
…とはいえ、私から見える…私の視界のはるか前方にいる美術家・芸術家には、美術家・芸術家あらんとする強靭な精神力を感じるしその姿に憧れもする。
その姿は、たとえ誰からの理解を得られなかったとしても貫き通そうとする信念そのもののとして映る時もある。
それが世間そのものでもある私たちが美術家や芸術家に対して押しつけた幻想のようなものであったとしても…そうした世間がつくりあげた幻想の中にあえて生きようとするのもまた美術家であり芸術家なのかもしれないと思う自分もいる。

Christo and Jeanne-Claude は、私が美術家という生き方を選択する上でとても大きなきっかけをあたえてくれた美術家だ。
共に1935年生まれのクリストとジャンヌクロード(ジャンヌクロードは2009年に他界)は、1960年初頭から現在に至るまで「芸術とは何か」を社会に問い続けてきた。とくに、プロジェクトとも呼ばれる巨大なアート作品の制作にあたっては、作品設置の舞台となる場所の住民や行政との交渉他、様々な人々の理解が必要であり、時にプロジェクトそのものに対する反対運動や「芸術か否か」といった論争にも巻き込まれながらも、全て自ら巨額を集めプロジェクトを遂行している。

私はその作品性に芸術家の並々ならぬ強靭な精神力を感じはするものの、誰からの理解も得られずとも貫き通そうとする精神性…は全く感じない。
住民や行政との交渉、資金集め、制作に対する協力の要請…なぜそこまでして…と思う程に深く人と関わりあうクリストとジャンヌクロードの生き様に、この社会にとって芸術が果たす役割とは何であるのかを考えさせられる。

人と人のつながりが希薄になったと言われる昨今…人がつながることが大切なことは私たち誰もが感じている。
でもそうした“つながり”は無くなってしまったのだろうか。
私はそうは思わない…私たちはつながりとは何であるのかを見失ってしまっているでけなのではないだろうか。

クリストとジャンヌクロードは、そこに美しさがあると感じた時、その美しさを自らが見る為に、多くの人を巻き込みつつそれを見ようとする。
そうした想いの実現には、膨大な年月と労力、そして巨額の費用を必要とすることもあるけれど、「美しさ」とは瞬間でもあり永遠でもあるということを私たちはその作品からまざまざと感じることができる。
長い時間と膨大な努力の積み重ねによってしか見えてこない美しさもあるけれど、それでもこの世に美しさがあり続けていると同じように、人々はずっとつながり続けている。…にも関わらず現代に生きる私たちはその事実を見失いがちなのだ。
それはどうしてなのだろう…。
クリスト&ジャンヌクロードは、いまを共に生きる私たちに対して、いまここにしか無い美しさとは何であるのかを見せてくれる類まれな美術家であると私は思う。

http://christojeanneclaude.net/

Wrapped Reichstag (Project for Der Deutsche Reichstag – Berlin) 1971-1995

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Sustainableは、【形容詞】持続できる、耐えうる…と日本語に翻訳される。
言葉を日本語に翻訳するとは、その地域で使われている言葉が意味するところと日本という風土上で意味するところの接点を見つけ出し、それを言葉としてあらわすということだ。だから、日本にはそもそもそういった概念が見あたらない場合には、ここに既にある言葉に無理やり置き換えるか、さもなければ新しく言葉をつくるしかない…ということになる。
もちろんそれは英語に限ったことではないけれど、
外国語を理解するのは極めて難しいことであることを私たちは忘れがちだ。

Sustainableは持続性、Sustainabilityは日本語で持続可能性という意味として語られている。私がSustainableという意味について理解したいと思ったは、いまからさほど前のことでは無くて17-8年前…“Earthship Volume 1”という一冊の本を手にしてからのことだ。

たまに「私を変えた一冊」なんていう企画に出会うことがあるけれど、私にとってこのEarthship Volume 1という一冊は、私自身の生き方や方向性を変えたという意味での一冊ということでは無い。
ただ、Earthshipと“Sustainable”という言葉が自分の中の何かを大きく揺れ動かしたのは確かなことで、いま私が RIKI-TRIBAL Sustainable Artworks と名のりつつ活動していることとEarthship の間には大きな関係がある。

Earthships: Radically sustainable buildings made with recycled materials.
建築家 マイケルレイノルズは、この考え方、方法に基づきながら、40年以上もの長きにわたって彼なりのSustainableを実践し続けている。彼の考え方そして行動に共感した人々によってEarthship Biotecture という動きがつくられ、その活動は世界各国に広がり行われている。

Sustainableは、単に自然素材や廃材を用いれば実現するわけでは無い。木や土のような素材を用いた家づくりや自然エネルギーを活用した家づくりが間違っているとは言えないけれど、そうした素材や工法は単に表記にすぎないのではないか…持続可能な歩みにとって重要な、私たち一人ひとりの暮らしがこの世の全てと繋がりあっていることによって成立しているということを実感できる社会を築こうとする気持ちがそこにあるかどうかを抜きに語ることはできないと私は思っている。

小池さんは、木や土が好きなんですね…と言われることは多い。
確かに木や土は好きだけれど、ファーストフードチェーンのハンバーガーも嫌いではないし、コンビニエンスストアーだって使う。ディズニーランドには遊びに行ったことは無いけれどつくりには何度も行った…。
…とはいえ、自分の興味はSustainableにあるのは確かであって、それを阻害するであろうものはできる限り無くしてゆきたいとは思っている。…でもだからと言って、そうしたものが、この世の循環を全て阻害しているのかどうか、私にはまだわからないことだらけだ。

だから私は、それを実践し続けるという人間力からSustainableを学びながら、また私もSustainableの実践者なりたいと思う。
Garbage Warrirorとも呼ばれる建築家マイケルレイノルズが現代社会が生みだした廃品をつかって何をつくりだそうとしているか…彼はそれをつくることによって何と戦っているのか…。Sustainableと言う意味はそんな彼の行動の中にあると思う。

GARBAGE WARRIOR   www.garbagewarrior.com

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放す

自分が日々思ったことやずっと考え続けていること…自分の内に起こった心の動きなどはできる限り話すように…と言うよりは自分からできる限り「放す」ようにしてきた。
悪く言えばそれは責任の放棄のようでもあるし、良く言えば自分の言葉の自由を認めてあげるということになろうか…。

自分が放した言葉は、やがて何処かに…誰かにぶつかって、やがて自分に向かって跳ね返ってくる。そうしてそれを自分がつかまえた時にはじめて、自分が放した言葉は何を言うための言葉であったのか。言葉はどの
くらいまで届いたのか。今もなお返ってこない言葉は何か。自分はあれからどのくらい成長しているのか…がわかってくるような気がする。

だから、“言葉を放す”とは言ってはみてはいるものの、それはいずれめぐり巡って自分へと戻ってくるということ…それは昼と夜のような…言葉もまた循環の中に存在しているという現れ…であると言ったほうが良いのかもしれない。

なぜ…。
それはきっと、この世を生きている以上避けることのできない歪を感じているからではないか…と思う。
そうした歪をため込んでしまいすぎればやがては病気になるし、この世を生きていることさえ辛くなる。息のつまりそうな生きづらさや、どうしようも無いと思ってしまいがちないまここ…歪に悩み苦しむ私たち…。
でもきっと、この世がこの世としてあり続けてきたなかでずっと変わらずあり続けてきたもの、それも歪なのではないか。私たちは歪を感じることによってこの世を生きている。

重力は私という存在がこの世に生き続けるためには無くてはならないものだ…ただしその力は絶大。
岩にしがみつき、自分の身体が壊れるぎりぎりまで重力を感じながら、重力に挑みかかってはみるものの、力尽きやがて地面に叩きつけられる。何度やっても同じことだと知りながらも、それでもクライマーはそれを繰り返す。
その繰り返しの中でいま自分が挑みかかろうとしているものが見えてくるまで。

単に歪を歪として遠ざけたり無くしたりするのでは無く、歪をとことんまで引き寄せることによって、私たちが生きているいまここが見えてくるのではないか…生きずらさとは歪があるからでは無く、歪を避け、遠ざけ、そして隠そうとしているからなのではないのか…。

言葉を解き放つことによって言葉は歪み、やがてまた自分へと戻ってこようとする…その歪んだ言葉の先にいまここを生きる為に必要な力を私は感じる。

Siegrist sticks the move to Red Rock’s hardest climb, Secret 13 (5.13d).

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人助け

娘が学校に出かけていって間もなく。pisuはいつもより散歩に出かける時間が遅いとそわそわしはじめた頃、外から電動ドライバーを使っている音が聞こえてきた。
こんな早くから、ご近所の家の修理かな…と思いながらpisuを連れ外に出てみると、先ほど外から聞こえてきた音と同じ音がご近所のお宅の自動車から聞こえてきた。
夏場の自動車は想像以上に電気を消耗するらしい。
キュルキュル…きゅ…グきゅ…カチカチカチ……見ている間についに音もしなくなった。

私が自動車の免許を取ったのは19歳の夏…そして20歳になってからだったか…知りあいの中古車屋さんから3万円で車検切れまじかの車を譲ってもらった。
その車が廃車になってからも、2万だったり、タダだったりと中古自動車を乗り継ぎ、未だに新車を買ったことの無い自分は…安物買いの銭失いなのか…。自分には車とはどこかがくたびれているもの…という考え方が沁みついてしまっていて、バッテリー切れで動かない車を前にいままでに何十回も“電気をもらったりあげたり” を繰り返してきたような気がする。だから、自分の車の中の必需品NO1は「バッテリーケーブル」No2 は牽引ロープ。この二つだけは何処に行くにも欠かせない。

…とは言え、こんな私のような物好きはともかく、ハイブリットカーが主流になりつつある昨今、おそらくバッテリーケーブルを車の必需品として携行し、その上、いざとあらばすぐ出動!…なんて人が多くいるとは思えない…。
町には便利なお店がたくさんあるし、携帯電話一本で何処にいても駈けつけてくれる特約のついた自動車保険もたくさんある。
走っている自動車を止めて、「すみません、バッテリーがあがってしまって…」と助けを求めたところで、問題が解決する可能性は極めて低い…。
それどころか、「…ざけんな、馬鹿野郎!自動車屋に電話しろよ!」…と言われるのが怖くて、とてもそんな気にはなれないのがいわゆる一般的な感覚なのではないだろうか。

こういった場面に遭遇するといつも思うのは、「当事者からは頼めないんだよなぁ…」ってこと。
こういった時、これを見た人が「どうかしましたか?」と切りださなければ、その先には決して続かない…。
これが現代における象徴的なコミュニケーションの道筋であるような気がする。

こうした時、「どうかしましたか?」と、声をかける側の決意こそが試される。
もし声をかけて振り返った瞬間に、「気にしないでください」…ときっぱり言われたらどうしよう…と思ってしまうのだ。
気にしなければ…関わりあいさえ持たなければ、お互いに嫌な想いをしなくて済む…という思考は、人と人のつながりを最も阻害する要因となっている。
もちろん、感謝されることを期待して声をかけるのはどうかと思うけれど、感謝されることを期待した優しさが現代社会には蔓延しているのもまた事実…。

これから起こるであろうことに対して、何はともあれ「恐れが優先してしまう」こと…この背景にあるものに目を向ける勇気無くして、「人と人のつながりが大切…」なんてことは言えないのだろうな…と思った今日の朝だった。

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善光寺平

いま私たち家族が暮らしている善光寺門前町は、善光寺平(長野盆地)の北西に位置している。
言うまでも無く、善光寺門前町とは善光寺という寺がこの地にあったからこそ開けた町。
善光寺がいつからこの地にあったのか…それについて「善光寺縁起」のような文献はあるものの、そこに書かれている内容はほぼ伝説…。しかし、そうした伝説として語り継がれること自体が善光寺が善光寺たる由縁であると思う。

この世には、知った方が良い真実と、知らなくても良い真実がある…と私は思っている。善光寺の起こりを知ろうとすることが無意味であるとは思わないけれど、それがはっきりしないからといってどうなるだろう…もしもその真実が解明されたとしても、おそらくは何も変らないと私は思う。

自分は特定の宗教宗派を信仰する信者ではない。…とは言っても無神論者でもない…と思っている。
善光寺を信じているとも言えるし、信じていないとも言える。
信じるということは、神や仏が存在するかどうか…それについてのYes or Noでは無いと思っている。正直言って、神だろうが仏だろうが何でも良いしそんなことはどうでもいい…。
ただ私は、私たちが生きるこの世とは、目に見えるものと目には見えないものによってできていることを信じている。

人々の想像が想像を生み、人が生きてゆく上で必要な創造性を育んできたそのもとに善光寺があったのだとしたら…。もしそうだとすれば、そこにはもしかすると私が追い求めている「美」の本質があるのかもしれない…。
そう…。私はなんとなくそれを感じたからこそ、自分が生まれ育ったこの土地に家族を連れ戻ってきたような気がしている。

善光寺がなぜここに…
なぜ、広大な盆地の北西の片隅に築かれたのだろう…。

善光寺を訪れる時…石畳の参道を歩き山門をくぐった途端、視界に飛び込んでくる、善光寺本堂に圧倒される。
ほんとうに素晴らしい建築だと思う…この建物がつくられた頃のことを想像するだけでも胸は高鳴る。
…でももう少し遠くから…もう少し高くから善光寺を想像してみてほしい。
そしてかつて、門前町にこんなにも家々が立ち並んでいなかった頃を。
善光寺本堂よりも大きな建物なんて一つも無かった頃のことを…。
私は、そうして想像できるもの…それこそが善光寺だと思っている。

(写真:信濃水内彦神別神社遺跡之図 長野市立博物館蔵)

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