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Archive for 2013年3月

人間の思考のうち、自分自身で自覚ができている部分はおよそ10%程度らしい。
意識として外部に見えている表層部分に対して深く影響を与える深層部分…すなわち深層心理は、幼少期や思春期における体験や事故や失敗などの劇的な体験などによって形成されると考えられているが、そうした深層心理に大きな傷を負った場合はトラウマ(心理的外傷)となり、パニック性障害や強迫神経症、心的外傷後ストレス障害(PTSD)など…その後の行動に多大な影響を及ぼすこともある。

自分の思考でありながらも自分の意識では制御しようの無い思考…そこには『心』が多大に関係しているとはいえ、その『心』とは私たちの思考では計り知れない摩訶不思議な何かである。

東京から長野市に暮らしの拠点を移して4年…最近になってようやく『ここ』…長野というところがどんなところなのかが見えてきたような気がしている。
ただ、『ここ』が生れ故郷であるとはいえ、いまのところは『ここ』ですごした年月の大半が、いわゆる子供時代であったことからすれば、自分の深層には、幼少期から思春期における体験…子供の視点によって見たり感じたりしたことによってつくられた『ここ』のイメージがその大半を占めているとも言える。
イメージがそうした深層にあるものである以上、深層心理そのものがはたして無傷なのかどうかすら当の本人ですら解りようは無いということだ。

4年前…とにかく私は家族を連れ『ここ』に戻ってきた。
それは私の表層にあらわれた意識がそうさせたというよりは、私の中の深層にある何らかの意識がそうさせたのかもしれない。
もしかすると、東京という土地で生きることをつうじて、私の深層は大きく傷を負ってしまっていたのかもしれない…。

幼少期から思春期という成長と共に積み重なってつくられたであろう『ここ』に対するイメージは、既に自分にとっての深層心理として強く表層部分に対して影響し続けていることは間違いないけれど、いま自分が重要だと感じているものは、その深層心理では無く、そうした深層心理の上に折り重なった体験や思考によって様々に現れる『差』あるいは『歪』のようなものだ。

その後、東京という土地で長く暮らすことによって育まれた 見かたや考えかたによって『ここ』…長野という場をイメージし、それを自分の深層部分の上に重ねあわせる地味な作業…何をどう重ねあわせてみるかによって『差』あるいは『歪』は異なって現れる。

時に作品としてあらわすもの…あるいは、仕事として表現する様々なものは、私が感じた『差』あるいは『歪』の先に生じる“何か”ではあるけれど、それらは私の深層心理の上に重ね合わせることによって現れた…いわば私にとっての主観…私が勝手にそう感じただけのもの…、
作品や表現が必ずしも鑑賞者を納得させられる『差』や『歪』であるとは限らない。

美術とは何か…なんてことはもはやどうでもよいことだ。
私は美術のための美術には全く興味が無い…。

自分の心の奥底を…自らを覆う堅い表層の奥底にある自分自身ですらコミットできない深層部分を想い続けたい。
それは何かをつくるためでは無い。
それは私たちを含むこの世に存在する全ての「いのち」を輝かせ続けるためのエネルギーは私の内にある ということを信じ続けること。

未来とはその先に在り続ける姿だと私は思う。

DerekJarman(デレク・ジャーマン:映画監督)は、チェルノブイリ事故のあった1986年、原発にほど近いイギリス南部ダンジェネスにあった漁師小屋を手に入れ、それからの7年間、ProspectCottageと名付けた小さな小屋とその庭についてのノートを1994年 エイズによって亡くなるまで書きつづけた。

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マゼコゼの店の看板の下にもう一つ…小さな看板らしきものがある。
それは私たちが東京 国立市で運営していたPlanterCottage(プランターコテッジ)で使われていたもの。
建物の老朽化による取り壊しと同時に13年間の活動を終えたのが昨年5月。
6畳一間と4畳ほどのキッチン、一坪ほどの元風呂場を改造した小部屋、トイレ、天井裏につくった屋根裏部屋 からなる小さな空間にあった荷物を片付け、そうした荷物と一緒に長野に持ち帰ってきたのがその看板。
赤く塗った木の板に白い字で「図書館ギャラリー」と書かれたその小さな看板は、私たちが長野市に移り住んだ後、仲間たちがつくってくれたもの。
私と妻がつくったその場所ができて3年目だったか。
娘が生れ、自分たちが生きてゆく方向を…自分たちがここでできることはいったいなんだろう…と考えた末に出した答えが、PlanterCottageを「図書館ギャラリー」にするという選択だった。

私たち家族が国立市を離れて4年、PlanterCottageの活動が終了して約1年。
PlanterCotattageで私たちが何をしようとしてきたのか…、13年という年月をつうじてあの場が私にとって、そしてあそこを訪れる様々な人々にとってあの場が何であったのかを説明することはとても難しいけれど、半ば強引に仲間たちにあの場の全てを押し付け、私たち家族はそこから250kmも離れた長野市へと勝手に移り住み、新しい場づくりを始めた。それはPlanterCottageという種がここではどんなふうに育つのか、どんな花を咲かせるのかをみてみたいと思ったからだ。
…。
それは自分の…美術家のエゴだと言われてもしかたないと思う。
手入れもままならない厄介な植木鉢を仲間に強引に押し付けて…
家族を道連れにしてまで見たいものなどあるのか…。
もしもそれがあるとしても、そうすることにいったいなんの意味があるのか…。
それを説明することもできないままに、やらずにはいられないこの衝動を抑えることもできない自分とはいったいなんだ。
幸福は近づいているのか遠退いているのか。
そもそも幸福など考えたことがあるのか。
つくることによってたえず矛盾と不安を抱え込み、腹も懐も満たさなかろうが夢を語り続けるその瞬間に…ほんの一瞬だけ感じるあの何かに「生」を感じ…その一瞬を感じることでしかこの世を生きていると実感できない自分とはなんだ。

長野市に暮らし始めて5回目の春。
「どうしたら可愛くなるかなぁ。」
今日 娘は友達とお花見するんだ…といって、朝早く起きて妻と一緒にお弁当をつくっている。

それぞれの生を感じながら生きている。
種はようやく根付きはじめたのかもしれない…と思う春の朝。
マゼコゼも少しずつ「図書館ギャラリー」になってゆくのだと思う。

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