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Archive for 2013年4月

PlanterCottage(プランターコテッジ)は、東京都国立市で私と妻(RIKI-TRIBAL)
そしてここにを訪れる人々が参加することによって行われた場づくりの名称。
昨年5月、建物の老朽化による取り壊しを期にその場づくり(制作)は終了した。
私たちは4年前、PlanterCotttageで採れた種を此処(長野市)に撒いてみることにした。その種は いまここ で成長し続けている。
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以下は、いまから10年ほど前にPlanterCottageについて書いたもの(一部省略)

“PlanterCottage”

Planter 1:植える人・耕作者 2:開拓者 3:植物栽培容器
Cottage  1:粗末な家・小屋 2:小さな家 3:別荘

始まり
1999年の冬の終わり。
私と妻は築33年の木造平屋の集合住宅の一部屋を借りることにした。
植物は「此処という場所」と「今という時間」を正確に知る生き物だと考えていた私は、その場所に草と種を植えてみることにした。
それは、その場所から植物に向かって語りかける最初の言葉となった。
それから5ヵ月後の初めての夏。
私たちは、ここを PlanterCottage (プランターコテッジ)という呼ぶことにした。
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目的
1:次に向かうべき場所を知ること。
2:次に伝える必要があることが何であるのかを知ること。
それによって、『今を知る力(知識)と次に進む力(行動力)を持つこと』

私たちはそのための一つの方法として、「植物と人の共生」について考えることを選択し、その為の拠点となる場所を用意することにした。

私たちの行く先に何があるのかを私たち自身が知ることはできないが、此処という場所が、次に向かうべき場所にとっての重要であることは間違いない。
ただし、「いま」という時間が変化すれば、私たちが伝えるべき内容も変化する。
私たちの目的は不変、だが私たちの道筋は常に変化する。
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試み
PlanterCottageは、私が次に向かうべき場所を知るため、そして次に伝える必要があることを知るための場所として必要な場所である。
PlanterCottageにとって最も重要なことは、ここを訪れる人がいること。
私が撒いた種や植えた草が、雨がふり 風が吹き 虫たちが訪れ 日の光を浴びることで花を咲かせ実を付けるように、ここを訪れる人の存在と、その間に築かれる様々な関係をなくして目的に達することはありえない。
訪れてほしい存在を望むことはできたとしても、必ずしも望みどおりの訪問者が訪れるとは限らない。
私たちにできることは、ここを必要とする全てに向かって窓を開け放つこと、開かれた場となることだけであり、唯一そうすることだけが、いま何処にいるのかを知る為の手だてになるはずだ。
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植物と人との共生
私たちが考える、植物と共生する暮らしとは、様々な要素が融合する環境の下、互いが必要とし合える関係性を考え続けること。
ここで注意しなければならないことは、私たちは、ほぼ無意識の内に、育てる側と育てられる側に隔てられた関係性の中で考えがちになること。
単一の方向性の思考から、多重な方向性を持った循環に重きを置いた思考にシフトする必要性がある。
多重な方向性を持った循環型の関係は、常に「此処という場所」と「今という時間」を知ろうとする努力と、過去と未来への想像が欠かせない。
循環とは今何が必要なのかを問い、考え続け、途切れかけた過去と未来を繋ぐことだ。
植物は過去から現在まで、そうやって生きてきた生きものであり、私たち人は植物からそれを学ぶことができるはずだ。

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自分には無いものに対しての憧れや興味は、自分にとっての「いま・ここ」を知る為の手掛かりとなる。
自分には無い何か”に気付きそれに近づこうとする力は想像にとって必要な大きな力の一つであることは間違いない。

湿潤な大地に生れ育った自分が乾いた大地に魅了され続けるのは、自分の遺伝子の中にありながら未だ芽を出すことのない想像の種…のようなものがそれを必要としているからか。
乾いた大地の何かが私の遺伝子の奥底を震るわせ続ける。

パソコンの画面のその向こう側にあるトランシルバニアに想いを馳せる妻…そんな彼女を横目にする度、自分の脳裏にはイランの首都テヘランから遠く離れたシアダレ村が浮かびあがる。
未だこの足で立ったことの無い、自分の心の中に在り続ける乾いた大地…そこに私の遺伝子を震わす何かがある。
テヘランから遠く離れたクルド人の村…
イラン人映画監督アッバス・キアロスタミの『風が吹くまま』はこの村で撮影された。

映画の撮影地としての事実はあるにせよ、シアダレは私の心の中につくられた心象風景…実際のシアダレがどんなところであるのかはわからない。
けれどそれは自分にとってさほどの問題では無く、それがが映像の中に見た風景であろうとなかろうと、自分にとっての大切なものであることに違いない。
自分が感じている何か…私の奥底の何かを震わす何か…。
生命とは現象だけに反応するとは限らない。

私たちの心は時に嘘を必要とする…美しい嘘を。
私の心の奥底を震わす美しい嘘が時にクルド人の村シアダレであるように。

現象を解明する、あるいは事実や原因を究明することも時に必要であろう。
そうした努力によって救われる生命もある。
でもそれが必ずしも私たちの心にとっての安らぎに通じるとは限らない。
私たちの心はそれほど強く無い。
心は脆い…。
心にはもっと美しい嘘を見せてあげたいと思う。

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ふと、生命科学者の柳澤桂子さんを思い出すことがある。
今日も仕事場で鉄にバーナーの炎をあて真っ赤になってゆく様を見ていたその真っ最中に思い出した。
直接お目にかかったことは無い。
私はあくまでもその文章をとおしてしか柳澤桂子さんを知らないけれど、「生」と「死」はおなじ価値をもつこと…を私に気付かせてくれた私にとってとても大切な方。
激しい痛みと全身のしびれを伴う原因不明の病に苦しみながらも30年以上にわたり病床から執筆され続けている。

自分の中の免疫の異常に気付いて2年になる。
痛みは心身のバランスを崩し思考を停止させる。
誰を責めることもできない、我が身にふりかかった現象をただただ受け入れるしかない状態の中で、我が身の「生」では無い「生」を考えることはとても難しいことであることを知った。
でもその時、私は心のどこかでそれを望んでいたことだとも思った…。
免疫の異常に気付いた同じ年の暮れ…眼底の網膜上の血管が出血し、右目の視力は極端に低下した。
そのことに恐怖を感じていない自分を不思議だとも思う。
自分を生かしている生命力を感じる。

散りどきが近づくと、葉のつけ根に離層と呼ばれる組織ができ、葉が散る準備は整えられる。そして、美しく色づいた葉は音もなく散っていく。
もし、紅葉の一葉ひと葉が散る苦しみに声を立て、嘆き悲しんだらどうであろうか。となりの葉が散った寂しさと悲しみの涙にむせんだらどうであろうか。
紅葉した山は葉のうめきで全山揺るがされるであろう。紅葉は音もなく散ってほしいと思う。
同様に自然のなかの一景として眺めたとき、人間の死もまた静かであってほしいと願う。美しく色づいた葉が秋の日のなかにひらひらと舞っていく。葉の落ちたあとの樹の梢には、冬芽の準備がはじめられる。死はそれほどにも静かなささやかなできごとである。

「われわれはなぜ死ぬのか 死の生命科学」
柳澤桂子 著 草思社
「おわりに」 より 抜粋

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震災直後から、太平洋沿岸部600Kに渡る被災地を訪れて、現地の状況を写真に撮り、伝え続けている写真家の大西暢夫(おおにしのぶお)さん。
ちょうど一年ほど前、長野市災害ボランティアセンター主催の報告会で長野市を訪れた折り、知人を介してマゼコゼにもお寄り頂いた。
私はたしかあの時、仕事で岩手に出かけていて、大西さんご本人とは会えなかったけれど、妻へと手渡して頂いた、2011年5月から2カ月にわたり岐阜新聞に連載された記事をまとめた一冊の本、「東北沿岸600km 震災報告」を目にした時、この人の目線好きだな…と思ったことを覚えている。

…僕はカメラマンとしての役割を考え、今の行動を選択した。岐阜から出発し、岐阜で発信することに意義を感じていた。現場に行けば涙を流す現実しかない。見た事実を伝えていきたいが、何もかもが巨大で語りつくすことなど到底できない。その悔しさやもどかしさが常にしこりとして残った。 でも僕は遠くに暮らす人に、少しでも知ってもらいたかった。それはメディアに関わるカメラマンとしての仕事だと思った。…(東北沿岸600km 震災報告 本文から抜粋)

妻が図書館から本を借りてきた。今回は9冊…そのうち8冊は韓国の作家による絵本。もう一冊が、『ぶた にく』大西 暢夫 (写真・文) だった。
妻の勘…彼女の「いまここ」を感じる感覚に驚かされることは多いけれど、今回の絵本の選択は、いまの自分が感じている「いま ここ」と呼応し、とてもしっくりきた。

その夜、妻・自分・娘 それぞれが、『ぶた にく』を読んだ…見た。

マハトマ・ガンジーが残したたくさんの言葉の中の一つ。

「国の偉大さ、道徳的発展は、その国における動物の扱い方で判る。」
“The greatness of a nation and its moral progress can be judged by the way its animals are treated.”

日本国内で殺処分される犬は年間約10万頭、猫は約24万頭に上り、あわせて30万頭を超えるという。
長野県内でのニホンジカをはじめとする野生鳥獣による農林業被害額は、年間16億円に及ぶそうだ。

桜も梅も杏もカタクリも…一斉に咲き始める長野の春。
即席ダンボールシェルターから出て行ったあの猫…いま頃どこで昼寝しているのだろう。

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