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Archive for 2013年5月

このところずっと…それはあの日 3.11からさらに強く…心の奥底で燻ぶり続けている何かを感じる。
なんとも形容しがたい何か。
焦りにも似た 悩みにも似た 悲しみにも似た 感情と入り混じりながら。

あえて自己分析するとすれば、この状態は燃焼の前段階にある。
燃焼に必要なエネルギーが心の奥底の燻ぶりと共に蓄えられているのではないかと…。
ここで言う燃焼とは、成長 あるいは 成長に伴う行動 に近い意味を持つ。
燻ぶりによって生れるエネルギーとはこうした成長に必要な栄養素のようなものだ。

エネルギーの蓄積と燃焼の関係は、樹木の成長過程が後に年輪となって現れるのと同じように、いま・ここ という一地点で関係性を確認することは難しい。
成長は瞬間では計れない。
生命とは成長し続けようとする力そのもの。
生命はこの世との関係性を絶えず求め続けている…。

そうした観点から成長を考えてみれば、そもそも成長を計画する必要は無いし、そもそもそれは不可能なことだと私は思う。
本来的にはおそらく、人の成長にとっては“ほったらかし”が一番良いのではないか と思う。
けっして一人にはしない。信じてじっと見まもる…。
関係とは本来そんなものなのではなかろうか。

成長を常に“いま・ここ というポイント”に立ってイメージし続けることは極めて重要だ。
計画に沿うだけを良しとする成長計画など、生命本来が持つ輝きを鈍化させる方向に向かうだけなのは明らか。
関係性が損なわれ、孤立感が社会全体を覆いつくそうとする気配が満ちているいま…そうした対策に躍起にならざるを得ない状況にありながら、それでもなお追求しなくてはならないグローバル化や成長計画などあり得ない。

生命とは奇跡的な関係性の上に現れ出た姿そのもの…全ての生命は関係性なくして
あり得ない。
燃焼エネルギー あるいは 成長エネルギーそれだけでは、燃焼も成長も始まらない。
燃焼…あるいは成長が始まるためにはそのきっかけとなる熱が必要だが、私たちをつかさどる生命と同じく、そのきっかけとなる熱は自らの内から…おのずからは生じない。

エネルギーとは持続性を促すもの…それは質と量を持ついわば電圧のようなもの。
そのエネルギーを燃焼させるためにはそのきっかけとなるなんらかの熱源が必要で
熱は温度あるいは強弱を持ついわば電流のようなもの。
それはたとえば、出会いであったり別れであったり、喜びであったり悲しみであったり…。
成長を電力のように換算することはできないけれど、どのようなエネルギーがどのような熱によってどう燃えたか…そうした生命の成長が年輪のように刻まれながら成長を繰り返すのだろう。

問題は、自分の内に蓄えられるエネルギーをどうやって燃焼させるか…
そのための熱はなんであって、どこにそれを求めるのか ということだ。
燃焼性エネルギーは、ある特定の熱にだけ反応し燃焼を開始するわけではない。些細なきっかけであっても燃焼しかねない危険性を孕んでいる。そしてなにより、それは自らの判断に委ねられているということを私たちは忘れがちだ。

絵を描くことも、カラオケで思う存分歌うことも、憎悪や暴力をかき立てるようなヘイトデモも、反原発を訴えるデモも…
それらはみな、エネルギーと熱の関係の結果であることに於いては変わりない。
だからこそ、そのエネルギーはいつどのように蓄えられたのか…そのエネルギーをどのような熱によって燃やそうとしているのかを私たちは真剣に考えなければならないのではないか。

怒りの方向に向いてエネルギーを燃やしてほしくない と思う。

そんなこんなを思っている梅雨入りしたらしい今日…
この人のコラムを読んでちょっとだけ燻ぶりがおさまったような気がする。
http://www.newsweekjapan.jp/column/tokyoeye/2013/05/post-679.php

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1980年代という時代
その時代は自分のその後の生き方を決定付けた大切な時代だ。

1981年、アメリカのロサンゼルスに住む同性愛男性に初めてエイズが発見された。いまでこそ病原体としてHIVが同定されたことによって、異性間性行為による感染や出産時の母子感染も起こり得ることが知られるようになり、エイズは広く一般的な問題として受け止められてはいるものの、1980年代初頭には、感染者にゲイや麻薬の常習者が多かったことから感染者に対する社会的な偏見が横行していた。

いまだこうした社会的偏見が無くなってはいないし、それが1980年代になって突如として表われたわけでは無い。
それはエイズが発見されるそのずっとずっと以前から…人間がこの世にあらわれた時からずっと…私たちの心の奥底に潜んでいるそれは私たち人間の心の奥底に潜みつつ虎視眈眈と獲物を探し続け生き続けてきた。
そうした何かを私たちの誰しもが心の奥底に抱え持っていると考えると、なるほど、
Artなんてものがどうしてこの世にあり続けるのかも少しはわかる。
そうした心の闇を抱え持っているのが人間だとして、その心の闇に潜む何かとどう対峙するのか…。
それこそが私たちがこの世を生きる上で極めて重要…必要なことなのだろう。

いずれにせよ、そんな「心」を持った人間という本質に対して目を背けることなく、自分をつうじて人間の本質を曝け出し、その姿を社会に対して示し続けることで自分を…そして人間を愛する生き方を選んだ人々が生きた時代…それが1980年代という時代だったのではないか…と私は思っている。

校内暴力やいじめが陰湿化 暴力化し、聖子ちゃんカットやロングスカートが流行し、不良がブームとなり、アングラ演劇や小劇団が市民権を得て小劇場ブームが起こり、アダルトビデオが登場しポルノ映画が衰退し、アントニオ猪木と新日本プロレスが全盛期を迎え、天安門事件によって中国は…世界は新たな方向に向かって舵をとり、超低金利政策によるバブル景気によって大都市圏で地価が極端に急上昇 株価が急上昇し、日本の少子化は深刻化しはじめた1980年代…。

東京という大都会に暮らし始めて間もない頃に観た
DerekJarman「The Last of England」
DerekJarmanを知ろうとしていた自分にはあまりにもDerekJarmanは広すぎた。

それから10年以上が過ぎて…
1999年 私と妻は、古い木造の小さな家を借りた。
DerekJarmanを思い出した。
PlanterCottage と名付けたその家は、しだいに植物に覆われる家へと変わっていった。

DerekJarmanが晩年をすごしたProspect Cottageの南側の壁には、16世紀に生きたイギリスの詩人 John Donne(ジョン ダン)の詩…The Sun Risingが貼られている。

Busie old foole, unruly Sunne,
Why dost thou thus,
Through windows, and through curtains call on us?
Must to thy motions lovers’ seasons run?
Sawcy pedantique wretch, go chide
Late school boys and sowre prentices,
Go tell court-huntsmen that the king will ride,
Call country ants to harvest offices,
Love, all alike, no season knows nor cryme,
Nor hours, days, moneths, which are the rags of time….

Thou, sunne, art half as happy as we,
In that the world’s contracted thus.
Thine age asks ease, and since thy duties bee
To warm the world, that’s done in warming us.
Shine here to us, and thou art everywhere;
This bed thy center is, these walls thy sphere.

せっかちなオヤジ がさつ者の太陽よ
どうしてそう気ぜわしく
窓のカーテン越しに僕らのことを伺うのだ?
恋の営みもお前の歩調に合わせろというのか?
助平なエロオヤジめ
怠け者の子供たちでも叱っていろ
鷹匠たちに王様のお出ましだと伝えろ
百姓たちをさっさと仕事に駆り立てろ
僕らの恋の営みには季節も陽気も
時間も月日も 時の歩みは関係ない

太陽よ お前の幸せは僕らの半分ほど
世界とはそういうものなのだ
年老いたお前の勤めは世界を暖めること
だから僕らのことも暖めるのだ
僕らに輝きかければ お前はどこにでもいられる
このベッドがお前の中心 この壁がお前の領分

訳:壺齋散人

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「信濃国」

先週 4月25日、私たちが暮らす長門町内にある長野天神社の春季例祭が執り行われた。
長野天神は、善光寺 門前のまち…長門町、西町上、西町南、の産土神。
長門町はその昔は天神宮町と呼ばれていたそうだ。
善光寺の南側、天神社があるこの付近は長い傾斜地…裾野が続いていたことから古くから長野と呼ばれていたそうで、この地にあった産土神は、近辺の商家の子供やそこに奉公する子供たちが学ぶ寺子屋が多くあったことなどから、やがて学問の神でもある菅原道真を祀る天神社…長野天神社へと変化していったのではないかとのこと。
善光寺門前のまちにはここの他にも、立町、桜枝町、上西之門町、伊勢町、新町など…たくさんの天神社が祀られている。
明治時代に入り長野天神社の北側、長野町にある西光寺に県庁が置かれたことによってこのあたりの地名であった長野が県の地名となったということだ。

その昔、戦国時代のころにあった信濃国は江戸時代になって中小の播に分割されたものの、明治時代の廃藩置県によって「信濃」に戻るのか…と思いきや、長野県となってしまった。その経緯についてはあまり知られてはいないけれど、信濃ならまだしも長野とはなんてことだ!と思う人々は未だに多く、長野県と呼ばず信濃や信州と呼ぶ人が多くいる。

信濃国であれば意識はまとまることができるのに、長野県だと分裂してしまう…という不思議さ…。
他の県に生まれた人々からすれば理解しずらい感情かもしれないが、それはすなわち、ここに生きる人々の郷土に対する並々ならぬ愛情があるが故に起こるまっとうな感情だと思う。
山や谷ごとに大きく風土が異なるこの地に生きる人々にとっての地名とは、この土地に生きることの厳しさ、辛さを承知のうえの、自分たちの選択する生き方に対する自信と決意のあらわれではないだろうか。
そうした感情を指して国家主義や国粋主義を肥大化させ国家権力の暴走を煽るようなナショナリズムへと繋がるのではないか…と不安がる人もいるけれど、私は全くそうは思わない。それどころか、こうした郷土を想う気持ちこそが「自分のことは自分で考える」…「市民自治」に繋がるはずだと私は思う。
それは、いまここに生きる為に欠かすことのできないアイデンティティーそのものだと…。

土地の産土神に土地の呼び名を付けるのは土地の神に対する真摯で崇高な気持ちのあらわれであることは誰もが納得することではあるものの、時に自分たちが暮らす土地を語る地名がいまも長野県に暮らす人々の感情を逆撫でしたり、意識の分断の要因となることもあるのだと思うと、なんとも複雑な気持ちにならざるを得ない。

長野県をもう一度、信濃国に戻すこと…。
そんなことをして何が変わるのか?…と思う人もいるかもしれない。
でも私は、それは長野県民のみならず、いま私たちに欠けている何かを取り戻すためのとても大きなきっかけになるような気がしてならない。
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