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Archive for 2013年7月

山村に生れ育った私の父と母。

父の生家がある集落は、谷底にある最寄りのバス停から山道を歩いて40~50分は裕にかかるであろう山の途中、母の生家は30分ほどか…。
子供の頃、頻繁に連れられて行った、祖父母がいる家は、どちらも 山の家 だったけれど、そこに掛けられていた、自分は会ったことのない人の写真がいまもやけに印象に残っている。

その写真はもちろん自分にとって先祖にあたる人たちであって、自分が生れる前に他界していただけのことなのだが、自分は会っていないのに関係しているその写真に写った祖先との距離感や、山 のそこかしこにある、昔からずっと…に出会う度に、わかるようでわからない…わからないようでわかる…なんとも言えない不思議な感覚が自分の中を廻ってをいたことを思い出す。
山の家に暮らしていた私の祖父母は、既に皆 他界しているけれど、私にとっての山の家はいまも祖父母たちが暮らす家、会ったことの無い祖先と繋がる場所。

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私たち家族が東京から長野市に引っ越して、山とまちを行ったり来たりするようになって数年…昨年あたりからだろうか、山の家のどれもが、子どもの頃に感じていたあの不思議な感覚のスイッチになることに気が付いた。
それが単なるノスタルジーだと言われれば、それもそうかもしれない。
でも、ノスタルジーであろうがなかろうか私にはどちらでもいい。
山の家 を目にした時、目の前の存在や出来事が希薄になると同時にその向こう側にあるものが浮かびあがってくるような あの感覚…。

自分にとっては、そのスイッチの一つが 山の家 であって、必ずしもそれが全ての人に共通するものであるとは限らないけれど、自分が美術やArtに出会い、そこに何らかの可能性を感じ、いまも変わらず追い求めているのは、あの感覚へと誘うモノやコトなのだ…と思うようになった。

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美術やArtと呼ばれるもの、そのどれもが人の感性に働きかける可能性を持っている…そのことからすればそこに大きな違いはない。
人が皆、感性を持って生きているとすれば、本来、作品が優れているかどうかという判断は各自がすれば良いことだ。
美術・Art作品の評価は、ある特定の感性に委ねられた評価にすぎないことを私たちは忘れがちだ。
それはまた、私たち全ての感性に働きかけているはずの美術やArtは、出会い方、関わり方によって、その働きかけの行く先が大きく異なるということ…現代の美術やArtは、人それぞれの感性の多様性を阻害するものにもなり得る…といったとても大きな矛盾を抱えている。

 

そもそも「感性」とは何であるのかは極めて難しいことではあるが、人がこの世を生きる上で欠かせないもの…その一つが感性であり、この感性によって私たちは、自分とその他…自分とこの世の全てとの関係を感じることができている。
中でも「美」はそうした感性に委ねられた代表格ではあるけれど、嬉しいとか悲しいとか…怒りも喜びも、元気だとかやる気だとか…それらもみな、感性と大きく関係している。
そしてその感性は、持って生れる「本能的感性」とこの世に生きることを通じて育まれる「後天的感性」の総和であることは間違いなさそうだ。

 

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私は、職業を問われた時に「美術家です」と答えている。
…まぁ、そう答えて納得しているのは自分だけなのかもしれないけれど、美術が人の感性の育みに大きく関係しているということ…自分はそうした美術やArtに大きな興味がある…と気付いてから、「美術家」と答えることに戸惑いは無くなった。

感性に対する働きかけを考えた場合、美術やArt(それには音楽や演劇や身体表現、小説や詩も…)には大きな可能性が…いや可能性というよりはむしろ役割があると私は思っている。
その役割を認識した上で、『何時、どのようにしてどんな美術やArtに出会うか』をみんなで考えることは極めて重要だと私は思っている。

 

「そんなことはつくり手が勝手に考えればいい…」
…そのとおりかもしれない。
そんなことをみんなで考えるのは実に面倒臭い。
みんな、つくりたいからつくっているだけなんだし、そうすることが何よりも大切。
それぞれがつくりながら考えているんだからそれでいいじゃないか…。
余計なお世話だ。

 

でも、その面倒臭いところを誰かに委ねた先で、「美術の難しさ」だけが肥大し、美術やArtの専門家が必要とされてきたのではないのか…。
美術家も美術評論家も、美術館も、美術商も…。
美術やArtは難しいものである必要があるのか。

 

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人は「欲」を抱えて生きている。
強欲の塊だ。
この欲を欲のまま放置するのか…それとも欲を私たち自身の育みの糧として、生きる力をそこから学ぼうとするのか。
この世に生きる人々がどちらの道筋を選ぶのか…それは、この世、この社会にとってとても大きな分かれ目だ。
美術やArtがこの世にあり続けてきた理由もきっとこの分かれ目の先にある。
私たちがどちらの道に進むのか…その道を選択するのは私たち一人ひとり。

 

私たちはそのために感性の半分を持ってこの世に生れてきたのかもしれない。
そしてあと半分、
この世を生きることによってあと半分の感性が育まれ、そうしてその先が創造されるのだと思う…。

 

 

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句読点

8月はいまを生きる私たちにとって大切な月
あれから68回目の夏

私が生れたこの国であった戦争。
68年前、あの年の8月。
広島と長崎に投下された爆弾。
そして戦争は終わった…
私たちはあの戦争が終わったことにしていまを生きている。

あの夏から、歴史の時間軸は戦後を刻み始めた。
戦争の勝者の論理。その論理に従わざるを得なかった者たちの都合によって歴史の時間軸に記された句読点。
その句読点によって区切られた戦後という時間。

あの日、あの爆弾はなぜあの場所に落とされたのか。

それについて、納得できる明確な答えを聞いたことがない。
なぜ。

この国は戦争をして負けた…戦争は終わったと聞かされて育った私。
戦争を知らない私。
あの日あの場所に爆弾が落とされたのがなぜなのか を知らない私。

あの日という句読点。
あの日を記した句読点は、私たちの心の奥底に戦争に負けた国の民であるという意識を深く刻みつけた。
戦争に負けた国に生れた私。

多かれ少なかれ、私たちはみな、その意識を持って戦後を生きてきた。
そうでなければ、あの戦争に赴いたまま、この世にでは無くあの世へと還っていった人々の想いを未来へと繋げない…そう思ってきた。
でもしかし、私にはどうしても戦争が終わり、戦後を生きているとは思えない。
あの戦争があった時代といまは、何か重く厚い壁によって隔てられたままであるような気がしてならない。
人々の心は分断されたまま…何処かに置き去りにされてしまったままのような気がしてならない。

戦争があった国に生れた私。
戦争を知らない子どもたち。

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追記

マゼコゼでは、私たちが所蔵する本をご覧頂けるようにしています。
昨日と一昨日、
マゼコゼで開催した、たなかぱんだ 第二回公演 「父と暮せば」
客席の後方で照明を担当していた私は、あの戦争が、あの日あの爆弾が落とされた理由が、ステージの照明と共に、ぼうっと浮かびあがってくるような気がしました。そして、マゼコゼの本棚にある、一冊の本を思い出しました。

丸木俊 え・文 「ひろしまのピカ」

この本の終わりに、「この本にそえて」という、丸木 俊さんの文があり
ます。その全文を掲載させて頂きます。

「この絵本にそえて」   丸木俊

もう27年ほど前になるかと思います。北海道の小さな町で、「原爆の図」の展覧会をしておりました。わたしは受付のところにいて、「原爆はやめてください。戦争はやめてください」と言いながら、お名前を書いていただいておりました。
ひとりのおばあさんが入ってきて、怒った顔をしながら、会場に急ぎ足で入り、じっと絵をみていました。
しばらくすると、中から出てきて言いました。
「人の悲しみを絵に画いて見せものにしとる。そう思って、わたしは展覧会の前を通りすぎました。でも「いや、まて」とひきかえしたのです。「見てやるものか」と、また通りすぎ、何べんも行ったり来たりして、とうとう入ってきたんです。
私はピカにあってから北海道に渡ったんです。北海道の人はみんな不親切ですよ。
ピカの時の話をすると、「大袈裟に言うて、人の同情をひこうと思うとる」と、陰口を言うのです。私はそれから、一口もピカのことを言わないことにしたのです。言ってやるものかと思うたんです。
おばあさんは言い終わると目をふせました。マイクがそばにあることを知ると、おばあさんはそれをつかんで口にあて、
「ここに来ている人なら信じてくれると思うんです。聞いてください。信じて下さい」とさけびました。
絵を見に来ていた人は、驚いておばあさんの方を見ました。わたしもびっくりして、「どうぞ、どうぞ「と少し高い台の上へ上がってもらいました。
おばあさんは涙をしたたらせ、しゃくりあげながら子どもの手をひき、傷ついたご主人を背負って逃げまどったひろしまのピカの時のことを語りつづけました。人々はこっくりして、おばあさんの話を聞きました。泣いている人もいました。
おばあさんは話し終わると、
「よう聞いてくださいました。ありがとうございました。北海道の人の悪口を言うてすみませんでした」と、深く頭をさげました。
この光景は、わたしの胸にずうっと疼きつづけておりました。ピカの時から7歳のままになってしまったみいちゃんは、今どうしているのでしょう。そして、この話を聞かせてくださったおばあさんは、どこにどうしていられるのでしょう・この絵本は、このおばあさんの話を基にし、私が見たり聞いたりしたたくさんの原爆体験を織りあわせてつsくりあげたものです。

私もとうとう70近くになりました。私には子供がいないから孫もいません。でもこれは、孫たちへの遺言なのです。
描いたり消したり、描いたり破ったり、ずいぶん長い間かかって仕上げました。どう表現していいのか困りはてている時に、はげましつづけてくださった編集担当の千葉さんご兄弟やたくさんのお友達に、改めてありがとうとお礼を申し上げます。また、貴重な資料を提供してくださった広島在住の田淵実夫氏、広島電鉄株式会社広報担当の川手寛司氏にお礼を申し上げます。
(1980年2月27日 記)

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信州 信濃 善光寺の門前町にある我が家は、坂の途中にある。
善光寺門前町とは何処までなのか…その範囲は定かではないが、緩やかな山裾と折り重なる山の境界付近に善光寺があり、その前に開けた町であることからすれば、私の家もまた山の途中…山の入口付近にあるということだろう。

 

善光寺の山号は「定額山」(じょうがくさん)
寺や神社のすべてが山中にあるとは言えないものの、仏教伝来以前から…ヒトが生きるために必要な大半、狩猟、採取、水源、その他全てを山に依存して暮らしていた私たちの祖先にとって、山は強力な力を持った霊や神がいる場所であり、山を怒らせれば不幸があると信じていたであろうことは容易に想像することができる。
民俗学者の柳田国男の『先祖の話』の中で、「人が死ねばその霊は、家の裏山へと昇っていくということをごく自然に信じていた」と書かれているように、死者の魂(祖霊)が山に帰る「山上他界」という考えや、山に対する畏敬の念は、日本の仏教のみならず、この地に暮らした人々にとって当然の、無くすことのできない感覚であったはずだ。

 

そうした宗教観、死生観はまた、現代に生きる私たちの思考や行動にしても深く影響を及ぼしているはずではあるが、古来、人跡未踏の地であった山岳ゆえに成立していた山岳信仰の地もいまや誰もが行ける観光地と化し、自らの生き方を律するといった山の役割は無くなり、もはや山に対する畏敬の念は無いに等しい。

そこが人跡未踏の地であればあるほどに、神聖視し崇拝の対象とした…目には見えない大きな力をそこに感じようとした、かつての人々。その想像性、創造性は、現代に生きる私たちのそれをはるかに超えるものだ。
しかし、そうした地であるからこそ、そこには手付かずの宝が埋まっていると考えるのもまた人間…。
だからこそ、山に依存して暮らしてきたからこそ、何人たりともそれを独占してはならないことを知っていた人々は、人々が争わないための方法や、この世の全てが繋がりあっている法則を山をつうじて深く理解し、山は平等であることを語り継いできた。
そうした人々の想いの集積地、それが山だったはずだ。

山を神聖化したり、崇拝の対象としたのは、いま流行りの単純なスピリチャリティーからでは無い…単純にこの世の苦しみから逃れよう、救われようとしたのでも無いのだと思う。
おそらくそれは、私たちは誰しもが、自らの心の奥底に、全てを破壊しつくしてまでも欲を満たそうとする何かが潜んでいるということを知っていたから…そうした人間であることを認めたうえで、それが何であるのかを知り、その何かによる暴挙を許さないようにするためであったことを私たちは見落としているような気がする…。
時の権力者による命令のようなものはあったにしろ、その権力者をも厳守せねばならぬ決まりごと…たとえば憲法のようなものが無かった時代に、生きとし生けるものもの、この世の全てが関係しあい、持続可能であるための方法を、人々は山で考え、その想いを刻みつけた行動…それが山岳信仰であったのだと私は理解している。

 

かつて明治政府が発した神道と仏教の分離を目的とした神仏分離令や大教宣布は、直接的に仏教排斥を意図したものではなかったものの、結果として大規模な廃仏毀釈運動(廃仏運動)とも呼ばれる政府主導の愚行へとつながっていった。この動きはやがて神道を国家統合の基幹にしようとした政府の動きと呼応して強力な国家神道をもたらしたが、ことさら山岳信仰はこの時期に徹底的に排除されたという…。
その理由は様々考えることができるが、山という姿はあれど破壊しようの無いもの、姿かたちの無いものが持つ絶大な力を当時の政府は極めて深く理解していたゆえに、山そのものに対して畏敬の念を抱くこと、そうした精神性をことごとく破壊しようとしたのだろう…。
そのことについてを、いま私たちはもっと知るべきだし考えるべきたと私は強く思う。

その時代から100年以上…その間に世界大戦は二度起こり、ここも世界も大きく変化した。
いまこの地を他国の侵略から守るためにどうすれば良いかで揺れている…。
原発がここまで深刻な問題となっている理由も、他国からの侵略をどう防ぐかという問題と直結しているからに他ならない。

 

世の中はより複雑化ていると言われてはいるけれど、私にはそうは思えない。
いま世の中は極めて単純化している。
それは、見えざるものに対する畏怖・畏敬の念が生じているかいないか…。その二つの対立軸がこの世界を形づくっている気がする。
もはや宗教が見えざるものについて語る役割を担いきれなくなってしまってしまっているいま、私たち自身がもう一度「山」の入口に立ち、「山」を見る時期が来ているのではないか。
山を背にして都市ばかりを見る時代はもう古い。
これからは「山」の時代…いや、もう既に山の時代は始まっているのだと私は思う。

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人間の一生という時間軸が刻まれた物差しだけででこの世の全てを計ることなどできはしない。
ヒトが生れそして死ぬ…。
ヒトの一生もまた、生命の本質が連綿とこの世を生き続けるためのほんの一瞬の出来事にすぎない。

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常に変化し続けるこの世
そうしたこの世に私たちを生かすことによってつながり続けようとする生命。
それは、人間だけをこの世に生かすためにあるのではないことを私たちは忘れがちだ。

私とは、生命が私を通過するそのほんの一瞬だけこの世に存在しうるもの。
やがて生命が私を離れ、何か別のもとに宿るまでの間。

なぜ生命が私を通過しようとしたのかはわからない。
けれど、やがてその時が来た時、
ヒトもまた悪くはなかったな…とそいつが思ってくれたら、嬉しい。

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結局のところ、モノであれヒトであれコトであれ…自分の意識という波動がこの世に存在するありとあらゆる生きとし生けるものと共鳴を繰り返す。それが私たちの一生であり、一生をかけて網の目のような生命という関係性が顕わになるのだろう。
山も森も人もまちもArtも歴史もこどもも大人も水も風も土も 好きなことも嫌いなこともみんな…。

このところ、あまりにも色々なことに関わりすぎなんじゃないか…と思うことも無くはない。既に私の表層の許容量はMaxに近づき、既にかなりの不安が生じているにも関わらず、それでもなお意識が持つ波動は、この世の様々となおも共鳴し続けようとする。ここに生じる不安はおそらく自分の未熟さゆえ…腹の括りかたが足りないから なのかもしれないが…。
意識の共鳴に自分がついてゆけず暴走し、随分と人にも迷惑もかけている。そのことについては心からお詫びしなければならない。
ただ正直なところ私は、自分の意識が共鳴するもの…それが目に見える見えないに関わらず、いまここに確実に存在する何かが発し続けている何か を、自分という生命をつうじて感じ続けること… それを自分にとってのこの世の生き方として選択した以上、時に抱えきれないほどの何かと共鳴することがあってもそれはそれで仕方の無いことだとも思っている…。

意識の共鳴は考えて行動する といった思考のはるか先…はるか前方で起こる。
それは私を媒介として何かと何かを出会わせ繋げる必要性があるから…それこそが生命力であり生命とはそうやって繋がり続けるものなのだ。
そしておそらく私とは、そこに生じる震動を感じるためのいわば装置にすぎないのかもしれない…
もしもそうだとすれば、私は いまここ に起こる超微細な震動をも感じる装置たらんとするべきか。
そうだとすれば、もはや「私がなぜそれを感じるのか」なんてことはどうでもよいこと なのかもしれない。

…とは言え、この”どうでも良いこと”があきらめきれない私…ここがもっとも難しい…。
これを難しいことだと思わせるもの…それをあまた自我と呼び、この自我が生命のに対して挑みかかろうとする度に、私たちの中に苦を遠ざけ、楽を引き寄せる心が沸き起こる。この世の表層はそうやってつくられているのかもしれない。

私たちの目に見えるこの世がどんな姿であろうが、生命とはそうやってまんまと有り続けるのだ…生命とはけっして尽きることの無い…私たちの渾身の想像など生命にとっては手のひらの上のほんの僅かな埃にすぎない。
私たちの いまここ は、生命にとってさほどの問題ではないのかもしれない…
でも、そんな生命の本質とその生命がもたらす自我との狭間でもがき続ける生き方がしたい私は思った。
…それが美術あるいはArtだとして、なんとまぁ、無謀な生き方を選んでしまったものだ。
でも、そうやってもがけばもがくほどに、こんなに暑い今日もまた、私の中にある生命は、まんまと輝き続けることだけは確かに感じるのだ。

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アフリカ大陸のアフリカの北西部、マリ共和国にある、標高差500m、幅150kmにも及バンディアガラの断崖(Bandiagara Escarpment)の所々や裾野に暮らすドゴン族。
大地から生えてきたような住居…いまにも歩きだしそうな生き物のような建物。大地に根差し、生命と繋がりあうことがそのまま建物へと変わってゆく様は本当に素晴らしい。

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先週末の20日。
しののいまちの教室の初回授業が終了した。
http://shinonoitcn.naganoblog.jp/
いま自分が何を見て何を感じているかについて、あらためて気が付くことができた貴重な時間をいただいた。
受講生の方、講師の方、スタッフの方に心からの感謝。

今回の授業は、私たちの心の中にある「山」と「まち」という感覚についてを…、
私たち一人ひとりの内にあるその感覚が社会に対してどう作用しているのかについてを考えてみたいという私の個人的な興味からスタートした。
そのためにまず、「山に暮らし、山で仕事する」という視点、「山」とは何であるのか…ということから出発することによって、私たちが知らず知らずのうちに線引きをしていること…自分がそのどちらかいっぽうの領域にいることによって安心を得ようとしているのではないか…という投げかけから始めてみることにした。

もちろんこの投げかけは、私がそう思っているからの投げかけであって、私にはそうすることによってつくられている結果が私たちが生きる いまここ(社会)であること…
そしてまた、もはや私たちはこの線引きを続ける限り、本当の安心はけっして得られない…という想いがあるからだ。

それぞれの事情を鑑みることにばかりに徹していては、私たちはもうこの先を生きられない…。
誰もがみなそれを心の奥底で感じていながら、どの方向にどうやって一歩を踏み出して良いのかがわからないのら、そのことについてとことんみんなと話してみたい。

いま、日本一の山国である信州に暮らす自分としては、次に踏み出す一歩は、山とまち という境界線をまたぐこと…。
山とまちを何度も行き来して、そんな線は何処にも無いことを示すことなのではないか…と思うのだ。

山村の過疎高齢化…。
いまもそれは進行している。
山に暮らす人は少ない。
それは紛れも無い事実ではある。
でもしかし、山は既に変わり始めている。
もはや山村はどうしようも無い状況だ…なんて台詞は過去のものだ。
さも深刻そうな報告をテレビや新聞や雑誌をとおして見ることで確認しているのは、
「あぁ、やっぱりここがまちで良かった…」ということ。
そうやって「山」と「まち」の間に引かれた線をますます明確に、ますます太くするだけであることに気付いてほしい…。
「まち」であることの恩恵が強調されればされるほど、「山」を切り捨ててしまっているのではないか…という想いは次第に遠退いてゆく。
それは、この長野市だけで…ここの山とまちの間だけで起こっていることじゃない。。
この国の何処もかしこもが、線で分断され「山とまち」になってしまってている。
そうした山から出てくる野生の生き物による被害を、獣害と呼ぶ私たち…山に生き続けようとする生命からの声を聞かず、それを害と呼び駆除する私たち…。

山村の過疎高齢化はいまもなお進行している。
でもそれは、調査が開始された日からの数値変動の値にすぎない。
そうした山にいま何が起こり、そこでは誰が、どういう想いを抱いて生きているのか…それがなんであるのかが「山」の事実、現実ではあるものの、事実や現実は情報化された瞬間から歪曲しはじめ、受け手の都合に対して収まりやすいカタチへと変化する。
メディアのあり方に問題が無いとは言えないが、問題の本質は情報メディアのあり方ではない。
情報を受ける私たち自身がただじっと机の前に座ったままで世界を把握できていると勘違いしていること。それこそが現代の歪を産み出している最大の要因ではなかろうか。
どんななに情報通信網が整備されデータ通信料が増えようが、そこに在るものを此処へと送ることはできはしないのだ。
ドラえもんはそのことを私たちに伝えてくれているではないか。

「山とまち」の間にある線を越えられるのは情報じゃ無い。
意思を持った私たちのこの体だけが、その線を超えられるのだと私は思う。

そうすればきっと誰もが思うはずだ。
その間にあると思っていた線は何処にも無いことを。
山とまちはつながっていることを。
ここなら生きられるかもしれない…と。

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