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Archive for 2013年8月

「灯り」

いま、本は売れないのだそうだ。
本は売れないという答えらしきものがどのようにして導きだされるのかわからないけれど、正直 私には、Artは売れない と同様、そうした類の論評は、世の中全体がざるの中で大きく揺すられ、そうした時に出る音の一つにしか聞こえない。

そもそも本が売れないこと…あるいは Artが売れないこと がはたしてこの世にとってのマイナスなのかプラスなのか。
本が売れないことが事実だとしても、それがそのまま、本の必要性が無くなったということではないはずだし、本が売れないことが嘆かわしいことかどうかはわからない。

私はいまここをこうして生きている…これが現実。
人が私をどう見るのかはわからないけれど、Artが売れるかどうかと美術家としてこの世を生きることができているどうかはまったく別の話しだと思う。
なにせ天邪鬼でお気楽者な私からすれば、本が売れない…Artが売れない…は、ようやくこちらに風が吹いてきた知らせのようなもの。

とは言え、売れているものに人の注目が集中し、売れないものからはさっさと遠ざかる傾向は益々明確になってきている。トレンドを追い求め右往左往する状況は相も変らずであることも否めない。
そうした状況を鑑みれば、トレンドとしての本の役割は終わりが近いということではないか…そしてまた、人の成長の大半が夜であることを思えば、本が売れない といった状況は、既に本が成長の段階に入っていると考えた方が良いのではないかと思うのだが…。

マゼコゼの看板の下には、私たちが東京都国立市で運営していたPlanterCottageで使っていた「図書館&ギャラリー」と書いた小さな木の板をぶら下げ、店の中には、私と妻が所有する図書館と言うには申しわけない程度の本が並べている。
子どもの頃から本は面倒臭いものだった私。いまも本が好きとはとても言えない。未だ読むのが苦手な小説はほんの僅かしかない…自分の思考性が如何に偏っているかを恥ずかしげも無くひけらかしているようなものだ。
でも、そんな本たちがあることでマゼコゼは随分と助けられている。
マゼコゼにとっての相棒…本はこの場づくりにとっての大切な仲間であることは間違いない。

人はなぜ表現するのか…表現とは何であるのか…について考えることは、人の道を照らす灯りのようなもの。
たまたま選んだ生き方が美術家という生き方ではあるけれど、道を間違えずにここまで来れたと思えるのは、美術やArtをつうじて道を照らす灯りを手に入れることができたから…。
そんな美術やArtに感謝を込めて、私が出会ったそうした美術やArtをもっとたくさんの人に知ってもらいたいと思う。

私たちは誰も皆、この世に自らの生をあらわすことによって生きている。
それが本でありArtであり音楽であり踊りであり、米や野菜を育てることであり、木を植えることであり、山を登ることであり、走ることであり、泳ぐことであり…

この世に生をあらわせば生にふれる。
そこに熱が起こり、この世が一瞬だけ照らされる。
そうやってこの世に自分の他にも生があることを少しずつ知ってゆく。
あらわすとはそういうことなのかもしれない…と思う。

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私たち家族が暮らすここ 長野市長門町は善光寺の門前にある町。
とはいえ門前町とは何処までなのかは定かでは無く曖昧…なんとなくこのあたりまで…という感覚的な範囲が善光寺門前町ということになる。
行政によって区画された範囲では無い、いい加減で曖昧な範囲としての門前町だからこそそこには可能性があるし、それだからこその門前町なのだと思う。

かつて隆盛を極めた善光寺信仰はもはや壊滅的なほどに衰退、形骸化してしまっているのが現実だと言わざるを得ないけれど、この状況を憂いてもしかたない…。
信仰心はさておき、そもそも神社や仏閣への参拝は世間の空気感の現れ…参拝がいわば観光と一体であったからこそそこには様々な繁栄もあったのだろうし、そうである以上、そこに流行り廃れがあるのはあたりまえ…。善光寺商法とまで言われるほどの隆盛を誇った善光寺門前町もまた、そうした時代の空気感によってそこへと押し上げられた町であったのだと思う…。
だからこそ、いまを憂い昔を懐かしむのでは無く、善光寺という存在があったからこそ…かつて隆盛を極めた此処であるからこそ、いまここ に至るまでに、ここで何があったか…ということにしっかりと目を向けなければならないのではないかと思うのだが…。

いまにして思えば、自分は幼い頃からそれが何であれ、古いものや朽ち果ててゆくもの 滅びゆくもの に興味があった。
祖父母の家にあった古い農機具を片っぱしから引っぱり出したり、裏山の中で苔むした地蔵を数え回ったり、何の動物の骨がわからない骨を拾い集めたり、家の前の川原に流れつくゴミの中から何か使えそうなものはないかと自分だけの宝物を探し回ったり、廃屋、廃墟に心惹かれるのもあの頃からだ…。
そして随分と時間が経った…いまだそうしたものへの興味がまったく変わっていない自分に驚く。

私が家族を連れ、長く暮らした東京を離れここに戻ってきたのも、ある意味では、
ここ…善光寺門前町が、朽ち果て滅びゆくものが放つ何かしらの気配と同じ気配を漂わせていたから…別の言い方をすれば、あれだけ嫌いだったこの町に何かしらの魅力を感じ、結果として此処へ戻ってきたのは、私の中に息づく、退廃に対する美学… のようなものにこのまちがマッチし始めてていたからかもしれない…。

この世に存在するものには、全て 生命 がある。
生命とは、命がこの世を生きる為に与えられた時間…に近い。
全ては朽ち果て滅びゆく生命の中にあるとすれば、何をしようがその生命の長さはさほど変わらないのかもしれない。
全ては、いずれ死に、朽ち、土に還る ただそれだけが連綿と繰り返される…。

でもそうした生命という絶対の中に生きている間は、この世に翻弄され 、もがき、悩み 、 立ちすくみ、 悶え、 のたうち、思い悩みたい。
泥沼のようなこの世で時に暴れ、 頑張り、模索し、葛藤し、苦悩し、じたばたと闘いたい…と思う。
いまはまだよくわからないけれど、そうすることの中できっと、生命が輝く瞬間が一つまた一つ…見えてくるような気がする。
生きていて良かった…と思いたい。

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ああ…やっぱ俺はこっち方向へ行ってしまうんだよなぁ…と思う。
もうこれだけ生きてきたんだから、自分が、寂しがり屋の人間嫌いであることはなんとなく自覚している。

人が集まれる場所は大切だと思うし、そういった場所づくりの何かしらが自分の仕事ですらあるけれど、人が大勢集まる場所に出かけるのはどうも好きになれない。
仮面をかぶってまで人の前に出る気も無いしその必要性も無いと思っているので、イベントとかパーティーとかもできれば行きたくない。
娘が観に来てね…と言ってくれる間は学校の授業参観に出かけるのは嫌ではないけど、それでもやっぱり好きじゃない。
できることなら、人も来ない人知れぬ山の中で、キノコや苔や草や木や石を見ていたい私。

内気…なわけではないと思うけれど(…世間的には十分な内気か)…だからと言って、社交的なわけじゃない。
…その場の空気を読みとって他人にあわせるのが苦手なだけで、人を避けたいとも思っていない。
なんだろう…きっと、たぶん、人よりも少し多めにその場の空気を読んでしまって、自分が先に勝手に疲れてしまっているだけなのかもしれないけれど…。

こうしてたらたらと書き連ねている自分だけれど、facebookはかなり苦手。
なんというか…この暖簾に腕押しな感じになんとも言いようの無い居心地の悪さを感じるくせに、まだここにいる自分。
…ならやめればいいじゃん…こんなの所詮道具だし…何でそんなに真面に考えてるの…と言われそうだけど、だから…自分は寂しがり屋な人間嫌いな人間であることを自覚しようとしているわけで、…この世に生きているからには、動物や植物だけじゃなくて、どうにか人間も好きになりたいと思うわけで、そんな奴がこの世にはいるってことが言いたいのかもしれないけれど…、美術家という生き方を選択してしまったことと同様、もはやそれについてもよくわからない。

ここを覆い尽くす気配。
この世を覆っている目には見えない空気感 。
いまここ…この世を覆う空気を感じ取ろうとしている気配で満ちている。
攻められもぜず攻める必要も無い安全な位置は何処なのか…と。
使って良い言葉はどれなのかを慎重に選び、集め、そうして集めた言葉を並べ替え、攻めもせず攻められもしない、時代にマッチした自分を探す この気配…。

私はこの気配が何処から生れるのか…について知りたいと思う。
できることなら、この目には見えない覆いを取りはらってみたいと思う。
そうしたら、この世がどう見えるのか見てみたい。

しばらくは山とまちを行ったり来たりしてみようと思う。

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善光寺の門前町の裏路地で、ひっそり こっそり 営業している ”カフェ マゼコゼ”は、RIKI-TRIBAL Sustainable Art Works(リキトライバルサスティナブルアートワークス)が企画運営しています。
1999年3月、美術家・小池マサヒサと小池つねこ は東京都国立市にて、「街の中に植物たちの棲家をつくるワークインプログレス(制作の過程を公開・共有・使い続けることによって日々変化し続けるArt表現)を開始。
築40年近くを経て老朽化した木造平屋賃貸住宅を改装した建物…「PlanterCottage(プランターコテッジ)」(東京都国立市・1999 年~2012年5月末)と名付けた場所をつうじ、場所の感覚を育むことを主目的とした様々な試みを行なってきました。
http://plantercot.exblog.jp/

私たち、RIKI-TRIBAL/リキトライバル の活動もまた、このPlanterCottageの製作と同時に始まりました。
「PlanterCottageという場づくりをつうじて感じたアートの役割や可能性を日々の暮らしに活かす」・・・ここが私たちRIKI-TRIBALの出発点です。
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2009年、私たちは小池マサヒサの生れ故郷である長野市に暮らしの拠点を移し、これを機に、RIKI-TRIBALからRIKI-TRIBALSustainable Art Works に名称を変更。
「持続可能性」(Sustainability) をテーマに、アートを使いこなす力を育むための「場づくり」を行っています。

カフェマゼコゼは、私たちが いまここ と繋がってゆくために必要な場づくり。
「繋がりの関係性をつくり出す場所」それが私たちの目指すカフェづくりです。

現在、カフェ・マゼコゼは、PlanterCottageと同じく、図書館とギャラリー カフェとして、私たちの所有する本をはじめ、ジャンルに隔たりの無い、私たちが今大切に思うもの…わらべうた、郷土史、Art、オルタナティブアーキテクト…などを紹介していますが、長野市に暮らして5年ちょっと…ここで暮らすことをつうじて出会った人やコトをはじめ、いま私たちが最も注目し興味あることを紹介したい…という気持ちがとても強くなりつつあります。
そこで、マゼコゼが今後目指す場づくりにご興味ある方を大募集します。
私たちと一緒にこれからのマゼコゼをつくってみませんか。

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マゼコゼの新しい場づくりのテーマは
『mountain tribes without borders』
日本語にすると、「国境のない山岳民族」…という感じでしょうか。

日本でも有数の山国…信州、長野
私たちが暮らすここ、善光寺の門前町は周囲をたくさんの山に囲まれた山の入口にあります。
かつて、日本中からたくさんの人が ここ を目指して集まってきました。
その門前町の日常を支えていたのは、周囲のたくさんの山とその山に暮らす人々だったはずです。
私たちは、この門前町がこれからも持続可能性あるまちであり続けるためには、何よりも、この周囲の山や山に暮らす人々との関係性が欠かせないと思っています。
山岳民族と言うと少々大袈裟に聞こえるかもしれませんが、世界にも類を見ないほど豊かな山を抱えたこのまちが、山を背にしたままであっては、あまりにも もったいないと思うのです…。
過疎高齢化をはじめとする山の暮らしの問題については未だ決定的な解決策はありませんが、この場所に暮らしている私たちであるからこそ、みんなでそれを真剣に考えてみたいと思います。

「mountain tribes without borders」
…山は何処までも繋がっています。

今はまだ何をするかはわかりません。
でもこの投稿にピンときた方…ご興味ある方、
是非一緒に、これからの「山の暮らしかた」考えてみませんか。

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山と谷がいくつも重なりあっている様子が見渡せる場所に来るたびに、私の中で縺れている何かが少しずつほぐれてゆくような感覚が沸き起こる。

道路際の草刈りされた植物が夏の太陽に焼かれ萎び、そこから立ち昇る緑色の匂いが大気を満たす。
昔からずっと変わらないと思っていた夏の山の匂いの中に、葛の花の匂いが幾分多めに含まれていると感じたのは、此処が山であることを私に知らせるためか。

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今よりももっと山の近くに暮らそうかと思っている。
東京から長野へと暮らしの場を移し、15分も歩けば熊も鹿もいるような山の近くのこの場所からもっと山に近い場所へ…となればそれは、斜面がもっと急峻であるとか、木が生い茂っているとか標高が高いとか近隣には民家が少ないとか畑や棚田があるとか…
山に近い場所 は、まちから離れた場所…という意味を含んではいるけれど、まちから離れたいのか…と言われれば、それとは少し違う気もするのだが…。

長野市の西の山際で生れ育った私が、東京に行かねばならない…という闇雲な衝動に突き動かされてここを離れてから再びここに戻ってくるまでには随分と長い時間が必要だった。
「なぜ長野に戻ってきたのですか」と聞かれるたびに、子供の成長と経済のバランスを考えて…と答えるのも嘘では無いけれど、ほんとうはきっとそうじゃない。

 

いまここにあるものでここにつくってみたい。
『いまここ(場)の感覚…The sense of place』だけを頼りにして…。

 

それは、自分の中にどんな「いまここ(場)の感覚」が育まれているのか知りたかったから…。
もし私の中にそうした感覚が育まれているとすれば、それはきっと、生れ育った場所(長野)と自分自身が選択し育った場所(東京)…その二つの場所で育まれた感覚であるはず。
この異なる二つの場所をつなぐものがあるとすれば、それは私の中に育まれてきたであろう「いまここ(場)の感覚」なのではないだろうか。

私たちが、美しい景色だと感じたり、素晴らしい歌声だと感じるのは、この世のありとあらゆるものや出来事が一つの繋がりの関係性の中にあることを私たちが本能的に感じることができるから。
もしそこに繋がりの関係性を感じなければ、美しい景色だとは思わないだろうし、その景色を破壊することに対して躊躇する気持ちすら沸き起こらないはずだ…。
もしも私たちがこの先も持続可能な暮らしを求めるのであれば、それを実現するのは経済性や利便性では無いことは明らかだ。

 

「美しさ」は繋がりの関係性、持続可能性という目には見えない関係性を確認するための重要な手掛かりとなる。

私たちが生きるこの世界が持続可能であるためには、何よりもそうした美しさを私たちがこの世に感じ続けられるかどうかこそが最も重要であって、そこではもはや美術であるとかArtであるとかはどうでも良いことだと私は思う。

とはいえ、そうした繋がりの関係性を感じ続けるための可能性が美術やArtにはあるはずだ…
これからは、そういった美術やArtが必要とされるような社会であってほしい…。

 

私に「いまここ(場)の感覚」を気付きを与えてくれた一人に、20世紀のアメリカを代表する自然詩人であり自然保護活動家である、Gary Snyderがいる。
そのスナイダ―は、山里勝己著『場所を生きる―ゲーリー・スナイダーの世界』の中で、「場の感覚」について次のように語っている。

 

「それは関係性の問題なんです。我々は場所に対してひとつの関係性を生きている。もし我々が我々の場所との関係を理解することなくそれを表現することもできないのであれば、我々は我々自身の生活を理解していないことになる。もしある場所に住んでいて、その場所に注意を払っていないのであれば、その人は場所との関係性を生きていないし、何かがおかしくなっている。場所の感覚は自分が誰であるか、自分がどこにいるのかということを表現するものなのです。人間が健全であるためには場所の感覚は不可欠のものではないでしょうか」

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気候を知る、地形を知る、動植物を知る、風土に息づく歴史を理解すること。
そうして育まれる いまここ(場)を生きているという感覚は、この世が、目には見えない繋がりの関係性によってつくられているということ…私たちは場所との関係無しに生きることはできないということを知るために欠かすことのできない感覚だ。

自然とはそうした目には見えない繋がりの関係性の現れ。
いまここ(場)の感覚…The sense of placeによって、
私たちが次にすべきこと
それもまた自然と見えてくるはずだ。

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私がこうして書き連ねるのは、自分の中に点あるいはポイントが次々と現れ、増えるばかりで、そのポイントの間の繋がりの関係性が見出せていないから…。

自分が自分に出した宿題の山は、やってもやっても低くなる気配すら無い…。
ならばいっそ、何処までこの山を高くできるか…なんて考えだした途端、その山に埋もれてしまいそうになって、必死に手足をバタバタさせている。
これもまた自然(じねん)…か。
調子にのって自然を甘くみれば、その何千倍ものしっぺ返しを食らう…
ああ怖…
…まったく、私はいったい何をしているのだろう。

 

もうずっと、研究発表や論文とはまったく異なる、掴みどころの無い…フワフワとした自分の中に沸き起こる思考の断片を繋ぎあわせる作業が続いている。
そんな私の作業に結果的にお付き合いして頂いてしまっている方には心からの感謝。
しっくりくる言葉が探せないまま、とにかく美術家という生き方がしたいと言い続けるしか他に思い付かない不器用な私。
随分と多くの人に迷惑をかけながら いまここ を生きることができている。

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美術…とりわけ「彫刻」という立体造形表現がその入口だった私は、そのはじめから 『どんな素材で(何で)』 『何処につくるか』…が重要だと思ってきた。大筋、その認識はいまも変わってはいない。

あえて一般論として考えてみれば、「何をつくるか」という主題(テーマ)、「どうつくるか」という技術(テクニック)もまた大切とされるのだろうが、私はそれについてはさほどの重要性を感じていない…。

ある時期から、ここにあるもので、ここにつくりたい…と思うようになった私は、妻と二人、一軒の老朽化した借家を借り、その場所に植物を植えてみることにした。
それは、『どんな素材で(何で)』 『何処につくるか』という自分が自分に出した問いに答えるためにであると同時に、移動可能な美術・Artに対する自分なりの答えの導きかたであったのだと思う。

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『移動可能性』は、生命の継続にとって極めて重要な意味を持っている。
特に、植物のように大地に根を張ることによって生きていない 私たち人間をはじめ動物や鳥や魚や昆虫は、自らが移動することによって生命の維持に必要なエネルギーを得なければならない。逆を言えば、そうした生き物は、移動できなくなれば死ぬということだ。

 

「社会」が過去から現代へと向かうにあたり、「物の移動性」…物流の変化は社会全体を大きく変化させ、それにともなって、私たちのものごとに対する考え方をも大きく変化させた。

別の見方をすればこの変化とは、私たちの生命の維持・継続にとって必要なエネルギーそのものが変化したと言うことだ。

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かつて移動方法が限られ、制約されていた時代…日本においては江戸時代から明治初頭まで…

その時代にはそもそも美術という概念は無かったものの、社会のそこかしこに「美」は存在していた。
そうした「美」を、現代に生きる私たちは、「日本伝統美術」と呼んではいるが、そうした日本伝統美術の多くは「信仰」と密接に関係し、その多くが『移動不可能な美』であったと私は解釈している。

その初動が信仰心であったにせよ、人々が信仰を目的として自らが移動することによって、そこにある…そこにしか無い「美」に気付き、出会っていていたのではないか。
一見すればそれは、現代における美と…美術館となんら変わらないように思うかもしれないが、このなんら変わりないように感じてしまう変化こそが、現代社会へと至った最も大きな変化なのではないだろうか。
だからと言って、現代を否定するつもりは無いし、過去へと戻したいとも思ってはいない。
ただ、かつての「美の在り様」と「現代の美の在り様」が、『似て非なるもの』であることに気付けなければ、過去と現代は途切れたまま…繋がらないままだと私は思う…ただそれだけのことなのだが…。

「美」の在り様は大きく異なっていることは気付きづらい。

 

「美」は、私たちに表層に対してさほど大きな影響をもたらさない。
でもそれは、ただちに影響が無いだけなのではないか…。

「美」の在り様は、私たちの生命とどのように関係しているのか。
「美」とは何であるのかを伝える場づくり
どうせ宿題の山は低くならないのなら登れるぐらいの山にしてみたい…と思う。

 

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