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Archive for 2014年1月

マイノリティー:minority group とは、所属を余儀なくされた社会関係において、その属性が少数派に位置する者の立場やその集団であると解釈されがちだが、それは必ずしもそうとは限らない。
マイノリティーとはその集団が少数であるかどうかでは無く、むしろそれは、
社会階級という概念を根底としたピラミッド型の上下関係…ヒエラルキー型の権力構造に現れる「社会的弱者」の意味に近く、マイノリティーが社会的な偏見や差別の対象になったり、制度上の不利益を被ることもある。

先日、小学校5年の娘の授業参観日に、娘が同級生の母親から突然、一方的に文句を浴びせかけられ、その後、妻もその母親から同様に責め立てられるという出来事があった。
事の発端は、やんちゃな男の子たち数人が、給食を粗末に扱っていることを問題視した娘を含むクラスの子供たちの大半が、担任の先生にそれを注意して欲しいと何度も頼んだにも関わらず、その要求をまったく聞き入れてくれない先生に対する苦情を、懇談会の議題として取り上げて欲しいと、クラスPTA委員長に手紙を書いたことからだった。
その後、その男の子たち数人の親には、クラス委員長から、懇談会の議題に挙げることの了承を得るため事前に連絡したそうだが、それがどう伝わったのか…、男の子の一人の母親は、これは自分の子供に対する一方的ないじめである…と受け取ったらしく、そのいじめをしている張本人として、娘に詰め寄り文句を言ったということらしい。
娘は、それは勘違いであることを必死に説明したそうだが、聞き入れられず、その後の懇談会の席でも、子供たちの要求の話しにはならず、その母親の怒りは収まらなかったそうだ。未だ、娘に対しての謝罪は無い。

もちろん、娘の親として、娘に対する行為は許しがたい行為であったことは否めない。残念ながら、男の子の母親のとった行動は、暴力行為に他ならない。
しかしここで間違えてはならないのは、まず始めに問われるべきは、男の子の行為では無く、その母親の行き過ぎた行為でも無く、子どもたちの担任に対する不信が沸き起こってしまった…という事実であり、まずは、子供たちに、担任・学校・親が、如何に向き直るかこそが重要であるはずだ。

とは言え、この出来事は、思いもよらず、実に様々な問題を露呈した。
そして思う…はたしてこれは学校教育の問題なのだろうか…と。

社会とは目には見えない…。
しかし、今回の出来事を通じて、以前から思ってはいたものの、学校には社会が投影されているのだということをあらためて感じている。
学校を一つの社会に見立てれば、そこにもやはり社会関係が見出される。
見出されはするものの、学校が形づくる社会関係とは実に複雑で、単純なピラミッド型のヒエラルキーを形成しない…にしてもそこには、マイノリティーが常に存在する。
学校という社会関係におけるマイノリティー…社会的弱者とは誰であるのか。
マイノリティーが常に流動的に変化するのが学校社会の特徴なのではないだろうか…だからこそ、学校社会が抱える問題の本質は見えづらく解決しづらいのではないかと。

いまはまだ答えが出せていない。
でもいま 何となく思うのは、この流れに身を任せねばならないのではないか…。
子供たちが投げかけた問題の本質とは何であるのかということを見失わないためには、子どもと大人、学校と家庭…そういった境界線を越え、学びとは相互の関係性の中にあることを思い出さねばならないと思っている。

子どもたちが私たち大人に、ずっと学校が好きでいたいと言っているのだから。

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RIKI-TRIBAL Sustainable Art Works(リキトライバルSAW)は、
Sustainability(持続可能性)をテーマに、「美学創造舎・マゼコゼ」の運営をはじめ、アートワークショップ、アートワーク、オーダーメイドによる各種ものづくり、店舗・住宅・庭などのデザイン施工…などを行っています。

1999年に東京都国立市から始まったRIKI-TRIBALは、2009年、長野県長野市に活動の本拠地を移し、RIKI-TRIBAL Sustainable Art Worksとして活動を開始、善光寺にほど近い門前町の裏路地にある古い倉庫を改修し「美学創造舎・マゼコゼ」の運営を始めました。
https://mazekoze.wordpress.com/about/

私たちは、「美学創造舎・マゼコゼ」のみならず、RIKI-TRIBALとしての様々な活動を通じて、生きる力の学びと「いま・ここ」の働き方 についてを考え、実践する場をつくりたいと考えています。

長野市での活動を始めてからこれまで、「美学創造舎・マゼコゼ」は、『カフェマセコゼ』を主軸として運営してきましたが、大きく揺れ動く「いま」という時代、「ここ」という場所についてのあれこれを考えるにあたり、今後は、『美学創造舎』として活動をより充実させたいと考えるようになりました。そのためには、「美学創造舎・マゼコゼ」全体の運営方法、運営体制、場所のデザイン…あれこれを考え直さなければならない時期にきていると思っています。

現在、RIKI-TRIBAL SAWでは、私たちと一緒に、「美学創造舎・マゼコゼ」の企画、運営に携わってもらえる仲間を求めています!
この仲間の募集は、雇用とは少々異なるものです。

『生きる力の学びと「いま・ここ」の働き方』そして、私たちの場づくりに興味を持って頂ける方。
カフェマゼコゼまでお出でくださるか、Facebook、または、美学創造舎マゼコゼBlog内よりメッセージをお願いします。
また、お友達などで、ご興味ありそうな方がいらっしゃいましたら、お声がけしてくださるとありがたいです。
皆様、どうぞよろしくお願い致します。

『美学創造舎マゼコゼ』
〒380-0843 長野市長門町1076-2
Tel&Fax : 026-225-9380
代表者: RIKI-TRIBAL 小池マサヒサ

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鍛冶仕事を教えてくれた友人が死んだ。
熱く赤い鉄が冷めてしまったかのような柩の中の亡骸。
火葬炉の中へ柩が入るまでを見送った。
きっと、彼はまた炉の中で鉄のように赤くなる。
生命とは赤なのだと思った。
 
私は今も、彼のいないこの世に生きている。
きっと彼も考え続けていたであろうことを考えながら。
 
生命を宿しこの世へと生まれたものが、この世の生命を喰らう
それが自然。
喰らうのは、生きるためか、死ぬためか。
殺すのは喰らうため。
それが自然。
喰らわぬなら、殺さない。
それが自然。
生命を生かす。
それが自然。
自然に生きて自然に死にたい。
 
この世に生きた生命が、
雪の上に少しだけ
赤を描いた。

 
 

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「学校」

あの頃…私たち家族がまだ東京に暮らしていた頃。
私の中には、なぜ東京に暮らしているのか…という疑問が日毎大きくなっていいるのを感じていた。
別に東京が嫌になったのでは無い。
それは、このまま東京で暮らさなければ見えないこと。 と、東京を離れることによって見えてくるであろうこと。 の狭間に立ってしまっていたと言うことなのだが…。

 

その選択は結局、娘の小学校入学というタイミングまで持ち込み、結果、私たちは私の生まれ育った長野市へと移り住むことにした。
それは、別の言い方をすれば、私に沸き起こった疑問を解決するために、私が家族を巻き込んだ結果であったとも言える。
長野市生まれではない妻からすれば、夫が生まれた街である以外、長野という選択は何もかもが始めての連続。それはまた、東京以外の街で生まれ育ったという対等な関係も変わると言うことだった。

 

様々な不安を抱えていたであろう妻が最も気にしていたのは、娘の学校のこと。
彼女がこれからを生きてゆく力を身につける上で、「学校」がどうあるかは極めて重要な問題であることは、妻にとっては特に大きな問題であったのだと思う。
しかし、いくら重要であるとは言え、親が四六時中付きそうこともできない。
大袈裟に言ってしまえば、学校を選択するということは、学校を信用できるかどうかということ。
とは言え、学校を信用するとはどういうことなのだろうか。

 

私たちが東京都国立市で運営していたPlanterCottageは学校では無かったものの、大人子供に関わらず、様々な学びの場づくりが行われていた。
「図書館&ギャラリー」であったPlanterCottageには、私たちがいま大切だと思うことを表現することを通じて、日々、学校とは何か、学びとは何であるのかを自らが体験し、感じてきていたのだと思う。
不登校の子供、ハンディーキャップを抱えた人…本人、親、大学生、大学教授、ミュージシャン、アーティスト…様々な人々と一緒に様々な学びの場づくりを行ってきた。
そうした、そこでの経験や、私が幾つかのフリースクールにも関わっていたこと、さらに、国立市内ではいつもどこかしらで市民が、学校や教育についての意見を交わしあう場があったことも影響してか…。
そういった日常が普通であった私たちは、ここ(長野市)がまだどういったところなのかもわからない不安を抱えつつも、あれこれ考え、悩んだ結果、最終的な判断として、「学校には頼りすぎない」「子供の立ち位置に立って考える」「子供に向き合い話しをする」 これだけは忘れないように。そして、自分たちが暮らす地域から歩いて通える公立学校へ通わせる…という決断をした。

 

いま娘は小学校5年生。
あの時の私たちが決断し、通い始めたその学校で大きく成長している。
そして、彼女と彼女の仲間たちは、今まで経験したことの無いはじめての大きな試練に直面することになってしまった。

 

彼女たちは何度も先生たち、そして大人たちに問いかけている。
「学校って何ですか」…と。

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白馬村落倉高原にある、「深山の雪」の周辺の積雪は1M半といったところ初雪は早かったものの、いまのところの積雪量は少なめだ。昨日(15日)の朝の気温は氷点下15度の冷え込み。このくらいにまで気温が下がらないと聞こえない雪を踏みしめる音。その音がなんとも心地良い氷点下の朝だった。
「深山の雪」は、3.11の津波で家族を失い、福島第一原発の事故によって、福島県大熊町から白馬村へと非難してきた木村紀夫さんが始めようとしている宿の名称。
昨年から、私たち(たぁくらたぁ編集部と小池雅久)は、持続可能な宿づくり応援団と称して、「深山の雪」宿づくりの応援を開始した。
10月にはロケットストーブワークショップを開催し、11月には食堂ラウンジにロケットストーブヒーター…「深山の雪のカルシファー」をみんなでつくり、大工仕事をしたり…。迫り来る冬の気配に焦りながらも、なんとかギリギリ間に合った。
1月14日 夜。「深山の雪」の今年について話そうと、発起人である私たち(たぁくらたぁ編集長、渡辺一枝さん、私)が声を掛け、深山の雪の近く、白馬や小谷に暮らす仲間たちに集まってもらって鍋をつつきながらあれこれ話すことにした。
福島第一原発事故という問題の解決は未だ程遠い…。
と言うよりも、既に「福島」とは、原発問題のみならず、私たちが生きる今が抱えた様々な問題の集積地と化してしまっている感すらある。
しかしながら、そうした様々との関係を見いだせるかどうかは、あくまでも、自分次第…福島を行政区分上の出来事として捉えているだけでは、そことの関係性を見い出すことは難しい。福島と私たちを隔てる行政区分上の線を消し去り、福島としてでは無く、生命の連なりの中で捉えなければ、解決策はもちろん未来は何も見えてこないのではないかと私は思う。

「深山の雪」では、来月2月22日に、真冬のワークショップを行う。
内容についての詳細は現在検討中だが、私たちの今・此処をとりまく「生命を感じ、触れる」場づくりをイメージし、具体的には、狩猟により仕留められたニホン鹿の解体作業を行うことを通じて、私たちが生きる「いま」「ここ」を、私たちが目指す「持続可能性」とは何であるのかをみんなで一緒に感じ、考えてみたいと思っている。
現在、長野県域を生息地とするニホン鹿は、推定105,000頭。その数は年々増加傾向にあり、農林業被害は益々深刻さを増している。
こうした状況に即し、長野県では、第3期 特定鳥獣保護管理計画(ニホンジカ)を策定し、・農林業被害の軽減、・自然環境への影響の軽減、・個体数の削減・地域個体群の安定的な維持を図ろうとしている。
平成24年、狩猟による捕獲頭数(狩猟許可を受けたハンター、猟師による捕獲頭数)は6,895頭。許可捕獲による捕獲頭数(鳥獣保護法に準じて策定される、特定鳥獣保護管理計画により捕獲された頭数)は26,773頭。合計33,668頭。
このうち、食肉加工場で解体加工され、信州産 ジビエ(野生肉)として市場に流通しているのは、約1,500頭。
全体数のうち、猟師、ハンターにより狩猟捕獲された6,895頭は自家消費された可能性が高いとしてそれ以外…許可捕獲された26,773頭は、言わばゴミ扱いとなって、埋められる、もしくは、燃やされるかしているというのが現実だ。

昨年は、ドングリや栗などが豊富だったせいであろうか…。近隣では「熊」の目撃情報が比較的少なかったようではあるが、依然として、ニホン鹿や猪、狸、ハクビシンなどの目撃情報は増え続けており、私たちの生活圏と野生獣の生活圏の曖昧さは増している。とは言え、都市部に生活している人たちにとっては、「へ~そうなんだぁ…」程度のこととして受け取られがち。野生は日毎勢いを増し、私たち人間は益々脆く、弱くなっている。
山と街が限りなく繋がっている此処、信州では、私たちが人間が、野生と如何に折り合いをつけてゆくかが問われ続けている。

26,773頭の許可保護…
それは、私ち人間の生命を維持する為に一方的に獲られる生命の数のあらわれでもある。

私たちがこれからをどう生きるのか…。
「いのちを生かす道」を探りたいと思う。

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大気中の緑色に属するもの
彫刻家 若林奮がそう表現したものは何であるのかと考えながら、犬と一緒に、
雪が舞う、白の隙間から薄い青が覗く空を見あげながら雪の中を歩いた。

 

ここには草原が広がっていて、緑色の草原には子供たちが走りまわっていた。

 

草原の先の、池というよりはわずかに広い湖は既に白く、私の視界は向こうの森までずっと白い。
湖面からは、枯れた木が数本顔を出しているはずなのにそれも既に雪に埋もれてしまったか。
あの枯れた数本の木さえあれば、かつてここが周囲と同じ森であったことを想像するには十分だと思っていたのに。

 

私も緑色に属するものであるならば、
この白の中にも緑色が放つ匂いを感じることができる。

 

犬は、雪の中に頭を突っ込んでいた。

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東京都世田谷区は、3月1日より「世田谷区営太陽光発電所」を稼働する。

この発電所は、<出力約0.4MW、一般家庭の約120世帯に相当する太陽光発電所を設置、世田谷区へ賃貸し20年間当該発電所を維持管理するものです。この事業により世田谷区は20年間にわたり売電収入を得ることができます>(協定書より)
発電した電力は、東京電力より高い価格(国が決めた固定価格よりキロワットあたり2円50銭高い価格…契約期間は3年1ヶ月)で電力を買い取っても利益を出すことができる民間の電力事業者へと売電される。
なかなか売却できなかった三浦市の休遊地をリース方式の太陽光発電所に活用することで、国が決めた固定価格で東京電力に売るよりも年間100万円ほど多くの収入を得ることもできるようになると説明されている。
http://www.asahi.com/and_w/life/TKY201401060077.html

固定価格買取制度は、2009年11月…個人家庭に取り付けてた太陽光パネルによって発電され、使い残された電気を日本中の電気利用者が全て、¥42/1kwで買い取らされるという制度で、「太陽光促進付加金」という形で、各家庭の電気料金の使用料に応じて課金され徴収されるもの。
これに加えて、2011年3月11日の午前中に閣議決定された、「再生可能エネルギー特別措置法案」により、個人の屋根に乗せられたパネル以外も…売電目的に造られた太陽光、風力、地熱、小水力、バイオマス…など、いわゆる再生可能エネルギーによって、発電された電気は全て、日本中の電気利用者が向こう20年間に渡って全量を買い取る制度とあわせて実施されている。
ここで間違えてはいけないのは、「この電気を買い取るのは電気会社では無く電気利用者である」…ということ。電力会社は、国に代わって、徴収・支払い等などの事務処理をしているにすぎず、再生可能エネルギー発電によって発電された電気を買い取るのは、あくまでも電気利用者であり、さらに、大量の電気を使う企業からは8割が割引かれ、その割引き分はそれ以外の電気利用者が二重に負担することになっている。

日本中に利用しきれない土地、海、湖、川、は山とある…。
そう考えてみれば、世田谷区に限らず、こうした再生可能エネルギー発電所は、今後益々、日本中に増えることが予想できる。
既に、屋根そのものが太陽光パネルの住宅はつくられているし、電気自動車は単なる交通手段から、何処にでも移動できる大型蓄電池となり、スマートグリッド (smart grid) 電力網の実用化は目の前で、企業にとっては、スマートメーターの他、電力制御技術全般や超伝導ケーブル、NAS電池のような大規模蓄電池システムを売り込む巨大なビジネスになるとも言われている。

ようするに、電気とは既にエネルギーでは無くなってしまった…それとも、私たちが生きる為に必要なエネルギ-とは、電気をつくることによって得られるということになってしまったのかもしれない。
ピンクフロイドが頭の中を駆け巡る。

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