Feeds:
投稿
コメント

Archive for the ‘学び’ Category

 
現在進行中の家づくりの為に必要な材料…デットストック材や古民家を解体して集めた古材、木舞壁に使う竹…などを、集めまくっていた倉庫を事情があって引き払わねばならなくなり、先日その搬出がようやく終わった。
早いところ家づくり作業を再開せねばなならい焦りがあるものの、いまのままじゃこれから使う予定の材料も取り出せない…。
 
10年程前まで元土木建築業者さんの資材置き場兼建設重機車庫だった倉庫を貸してもらった。
建築足場+単管+ブルーシートで被われた、水無し、電気無し、トイレ無し…どこから見ても、誰が見ても、危険な気配度満点の、まさにアジトと呼ぶにふさわしい倉庫内には、かつて使われていたのであろう道具やら部品やら建築資材の残材に加えて自分が運び込んだ材料でごった返している。
は〜〜〜いったい俺は毎日何をしているのだろう…とため息も出るけれど、せめて手を洗う水ぐらいは…と、発電機のエンジンを回し、水中ポンプを倉庫から少し下がった場所を流れる川に沈めると…
おーーー!!水が出たぁーーー!!!と、あたりまえなことなのに大喜び。
これがもし井戸水だったら、間違いなくお祭り騒ぎ。
でもおかげで、俄然ブルーシートアジトが素敵なところに見えてきた。
忘れてた。
水があるって、ほんとありがたい。
熊本や大分で地震があって、いまだってみんな困っているはずなのに、でも自分はこんなことすら忘れてた…。
 
今年、この倉庫がある町と同じ町にある「みんなの学校」という小さなフリースクールの一つの授業を月一回だけ受け持っている。
倉庫がある山間のその向こう側の、山間の谷間にある荒廃した棚田の跡地で子供たちと小屋をつくる。
小学校3年生にあたる歳の子から6年生にあたる子まで全部で9人。
倉庫の移動やら何やらで、既に大幅に遅れてしまっている進行中の家づくりのピッチはなんとしても上げなければならないけれど、この授業は今年の自分にとっての大切な課題。
それは昨年、事情があって行くことができなかったネパール支援とも関係している。
 
ネパールの大地震が起きてからちょうど一年。
政情不安定なネパールでは、地震後の復興はなかなか進まない。
ネパール地震の発生後すぐにネパール入りし、支援活動を行なった後、自分とネパールを繋いでくれた友人は、熊本での地震発生直後から支援活動を続けている。
自分の知識や経験が少しでも役立つのなら…。
昨年のネパール行きを断念してしばらくして、別の友人からネパールでの支援の相談をされているのだけれど一度その相談を聞いてもらえないだろうかと連絡があった。
東京の郊外でネパール料理店を営むネパール人の男性は、ネパールの2回目の大きな地震の震源地の近くの山間の町で生まれ育ったそうだ。
彼によると、現在も余震は頻繁に続いていて、人々の多くは石と土を積み重ねてつくられた家に暮らしていたものの、その殆どは地震によって崩れ、いまもテント生活を余儀なくされている人が多いそうだ。
加えて、ネパールでは昨年、新憲法が制定されて以来、政情が不安定なこともあり、地震後の復興は思うように進まず、貧しい人々が新しく家をつくることはとても難しいだろうという。
自分が生まれ育った村の人々のためにできることを考えた彼は、地震に強く、しかも安価でできる家づくりの方法がないだろうかと、設計士である私の友人に相談を持ちかけたそうだ。
そこにある素材で、できるか限り安価で、自分たちの手で家をつくるには…。
 
私はネパール人の彼から紹介されたカトマンドゥ在住の建築技師の人から情報をもらいながら準備を進めつつ、日本でネパールの現地と同じ素材を用いた実験棟をつくろうと思っている。

そこにある素材で、できる限り安価で、自分たちの手でつくる。
日本の子供たちと一緒にそれを考え、つくる。
そうやって世界を学べたらそれは素晴らしいのではないだろうか。
 
倉庫の残材の中で一番の厄介もの…
それは、チクチクするグラスウール断熱材の残材と、新建材という名の健建築材料…
その殆どがネパールの山間地では使われていないものたち。
倉庫の回りに広がる田んぼ眺めながら、ネパールを、九州を、そして子供たちが生きる未来を想像する。
 

※写真は、小屋建設予定地の棚田跡。
山からの滲み出し水でぬかるみが多く、少しでも乾くようにと掘った水路はすぐに小川のようになってしまう。
でもこれできっと土地は乾くはず。

13174009_922569457862707_7871167091371895093_n

広告

Read Full Post »

 
気が付けば随分と長く、ものづくりをしてきたものだ。
転がる石のごとく…とは言え、自分でつくること、つくり続けることだけはけっしてやめない、つくり続けるというわがままに、家族や友人を随分と巻き込んできた。
このくらいの歳になると、誕生日は嬉しいものではなく感謝する日なのだと少しは思えるようになってきた。
自分のものづくり人生を支えてきてくれた家族、そして友人には心から感謝を。
 
…にしても、つくることによって見えてきたモノやコトはあまりにも多い。自分のまわりは、つくっていなければ出会えなかったであろう人だらけだ。
3月。長く暮らした東京を離れ長野市に暮らしはじめてちょうど7年になる。
何か、時代が大きく動き始めている、変化しはじめていると感じるようになったのは、やはりあの日があったからか…長野市に暮らし始めて2年後のあの日。あれから5年。
とは言え、自分がしていることはそれ以前とさほど変わってはいない。
所詮自分は、つくることでしか考えられない、美術から離れられない美術馬鹿なのだとさらに強く自覚する今日このごろ。
 
長野に暮らし始めた当初。自分が生まれ育ったところとは言え、ここがどういうところなのか、ここの人たちがどういう人たちなのかが掴みきれず、暮らしてはいるものの、なんとなく自分は旅行者のような気がしていた。
最初はそんな旅行気分も悪くはないと思っていたものの、足が地についていないような、どこか体が宙に浮いたような状態は自分の精神に対してはあまり好ましい状況ではないな…と感じていた矢先の震災だった。
東京時代から、岩手に行くことが多かった自分は、震災後も岩手を中心に、東北に行くことが多かったのだが、目に見えて変化する被災地の姿とそう簡単には変化しない様々を感じることによって、自分がいま暮らしている長野がどういうところなのかも同時に、少しづつではあるけれど見えてきたような気がする。
 
そして、いま自分がここ…長野に暮らしながら思うことは、長野が急速に都会化している…ということ。
それが悪いとか良いとかではなく、自分が思う都会化とは言葉にするとすれば、二極分裂を繰り返しているということ。
以前は、東京が都会で長野は田舎だったものが、長野の中が都市と田舎になり、さらに都市も田舎も分裂を繰り返しながら次第に細分化され続けてゆくような…。
こうした流れや傾向は、全国各地の中心市街地が空洞化し始めた、30年以上前、日本の高度経済成長期から始まっているとは言え、東日本大震災を機に急速に加速したと思うのは自分ではないはずだ。
 
世の中が変化してゆくのは必然。そして、どんなものも永遠には続かない…。
例えば、いわゆる山村が過疎化、高齢化している状況もある意味では必然、私たちが求めた便利さが結果としてこうした状況を招いたとも言える。
問題の本質は、山村の人口減少問題をどうするのかでは無く、とめどもなく便利さを追い求め続ける現代日本人の暮らしのあり方なのだ。
かつての山村に人がたくさん暮らしていたのは、人々が求める便利さを山村が満たすことができていたから。
いま、そして今後、山村は人々が求める便利さを満たすことができるのだろうか。満たそうとするのだろうか…。
いま私たちが最も考えなければならないことは、私たちが求める続ける便利さとはいったい何かということ。そして、その便利さを得る変わりに私たちが失ってきたものは何であるのか…ということではないのだろうか。
そこを蔑ろにしたまま、例えばそれが山村の人口減少問題だとして、対策は何も講じられないと自分は思うのだが…。
 
美術馬鹿の自分は、何かをつくることでしか考えることができないが、でも、そのおかげで、材料を自分の手でさわり、自分の手が何ができて何ができないのかを知ることができている。道具は便利だけれど、道具を使い過ぎると美しさは途端失われてしまう…。
手でものをつくることによって、便利さとは一体何なのか、便利さによって失うものは何であるのかを感覚として感じることができている、そんな気がする。
 
この世にあれど、目には見えないものを感じることができなければ、人の便利さに対する欲望はいずれこの世のすべてを破壊しつくしてしまう。
それを少しでも食い止めるために美術馬鹿の自分にできることがあるとすれば、いままでさんざん、様々な素材に触れてきた経験を、それを必要とする人に伝えつつ、自分でつくるために必要な場と機会をつくることぐらいではないかと思うのだ。
 
そこで、RIKI-TRIBAL S.A.Wの秘密基地のような工房や倉庫。そして、いままでものづくりをつうじて身についたわずかながらの技術や情報を、開放すべく準備をはじめました。
とは言え、どのように開放し、展開してゆくのが良いのか、スーパースローリーな自分一人だけではなかなか開放計画は前には進みません。
この計画にご興味ある方のご協力を是非お願いします。
ものづくりが好きな人たちが増え、たくさんの気付きのきっかけになればと思います。

12801277_879375218848798_6293240415163486065_n

Read Full Post »

「つちくれ」

マゼコゼの隣りの部屋、土蔵づくりの建物の1階南側の部屋にRocket mass heaterを製作・設置した。
善光寺門前の古い荒物問屋の倉庫だったこの土蔵。町のお年寄りによると戦前には既にここにあったということだから、少なくとも築80年は経つのだろう。
南側に小さな窓があるこの部屋は当初、アトリエとして、主に鉄の仕事をカフェを訪れてくれた人にも見てもらおうと思ったものの、鉄を鍛くと大きな音も出るし匂いも出る、埃も舞う…いつの間にか元のとおりの倉庫となってしまっていた。
Cafeマゼコゼには、行き場のない私と妻が所有する本、友人から頂いた本をはじめ、私たちが気になったもの…友達のつくった作品やあちこちで買い求めたもの、お土産、散歩しなら拾った枝や葉っぱ、空き瓶、空き缶、錆びた鉄屑、蜂の巣、海や川で拾った漂流物…などなど、他人からすれば意味不明のものたちがゴチャマゼに並んでいて、そこにさらに山に暮らす人だとか街に暮らす人だとか、犬だとかがやってくる。
来るものは拒まず去るものは追わずとは言え、一度置かれたモノたちがそこを動くことが殆どないマゼコゼは、日毎混沌さが増しつづけている。
少し前まで「…カフェってもう少しスッキリしてるものなんじゃないの?」と言っていた娘も、最近はもう何も言わなくなったけれど、どこに何があるのかを把握するのはそろそろ限界が近い。
カフェマゼコゼをはじめて5年。穴から這い出せそうな、ようやく動き出せそうな気配がしてきた。
今年嬉しかったこと。
それは「造形教室 つちくれ」がはじまったこと。
だからこの部屋の名前も「つちくれ」

 

すぐそこの山で役割を終えた木が、土になり水になり。
燃える。
燃える火を感じながらつちくれたちが思い思いに想像する。
私たちに必要なことはすぐそこにある。
想像する。私たちがどこからここへやってきたのかを。
それは難しいことじゃない。
でもそれにはほんの少しのきっかけと勇気が必要。
振り向くために必要なほんの少しのきっかけと勇気が。
想像するってそんなこと。

 
10888943_663835950402727_6741434361804550609_n

10888355_663836540402668_2796549037681563714_n

Read Full Post »

白馬「深山の雪」のパティシエがアップルパイつくりたいのにバターが無い…と言っているそうだ。
これは大変!! 日曜日に行われる、木村×上野対談の後、みんなでアップルパイが食べれるかもしれないのに、えらいこっちゃ!!!
バター無しのアップルパイもあるそうですけど…と、パティシエのお父様に言ってみたものの、あれ?あれれ?牛乳はこんなにあるのになぜバターだけが??…という疑問は残ってしまった。はたして日曜日にアップルパイは食べれるのだろうか…。

 

…で、なるほど…
バター不足の背景にはやはり…。
バターの輸入は農水省所管の「農畜産業振興機構」が独占して行っているそうだ。
http://www.alic.go.jp/about-alic/organization.html

 

日本は国産バターを保護するという理由によって輸入バターには特殊な関税割当制度が適用されている。
民間業者がバターを輸入しようとすると、一時税率(関税35%)に加えて、二次税率(1キログラム当たり関税29.8%+179円)の高率の税金が掛か る。そのうえ更に、輸入業者はバター輸入を独占している農畜産業振興機構に1キロ806円のマークアップと呼ばれるマージンを収める必要があり、国際価格 500円のバターを1キログラム輸入した場合の価格は1,634円に跳ね上がる。
通常の食品であれば、国産が足りなければ民間の事業者が輸入すればそれで済むはずなのにバターについてはそう簡単にはいかない理由がここにある。
バターが不足すればどんなバターも売れるとは言え、民間事業者はこの関税割当制度によって国内産との差額を抑えなければならず、少しでも安い輸入バターを求めるのも当然で、そういった状況が食品の安全性にも少なからず影響するであろうことも想像される。
独占輸入とマークアップによる農畜産業振興機構の収入は毎年11億円にのぼり、この一部が同機構の役員報酬の原資となっているとも言われてはいるものの定かなことはわからない。
いずれにせよ、私が日曜日、アップルパイを食べれるか食べれないかという危機、そして来月、全国の子供たちにクリスマスケーキが行き渡るかどうかという不安は、農畜産業振興機構による輸入数量のコントロールによって引き起こされている可能性は大きいということなのだ。

 

小麦も同じ。
小麦や米といった穀物は、主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律(食糧法)によって実質的には国家による価格統制が曳かれている。この法によって農水省は安い輸入小麦を無関税で全量買い取り、国内の小麦農家のために支払われる補助金原資となるマークアップ(マージン)を1トンにつき2万円ほど上乗せし、国際相場の約2倍で製粉会社に販売している。
日本の小麦の需要量(年間約550万トン)の9割は外国産に対して国産小麦の生産量は74万トン、生産額は260億円。結果、消費者は高いパンや麺など、小麦製品を買わされることになり、ここに生じる差額が農水省の差配を通じて国内の生産者への約1300億円にものぼる補助金となってゆく。

 

補助金が給料の5倍貰えるような申し出を断り、みんなが少しでも安いパンや麺や小麦製品が買えるよう汗水流し生産量を増やし、少しでも補助金額を減らそうとする人がどれだけでいるだろうか。
(たとえそれをしたとしても、小麦製品の価格は下がらないのだが…)
私は元来怠け者体質なのでそんな努力はしないと思うけれど、私のような怠け者でなくとも、働いた分の5倍もの補助金が貰えるのなら貰い続けるための働き方を考えてしまうとしても不思議ではない。
しかし補助金は泡銭…。
いくらいい加減な私でも、本来の給料の5倍もの補助金をもらい続けてしまったら、泡がはじけ飛んだその時、1/5の給料で暮らしてゆけるとは思えない…。

 

そもそも補助金とは何なのか…。
私の仕事をこと細かに説明するには、10,000字ほど必要になるので割愛するが、補助金事業や助成金事業に絡む仕事が多くある。
補助金申請が採択されたら仕事になり、採択されなければ仕事にはならないこともよくあることで、先の予定は立ちずらいけれど、近々の経済活動は期待できないものの、未来をあれこれイメージしつつ持続可能な道筋が見える補助金制度の活用であるのならば、それは現代社会のあり方の一つだと思っている。
しかし本来的には、補助金が無ければ事業は成立しないという状況は避けるべきであり、補助金に期待せず…何があろうと自力でやり遂げる強い心持ちとそのための方法を常に考え続けた先に補助金制度の活用策は置かれるべきだとも思う。

 

バター不足の背景にあるのは、生産者と消費者との間に存在する保護と振興いう名の複雑で巧妙な構造。
アップルパイが食べたいのならその前に、保護と振興が私達に何をもたらし何を奪うのかについて考えなければならないということなのかもしれない。

 
1378841_647113462074976_4772456388455681359_n

Read Full Post »

自ら気付くことは、この世を生きるための大切な力。
…というよりむしろ、人間がこの世を生きるためにもっとも重要な力とは、この力なのではないかと思う。
とはいえ、この力とはいったい何であるのかを言葉で説明することはとても難しい。
例えばそれは、ずっと考え続けていた問題の解決方法が閃いたあの瞬間…に感じるあの感覚を呼び起こす力。
「自ら気付く力」によって、自分の中で何らかの変化が起こり、いままで何の繋がりも感じていなかった、あるいは、繋がりが途切れていたモノやコトやヒトとの間が結ばれ、繋がり、新たな関係性が築かれる。
こうした途切れていたものが新たに結ばれてゆく際に生じる感覚こそが、あらゆる創造にとって欠かすことのできない源であり、そういった意味からすれば、自ら気付く力とは、まさに創造力であると言っても良いのではないかと私は思う。

 

私に気付きのきっかけを与えてくれた人や物や出来事は多々あるけれど、その中の一人、明治18年、長野県更級郡(現在の長野市信更町)に生まれ、尋常小学校、旧制中学校の教師であり地理学者であった三沢 勝衛が著した論文や研究は、ここ最近の私にたくさんの気付きをもたらしてくれている。
三澤勝衛は、『新地理教育論』(三沢勝衛著作集 第二巻、31‐32p)でこう書いている。

「教育というものは教えるのではなく学ばせるのである。その学び方を指導するのである。背負って川を渡るのではなく、手を引いて川を渡らせるのである。既成のものを注ぎ込むのではない、構成させるのである。否、創造させるのである。ただ他人の描いた絵を観照させるのではない。自分自身で描かせるのである。理解の真底には体得がなければならないのである。それがその人格そのものの中に完全に溶け込んで、人格化されていくところのものでなければならないのである。したがって、地理学においても地理的考察力の訓練を重視するのである。すなわち地理的知見の開発だけではない。さらにその性格までも陶冶し、自律的に行動し得るようにまで指導する、過分に感情および意志に対してまでも深い交渉を持ち掛けて行くべきものである。要は魂と魂との接触でなくてはならないのである。否、共鳴でなくてはならないのである」

 

まるで、昔観た学園テレビドラマに登場するような熱血教師のような…その論文は暑苦しいほどSoulful
でも…その言葉に嘘を感じないのは、三澤勝衛の地理学が実践・実理の地理学であり机上の研究ではなかったからか。野山を歩き回り、地域の暮らしと自然との関係を深く見つめることをつうじて得た、地域で生き続けるための地理学と教育とを常に切り離すことがなかったからに違いない。

「地球の表面という概念の中には、地理学の方面からさらにそこにいろいろの内容を含ませて考えなくてはならない。すなわちそれは、その表面というのは単に それが岩圏と水圏とでできているいわゆる大地の表面だけではなく、実はさらにその上を厚く掩っている大気圏の底面をも考え、しかも正しくはこの両者の接触面 を中心としてそれを地理学上での地球の表面と考えたい。」
「これら両者の接触からなるその接触面は、等しく地球のとはいうもののさらにいっそう多種多様のものであるべきことも想像に難くはない。しかしその多種多様であるそれぞれの接触面も、それが単なる接触面というだけではなく、その広狭のいずれを問わず必ずそこに一つの中心を持ち、それが統一的完全体としての存在であることを注意しなくてはならない」 『郷土地理の観方』(三沢勝衛著作集 第一巻、7p)

 

大自然である大地の表面と大気の底面との接触面における一大化合体を地理学上の地球の表面として捉えていた三澤勝衛は、この接触面において土壌・植物・動物・人間が互いに大地・大気と関係しあいながら、一体となって表出するもの…「一つの中心を持つ統一的完全体としての存在」 それを『風土』であるとした。
例えばそこが寒い土地であたり雪が多い土地であったり、水が冷たかったり、風が強かったり、湿度が低かったり…、それら人間にとって一見望ましくない自然に対しても、それを憎んだり、征服したりしようとするのではなく、風土に従って、その力を活用することでプラスの力が生まれる…風土を活用することこそが人類の叡智であるとした三澤勝衛の地理学研究とその教育は、効率と平均化一辺倒の現代に生きる私たちに多くの気付きを与えてくれるのではないだろうか。
…少なくとも、歩いてもゆける程近くに、熊や鹿が暮らす山を背にした街に暮らす私の魂は、三澤勝衛の地理学に大きく共鳴し、揺さぶられている。
途切れていたものが繋がり、結ばれてゆく感覚がそこにある。
この感覚から始まる新しい創造が何であるのか…いまはまだぼんやりしてはいるけれど、この感覚があるということは、きっとこれから何かが始まるのだと思える。
いまはそれだけでとても嬉しい。

10374537_624760197643636_7927973529836407497_n

Read Full Post »

※ 岩手県釜石市根浜海岸で9月1日から開催する、コミもりプロジェクト期間中の企画
「地域つなぎ寺子屋 〜アートが人とまちをつなぐ〜」 のために書いた 資料その1

まちとは姿形あるものでは無く多様な関係性が繋がりあってつくられる、あるいは多くの部分が緊密な連関をもちながら連携することによって起こる有機的な現象であるとも言える。
目に見える現象である部分だけに注目してもまちの全体性は見えてこない。
まちを全体性として捉えるためには、部分と部分を連携させているもの、目には見えない関係性こそが重要だ。そのためには、目には見えないものを感じるための想像力の育みが今後益々重要性を増してくるのではないだろうか。

かつて時代が江戸時代から明治時代へと移り変わると同時に、西欧からは様々なモノとそれまでの日本には無かった西洋的思想、概念が怒涛の如く押し寄せてきた。Artという概念が入ってきたのもこの時期で、リベラルアート(liberal arts)の訳語として「芸術」が、ファインアート(fine arts)の訳語として「美術」が用いられた。
現代に至っては、芸術、美術は共にArtの和訳として、Artとは何かと言った場合、芸術であり芸術作品であり、美術であり美術作品であり、技であり技工である…Artらしき曖昧な概念を示しているとも言える。
「芸術」という日本語があてられたリベラル・アーツ(liberal arts)という表現の原義は「人を自由にする学問」であると言う。古代ローマにおいて、「技術」(ラテン語: ars)は、手の技である「機械的技術」(アルテス・メカニケー、artes mechanicae)と、「自由人の諸技術」(アルテス・リベラレス、artes liberales)とに区別されていた。
artes liberales を英語に訳したものがリベラル・アーツであり、liberal artsを日本語に訳す際にあてられた日本語が「芸術」であったということだ。

いま日本ではArtは美術であり芸術として理解されてはいるものの、芸術、あるいは美術とは何であるのかの概念があまりに曖昧であることを考えれば、Artの社会的役割もまた不明確であるのもまた当然で、日本のArtは経済的に自立できているとは言えないのが現状。
とはいえ近年、社会は多様化しArtもまた多様になっている。
「コミニティーアート」や「臨床美術(クリニカルアート)」など、Artの持つ可能性をコミュニティーや医療の現場で用いられるなど、多様化する社会の変化に応じたArtの役割が見え始めてきた。

そうした動きはArtという概念がそもそも曖昧で隙間だらけであるがゆえ…。
Artとは社会という常に変化を繰り返す曖昧な現象との間にある関係性によって現れるものであり、社会の変化に応じてArtの役割もまた変化してきたとも言える。
社会が多様化すればまたArtも多様化するのはすごく当然なこと。画廊や美術館に展示されるようなアートが不必要になったということでは無いにせよ、人々の趣味も関心事も多様化し続けるような現代社会のニーズに答えられるほどの柔軟性をファインアートは残念ながら持ちあわせてはいない。かつてファインアートがArtを専有していた時代、社会はいまほどに多様では無かったということなのだ。

「アートを用いる…」と言う場合、そもそもArtという概念が実に曖昧であることからすれば、社会は何をArtに求めているのかを出発点として、Artは社会の求めに対して応じることができるのかどうかを判断したそのうえで、社会の求めに応じたArtを提供する…という道筋がある。
しかし、そうしたアプローチが今までのArtの立ち振る舞いとは逆であるような気がするのは、芸術的価値のみを専らにする活動や作品を指す概念であるファインアート(fine art, fine arts)こそがArtであると方向付けられてきた歴史が…そうした方向付から私たちの意識が脱することができないからに他ならない。
イラストレーション、デザインや工芸などの応用美術、漫画やアニメ、映画などの大衆芸術と区別されるファインアート=純粋芸術という概念は、18世紀後半のヨーロッパの貴族社会(上流階級)の中で確立したもの。だからそれはハイアートとも呼ばれる。
もともと、建築物や家具、食器、衣服などへの装飾であったArt(技術)が、壁画が板絵やタブローとなって壁から離れ、建築や構造物にあった彫刻が彫像だけが独立し制作されるようになるなど、独自のジャンルとしてのArtが確立され…とりわけ、絵画・彫刻が発展した。 こうした背景にはテンペラや油彩という新しい技術的要素が起こったことや、上流社会における権力や財力の象徴として絵画や彫刻が売り買いされるようになるといった当時の社会的状況がある。こうした社会状況の後押しがあり、装飾性が実用的機能から切り離されて制作され発展し、装飾性が芸術性に半ば強引に格上げされ芸術的価値(ファインアート)という概念がうまれた。

しかしそもそも、日本を含め東洋には実用的機能から切り離された美術品と言えるものがほとんどない。別の言葉で言えば、美術はある目的性があるからこそ成立し、絵画や彫刻を目的性から切り離すということは、その存在理由を失うということ…その意味からすれば日本や東洋のArtは移動不可能なものが殆どだったと言える。
刀剣や茶碗などにしてみても、いまでこそそれは美術品とされてはいるものの、本来は目的性があるからこその道具であり、実用的機能から切り離されたものではない。
Artにとって画廊や美術館が欠かせないという状況は、まさに芸術的価値のみを専らにする活動や作品を指す概念であるファインアートこそがArtであると示しているに他ならず、美術館に飾られるArtは、あちらこちらの画廊や美術館へと移動を繰り返しながら、ハイアートという商品として売り買いされる対象となるということなのだ。
もちろんそれが悪いということではない…。
だがしかし、もはやArtは単にそれに留まらないということだけは確かなこと…。
Artの可能性とは何か。いま日本が必要とするArtの役割とは何であるのか。
それはかつての、Artにかけられてしまった呪縛からArtが解き放たれた時にようやく見えてくるような気がする。

多様な世界を西欧と東洋に分けて考えることはあまりにも暴力的な考え方ではあるが、近代以降押し進められた世界を巡る権力構造は、少なくとも西欧に発した思考から起こったことは事実であり、未だその西欧的思考、概念が世界を支配し続けていると考えることは概ね間違いでは無いと思う。
だからといって、西欧的思考、西欧的概念をひと括りに否定することはできないが、少なくともこの国…否、いま日本と呼ばれているこの土地、風土だからこそ成立したこの世の捉え方、そこに育まれてきた思想があるからこその西欧思想であり、自分の思考が何処に起因しているのかの認識無くして、多様な世界を感じることは不可能だ。
それは、日本人であれば東洋的思考でなければならないとか、西欧的思考を否定するということでは無い。
自らの思考の原点は何処にあるのか…それは自らの哲学と言うべきか…いずれにせよそれ無くして他者への理解は始まらないと私は思う。

Artとは何であるのかの答えは無い…答えが無いからArtがあると言うべきか。
リベラル・アーツ(liberal arts)の原義が「人を自由にする学問」であり、少なくとも現代のArtもそこにつうじているのだとすれば、「自由」と「Art」の間には切り離すことができない関係性がある。
(古代ローマの人に対する認識(奴隷制度)をそのまま受け入れることはできないものの、)
「人を自由にする学問」がArtであり芸術であり美術と関係しているのだとすれば、Artは必ずや「人の自由を阻害するもの」を感じるための手掛かりとなるはすだ…。

アートが人とまちをつなぐ ものになり得るのかどうか正直なところ私にはわからない。
でもしかし、「人とまちがつながるという自由を阻害するものがあるとすればそれはなにか」
少なくともそれを感じるためにArtは使えるはすだと私は思う。

2014年8月30日 美術家 小池雅久

1024px-Jean-François_Millet_(II)_001

Read Full Post »

普段、あまり気にもかけないものに対して、ふと気が向くのは、そこに何かが重なっているから。
ワールドカップは何処が優勝したかも知らぬ間に終わっていたし、プロ野球にもまったく興味のない自分が、蕎麦屋のテレビで高校野球の地区予選を目にしてから、なんとなく地元高校のその後を気にしていた。

もう随分と昔のこと…高校生時代、新体操部に所属していた。
男子新体操という極めてマイナーなスポーツとは言え、インターハイや国体ともなれば強豪ぞろいで、そこでそれなりの成績を出すためには、毎日の練習はもちろん、週末や長期休みの合宿も頻繁にあった。授業のある日の試合や遠征はすべて公欠扱い。公とは言うまでもなく学校であったものの、男子新体操部が公欠して遠征に出かけていることを殆どの同級生は知らなかったと思う。
新設校だったからか、知名度を上げるとか、スポーツ教育をあれこれ試す目的もあったのだろう…水球、高飛び込み、硬式テニス、新体操など、周辺の高校には無い運動部が多かった。
入学してすぐ「国体に行きたくないか…」という体操部の監督の誘いにのった私は、その言葉どおりインターハイと国体を経験したものの、高校2年になってしばらくして退部した…あれから数十年後のいまとなっては、退部した真意など思い出せないが、あの時、何をするにもやる気になれない…という、思春期に現れがちな感覚が自分にも現れた…ということだけは確かだと思う。
目には見えない…言葉にも言い表せない感覚に覆われたまま、此処から出ること…東京に行くことだけを考えていたあの頃…伸ばした手にたまたま触れたのが美術だっただけ…此処から出れるならなんでも良かったのだと思う。

このところ「働き方」という言葉を耳にすることが多くなった。
働くとは何か、何の為に働くのか、というような…。
働き方を「生き方」に含めることもできなくはないけれど、「生き方」へと向う意識は「生命」の本質へと向う方向…非日常的傾向が強いのに対して、「働き方」は生き方のベクトルとはむしろ逆の、日々の暮らしの方向性に沿った意識の延長線上にあるような気がする。
そう感じてしまうのは、「美意識」という曖昧な意識を、この世における自らの生き方の中心に、強引であろうが位置付けようとし続けている私故かもしれないが…。

考えてみると自分には「働き方」に対する問題意識が薄い。
明確な方向性を見い出そうという気持ちが薄い。
高校生の時にあの感覚を感じてからずっと、感だけを頼りに生きてきたようなものだ。
ここ最近、働き方と同様、耳にすることの多い ワークライフバランスは滅茶苦茶、そもそも仕事とプライベートに境目をつくる気も無い…。
これではいくら求人の募集をしていても、怪しくて、危なくて、誰も近付いてこないのも仕方のないことかもしれないが…。
これも全て、「美意識」という女神に魅了されてしまったからか…。

自分にとっての働きとはつくるため…つくることは生きるため。
何故つくりたいのか…と聞かれて答えられるようなら、きっともう止めている。
できれば、自分がこの世からやがて消えてなくなるまでつくりつづけたい…生き方について考え続けたいと思う。
つくるために必要だと思えれば何でもしてきたし、こらからもきっとそんな働き方は変わらない気もする。
働き方を考えて生きるのでは無く、生きる為に働きたい。

「それでいいんだ。」
最近出会った青年は、この頃この言葉が好きだと言っていた。
それはシンプルでゆっくりで自然だから…と。

なるほど、素敵な言葉だと思った。

1391970_440407662745558_1714060008_n

Read Full Post »

Older Posts »