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Archive for the ‘惑星の未来を想像する者たちへ’ Category

ロイター.co.jpによると、アメリカ・カリフォルニア州は26日、米農薬・種子大手モンサント(MON.N)の人気商品である除草剤「ラウンドアップ」に含まれる有効成分グリホサートについて、7月7日から発がん性物質のリストに加えると発表したそうだ。

モンサントと聞くと、いつのまにか反射的に中指を立ててしまう自分だが、とりわけ除草剤「ラウンドアップ」は、もっとも身近な、目に見えるモンサントなのだ。
多国籍バイオ化学メーカー、モンサントの遺伝子組み換え作物の種の世界シェアは90%。化学薬品、プラスチックや合成繊維の製造、かつてベトナム戦争で使われ、いまでもその影響が残る枯葉剤もモンサント製。
除草剤ラウンドアップはモンサントが研究開発した農薬の一つで、最近は、そのラウンドアップに耐性をもつ遺伝子組み換え作物とセットで開発販売されている。
モンサントは2017年中にドイツに本拠地を置くバイエル社に吸収合併されるそうだが、それは結局のところ、モンサントという汚れたイメージを払拭し、企業の企みをさらに拡大させるということなのだろう。

特定の作物だけは枯らさずにその他の草は枯らすことができる…。
それはようするに、自分にとって不都合なものはこの世からすべて消し去ってしまうことが可能になるということであり、自然生命の原理原則として、できないはずのことを実現可能にするということなのだ。
このことは発癌性物質の有無以前に生命倫理としての大問題であるはずだが、もはやその倫理観もラウンドアップによって消し去られてしまったかのよう。
こうしてつくられた意識は社会のあちらこちらに飛び火する。

問われるべき問題の本質は、雑草を枯らすために研究開発された薬品ではなく、自分にとって不都合なものはこの世からすべて消し去ってしまおうとする意識そのものを商品として売りさばいていることだと思う。
そこは人として立ちってはならない禁断の領域。
もはや手遅れだが、そこに踏み入ることは誰であろうと、多国籍企業であろうとけっして許してはいけなかった…。
そして、モンサントはきっとこう言う。
「望んだのはあなたでしょ」と。

そう…、
ラウンドアップに限らずもはや農家の必需品とばかりに除草剤が乱舞する日本の里山の現状を見れば、モンサントをここまで巨大化させてしてしまったのは、この社会に生きる我々そのものなのだということが痛いほどにわかる。
もちろん、猛毒の発癌性物質が含まれていることには企業としての責任はあるだろうが、おそらくそんなことはとっくの昔からわかっているはず。
人の意識が変わってしまうこととラウンドアップの因果関係を証明することは限りなく難しいのだ。

今年ついに…と言うか、ようやくと言うか、米づくりをはじめた。
苗の準備やら水の管理やらあれやこれやを人に頼りまくりながらではあるけれど。
そもそもどのくらいの広さでどのくらいの収量が望めるのかすらわからない自分。
そんな自分が米づくりをはじめた理由の一つは、米づくりにおける懸案、田んぼに育つ草とリアルに対峙してみたかったから。
自分で言うのも何だが、この忙しいのにさらに忙しくなるのは間違いないし、ほんと大馬鹿野郎だと思う。

長野市内の自宅から車で30分ほど。
でも、本業の仕事もあるので、田んぼに行けるのは多くても週に2回がいいところ。
田んぼに行く…ってことは=水草と向き合う…ってこと。
まわりには除草剤を使わない田んぼは殆どない、弟夫婦と自分たちぐらい。
お前らみたいなもの好きは村中探したってほんの数人だけだそうだ。

6月の末に田植えをしてから早一ヶ月。
稲は順調に育ってはいるものの、あれやこれやの水草たちも同じく順調に育っている。
できることなら、ビオトープ的な共存共生とゆきたいところだけれど、残念ながらビオトープ状態では米の収穫はあきらめるしかないらしい。
稲の成長を優先するとなると稲以外の水草たちは要らぬものとしての扱いにせざるを得ない。
でもね、奴らも必死なんだ。
ひっこ抜いても、ひっこ抜いても、次から次へと生えてくる。
だからこっちも必死にならなきゃな…って思う。
米つくってる農家の人からしたら自分たちなんて遊びみたいなものだと思われてるだろうけどね。
まぁたしかに自分としても何やってるのかなって思うし。
でもね、草を抜きながら思うわけですよ。
これでできた米は最初にどうやって食べようかな…とか、
もう少ししたらいまは要らない水草も少しは残せるのかな…とか。
畦の草花は残してもいいかな…とか。

こんな大馬鹿野郎と一緒に田んぼに入りたい人はどうぞお気軽にご連絡ください。
只今、大水草祭り開催中です。

Monsant

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私のことを知っている人 …と言うか、私の外見や行動から生じるイメージからすると、野宿なんて全然平気な人だと思われているかもしれない。
事実、その昔、大学入学当初は中央線、荻窪駅北口あたりに下宿していたにも関わらず、高尾駅、東京駅、武蔵小金井駅、吉祥寺駅…でさんざん野宿?を繰り返した私は、いい加減、家で寝たくなって、国立(くにたち・正確には国分寺市)に引っ越したのだった。
まぁ、血中アルコール度超過の正気では無い状態でのあれを野宿と言って良いのかどうかはわからないが、その後、正気の状態で幾度も、あちらこちらで野宿をしてみようと試みたものの、未だに野宿で健やかな睡眠状態に至れたと思ったことがない。
 
思えば子供の頃から野宿に憧れていた。
いつからか野宿は格好良いと思い込んでしまっている自分は、未だ、男ならやっぱ野宿だろ!!…と思っているのだが、その思い込みが結果として、縄文時代に対する興味や、アイヌをはじめ、世界各国の先住民、自然と共存しながら暮らしている人々、その暮らしぶりへと向かったのだと思う。
 
だがそうしたことを少し客観的に、冷静に考えてみると、自分が「野宿」に憧れることによって結果、ずっと意識しているのは、「宿」ようするに『家』の有り様なのだと思う。
家の有り様とは言い変えれば、「家と人との関係」ということになろうか。
 
そもそも人はなぜ「家」を必要とするのか。
「家」とはいったい何なのか。
…最近になってようやく、
自分はそのことについてもうずっと、長いことそのことばかり考え続けてきているのだということに気が付いた。
 
考えてみれば家と外との違いなんてほんの僅かなこと。
どんなに薄っぺらな布でできていようが、テントの中に入れば超熟睡できてしまうのが自分。
雨が降ったら熟睡はできねーな…と思うこともあるけれど、最近のテントはそこそこの雨ぐらいなら濡れるなんてことも無い。
気にするのは、そこが平らかどうかと凸凹ぐらい。
…でも、ずっとテントに暮らせるのか?
最長いでも一週間ぐらいしかテント暮らしは続けたことは無いけれど…。
場所にもよるけれど、トイレなんて無くても平気。
最近流行りの?野糞で十分。
風呂なんて入らなくてもどこかに水があればなんとかなる。
水は必要でも水道である必要は無い…。
 
もう随分前に、フィンランド人の写真家が私達が東京で暮らしている時に改装し運営していた家に泊まりながら、東京近郊で写真撮影をしていたことがある。
10日ほど滞在していたであろうか。隅田川の堤防の川辺りや、多摩川の河川敷など見られるホームレスの人々が暮らす、いわゆるホームレスホーム撮影するつもりだと言っていたが、彼は母国フィンランドでも同じくホームレスの人のテントを撮影していた。
おそらく彼は、人の目には見えない都市の影の部分(あるいは都市の暗)を写真によって捉えようとしていたのだと思う。
彼は写真だからこそ見える何かを捉えようとしていたのだと思うのだが、彼の写真を見ると、同じホームレスホームでも、明らかにフィンランドのそれと日本のそれは異なるものだった。
それをあえて一言で言うとすれば、日本のそれは「家」
フィンランドのそれは「テント」だった。
 
あれから時は過ぎ、東京を離れ長野に暮らしている。
長野に来てから、ホームレスホームはみていない。
築100年に近いであろう土蔵づくりの倉庫を改装し暮らしている自分。
 
自分が暮らすここは「家」なのだろうか。
はたして自分は「家」を求めているのだろうか。
 

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現在進行中の家づくりの為に必要な材料…デットストック材や古民家を解体して集めた古材、木舞壁に使う竹…などを、集めまくっていた倉庫を事情があって引き払わねばならなくなり、先日その搬出がようやく終わった。
早いところ家づくり作業を再開せねばなならい焦りがあるものの、いまのままじゃこれから使う予定の材料も取り出せない…。
 
10年程前まで元土木建築業者さんの資材置き場兼建設重機車庫だった倉庫を貸してもらった。
建築足場+単管+ブルーシートで被われた、水無し、電気無し、トイレ無し…どこから見ても、誰が見ても、危険な気配度満点の、まさにアジトと呼ぶにふさわしい倉庫内には、かつて使われていたのであろう道具やら部品やら建築資材の残材に加えて自分が運び込んだ材料でごった返している。
は〜〜〜いったい俺は毎日何をしているのだろう…とため息も出るけれど、せめて手を洗う水ぐらいは…と、発電機のエンジンを回し、水中ポンプを倉庫から少し下がった場所を流れる川に沈めると…
おーーー!!水が出たぁーーー!!!と、あたりまえなことなのに大喜び。
これがもし井戸水だったら、間違いなくお祭り騒ぎ。
でもおかげで、俄然ブルーシートアジトが素敵なところに見えてきた。
忘れてた。
水があるって、ほんとありがたい。
熊本や大分で地震があって、いまだってみんな困っているはずなのに、でも自分はこんなことすら忘れてた…。
 
今年、この倉庫がある町と同じ町にある「みんなの学校」という小さなフリースクールの一つの授業を月一回だけ受け持っている。
倉庫がある山間のその向こう側の、山間の谷間にある荒廃した棚田の跡地で子供たちと小屋をつくる。
小学校3年生にあたる歳の子から6年生にあたる子まで全部で9人。
倉庫の移動やら何やらで、既に大幅に遅れてしまっている進行中の家づくりのピッチはなんとしても上げなければならないけれど、この授業は今年の自分にとっての大切な課題。
それは昨年、事情があって行くことができなかったネパール支援とも関係している。
 
ネパールの大地震が起きてからちょうど一年。
政情不安定なネパールでは、地震後の復興はなかなか進まない。
ネパール地震の発生後すぐにネパール入りし、支援活動を行なった後、自分とネパールを繋いでくれた友人は、熊本での地震発生直後から支援活動を続けている。
自分の知識や経験が少しでも役立つのなら…。
昨年のネパール行きを断念してしばらくして、別の友人からネパールでの支援の相談をされているのだけれど一度その相談を聞いてもらえないだろうかと連絡があった。
東京の郊外でネパール料理店を営むネパール人の男性は、ネパールの2回目の大きな地震の震源地の近くの山間の町で生まれ育ったそうだ。
彼によると、現在も余震は頻繁に続いていて、人々の多くは石と土を積み重ねてつくられた家に暮らしていたものの、その殆どは地震によって崩れ、いまもテント生活を余儀なくされている人が多いそうだ。
加えて、ネパールでは昨年、新憲法が制定されて以来、政情が不安定なこともあり、地震後の復興は思うように進まず、貧しい人々が新しく家をつくることはとても難しいだろうという。
自分が生まれ育った村の人々のためにできることを考えた彼は、地震に強く、しかも安価でできる家づくりの方法がないだろうかと、設計士である私の友人に相談を持ちかけたそうだ。
そこにある素材で、できるか限り安価で、自分たちの手で家をつくるには…。
 
私はネパール人の彼から紹介されたカトマンドゥ在住の建築技師の人から情報をもらいながら準備を進めつつ、日本でネパールの現地と同じ素材を用いた実験棟をつくろうと思っている。

そこにある素材で、できる限り安価で、自分たちの手でつくる。
日本の子供たちと一緒にそれを考え、つくる。
そうやって世界を学べたらそれは素晴らしいのではないだろうか。
 
倉庫の残材の中で一番の厄介もの…
それは、チクチクするグラスウール断熱材の残材と、新建材という名の健建築材料…
その殆どがネパールの山間地では使われていないものたち。
倉庫の回りに広がる田んぼ眺めながら、ネパールを、九州を、そして子供たちが生きる未来を想像する。
 

※写真は、小屋建設予定地の棚田跡。
山からの滲み出し水でぬかるみが多く、少しでも乾くようにと掘った水路はすぐに小川のようになってしまう。
でもこれできっと土地は乾くはず。

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http://rollingstonejapan.com/articles/detail/25504

我が家の中1の娘は、あるバンドに惚れ込んでいる。
きっかけは大好きな漫画家がそのバンドのアルバムジェケットを描いていたことだったような気がするが、間違っていたら怒られそうなのでこれ以上は言えない。

はるか昔…自分が中学生や高校生だった時代を思い起こせば、その時代は宙に浮いたような時代だったと思う。
急速に自我が形成されるこの時期、それは母船から酸素を送る管が着いたまま宇宙空間を泳ぐ宇宙飛行士のようなもの。時に邪魔だと感じるけれど、それを外してしまうわけにはゆかないこともわかっている。
親も学校も必要ではあると感じてはいるものの、その圏外には未だ遭遇したことのない未知の世界が広がっている。そこには自分が成長するために必要なものがあるのだけれどそれが何であるのかは自分だけにしかわからない…
それを直感として感じる時期なのだと思う。

娘が急速に成長してゆく様は、親として嬉しいものの、成長とはこういうものなんだな…という寂しさのようなものが無いとも言えない。
しかし、親と子の関係は、それ以外の人と人との関係とは少々異なるものだ。
仕事柄、子供に教えたり伝えたりするることも多いのだけれど、もはや娘には自分が直接教えることはできないと思っている。
思春期にありがちな、娘が父と話すことを嫌がるような状態はいまのところ感じてはいない(自分はそう思ってはいるけれど…)が、子だけが成長するのではなく、思春期の子を持つ親としての役割もまた変化し成長しなければならないのだと感じることが多くなった。

親とは自分では避けようの無い、否定しようの無い現実だと思う。
現実とは自分がこの世に根を張った土壌…そこが何処であれ、土壌はこの世のすべてと繋がっているのだ。
思春期に始まる人としてもっとも大きく急速に成長する時期とは、否が応でもその現実とは何であるのかを知り、自分の力で自分の生き方を切り開いてゆく時期だと思う。

だから、そんな成長期に入った娘にも、そして親である自分にとっても、よろしくお願いします。と言える何かが必要だ。
私は、それが表現であり、表現者であると思っている。
かつての自分もそうだった。
真の表現者に出会うことは人を何よりも勇気づけ、成長させる。

自由を教えることは何よりも難しい。
表現とはそのためにあると言っても言い過ぎではないだろう。

歌詞を「詞」じゃなくて、「詩」にもってゆける力…。
なるほど、娘がなぜあのバンドに惚れ込んでいるのかがわかるような気がする。


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Rocket Stoves for Laprak Project
ネパール 天空の村・ラプラックにロケットストーブを届けるプロジェクト

救援活動カンパのお願い

2015年9月1日
Mountain tribes without borders〜国境なき山岳民族

◆◆◆Rocket Stoves for Laprak Project◆◆◆
ネパール・ラプラックロケットストーブ プロジェクト

救援活動カンパのお願い 

国境や境界線という意識を乗り越え、繋がりあい、惑星の未来を想像しようとする者たちを、Mountain tribes without borders 〜国境なき山岳民族と呼ぶことにしました。

今年4月に発生した、ネパール地震によって地盤が緩み、全村移転を決断したネパールの山村、ラプラックの人々を支援するために、Mountain tribes without borders 〜国境なき山岳民族 は、ラプラックにロケットストーブを届けるプロジェクトを始めました。

ロケットストーブ(RocketStoves)は、いまから30年ほど前、環境教育NGOによって、主に開発途上国や難民キャンプなど、料理の際に発生する煙による健康被害を減らすことを主目的として開発された燃焼構造です。
電気もガスも無いラプラックの人々にとって、薪は命を支える重要なエネルギーですが、日々必要な薪を確保することは危険が伴う重労働であると同時に、木が 切られることによって露出した山肌は土砂崩れが発生しやすくなるなど、これから長い時間がかかるであろう村の再建は、如何に持続的にエネルギーを確保する かが重要なテーマになることが予想されます。

ロケットストーブ式の燃焼方式を持った製品が既に商品化されてもいるのですが、単に製品を購入し配布するだけでは、複合的に絡みあった問題の解決にはならない気がします。
私たちはロケットストーブをラプラックと一緒につくりながら、これからのラプラックについて考えてみたい。ラプラックの人々と同じ山に暮らす私たちは国境や境界線という意識を乗り越え、この惑星の未来を想像したいと思います。

以下、Mountain tribes without borders 〜国境なき山岳民族からの、プロジェクトについてのお知らせとお願いです。

◆◆◆Rocket Stoves for Laprak Project◆◆◆
ネパール 天空の村・ラプラックにロケットストーブを届けるプロジェクト

救援活動カンパのお願い

2015年9月1日
Mountain tribes without borders〜国境なき山岳民族

今年、2015年4月25日、ネパールで発生した大きな地震を覚えているでしょうか。
日々、膨大な量の情報が飛び交ういまの日本では、ネパールで起こった大地震を忘れてはいないにしても、ネパールのその後の状況を気にかける人の数はとても少数であることは否めません。
でも考えてみるとそれは、あれからたった4年しか経っていない、いまもまだ続いている、東日本大震災のその後と同じ。未だ悲しみと不安が私たちの心に重く のしかかっているにも関わらず、既に過ぎ去った出来事として、悲しみ続けることも、立ち止まることも許されないような気配が満ちてきているような気がして なりません。

ネパールの地震が起きてすぐ、現地に駆けつけた災害救援NGOの友人から、地震によって村の地盤が緩み、移転を余儀なくされているラプラックでは、薪の確 保が日々の暮らしに欠かせないものの、危険が伴う重労働でもあることから、その手間を少しでも減らすことが村の再建にとっての重要な課題であり、そのため にロケットストーブが役立てられないだろうか、と相談がありました。

日頃、持続可能な暮らしをテーマに活動している私たちの経験と知識が少しでもネパールの人々に役立つのであればそれはもちろん嬉しい、でもそれは、被災し たネパールの人々のためだけでなく、あの日負った傷が癒えないまま、いまを、そしてこれからを懸命に生きようとしている人々が私たちのすぐそばにいること に気付く手立てにもなるはずです。私たちがラプラックで何ができるのか定かではありませんが、まずは一度、ロケットストーブを届けつつ、自分の目で見て感 じてくることが持続可能な未来へと繋がるのではと考えます。

Rocket stoves(ロケットストーブ)

ロケットストーブ(RocketStoves)は、いまから30年ほど前、環境教育NGOによって、主に開発途上国や難民キャンプなど、料理の際に発生す る煙による健康被害を減らすことを主目的として開発された燃焼構造(二次燃焼構造)の名称です。ロケットストーブ以外にも二次燃焼の構造は多数あります が、ロケットストーブの特徴は次の点にあると私たちは理解しています。
1:そこにあるもの…お金無くともそこにあるもの、身近な材料でつくるれること
2:そこにある力…熟練した技術を要しない、始めてつくる人でもつくれる簡単な構造
3:人から人へ…覚えた人が次に覚えたい人へ教えることによって広く普及させること
言い換えればそれは、お金が無くともつくることが可能な、みんなで一緒につくることを通じて、自分が生きているいまという時代を、社会全体の状況を知るこ とができる。これから(未来)をどうやって生きてゆけば良いのかについて学びあう、築きあう方法であるとも言えるのではないでしょうか。

Mountain tribes without borders〜国境なき山岳民族

国境なき山岳民族は、国境や境界線という意識を乗り越え、共に未来を想像しようとする想いを持ち、行動する個人の集まりです。お願いする救援カンパ金は、 ネパールラプラックに、ロケットストーブ燃焼構造を伝えるための支援他、ラプラック村再建の支援を行うための、渡航費、資材購入費、通信費等 に使わせて頂きます。
皆様のお力添えをお願い致します。

 『救援活動カンパ振込先』

【口座名】  国境なき山岳民族 (コッキョウナキサンガクミンゾク)

◆ゆうちょ銀行からの振込の場合
記号 11170 番号 13256621

◆他金融機関からの振込の場合
【店名】一一八(読み イチイチハチ)
【店番】118
【預金種目】 普通預金
【口座番号】 1325662
Mountain tribes without borders〜国境なき山岳民族
事務局代表:小池雅久
〒380-0843長野県長野市長門町1076-2 美学創造舎マゼコゼ 内 026-225-9380
mountain.tribes.nagano@gmail.com

facebook https://www.facebook.com/mountain.tribes.without.borders

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さる2月7日に中川村で開催された、信州自治体学会フォーラム
『人口減少時代の持続可能なまちづくりとは』
「なぜ若者は田舎に向かうのか」 に寄せて書いた文章を公開します。

 

「なぜ若者は田舎に向かうのか」 に想う

 

「なぜ若者は田舎に向かうのか」は、ここ最近の長野市暮らしで気になることの一つでもあるが、若者に限らず、「いまという時代」において人々がいわゆる田 舎に馳せる想いとは何なのか…は、私にとって、そして私が主宰する「美学創造舎マゼコゼ」が行う様々な活動にとっても重要な位置にある。

 

かつて若者は都会へ向かった。その時代にはきっと、「なぜ若者は都会に向かうのか」という討論があっただろう…そして私もそんな若者の一人だったのだ。
若者が都会に向かったことの何かしらが戦後日本の高経済度成長期を支え、都市は拡大の一途を辿り、大都市を中心とした様々な文化が生まれた。そうした先に 『いま』がある。そしてそのいま、若者が都会ではなく田舎に向かうという現象が目立つようになってはいるものの、「若者は都会に向かう」と「若者は田舎に 向かう」 という異なるベクトルであるかに感じる二つの方向性は共に『いま』と深く関係している。
この二つの方向性を繋がりとして捉えなければ、ことの本質はけっして見えてこない。

 

「都会」と「田舎」という相反する二つの言葉のインパクトが大きいがゆえ、風向きは変わり、都会から田舎へと風が吹き始めたのではないか…と期待する人の気持ちも理解できなくはない。
しかし、ことの本質は都会とか田舎とかではなく、若者でもなく、『向かう』の部分にあるのではないかと私は思うのだ。
現に、都会に向かう若者は減ってはいない。日本の総人口は減り始めてはいるものの、東京都の人口はいまだ増え続けている。
http://www.toukei.metro.tokyo.jp/juukiy/jy-index.htm

 

しかしいっぽう、地方に目を向けてみると、正確な調査結果は無いものの、都会から地方へ移住する若者は以前と比較して確実に増えている。
地方…いわゆる田舎では過疎高齢化に伴う人口減少問題が深刻さを増し、田舎から都市へと向かう人が増えるそのいっぽう、都市を離れ田舎へと向かう人々が増えることによって、人の入れ替わりが急速に起こっている。
しかしここで注目すべきは都市であるか田舎であるかではなく、人の意識が大きく二つに分かれ始めていること。

 

そもそも田舎も都会も具体的な場所を示すものではない。田舎とは都会から離れた土地であり、人口や住宅が疎で辺鄙な地域を指しているだけ。都市という概念に対する対比にすぎないのだ。
かつて日本が高度成長期を歩んでいた頃、「田舎」という言葉から連想されるイメージは、人によって多少の違いはあれど、遅れているとか、格好悪い、貧しい…などのイメージが強く、都会はその逆として意識されるものであった。
ところが最近になって、「田舎」のイメージは変化している。
既に多くの若者にとって、田舎はダサいものでも、遅れているものでもなく、生き方・暮らし方、そして考え方についての意識を象徴する言葉となり、都会だけ が進歩的であるという意味は薄れてきた。都会であれ田舎であれ、それぞれが持つイメージが急速に意識されはじめている。
この田舎に対するイメージの変容こそが、都市の若者が田舎に向かい始めている最大の理由だと私は思う。

しかしそうしたイメージの変化があるいっぽう、「田舎」に内在する「貧しさ」のイメージはさほど変わっていない。対する都会には「豊かさ」のイメージが依然として強いということだ。
都会から田舎へと向かう思考性が必ずしも貧しさを望んでいるということではないにしろ、都会の豊かさと比較すれば、「貧しさ」というイメージが未だ根強い 田舎へと向かう思考性を持つ人々は、少なくとも都会からイメージされる豊かさを望んではいない。豊かさを別のイメージとして捉えているはずだ。
それに対しておそらく、田舎から都会へと向かう思考性には、「都会的豊かさ」のイメージが強く関係している。
両者には大きな思考意識の違いがある。もちろん違いは単に違いであり、どちらが正解、どちらが不正解ということではないにしろ、「貧しさ・豊かさ」対するイメージの違いのように、思考意識の違いは、今後さらに増してゆくような気がする。
既に、「都市へ向かう思考」と「田舎へ向かう思考」の違いは地理・地形的な違いや、人口や住宅が疎で辺鄙な地域を指す概念ではなくなり、思考の中心軸に何 を据えるかの違いであり、これからの未来を生きるために必要なもの…のイメージの違いが、「田舎向き」と「都会向き」として現れるのだと私は捉えている。
だとすれば、「なぜ若者は田舎へと向かうのか」という質問に対しても、「田舎へと向かっている」からと言って、その思考意識が必ずしも「田舎向き」であるとは限らない…とも思うのだ。

 

現代社会が抱える様々な歪みは、「貧困」という姿となって現れている。
都会から田舎への気持ちがあろうとも、様々な理由で田舎へ向かえない人は大勢いるだろう。
これからの未来を想像すれば、都会の只中に田舎が必要になるかもしれない…既に都会に田舎はできはじめている。
都会に暮らしてはいても田舎の本質を理解し、都会の中に田舎を創造することは十分可能だと思う。
ようするに、都会であっても田舎はあるし、田舎が都会になってしまうことは十分にあり得るということ。

人は誰しもこの世に生まれた以上、基本的にはその一生が尽きるまでこの世を生き続けなければならない。
田舎であれ都会であれ、人が自らの一生を生きつづけるための場所を求めるのは生命の原則からして極めて当然の本能であり、それを正しいとか間違いとかという論点で語ることはできない。
この世の生命は例外なくすべてみな、なぜ生きるのかを本能的に感じながら生きつづけための場所を探し続けている。
思考意識からすれば、田舎と都会との間に明確な線を引くことは不可能になりつつあるいま…「田舎へ向かう」という意識を揺り動かすものとはいったい何であるのかについて、一人ひとりが真剣に考えねばならない時が来ていると思うのだ。

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山の古民家の屋根の雪は凍りついたまま。
春がくるまで落ちちゃこねえって93歳の爺ちゃんが教えてくれた。
爺ちゃんは二階の屋根の雪下ろし。


水道は凍りついたまま。
凍りついた鍋を薪ストーブにのせて火を付ける。
薪が爆ぜる音。
水が沸騰する音。
信じられないことだらけのこの世の中で。


雪の重さ。
雪の眩しさ。
氷の冷たさ。
薪が爆ぜる音。
水が沸騰する音。
煙の匂い。

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