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Archive for the ‘惑星の未来を想像する者たちへ’ Category

今月発売の「たぁくらたぁ」44号に掲載されている記事の原文です。たぁくらたぁ では、他の記事とも関連付けて、タイトルを「秘密基地づくりの建築」としていますが、原文は「土を着る」としています。

「土を着る」

できることなら自分のこの一生を美術家でありたいと思いはじめたその頃、世の中全体は過剰なまでの経済拡大期の中にあった。
月の半分はアルバイト、残りの半分は有り金の殆どを作品制作に費やす生活。そんな生活が駆け出しの美術家にとってのあたりまえで、そんなあたりまえに慣れてしまっていた自分の中に、そもそも美術家とは何か、美術とは何か、美とは何か、自分がつくりたいものは何なのか、という疑問が沸き起こったのは、バブル崩壊から数年経った頃のことだった。
大学院在学中からの5年間、制作助手をしていた彫刻家・若林奮(2003年没)は、1955年、東京都西多摩郡日の出町の森の谷間に計画されていた二ツ塚廃棄物広域処分場建設の予定地内にあるトラスト地に、詩人・吉増剛造によって「緑の森の一角獣座」と名付けられた、「庭」の様相を持った作品を制作することによって、その建設に反対であることの意思を表明した。
この作品を巡る様々な出来事と社会の成り行きは、自分の中に「美」にまつわる様々な疑問が沸き起こる大きなきっかけとなったと同時に、「ゴミとは何か」について考えることは美術表現のみならず、自分の選択や判断の最も重要な自己基準となっている。

1999年の春、当時暮らしていた東京都国立市の住宅地の真只中にある、築40年の木造平屋賃貸住宅を借り受け、賃貸契約終了時には元の状態に戻すことを条件に大家さんの了解を取り付け、妻と二人、約半年かけて建物を全面改装することにした。
目的は「植物の棲家」をつくること。植物という生きものがそのまま自然であるということでは無いにしても、少なくとも自分がもっと自然について知るためには、否応なく自然と関係している存在に自分から近づく必要がある。
例えばそれが森であり山であり畑であり、自分にとってのそれはこの家であったということだ。
PlanterCottage(プランターコテッジ)と名付けたそこに、始めこそ自分たちが植えた植物ではあったものの、やがて植物たちは、そこが建物であったかもわからないほどに生い茂るようになるにつれ、昆虫や鳥たちが植物に呼び寄せられるかのように、様々な人もまたそこへと訪れるようになっていった。
プランターコテッジは、自分の中に沸き起こった「美」にまつわる様々な疑問から始まったことからすれば、美術表現ではあるけれど、それはまた建物であり、人が集う場所であることからすれば建築的であるとも言える。
いずれにしても、自分が何をつくりたいのかを知りたいがためにつくるのだとすれば、どうやってそをつくるのかについては誰も知るはずもないし、自分で考えて自分でつくるしかない。使える材料を探さなくてはならない。植物をそこで育てるからには土壌のことや気候のことも考えなければならない。そんなことを考えながらつくり続けるうちに、いつの間にか美術でもない建築でもない、そのどちらとも言える狭間を歩きはじめていた。

落ち着きがなく、いつも走り回っていた子供時代、秘密基地づくりが大好きだった自分は、秘密と言うからには人に見つかってはいけないはずなのに、それが完成すると嬉しくなって、友達を誘ってはその秘密を自ら公開していた。
そんな自分の秘密基地づくりの教科書は、学校の図書館にあった世界の様々な家の写真や絵が載っていた本、それと、バルサや竹、マングローブ、麻など、古代でも入手が容易な材料のみを用いた筏(いかだ)で南太平洋を漂流航海したことについて書かれた「コンティキ号探検記」だった。
土を固めてつくった家や、台地を掘ってつくった洞窟のような家、高い木の上につくられた家…、そうした土地の気候風土に合わせて生まれ、培われてきた、土着的・伝統的な建築を、ヴァナキュラー建築(Vernacular architecture)と呼ぶ。
その意味からすれば、 コンティキ号という筏もVernacular的であるとも言えそうだが、子供時代の自分がそこに感じていた共通性とは、秘密基地づくりに欠かすことのできない重要な要素である材料の確保についてのヒントだったのだと思う。
日本伝統の茅葺き屋根の古民家もヴァナキュラー建築と言える。そうした建物がつくられた時代にはまだ、建築家やデザイナーという職業は確立されていなかったし、技術に長けた工匠たちはいたとしても、少なくとも家づくりに必要な材料はその土地で産出されるものが使われていた。その土地の家はその土地に暮らす人々が互いに協力し合いながらつくっていたはずだ。建物がその専門家たちによってつくられるようになったのはつい最近になってからのこと。
人類の歴史からすれば人が暮らす家のその殆どは土着的・伝統的なヴァナキュラー建築であり、そうした家に暮らしている人々がいまも世界中にはたくさんいる。
高い効率性と生産性を目指し発展し続けてきた近代建築は、建築部材の殆どが厳密に管理され、工場での生産加工を可能にした。それによって建物の安全性は高まり、暮らすために必要な労力が軽減されたことは否定できない。こうした近代建築と比較すれば、それぞれの地域で産出する材料を使用し、その土地の気候に適したデザインを考慮しつつ、建てるために必要な知識や知恵の多くは口伝として人から人へと継承され蓄積されることによってつくられる建築との間には大きな違いがある。
どちらが正しいということでは無いにしても、ここで見落としてはならないことは、この発展によって得たものの代わりに失ったものは何であるのかという部分ではないだろうか。

昨年11月、およそ5年に渡って関わり続けてきた家づくりを終えた。建坪17坪の総2階、一般的な感覚からすればさほど広い家ではないし、近頃のハウスメーカーならば3ヶ月もあれば完成させてしまうような大きさだ。
にも関わらず5年の年月がこれに掛かった大きな理由は建築予算。とは言え、単純に予算が足りなかったからということではなく、限られた予算でつくるためには出来る限り、暮らす人が自分でつくるしかないと判断したからだ。「農業・環境・文化」をテーマとした家がつくりたいという施主の希望に対する自分の役割は、家づくりのテーマを具体化するデザインをすること。そして、「建物を自分でつくること」を最大限サポートすることだった。
電話一本で必要な材料のすべてが現場に届けてもらえる仕組みは、建築に要する時間を驚くほど短縮させてくれる。安定した品質とスピードの結果が材料価格であり、施工の素早さが家の価格を決める。
それが現代の家づくりの常識であるとするならば、その常識を崩すしかない。とは言え、家をつくるために材料は欠かせない。それなら材料が生産されるその最初の地点まで自分が行けばいいのではないか。
例えば、山に行って自分で木を伐る。そうすることによって、財布から出すお金を少しは抑えることができるかもしれない。たとえ安くならなかったとしても、何処で刈られた木であるのかを知るということは、少なくとも、その木が育った環境について知るということであり、それはこの家づくりにとっての大切なテーマなのだ。
そしてもう一つ。この家づくりでは、家づくりの作業によって出るゴミ、産業廃棄物として処理しなければならない廃棄物を出来る限り出さないようにすることを意識し続けてきた。それもまた、自分が最初の地点まで自分が行くことによって抑えることができる。産業廃棄物処分費用\15,000は、自分がこの家づくりに5年間関わったことで得ることができたご褒美なのだと思う。

国土面積に占める森林面積である日本の森林率は68.5%、国土のおよそ7割が森林であるそのいっぽう、木材自給率は約3割。約7割を輸入に頼っているのが現状だ。
使用する木材すべてが建築に使われるわけではないにしても、材料によって、建てる場所も、建てる家のデザインも、建てる人も、建てる方法も…、その行方は大きく変化する。
あらゆる職業が細分化され、それぞれの専門家が生まれることによって、高い効率性と生産性が実現し、それによって経済が活性化するという公式。その公式によってつくられる家。
それはまた、秘密基地のつくり方はもう誰も必要としなくなってしまったということなのかもしれない。

写真1:PlanterCottage:プランターコテッジ(東京都国立市)
猫の額ほどの僅かな地面に植えた数十種類の植物が建物を覆いつくす。

写真2:「つちのいえ」ロケットストーブ式ヒーター(長野県北安曇郡小谷村)
ロケットストーブの特徴は、そこにあるものを利用して自分でつくること。

写真3;個人邸のベランダ制作風景(東京都国立市)
そこにある材料は自然のものであるとは限らない。空き缶を積み重ねた上に土をぬる。

写真4:泥の家づくりワークショップ(千葉県船橋市、アンデルセン公園)
何も教えなくても、子どもたちは勝手に分担作業しながらつくる。

写真5:個人邸(長野県千曲市)
材料集めから完成まで、およそ5年。産業廃棄物処分費用は¥15,000だった。

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自分がしたいことをする。
そこにあるのは自由か、孤独か。

「人の目なんか気にしないで、思うとおりに暮らしていればいいのさ」
世代という共通性が社会に何らかの影響を及ぼしているであろうことは否定できない。
とすれば、最初のテレビアニメ世代である自分世代には多かれ少なかれムーミンという共通性がある。
個性的な登場人物の中でもムーミンの親友のスナフキン(Snufkin)は、自由と孤独をこよなく愛し、ムーミン谷に冬が近づくとハーモニカを手に旅に出て、春の訪れとともにムーミン谷へと帰ってくる。
ムーミン物語が心の形成に大きく影響していると自認する自分にとってスナフキンは憧れ。
憧れが理想とする人やものに対して心引かれる状態だとすれば、自分はいまもスナフキンのように生きることができていないからこその憧れということか。
高度経済成長期という時代の中で生きることを強いられた自分たち世代にとってスナフキンの生き方、考え方はまさに時代に対するカウンターであり、別の言い方をすればそれは、「いまをどう生きているのか。これからをどう生きるのか」という問いそのものだと思う。

数年間に渡って取り組んでいた仕事から昨年ようやく手を離すことができたと同時に、自分に向かって怒涛のごとく流れ込んでくる何かを、自分の中に沸き起こる何かを感じているいま。
この感じ、忘れかけてた。
次の目標は何かと聞かれたりすることもあるけれど、スケジュール帳は持たない…持ったとしてもどうせ白紙の状態が続くだけの自分にとって、自分というスペック以上の予定や目標はメモリーを、自分の生きるエネルギーを著しく消費する。
周囲には迷惑を掛けっぱなしで申しわけないと思うこともあるけれど、でも、この世に存在するすべての生命と同様、自分にはいつ死ぬかを決める自由は無いのだから、せめて自分のこの先の予定を空白にする自由だけは無くしたくない。
だから小さな目標であれ大きな目標であれこの先の目標は持たないことにしようと思う。

「大切なのは、自分のしたいことを自分で知ってるってことだよ」
憧れのスナフキンのその言葉の意味がほんの少しだけわかったような気がする。

2018年1月3日 小雪 長野市にて

写真は、昨日の「小諸・茶房読書の森」
驚くほどの快晴。太陽光発電所の造成工事は確実に進んでいた。

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郵便物や荷物を届けてもらうためには、正しく住所を表記しなければならない。
「どこに住んでいるの?」と人に訪ねられれば住所を答える。
その意味からすれば住所はとても役立つし、住民票なるものにも住所が表記されていて、実際にそこに住んでいようがいまいが住民表によってそこの住人であるとされる。
その便利さを否定するつもりはないものの、でも、自分が常日頃忘れずにいたいと思っていること…
「いま私はどこに、どんな時代を生きているのか」においては、住所表記は殆ど役にたつことがない。

自分が多大な影響を受けている詩人・Gary Snyder(ゲーリー・スナイダー)はインタビューで、それは大学の講義での話しだったか、「あなたがどこで生まれのか、いま、どこに住んでいるのかを、住所以外の方法で私に教えてください」と学生に質問したくだりを語っている。
自然保護活動家でもあり、ヘンリー・デイヴィッド・ソローの作品を原型とする自然文学、20世紀を代表する「ネイチャーライティング」の系譜に位置づけられるスナイダーの文学は、人間と自然との関係をテーマにしたものが多く、その質問は、現代に生きる私たちは知らず知らずのうちに自然を蔑ろにしながら生きているということに対する気付きを促し、そしてまた彼自身の文学が何処に端を発しているのかについてを端的にあらわしている。

先日、妻が一冊の本を購入してきた。
図書館ギャラリーマゼコゼの管理人の彼女がどんな本に注目するのか…。実はそのことは自分にとって「どこに、どんな時代に」を考える上でとても重要なことだと思っている。
マゼコゼには私たち二人の本と私たちに関係する様々な人が寄贈してくれた本が並んでいるが、なんともマゼコゼな本の中に、自分や妻、そしてこの場所を必要だと感じてくださっている人たちが、何を大切にしているのかが見える。
本をすべて読み終えているわけでは無い。
でもぼんやりと様々な背表紙を眺めていると、かつて自分が考えていたこと、いま自分が考えていること、そして自分がこれから進もうとしている方向性がなんとなく見えてくる。学校の図書館や公立図書館ではそうはいかないと思う。
ここを訪れる人全員がそう思うとは限らないが、少なくとも私と妻が何処からここに来たのか、そしてこれからどこへ向かおうとしているのかを、マゼコゼの本棚をつうじて垣間見てもらうことによって、人それぞれが持つ時間と空間を感じてもらえたら嬉しい。

「Cabin Porn 」タイトルの下には、「小屋に暮らす、自然と生きる」と大きく書かれていて、その下には、Inspiration for Your Quiet Place Somewhereと英語がある。
本のデザインからして日本ぽく無い。英語版を日本語に翻訳し日本人向けに再編集したはずの日本語版。
本好きにとっては悲しいけれど、簡単には本が売れないこのご時世で¥3,000以上する本をつくり売ろうというのだから、出版社は少しでも多くの人の目にとまり、売れて欲しいと思うのがあたりまえ。
そのあらわれがおそらく「小屋に暮らす、自然と生きる」という日本語サブタイトルなのだろう。
自分はこうした新刊に付き物の帯というものが嫌いなのだが、この本の帯には世界中の愛好家が自力で創った夢の隠れ家コレクション…とある。
ちなみに英語版にはもちろん日本語タイトルは無いし帯も無い。

ここ数年の小屋ブームに加え、昨年あたりからは小屋ブームの周辺にはタイニーハウスというキーワードが急速に広がりつつある。
かつて夢の丸太小屋と呼ばれ、日本中の別荘地に次々と太い丸太材を使ったログハウスがつくられた時代があった。
そうした時代のログハウス所有者も高齢化し、多くの別荘地には一年中人の訪れることのない丸太小屋が散在している。
中山間地だけでなく別荘地もまた過疎高齢化しているのだ。

かつてのログハウスブームも現在の小屋ブームも、ブームはいずれ通り過ぎるもの。
しかし、つくる場所や大きさや素材が変化すれど、いずれのブームの背景にも人が探し求め続ける共通する何かが潜んでいる。
『ウォールデン 森の生活』(Walden; or, Life in the Woods)のソローやスナイダーもまた、ともすれば失ってしまいがちなものの存在に気付き、それは自分にとって、また社会にとって何であるのかを文学としてあらわしているのだ。
おそらくこの本の翻訳者・編集者は、ただ単に売れれば良いと考えているのでは無いはず。
「小屋に暮らす、自然と生きる」という日本語タイトルに何を託したのだろうか。

いま自分はそう簡単に「…自然と生きる」と言えないしこの言葉を安易に使えない、使いたくない…。

先週、9日土曜日、小諸市のNPO法人「虔十公園林の会」と小諸・茶房読書の森が主催する「環境・景観と自然エネルギーを考えるシンポジウム」が行われ、私もパネリストの一人として参加させて頂いた。
現在、「茶房・読書の森」のすぐ隣り、そして小諸市御牧ケ原周辺には、大規模な太陽光発電所が何箇所も計画、整備、稼働している。
年間の降雨量が少なく、標高が高く、空気が綺麗、そのうえ、過疎高齢化に関連する諸問題を抱える佐久小諸地方は、太陽光発電の最適地として注目されている。
山の木は売れない。田畑を耕す人もいない。
使われない山林や耕作されない農地を自然エネルギーと言われる太陽光を用いて発電所として再利用する。
それも自然、それも生き方…。

いま、私はどこに、どんな時代を生きているのか
自然とは何か
生きるとは何か

私たちは、答えの出ない、出せない話しをもっともっとみんなでしなければならないんだとあらためて思った台地の上の貴重な時間だった。

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ロイター.co.jpによると、アメリカ・カリフォルニア州は26日、米農薬・種子大手モンサント(MON.N)の人気商品である除草剤「ラウンドアップ」に含まれる有効成分グリホサートについて、7月7日から発がん性物質のリストに加えると発表したそうだ。

モンサントと聞くと、いつのまにか反射的に中指を立ててしまう自分だが、とりわけ除草剤「ラウンドアップ」は、もっとも身近な、目に見えるモンサントなのだ。
多国籍バイオ化学メーカー、モンサントの遺伝子組み換え作物の種の世界シェアは90%。化学薬品、プラスチックや合成繊維の製造、かつてベトナム戦争で使われ、いまでもその影響が残る枯葉剤もモンサント製。
除草剤ラウンドアップはモンサントが研究開発した農薬の一つで、最近は、そのラウンドアップに耐性をもつ遺伝子組み換え作物とセットで開発販売されている。
モンサントは2017年中にドイツに本拠地を置くバイエル社に吸収合併されるそうだが、それは結局のところ、モンサントという汚れたイメージを払拭し、企業の企みをさらに拡大させるということなのだろう。

特定の作物だけは枯らさずにその他の草は枯らすことができる…。
それはようするに、自分にとって不都合なものはこの世からすべて消し去ってしまうことが可能になるということであり、自然生命の原理原則として、できないはずのことを実現可能にするということなのだ。
このことは発癌性物質の有無以前に生命倫理としての大問題であるはずだが、もはやその倫理観もラウンドアップによって消し去られてしまったかのよう。
こうしてつくられた意識は社会のあちらこちらに飛び火する。

問われるべき問題の本質は、雑草を枯らすために研究開発された薬品ではなく、自分にとって不都合なものはこの世からすべて消し去ってしまおうとする意識そのものを商品として売りさばいていることだと思う。
そこは人として立ちってはならない禁断の領域。
もはや手遅れだが、そこに踏み入ることは誰であろうと、多国籍企業であろうとけっして許してはいけなかった…。
そして、モンサントはきっとこう言う。
「望んだのはあなたでしょ」と。

そう…、
ラウンドアップに限らずもはや農家の必需品とばかりに除草剤が乱舞する日本の里山の現状を見れば、モンサントをここまで巨大化させてしてしまったのは、この社会に生きる我々そのものなのだということが痛いほどにわかる。
もちろん、猛毒の発癌性物質が含まれていることには企業としての責任はあるだろうが、おそらくそんなことはとっくの昔からわかっているはず。
人の意識が変わってしまうこととラウンドアップの因果関係を証明することは限りなく難しいのだ。

今年ついに…と言うか、ようやくと言うか、米づくりをはじめた。
苗の準備やら水の管理やらあれやこれやを人に頼りまくりながらではあるけれど。
そもそもどのくらいの広さでどのくらいの収量が望めるのかすらわからない自分。
そんな自分が米づくりをはじめた理由の一つは、米づくりにおける懸案、田んぼに育つ草とリアルに対峙してみたかったから。
自分で言うのも何だが、この忙しいのにさらに忙しくなるのは間違いないし、ほんと大馬鹿野郎だと思う。

長野市内の自宅から車で30分ほど。
でも、本業の仕事もあるので、田んぼに行けるのは多くても週に2回がいいところ。
田んぼに行く…ってことは=水草と向き合う…ってこと。
まわりには除草剤を使わない田んぼは殆どない、弟夫婦と自分たちぐらい。
お前らみたいなもの好きは村中探したってほんの数人だけだそうだ。

6月の末に田植えをしてから早一ヶ月。
稲は順調に育ってはいるものの、あれやこれやの水草たちも同じく順調に育っている。
できることなら、ビオトープ的な共存共生とゆきたいところだけれど、残念ながらビオトープ状態では米の収穫はあきらめるしかないらしい。
稲の成長を優先するとなると稲以外の水草たちは要らぬものとしての扱いにせざるを得ない。
でもね、奴らも必死なんだ。
ひっこ抜いても、ひっこ抜いても、次から次へと生えてくる。
だからこっちも必死にならなきゃな…って思う。
米つくってる農家の人からしたら自分たちなんて遊びみたいなものだと思われてるだろうけどね。
まぁたしかに自分としても何やってるのかなって思うし。
でもね、草を抜きながら思うわけですよ。
これでできた米は最初にどうやって食べようかな…とか、
もう少ししたらいまは要らない水草も少しは残せるのかな…とか。
畦の草花は残してもいいかな…とか。

こんな大馬鹿野郎と一緒に田んぼに入りたい人はどうぞお気軽にご連絡ください。
只今、大水草祭り開催中です。

Monsant

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私のことを知っている人 …と言うか、私の外見や行動から生じるイメージからすると、野宿なんて全然平気な人だと思われているかもしれない。
事実、その昔、大学入学当初は中央線、荻窪駅北口あたりに下宿していたにも関わらず、高尾駅、東京駅、武蔵小金井駅、吉祥寺駅…でさんざん野宿?を繰り返した私は、いい加減、家で寝たくなって、国立(くにたち・正確には国分寺市)に引っ越したのだった。
まぁ、血中アルコール度超過の正気では無い状態でのあれを野宿と言って良いのかどうかはわからないが、その後、正気の状態で幾度も、あちらこちらで野宿をしてみようと試みたものの、未だに野宿で健やかな睡眠状態に至れたと思ったことがない。
 
思えば子供の頃から野宿に憧れていた。
いつからか野宿は格好良いと思い込んでしまっている自分は、未だ、男ならやっぱ野宿だろ!!…と思っているのだが、その思い込みが結果として、縄文時代に対する興味や、アイヌをはじめ、世界各国の先住民、自然と共存しながら暮らしている人々、その暮らしぶりへと向かったのだと思う。
 
だがそうしたことを少し客観的に、冷静に考えてみると、自分が「野宿」に憧れることによって結果、ずっと意識しているのは、「宿」ようするに『家』の有り様なのだと思う。
家の有り様とは言い変えれば、「家と人との関係」ということになろうか。
 
そもそも人はなぜ「家」を必要とするのか。
「家」とはいったい何なのか。
…最近になってようやく、
自分はそのことについてもうずっと、長いことそのことばかり考え続けてきているのだということに気が付いた。
 
考えてみれば家と外との違いなんてほんの僅かなこと。
どんなに薄っぺらな布でできていようが、テントの中に入れば超熟睡できてしまうのが自分。
雨が降ったら熟睡はできねーな…と思うこともあるけれど、最近のテントはそこそこの雨ぐらいなら濡れるなんてことも無い。
気にするのは、そこが平らかどうかと凸凹ぐらい。
…でも、ずっとテントに暮らせるのか?
最長いでも一週間ぐらいしかテント暮らしは続けたことは無いけれど…。
場所にもよるけれど、トイレなんて無くても平気。
最近流行りの?野糞で十分。
風呂なんて入らなくてもどこかに水があればなんとかなる。
水は必要でも水道である必要は無い…。
 
もう随分前に、フィンランド人の写真家が私達が東京で暮らしている時に改装し運営していた家に泊まりながら、東京近郊で写真撮影をしていたことがある。
10日ほど滞在していたであろうか。隅田川の堤防の川辺りや、多摩川の河川敷など見られるホームレスの人々が暮らす、いわゆるホームレスホーム撮影するつもりだと言っていたが、彼は母国フィンランドでも同じくホームレスの人のテントを撮影していた。
おそらく彼は、人の目には見えない都市の影の部分(あるいは都市の暗)を写真によって捉えようとしていたのだと思う。
彼は写真だからこそ見える何かを捉えようとしていたのだと思うのだが、彼の写真を見ると、同じホームレスホームでも、明らかにフィンランドのそれと日本のそれは異なるものだった。
それをあえて一言で言うとすれば、日本のそれは「家」
フィンランドのそれは「テント」だった。
 
あれから時は過ぎ、東京を離れ長野に暮らしている。
長野に来てから、ホームレスホームはみていない。
築100年に近いであろう土蔵づくりの倉庫を改装し暮らしている自分。
 
自分が暮らすここは「家」なのだろうか。
はたして自分は「家」を求めているのだろうか。
 

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現在進行中の家づくりの為に必要な材料…デットストック材や古民家を解体して集めた古材、木舞壁に使う竹…などを、集めまくっていた倉庫を事情があって引き払わねばならなくなり、先日その搬出がようやく終わった。
早いところ家づくり作業を再開せねばなならい焦りがあるものの、いまのままじゃこれから使う予定の材料も取り出せない…。
 
10年程前まで元土木建築業者さんの資材置き場兼建設重機車庫だった倉庫を貸してもらった。
建築足場+単管+ブルーシートで被われた、水無し、電気無し、トイレ無し…どこから見ても、誰が見ても、危険な気配度満点の、まさにアジトと呼ぶにふさわしい倉庫内には、かつて使われていたのであろう道具やら部品やら建築資材の残材に加えて自分が運び込んだ材料でごった返している。
は〜〜〜いったい俺は毎日何をしているのだろう…とため息も出るけれど、せめて手を洗う水ぐらいは…と、発電機のエンジンを回し、水中ポンプを倉庫から少し下がった場所を流れる川に沈めると…
おーーー!!水が出たぁーーー!!!と、あたりまえなことなのに大喜び。
これがもし井戸水だったら、間違いなくお祭り騒ぎ。
でもおかげで、俄然ブルーシートアジトが素敵なところに見えてきた。
忘れてた。
水があるって、ほんとありがたい。
熊本や大分で地震があって、いまだってみんな困っているはずなのに、でも自分はこんなことすら忘れてた…。
 
今年、この倉庫がある町と同じ町にある「みんなの学校」という小さなフリースクールの一つの授業を月一回だけ受け持っている。
倉庫がある山間のその向こう側の、山間の谷間にある荒廃した棚田の跡地で子供たちと小屋をつくる。
小学校3年生にあたる歳の子から6年生にあたる子まで全部で9人。
倉庫の移動やら何やらで、既に大幅に遅れてしまっている進行中の家づくりのピッチはなんとしても上げなければならないけれど、この授業は今年の自分にとっての大切な課題。
それは昨年、事情があって行くことができなかったネパール支援とも関係している。
 
ネパールの大地震が起きてからちょうど一年。
政情不安定なネパールでは、地震後の復興はなかなか進まない。
ネパール地震の発生後すぐにネパール入りし、支援活動を行なった後、自分とネパールを繋いでくれた友人は、熊本での地震発生直後から支援活動を続けている。
自分の知識や経験が少しでも役立つのなら…。
昨年のネパール行きを断念してしばらくして、別の友人からネパールでの支援の相談をされているのだけれど一度その相談を聞いてもらえないだろうかと連絡があった。
東京の郊外でネパール料理店を営むネパール人の男性は、ネパールの2回目の大きな地震の震源地の近くの山間の町で生まれ育ったそうだ。
彼によると、現在も余震は頻繁に続いていて、人々の多くは石と土を積み重ねてつくられた家に暮らしていたものの、その殆どは地震によって崩れ、いまもテント生活を余儀なくされている人が多いそうだ。
加えて、ネパールでは昨年、新憲法が制定されて以来、政情が不安定なこともあり、地震後の復興は思うように進まず、貧しい人々が新しく家をつくることはとても難しいだろうという。
自分が生まれ育った村の人々のためにできることを考えた彼は、地震に強く、しかも安価でできる家づくりの方法がないだろうかと、設計士である私の友人に相談を持ちかけたそうだ。
そこにある素材で、できるか限り安価で、自分たちの手で家をつくるには…。
 
私はネパール人の彼から紹介されたカトマンドゥ在住の建築技師の人から情報をもらいながら準備を進めつつ、日本でネパールの現地と同じ素材を用いた実験棟をつくろうと思っている。

そこにある素材で、できる限り安価で、自分たちの手でつくる。
日本の子供たちと一緒にそれを考え、つくる。
そうやって世界を学べたらそれは素晴らしいのではないだろうか。
 
倉庫の残材の中で一番の厄介もの…
それは、チクチクするグラスウール断熱材の残材と、新建材という名の健建築材料…
その殆どがネパールの山間地では使われていないものたち。
倉庫の回りに広がる田んぼ眺めながら、ネパールを、九州を、そして子供たちが生きる未来を想像する。
 

※写真は、小屋建設予定地の棚田跡。
山からの滲み出し水でぬかるみが多く、少しでも乾くようにと掘った水路はすぐに小川のようになってしまう。
でもこれできっと土地は乾くはず。

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http://rollingstonejapan.com/articles/detail/25504

我が家の中1の娘は、あるバンドに惚れ込んでいる。
きっかけは大好きな漫画家がそのバンドのアルバムジェケットを描いていたことだったような気がするが、間違っていたら怒られそうなのでこれ以上は言えない。

はるか昔…自分が中学生や高校生だった時代を思い起こせば、その時代は宙に浮いたような時代だったと思う。
急速に自我が形成されるこの時期、それは母船から酸素を送る管が着いたまま宇宙空間を泳ぐ宇宙飛行士のようなもの。時に邪魔だと感じるけれど、それを外してしまうわけにはゆかないこともわかっている。
親も学校も必要ではあると感じてはいるものの、その圏外には未だ遭遇したことのない未知の世界が広がっている。そこには自分が成長するために必要なものがあるのだけれどそれが何であるのかは自分だけにしかわからない…
それを直感として感じる時期なのだと思う。

娘が急速に成長してゆく様は、親として嬉しいものの、成長とはこういうものなんだな…という寂しさのようなものが無いとも言えない。
しかし、親と子の関係は、それ以外の人と人との関係とは少々異なるものだ。
仕事柄、子供に教えたり伝えたりするることも多いのだけれど、もはや娘には自分が直接教えることはできないと思っている。
思春期にありがちな、娘が父と話すことを嫌がるような状態はいまのところ感じてはいない(自分はそう思ってはいるけれど…)が、子だけが成長するのではなく、思春期の子を持つ親としての役割もまた変化し成長しなければならないのだと感じることが多くなった。

親とは自分では避けようの無い、否定しようの無い現実だと思う。
現実とは自分がこの世に根を張った土壌…そこが何処であれ、土壌はこの世のすべてと繋がっているのだ。
思春期に始まる人としてもっとも大きく急速に成長する時期とは、否が応でもその現実とは何であるのかを知り、自分の力で自分の生き方を切り開いてゆく時期だと思う。

だから、そんな成長期に入った娘にも、そして親である自分にとっても、よろしくお願いします。と言える何かが必要だ。
私は、それが表現であり、表現者であると思っている。
かつての自分もそうだった。
真の表現者に出会うことは人を何よりも勇気づけ、成長させる。

自由を教えることは何よりも難しい。
表現とはそのためにあると言っても言い過ぎではないだろう。

歌詞を「詞」じゃなくて、「詩」にもってゆける力…。
なるほど、娘がなぜあのバンドに惚れ込んでいるのかがわかるような気がする。


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