Feeds:
投稿
コメント

緑色のフィールド

この世の中に偶然なんてものがあるのだろうか。
 
それが、ほんの偶然であればあるほどにその偶然は、
自分であることを探し求めている自分を露出させる鏡のようなものである気がする。

 

この街に暮らしているのも、私にとっては、ほんの偶然の出来事の一つ。
 
一人で遊ばせておくには、まだちょっと早い娘との散歩。
 
公園という場所に馴染めない私には、
家からもさほど遠くない場所にある大学のキャンパスが、お気に入りの散歩コースになっている。
 
この街の幸いの一つ。
 
それは、この大学の中にかろうじて残されている緑色のフィールドであり、そこには過去から現在にまでに蓄えられた膨大な遺伝子がそこにプールされていることだ。
ここで私が出会った植物は多い。

 

東京とは言っても、ここまで山に近づけば少しは緑も増してくる。
本当は、「増す」では無くて、「残っている」と言うべきなのかもしれないが。
 
まさか、こんなにも長く、この街に住むとは思ってもいなかったものの、これ以上東にも西にも移動する気にもならない。
もう何年も自分自身がつくりだした境界線上に留まり続けている。
 
四方を大小の山々に囲まれ、描く絵には、緑色の絵の具は欠かせない地方都市で育った私からすれば、緑の豊かさが気に入ってこの街に住んでいる訳でもない。
 
「どうして」という質問には、いつになっても上手く答えられない。

 

此処という場所が、此処であり続けているから。
私の中の、こちら側とあちら側の間に此処があるから。
だから私はこの街に暮らしている 
と、今は答えることにしている。

 

娘を連れて大学の裏門を通り抜ける。

植物と大気が複雑に混じりあって放つ匂いの中に、ほんのわずか、土の匂いが含まれていることに気がつくと、木立の隙間から差し込む太陽の光は、幾分緑色に近いことを知る。
木立の上の鳥たちのさえずりに重なって、風が揺らす葉が触れ合う音や、木立の間を通り抜ける音が聞こえ始めると、私という存在もまた緑色のフィールドの一部であるということ。
 
私たちが以前暮らしていた場所は、此処だったということを思い出す。

 

すずかけの木の実を、見つけて喜ぶ娘は、あっちにもこっちにもある実を拾い集めている。
 
彼女が集めるその実は、はるか昔の記憶と、はるか未来永劫まで伝えなければならないことによってつくられている。
彼女によって拾い集められたという出来事は、その実にとってのほんの偶然。
でもきっと、この偶然は、その実の中の何処かが待ち望んでいたはずの一つであって、次の瞬間には、記憶となって、その実の中の遺伝子の一部に書き加えられるのだろう。
 
そうやって、つくられるもの。
それを自然と呼ばなければならないと私は思う。

 

私が住んでいる場所。
 
私たちが日常的に使っている「住所」というものは、自然という観点を全く含んではいない。
勿論、現代に暮らす私たちが、その便利さや必要性を全て否定することはできないが、住所によって私の暮らす場所に郵便物は届けられたとしても、住所からは、その街の気候や地形、そこに生息する植物の種類を知ることはできないということを、私たちは忘れてはいけない。

 

私たちの誰もが、すずかけの実の持つ自然さと同じものをその内側に持っているにも関わらず、住所という効率化の手段を、無条件に受け入れることによって、自分たちが緑色のフィールドに暮らすものたちであることの意識が薄れ、其処に暮らす権利をも放棄しようとしている。
 
そもそも、植物の葉の緑らしさは、他の何物によっても感じられない緑と感じるように私たちはつくられている。
 
どんなに科学が進化しても、植物の葉の緑らしさと同じ緑色を、私たちがつくり出すことはできないだろう。
それがどうしてなのかはわからない。
しかし、そこには確実に「心動く何か」がある。
私は、その「心動く何か」が訪れる瞬間を逃したくないと思い続けている。
現代という時代に生きる私たちが、私たちもまた自然の一部であるということに気付く瞬間はとても少ない。
少ないからこそ、その瞬間を少しでも多くの人々が共有し、少しでも長くそれを持続させられる場づくりを私たち共通の目的としなければならないと思う。
 
私たちは長い間、いかなる他の存在にも依拠せずに自立して存在するべきだという幻想を抱いてきた。
 
それは、自分たちが暮らす場所に対しても変わらない。
自立して生きる為には、緑色のフィールドを支配する力が必要だと思い続けてきたのだ。
そうした幻想は、自然ばかりか、文化や歴史といった目には見えない関係性も含め、全て破壊する。
 
このような幻想を断ち切る為に。
場所との関係性を築く為に。
 
私たちは、場所との関係性を生きる植物という存在から多くを学ばなければならない。
 
植物は、場所との関係性によってのみ生きている。
土地に根を張り、自らは動くことができない、植物にとって、その場所が如何にして持続するかが=自己生命の持続に繋がる。
その特徴は、「次に託す・・」、あるいは、「他の存在に委ねる」といった、人間が抱き続けてきた幻想の逆にある。
植物の場所に生きる関係性は、自らが循環を促す一員となることによって築かれる。
 
私たちは、今すぐにでも、自分が暮らす場所に根を張る植物に一歩近づいてみることができる。
 
それが、場所に対しての関係性を生きるということへの最初の一歩となる。
循環の一員に加わる意思となる。
 
私たちは緑色のフィールドに生きる者。
 
壊れかけた関係性を復元しながら、人間の生活のあり方をもう一度発見する。
持続可能な地域に転換する、あらゆる可能性を探り始める。

広告

http://rollingstonejapan.com/articles/detail/25504

我が家の中1の娘は、あるバンドに惚れ込んでいる。
きっかけは大好きな漫画家がそのバンドのアルバムジェケットを描いていたことだったような気がするが、間違っていたら怒られそうなのでこれ以上は言えない。

はるか昔…自分が中学生や高校生だった時代を思い起こせば、その時代は宙に浮いたような時代だったと思う。
急速に自我が形成されるこの時期、それは母船から酸素を送る管が着いたまま宇宙空間を泳ぐ宇宙飛行士のようなもの。時に邪魔だと感じるけれど、それを外してしまうわけにはゆかないこともわかっている。
親も学校も必要ではあると感じてはいるものの、その圏外には未だ遭遇したことのない未知の世界が広がっている。そこには自分が成長するために必要なものがあるのだけれどそれが何であるのかは自分だけにしかわからない…
それを直感として感じる時期なのだと思う。

娘が急速に成長してゆく様は、親として嬉しいものの、成長とはこういうものなんだな…という寂しさのようなものが無いとも言えない。
しかし、親と子の関係は、それ以外の人と人との関係とは少々異なるものだ。
仕事柄、子供に教えたり伝えたりするることも多いのだけれど、もはや娘には自分が直接教えることはできないと思っている。
思春期にありがちな、娘が父と話すことを嫌がるような状態はいまのところ感じてはいない(自分はそう思ってはいるけれど…)が、子だけが成長するのではなく、思春期の子を持つ親としての役割もまた変化し成長しなければならないのだと感じることが多くなった。

親とは自分では避けようの無い、否定しようの無い現実だと思う。
現実とは自分がこの世に根を張った土壌…そこが何処であれ、土壌はこの世のすべてと繋がっているのだ。
思春期に始まる人としてもっとも大きく急速に成長する時期とは、否が応でもその現実とは何であるのかを知り、自分の力で自分の生き方を切り開いてゆく時期だと思う。

だから、そんな成長期に入った娘にも、そして親である自分にとっても、よろしくお願いします。と言える何かが必要だ。
私は、それが表現であり、表現者であると思っている。
かつての自分もそうだった。
真の表現者に出会うことは人を何よりも勇気づけ、成長させる。

自由を教えることは何よりも難しい。
表現とはそのためにあると言っても言い過ぎではないだろう。

歌詞を「詞」じゃなくて、「詩」にもってゆける力…。
なるほど、娘がなぜあのバンドに惚れ込んでいるのかがわかるような気がする。


いのちを生かす

先週末、白馬村落倉高原にある「深山の雪」では”いのちを生かすWS”が行われた。
「深山の雪」は、東日本大震災の津波で家族3人を失い(娘の汐凪ちゃんは現在も行方不明のまま)、福島第一原発の事故によって避難を余儀なくされた木村紀夫さんと長女、愛犬が暮らす家であると同時に、震災をきっかけとして、これからを共に考えようとする人々が集う場所。
深山の雪での「いのちを生かすWS」は今回で3回目。
毎年協力してくれている友人のハンターが狩猟で獲ったニホンジカを、参加者自らが解体し精肉することをつうじて、鹿のみならず、生命の繋がりについて、い ま自分がどのような時代を生きているかについて、そしてまた、これからをどう生きるかについてを共に考えるための貴重な機会となっている。
このWSを開催する意味について、深山の雪の木村紀夫さんが書いているので、こちらも是非読んで頂ければと思う。
https://www.facebook.com/media/set/…

このWSの数日前、私は長野市のお隣り、飯綱町で炭焼きの仕事を見学をさせてもらった。
既に30年以上炭焼きを続けている炭焼き職人の佐藤さんは、炭にする原木を山で自分で伐り出し、窯のある作業場へと運び入れ、炭にしやすい長さに束ね、炭 焼き窯に火を入れる。「自分は殆ど何もしないし炭焼きのことなんて何もわからない」…と、けっして楽じゃない炭焼き作業を底抜けに明るく語る奥さんと二 人、3つある炭焼き窯に数日ずらして火を入れるそうなので、約一週間かかる一連の炭焼きの工程が次から次へと続いてやってくる。
原木の伐採、運搬、薪割りなどには機械を使っているとは言え、炭焼きは基本殆どが手作業。熟練の技の凄さはもちろんだが、なにより、こうした人がこの時代にいてくれることに、言葉にしきれない嬉しさを感じる。
石と土を積み重ねてつくられた極めてシンプルな炭焼きの窯。煙道から立ち昇る煙の色と温度で窯の内部の状態を判断することで炭の質を調整するのだそうだが、季節の違いやその日の天候、原料となる木の乾燥具合などが炭の質を大きく左右するのだそうだ。

つい最近まで…たった50〜60年前までは、炭は暮らしに欠かすことのできない燃料として重宝されていた。そうした木炭が化石燃料と呼ばれる石炭へ、さらに私たちの暮らしのエネルギーの主力は石油や天然ガスへと急速に変化した。
日本の戦後、日本の高度経済成長期をよって得た「豊かで快適な暮らし」は、エネルギー革命とも言われる急速なエネルギーシフトがもたらしたものとも言える けれど、このあまりに急激な変化、そして、未だ留まることの無い「豊かで快適な暮らしの追求」によって、目には見えないたくさんの歪が生まれ、そうした歪 の一部はやがて深刻な社会問題となって表面化しているのだ。

自然の中に生きる鳥や獣の一部が人間社会にとっての「有害鳥獣」として指定され、長野県に限ってみても一年に4万頭を超えるシカが有害駆除や狩猟によって捕獲されるようになっていることもそうした歪の現れ。
少なくとも、木炭が日々の暮らしにとって欠かせなかった時代には、これほどまでに野性の鳥や獣が社会問題化していなかったはずだ。
いま長野県のみならず、日本中の山村人口は急速な減少傾向にあり、かつて多くの人々が暮らすことによって保たれていた里山環境は急速に荒廃しはじめている。
だからと言って、いまの日本が必要とするエネルギーの全体量を山村が供給することはほぼ不可能であろうことを思えば、そうした山村にいま、そしてこれから も暮らし続けることは容易なことでは無いし、そう簡単に人口が増えるとは思えない。これからの社会にとっての山村の必要性とは何であるのかは極めて重要な 私たち全体にとっての課題だと思う。

このところ薪窯で焼いたピザやパンが評判となったり薪ストーブが注目されていること、加えて、福島第一原発事故の放射能による影響もあり、薪の需要は増加傾向にある。
既に疲弊する林業界周辺では建築材よりも薪の方が高値で売れるようになっているとも言われている。
しかし、都市部での薪の流行がこの先いつまで続くかはわからない。薪で焼たピザやパンは自分自身も大好きなので否定はしないものの、なぜ薪なのか…という ことに対する理解が無いままでは、薪は単に燃料でしかなく、その背景にはそうした燃料を山から伐り出し、薪として生産し、それによって生活している人々が いることにはまず気付かない…。単なる流行だけでは、薪の需要と供給のバランスを持続的に保つことは明らかだ。

自分はかつて、たまたま選択した美術がきっかけとなり、当初は美術作品をつくるために、「目には見えない関係性」に興味を持った。
やがて、美術作品をつくることよりも、目には見えない関係性を人が感じるために美術、あるいはアートはどのように機能するのかが重要だと思うようになっ た。と同時に、美術に限らず「目には見えない関係性を感じるために有効な手立てとなるものは何か」に興味が移行して現在に至る。

自分にとっては、木村紀夫さんの震災後の生き方と彼のまわりに集まる人、その場所。有害鳥獣に指定される鹿とそれに関わる人。日々黙々とこの現代に於いて も炭を焼き続ける人と炭…。そうした人や、もの、場所こそが「目には見えない関係性」を紐解くための最も重要な鍵であり入り口だと思っている。
その鍵を開け、一歩踏み出すこと。
自分の思う美術とは、その一歩を踏み出すために必要なこの世を生きるための力の一つ…勇気のようなものか。
そしてそれは、美術家だけが持っていれば良いものでは無く、この世を生きるすべての人が持っているはずのもの、持たなくてはならないもの。
そのために何をすべきか。
一歩づつ…スーパースローでしか前には進めないけれど、そのうちにきっと、見たいものが見えてくるのだと思う。

「見る」

いまから10年程遡ったあの頃…
この歳の自分なんて想像もしていなかった…というか、できなかった。
10年後の自分を想像できない いま もまた同じ。
人は前を向いて歩いているとは言え、見えるのはせいぜい数キロ先が見えるかどうか。10年後はおろか明日だって見えやしない。
いったい自分には何が見えているのか。
「見る」とはいったいどういうことか。

数年前、原因不明の免疫系の病が発症したとほぼ同時期に、片目の眼底出血によって網膜が傷付いた影響で視力が著しく低下してしまった。
しかし、そんな自分の身体の激変に対する焦りもあったものの、難病だからと言って動けなくなったわけじゃなく、二つの目のうちの一つを失っただけ…と思っていられる自分自身の冷静さに驚いた。
手術を受けるために入院していたベットの上で片目で天井を見ながら、もしもう片方の目が見えなくなっらどうするかを想像した。けれど見えない未来に怯えるのは馬鹿らしいのでやめた。
「見る」とはどういうことかについて考えることにした。

自分が抱えている免疫疾患は、粘膜に対して自己免疫が暴走するというものであるらしく、目の粘膜には症状が出やすいという研究結果もあるという。
もちろん必ず症状が出るということでは無いにしろ、可能性は否めないと医者は言う。だからと言って焦ってもどうにかなるものでも無いし、原因もわからないからの難病であるのなら、予防しようもないではないか。そもそも、これが病気なのかどうかすらわからないのなら、いまできることはいまするしかないということではないのか。
幸いなことに殆ど片目とは言え、いまはつくるにはさほどの不自由はないし、つくり続けるという気持ちは以前よりも強くなったような気もする。
このまま死ぬまでつくり続けられたら儲けもん。

自分が見たいものは目には見えないもの。
できることならそれを、自分一人じゃなくてみんなで見たいと思う。
言葉が書きたければ言葉を書けばいい。
踊りが好きなら踊ればいい。
歌いたければ歌えばいい。
でも自分は、言葉よりも踊りよりも歌うよりも、手を動かしてつくりたい。
この世に生きているかぎり、目には見えないものを見るための、見えるものがつくりたい。

12401027_848006598652327_7517569736514408481_n

美学創造舎マゼコゼでは、以前、FB上でお伝えしていた、
『RIKI-TRIBAL S.A.W 的 Rocket Stoves』  を、
今週土曜日 1月23日(土)の夜 18時〜21時ぐらい
来月    2月6日(土)の夜 18時〜21時ぐらい
の予定で開催します。

・ロケットストーブの背景 はもちろんのこと、
・ロケットストーブ燃焼構造
・木質燃料をはじめとするバイオマスストーブの近況、今後の展開や可能性について。
・RIKI-TRIBAL S.A.Wの主軸である「ナチュラルビルディング(自然建築)」と「サスティナブルアート」について。
・「持続可能な暮らし」について。
そんなこんなを、みなさんとお話ししながら考える時間です。

※ロケットストーブやウッドガスストーブの構造的なご質問にもお答えしますが、今回はロケットストーブ、ロケット燃焼式ヒーターをつくることを目的としたWSではありません。

以下、詳細です。

◆日時
第1回 1月23日(土) 18時〜21時
「ロケットストーブとは何か〜Biomass Cooking Stovesから見えるいま・ここ」

第2回 2月6日(土) 18時〜21時
「ロケットストーブから始めるナチュラルビルディング・サスティナブルアート」

◆場所
美学創造舎マゼコゼ
長野市長門町1076−2
026−225−9380

◆料金 : 1回 ¥2,500 (2回続きの場合 ¥4,000)
資料・飲み物・おつまみ付き

※申し訳けありませんが、今回の講座は各回 参加希望者が2名以上(定員10名)で開催致します。
御予約を頂いてから折り返し開催の有無についてのお返事を差し上げます。

◆【受講予約は、電話かBlog内フォームから】

●『美学創造舎マゼコゼ』
Tel : 026-225-9380

●「美学創造舎マゼコゼBlog」 美学創造舎ページ中程にある連絡フォームから
お願いします。
https://mazekoze.wordpress.com/about/

参加希望日時と人数をお伝えください。
折り返し、ご連絡差し上げます。

RIKI-TRIBAL S.A.W

「溝」

とかくArtは難しい…とか、理解し難いものとして捉えられがちなのは、英語であるArtと日本語の美術・芸術との間にある溝が多分に影響しているからだろう…と思っている。
とは言え、美術や芸術がArtとは異なるものだ…と言うことではなく、そもそもその溝…Artと芸術あるいは美術の違い…が生じていることこそが重要であり、そこに芸術・美術の大きな可能性があるはずなのに、この溝を理解しがたいものとして、それ以上には踏み込まないことは、とても残念なことだ。

明治初頭、西洋文明が怒涛のごとく日本に押し寄せたと同時に、それまでの日本語にはなかった多くの訳語が必要とされた。
Artに対する訳語である芸術、美術もその為に充てられた日本語で、それ以前の日本にもArt的な? 何かしらがあったのかもしれないものの、Artという概念そのものが日本では必要とされていなかった…ということなのだろう。

この「Artという概念そのものが日本では必要とされなかった」ということ。これこそが日本の芸術・美術にとって最も重要で、ここを無いがしろにしたまま、芸術・美術のArt化ばかりしていても、これから先ずっとArtと芸術・美術の間の溝は埋まることは無いと思う。

明治時代初頭に起こった文明開化という急激な変化があったからこその現代…
歴史は否定も肯定もできないが、こと言語に絞って考えてみると、本来、言語とは風土を礎とした風習や習慣と直結しているものであるはずで、異なる風土の言語を翻訳するということが如何に困難で、しかも遠い未来にも影響しかねない危険をも孕んでいることは少なくとも訳語の作成に関わった人々はわかっていたはず…。

その後の日本を思えば、明治政府の国策の基本である富国強兵策に対しては個人的には賛成できない気持ちが強いが、当時、欧米列強の圧倒的な力に対して、極東の小国である日本ができることがあったとすれば、それは唯一、風土に根ざした日本的思考体系を維持することにあったのだと思う。

日本的思考体系…と言うと即、軍国主義的思考をイメージするのは仕方無いことか…。
事実、日本はその後、天皇制を柱とする軍国主義的思考体系に基づく国家を確立してゆくのだが、自分が思う日本的思考体系とは、それよりもはるか以前…縄文の時代から脈々と息づく、風土に根ざした身体感覚的思考体系を指す。
これについては、益々長くなるのでこれ以上は書かないことにするけれど、人が本当の意味で自立して生きるには自立した思考体系が必要で、その為には風土に直結した言語の習得が極めて重要な鍵を握っていると自分は思っている。

明治時代、数多くの西洋からの言葉を日本語に置き換えた人々のことを自分はまったく知らない。しかし少なくとも、風土に根ざした言語で思考し続けることが如何に重要であるかを思っていたからこそ、それまでの日本には無かった概念をなんとか日本語に置き換えようと努力したはず。
しかし残念ながら、現代に生きる私たちはそのことの重大さについて殆ど考えることがない…。

英語をはじめ外国語を用いることは何ら間違ったことでは無いけれど、自分にとっての言語を知ること、その言葉で会話することは、自立した思考にとって何よりも大切なのではないだろうか。
その言葉やその言葉のもとになっている音を発するだけで、目には見えない、はるか昔にここを生きた人々と同じ風景を感じることができるはず…。
それこそがArtであり、Sustainableだと自分は思うのだが。

10152601_847314455388208_1177846130487565827_n